クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

ミトロプロスの<サロメ>と<エレクトラ>

2009年02月19日 | 演奏(家)を語る
今回は、ミトロプロスがライヴで遺したR・シュトラウスの<サロメ>と<エレクトラ>について。

―R・シュトラウス : <サロメ> (下記の2種)

●クリステル・ゴルツの主演による1955年1月8日のメトロポリタン・ライヴ
●インゲ・ボルクの主演による1958年2月8日のメトロポリタン・ライヴ

インゲ・ボルクの主演による1958年ライヴは随分前からCD(Living Stage盤)が出ていて、当ブログでもかつて<サロメ>の聴き比べシリーズをやったときに取り上げたことがある。一方、クリステル・ゴルツ主演の1955年ライヴ(Walhall盤)というのは割と最近発掘された音源のようで、私の場合は、つい昨年(2008年)購入したばかり。いずれにしても、1950年代を代表する二人の偉大なサロメ歌いが、同じ指揮者と同じ劇場で、それぞれにホットな上演を記録していたというわけである。

まず、ボルク主演盤について。以前書いた記事とだぶる話になるが、私にとって最高のサロメは、カイルベルトの1951年バイエルン・ライヴで歌っていた若き日のインゲ・ボルクである。当時の彼女は声が若々しく、なお且つパワフルで、小悪魔的なサロメのキャラクターを鮮烈に歌いだしていた。それに比べると、ここでのボルクの声はもっと太くなっていて、サロメよりはむしろエレクトラをイメージさせるものになってきている。その一方、ヘロデを歌うラモン・ヴィナイが重量級ソプラノに匹敵するロブストな声で対抗しているので、ちょうど「エレクトラ対オテロ」みたいな図式になっているのだ。こういう“声の横綱対決”を聴けるのが、当盤のお楽しみといったところだろうか。

続いて、ゴルツ主演盤。クリステル・ゴルツという人もサロメ歌いとして一時代を画した名歌手で、クレメンス・クラウスの有名なデッカ録音で主役を演じていた。このメト・ライヴには、それとはまた一味違った、生のステージならではのスリリングな歌唱が記録されている。特に、ラスト・シーンが聴き物。盆に盛られたヨカナーンの生首にサロメが陶然としてキスする場面、ここが大変素晴らしい。聴きながら、「ゴルツのサロメが高く評価されていた理由は、この独特の頽廃美にあったのかもしれないなあ」と、ふと考えたりする。現在の感覚からすれば、彼女の歌は必ずしも技術的にハイ・レベルなものとは思えないのだが、何と言うか、漂わせる雰囲気が特別なのである。

ミトロプロスの指揮は両ライヴとも共通してテンポは速めで、表現が直截だ。ただ、どちらかと言えばゴルツ主演盤の方が、一般のクラシック・ファンにも取っつきやすいような気がする。有名な『サロメの踊り』など、特にその感が強い。いずれにしてもクラウスやショルティ、あるいはカラヤンといった人たちによる“よく整ったスタジオ録音の名演”に慣れている聴き手にはちょっと戸惑いを与えるような、かなりユニークな演奏ではある。

―R・シュトラウス : <エレクトラ> (1957年 ウィーン・フィルとのライヴ※)

(※今私が持っているOpera d’oro盤には“ Wien 1957 ”と記されているが、これは他のレーベルから出ている同年ザルツブルクでのライヴと同じ音源ではないかと思う。確認は出来ていないのだが・・。)

先頃語った<ヴォツェック>と同様、<エレクトラ>もかなり名盤に恵まれた作品という気がする。私の中でのベストは、カール・ベーム&ドレスデン国立歌劇場管、他によるグラモフォン盤(1960年10月録音)で、これは今改めて聴き直してみても、やはり抜群のものである。ベームの指揮は、「容赦なく激烈な響きを使いながら、なお且つ音楽にがっしりした造型を与えている」という極めて優れたもので、良い時の彼が間違いなく超一流の指揮者であったことを証明する偉大な名演を作り上げている。歌手陣も素晴らしい。インゲ・ボルクの超人的なエレクトラ、深々とした声で雄大な歌唱を聴かせるジーン・マデイラの極めつけクリテムネストラ、力強い上になお優しさをも湛えたマリアンネ・シェッヒの理想的なクリソテミス、立派過ぎるくらいに立派なフィッシャー=ディースカウのオレスト等、出演者が皆飛びぬけた名唱を披露しているのだ。録音も、良質なステレオ。

ミトロプロスの<エレクトラ>(1957年ライヴ)は、そのベーム盤と主役の二人が共通している。タイトル役のインゲ・ボルクと、クリテムネストラ役のジーン・マデイラだ。ボルクの声は、上記ベーム盤よりも若々しい。歌の安定度はベーム盤の方がずっと上だが、そのかわりここにはライヴらしい緊張感がある。マデイラの出来はベーム盤での圧倒的名唱には及ばないものの、ここでもそう悪くはない。オレストに殺される場面での絶叫などは、むしろこちらの方が凄い。ミトロプロスの指揮がぶっ飛んだ爆演を聴かせるのは、やはりドラマの後半であろう。特に、生きて帰ってきたオレストがクリテムネストラとエギストを相次いで殺害するところ、そして狂喜するエレクトラが踊りまくって死に至るまでを描く幕切れの部分。これらの場面で聴かれる演奏には、何かもう一線を越えてしまったかのような凄まじさがある。(つまり、キレちゃってるのだ。w )音はモノラルで古いのに、終わったあと「どひゃあーっ」と腰が抜けるような衝撃を聴き手の胸に残すのが、ミトロプロス盤の凄いところである。もう少し録音状態が良かったら、おそらくトップ・ランクに入れるであろう爆裂の名演だ。

さて、この機会に、私がこれまでに聴いたことのある他の<エレクトラ>全曲録音についても、少しだけ触れておくことにしたい。まず、ゲオルグ・ショルティの指揮でビルギット・ニルソンが主演したデッカ盤(1966~67年録音)。これもLP時代から名盤の誉れ高いもので、ニルソンの強烈な声とショルティ&ウィーン・フィルの鮮烈な演奏が聴く者を圧倒する。しかし、正直な感想を言うと、このニルソンの歌というのはどうもいまひとつ、私の胸に響いてこない。ショルティはすべての音を見事なバランスで鮮やかに鳴り響かせてくれるので、聴いていて非常に気持ちがよい。ただ、どろどろした情念みたいな要素は、この演奏には希薄なようだ。

そのショルティ盤と同じウィーン・フィルによる名演としては、ベームが最晩年に作った映像ソフトも忘れられない。私はこれを昔、レーザー・ディスクで持っていた。今はもう手元にないので詳しい感想は書けないが、歌手陣は上記ドレスデン録音とかなりいい勝負の出来栄えだったように思う。レオニー・リザネックのエレクトラ、カタリーナ・リゲンツァのクリソテミス、アストリッド・ヴァルナイのクリテムネストラ、そしてフィッシャー=ディースカウのオレストといった面々だ。しかし、何と言っても、これは映像の演出が凄かった。一言で言えば、オカルト・タッチ。画面全体を覆う陰鬱な雰囲気、妖怪みたいな風貌のクリテムネストラ、踊り狂って倒れたエレクトラの恐ろしい死に顔・・どこを思い出しても、まるでホラー映画みたいだった。「この<エレクトラ>を仕上げるまでは、死ねない」と言っていたらしい巨匠最晩年の執念みたいなものが、ウィーン・フィルの熱演にも反映されているようだ。ただ、レーザー・ディスクの音質はあまり良くなかった。DVDではどうだろうか。(※そう言えばクラウディオ・アバドも、<エレクトラ>の全曲ライヴをウィーン・フィルとやっていた。しかし、これについては随分前にNHKのBSだったかで放送されたのを一回視聴しただけなので、今は残念ながら何も語れない。当時録画したVHSテープも古くなったので、とうの昔に処分してしまった。)

ドレスデン、ウィーンと来て、最後はベルリン。ベルリン国立歌劇場のオーケストラをロヴロ・フォン・マタチッチが指揮したライヴ録音(1957年10月3日 Weitblick盤)も見逃せない。これも、大変な豪演である。いかにもマタチッチらしい、骨太で豪快な音楽作りになっている。歌手陣も総じてハイ・テンションで、特にエレクトラ役のジークリッド・エッケハルトが並大抵でない熱演を聴かせる。ちょっと私にはなじみのない歌手だが、相当な実力者だったんじゃないかと思う。ミトロプロス盤でのボルクが長丁場に対応するため適宜力の入れ抜きを行なっていたのに対し、エッケハルトはほとんどぶっ通しで全開状態なのである。他の歌手では、クリソテミス役のヘドヴィッヒ・ミュラー=ビュトウがそれに次ぐ。クリテムネストラを歌っているのは、マルガレーテ・クローゼという人。前二者に比べると声量の点で弱く感じられるが、性格表現は十分。なお、録音はモノラルながら音質は割と鮮明で、オペラ・ライヴに於けるマタチッチの燃え方の凄さを味わうのに、とりあえず不足はない。

そのマタチッチと同じシュターツカペレ・ベルリンの演奏による全曲録音としては、ダニエル・バレンボイムのデジタル録音盤(1995年2月 テルデック)というのもある。録音の良さについてこれが飛びぬけているのは言うまでもないが、演奏内容もかなり立派なものだ。デボラ・ポラスキという人が、エレクトラを歌っている。この役を受け持つからには、並外れた声の持ち主であることはもう当然。しかし、この人のエレクトラには、何か新しい魅力を感じる。パワフルな声を轟かせる場面よりも、オレストの正体を知ったときの喜びの歌とか、胸に一物抱えながらエギストに優しく応対するシーンとか、そういう場面で聞かれるリリカルな声と表現の方に、より強い印象が残るからだ。歌詞の扱いにも細やかな配慮をしている様子がうかがわれる。これは今風の、“知的な名唱”と言っていいものかもしれない。ただ他の歌手陣は、ちょっと落ちるようだ。クリソテミスを歌うアレッサンドラ・マークはメゾに近い厚みのある声の持ち主だが、いろいろと歌唱表現に意を尽くしている割にはどうもそれがうまくいっていない。クリテムネストラを歌うヴァルトラウト・マイヤーは性格表現に卓越した力を見せるものの、声量が不足。バレンボイムの指揮はさすがに周到なもので、シュトラウスの音楽を非常に豊かな響きで鳴らしてくれている。ベームやミトロプロスのような厳しく鋭い音を好む私には正直言って物足りないが、「この曲は、これぐらい鳴ってくれれば十分」とおっしゃる方も多くおられることだろう。

―次回は、ミトロプロスが指揮した<トスカ>と<ドン・ジョヴァンニ>、そして<ヴァネッサ>。
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ミトロプロスの<運命の力>と<エルナーニ>

2009年02月09日 | 演奏(家)を語る
今回は、ミトロプロスがライヴで遺した2つのヴェルディ・オペラについて。

―ヴェルディ : 歌劇<運命の力> (1953年6月14日 フィレンツェ・ライヴ)

ライヴゆえの粗さとか、録音年代に起因する音の古さとか、そういった欠点は勿論あるのだが、それらのマイナス・ポイントを完全に吹き飛ばすほど、これはとてつもない名演。まず、歌手陣が素晴らしい。イタリア・オペラ戦後の黄金時代を象徴するようなメンバーが揃っている。中でもマリオ・デル・モナコのドン・アルヴァーロ、レナータ・テバルディのレオノーラ、そしてチェーザレ・シエピのグァルディアーノ神父は絶品。特に、テバルディが大変な迫力だ。後日扱う予定の<トスカ>でもそうだが、ライヴ・ステージでの彼女の燃え方というのは、本当に尋常ではない。周知のとおり、このお三方は、F・モリナーリ=プラデッリの指揮による有名なデッカの1955年盤(ステレオ)にも出演していて、そこでもそれぞれに安定した名演を聴かせている。しかし、このライヴの熱気には特別なものがあって、ミトロプロスの激しい指揮ぶりともども、スタジオ録音にはないエネルギーが伝わってくる。

その他の脇役陣も良い。ドン・カルロを演じるアルド・プロッティは力強い声としっかりした歌唱によって、おそらくこの人のベスト・フォームと言ってよい名演を披露している。プロッティと言えば、NHKの招聘によるイタリア歌劇公演の中で、特にデル・モナコと共演した<道化師>でのトニオ、あるいは<アンドレア・シェニエ>でのジェラールといった役柄で忘れがたい名演を残してくれたバリトン歌手だが、その日本公演以外の録音となると、案外パッとしたものがない。(※デッカの有名な<オテロ>全曲で歌っていたヤーゴは大味だったし、デル・モナコとカラスの共演による<アンドレア・シェニエ>・1955年スカラ座ライヴでのジェラールも、日本での名演に比べるとかなり落ちるものだった。)その意味でも、このライヴ音源は貴重なものと言えるだろう。

プレツィオジッラを歌うフェドーラ・バルビエリも熱演だ。声質の点ではちょっとこの役にはどうかな、と思われなくもないが、歌唱自体は大変立派なもので、M=プラデッリ盤で同役を歌っているジュリエッタ・シミオナートといい勝負じゃないかと思えるほどの出来栄えを示している。(※ちなみに、私にとってのベスト・プレツィオジッラは、ジェイムズ・レヴァインのRCA録音で歌っている若きフィオレンツァ・コッソット。)フラ・メリトーネ役のレナート・カペッキも、良い味を出している。M=プラデッリ盤のフェルナンド・コレナも素晴らしいが、ここでのカペッキ氏も上々の名演。というわけでこのライヴ、出演者にめり込みがないのである。古い音源ゆえ、ファースト・チョイスには向かないかもしれないが、オペラ・ファンなら一度は聴いておきたい白熱の名演だ。

(PS) 「運命の力」というタイトルの意味について

一つ、おまけの話。オペラ研究家の永竹由幸氏が、「運命の力」という作品タイトルに関連する文章を、『ヴェルディのオペラ』(2002年・音楽之友社)という本の342~343ページに書いておられる。登場人物名をこちらで補う形にして一部抜粋させていただくと、次のような感じである。

{ これはスペインが滅ぼしたインカ帝国の末裔(=ドン・アルヴァーロ)が、傾きかけたスペイン貴族の一家(=カラトラーヴァ侯爵と娘のレオノーラ、そして彼女の兄ドン・カルロ)を没落させていくという、因果応報の運命の力の話なのである。 }

永竹氏の言葉に則ってみれば、最後にドン・アルヴァーロが絶望して自殺を遂げるオリジナル台本(F・マリア・ピアーヴェによるもの)よりも、彼が最後までしっかり生き残る改訂台本(A・ギスランツォーニによるもの)の方がより効果的にテーマを表現できている、と言えるかもしれない。実際、今日の上演では後者が普通に使われており、ミトロプロスの当フィレンツェ・ライヴでもそうなっている。

―ヴェルディ : 歌劇<エルナーニ> (1957年6月25日 フィレンツェ・ライヴ)

この<エルナーニ>も凄い演奏で、私が指揮者ミトロプロスを見直すきっかけとなった重要な音源の一つである。ここにもやはり、当時のほぼベストと言えるような名歌手たちが揃っている。まずタイトル役のマリオ・デル・モナコ、そしてスペイン国王ドン・カルロを歌うエットレ・バスティアニーニが素晴らしい。時に勢い余って音程がゆれたりするライヴらしい瑕(きず)はあるけれども、こんな超弩級の歌唱を聴かせてもらって何の文句があろうか、というものである。

で、そのお二人と並ぶか、あるいはさらに凄いのが、エルヴィーラ役のアニタ・チェルクェッティ。この人の声と歌唱は圧倒的である。チェルクェッティと言えば、G・ガヴァッツェーニの指揮によるポンキエッリの<ジョコンダ>全曲(L)でタイトル役を歌ったものと、あとはアリア集みたいなものしかスタジオ録音では残されていないので、このようなライヴ音源は非常に貴重なものだ。それも、単に資料的な価値という消極的な理由からではなく、内容の点で貴重なのである。テバルディやニルソンなど、往年の名歌手たちはしばしば、スタジオ録音での歌唱と生演奏でのそれの間に大きな違いを見せていた。理由はおそらく単純明快なもので、「スタジオ録音は今後何十年と聴き継がれていく記録だから、ちゃんと整ったものを残しておきたい。逆に、生のステージは基本的にそのとき限りのイヴェントだから、思う存分にやれる」という意識があったのだろうと思う。今回の<エルナーニ>で超人的な声を聴かせるチェルクェッティもまさにそういうタイプで、スタジオ盤<ジョコンダ>では、録音マイクを前にして幾分かしこまっていたのではないかと思えるのだ。それがこのライヴでは、エンジン全開。並みいる男性強豪に引けをとらないどころか、時に彼らを圧倒するほどの存在感を示すのである。

ミトロプロスの指揮も極めてホットなもので、暗い音色と硬質な響きによって作品が持つ悲劇性を力強く表現している。前奏曲に続く開幕の合唱など、出だしこそ幾分せかせかした印象を与えるものの、全体を覆う熱気と興奮が、少しぐらいの欠点などすぐに忘れさせてくれる。録音はさすがに古いが、鑑賞にはとりあえず差し支えのないレベルと言ってよいと思う。

(PS) ドン・シルヴァのカバレッタについて

最後にちょっと、付け足し話。歌劇<エルナーニ>の聴きどころの一つに、第1幕の終わり間際に出てくるドン・シルヴァのカヴァティーナがある。「不幸なお前!この美しくて無垢な百合を、お前のものと信じていたなんて」と始まる有名な一曲だ。で、実はその後、「この年寄りにまだ復讐の剣が残っている限り、汚辱は拭うぞ。さもなければ、地に倒れるまでだ」と勇ましく歌いだす壮麗なカバレッタが続くこともあれば、それを飛ばしてあっさりと次の場面に進んでしまう場合もある。これはどういうことだろうか。

上記永竹氏の著作によると、もともとシルヴァの役は脇役バスが担当するという前提で書かれたと考えられるそうなのだが、件(くだん)のカヴァティーナが非常に良いものだったため、主役級のバス歌手がこの役を歌うようになっていったようなのだ。で、その結果として、ヴェルディが主役バスにふさわしい聴かせどころを与えるために新しくカバレッタを書き足した、という経緯があったみたいなのである。

さて、その『ドン・シルヴァのカバレッタ』を聴ける<エルナーニ>の全曲録音は、今どれぐらいあるのだろう。もう随分前に、リッカルド・ムーティの指揮によるスカラ座での全曲演奏(※ドミンゴ、フレーニ、ギャウロフといった豪華メンバーが揃っていたもの)をNHK-FMで聴いたことがあったのだが、残念ながら、そこではシルヴァのカバレッタはカットされていた。原典尊重派で知られるムーティだから、まあ当然の選択だったのだろう。しかし、せっかく美声のギャウロフを起用しているのにもったいないなあと、当時思ったものである。今回取り上げているミトロプロス盤も同様で、ボリス・クリストフが担当する同役のカバレッタはやはり、カットされている。

今現在私が知っている狭い範囲で言えば、ルチャーノ・パヴァロッティが主演したリチャード・ボニングのデッカ録音(1987年)で、とりあえずシルヴァのカバレッタを聴くことができる。歌っているのは、パータ・ブルチュラーゼ。内面性はともかく、いかにもこの人らしい恰幅の良い歌唱になっている。ただ、このボニング盤、全体的には今ひとつの出来栄えだ。パヴァロッティが意外に健闘している点はそれなりに買えるのだが、ジョーン・サザーランドのエルヴィーラは全くの“お人形さん歌唱”にとどまっており、およそ感銘が薄い。レオ・ヌッチの力演も、バスティアニーニの牙城を揺るがすには遠く及ばず。ボニングの指揮は、オーケストラや合唱団から壮麗な響きを引き出す点では冴えた手腕を発揮しているものの、<エルナーニ>のドラマが持つ暗い悲劇性といったシリアスな要素は十分に表現しきれていないようだ。録音は文句なしに優秀なのだが。

あとは、どうだろう。私がこのゴキゲンな歌を初めて聴いたのはもう20数年以上も前のことで、ソースはやはりNHKのFM番組だった。あれは確か、エツィオ・フラジェッロが歌ったものだったと記憶している。ということは、おそらくトマス・シッパーズのRCA録音から抜き出してのオンエアだったのではないかと思う。そちらの全曲演奏を聴いたわけではないので自信はないが、多分それだったんじゃないかな・・。

―次回は、ミトロプロスが指揮したR・シュトラウスの2作品。
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