クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

<詩人の恋>~ヘフリガーとヴンダーリッヒ

2016年03月30日 | 演奏(家)を語る
先週の日曜日(2016年3月20日)、おなじみのFM番組『名演奏ライブラリー』で、スイス出身の名テノール歌手エルンスト・ヘフリガーの歌唱を聴いた。今回は、その最初に流れたシューマンの歌曲集<詩人の恋>についての感想文。

いかにも、という感じだった。全体に亘ってかなり遅めのテンポを取る中で、歌詞の一つ一つをきっちりと発音し、曖昧な箇所を残さない。「ドイツ・リートは歌詞を大事にする」という、クラシック界でよく耳にする理念をとことんまで体現しているようだ。歌の姿も、実直にして端正。ある意味これは、リートの歌唱スタイルとして一つのお手本になっている物とも言えそうな感じ。

その結果、と言っていいのか、受ける印象としては、「ある種の感情移入を伴って、詩人の苦悩を追体験して聴かせる歌唱」というよりはむしろ、その苦悩、あるいは苦悩する詩人の姿を“外在化”して、客観的な目撃者として語るような叙事詩的アプローチになっているように感じられる。たとえば、第11曲。これは「昔ある若者が、一人の娘に恋をした。しかしその娘には、他に好きな男がいた。ところがその男が別の女と結婚してしまったので、やけになった娘は行きずりの男に声をかけ、その男と一緒になってしまった。一番みじめなのは、(まるで相手にされていない)最初の若者」という内容で始まる短い歌だが、ここでのヘフリガーの歌唱は、「この哀れな若者を見よ。これは古き話なれど、いつの世にも有り得べきことなり」といった格調高いスタイルで語り聴かせる<マタイ>のエヴァンゲリストみたいに、当ブログ主には聞こえるのである。

エリック・ウェルバのピアノ伴奏もまた、この「明晰なディクションと遅いテンポによる、叙事詩的な表現世界」を構築するヘフリガーの歌唱に大きく貢献しているようだ。くっきりした粒立ちの明瞭な音。感傷に溺れない理知的なピアニズム。それらをもって、歌手が志向する方向性をしっかりと支援している。ただ、これもまた聴く側の印象としての話なのだが、その些かザッハリッヒ(即物的)な表現には余情に乏しい憾みがあることも指摘せずにはいられない。特に、終曲。ウェルバの明晰なピアノ後奏はそっけないほど速いテンポで進み、所謂ロマンティシズムの余韻みたいなものを残さない。このあたりは好みが分かれるところだろう。

さて、<詩人の恋>に優れた歌唱を示したテノール歌手といえば、フリッツ・ヴンダーリッヒの名も忘れるわけにはいかない。旅行先の宿で階段から転落するという不慮の事故により、あたら若い命を散らしてしまったドイツの名歌手である。世代的にはまさに、このヘフリガーの後継者みたいな存在だった。この人の早過ぎる他界が(特にドイツの)クラシック音楽界にもたらした損失は計り知れないもので、おかげで後続世代の優等生ペーター・シュライアーが、宗教曲からオペラ、さらにはリートと、もう何から何まで引き受けて回らねばならない大忙しの人となってしまったわけである。

ヴンダーリッヒのリート歌唱は、先輩格のヘフリガーとはある意味対照的な性格を持つものだった。「すべての歌詞と音符を一点一画ゆるがせにせず、克明に刻んでいく」というのではなく、感情の発露をなめらかな天性の美声に委ね、それを自然体で歌い上げていくという独自のスタイルを持っていた。この人が録音に遺した<詩人の恋>については、当ブログが立ち上げられた割と初期(2005年6月23日)に少し触れていたが、この機会に改めて書いておくことにしたい。(※今回の記事を書くに当たって、久しぶりに昔の自分の文章を読みなおしてみた。随分力んで書いていたなあと、ちょっと冷や汗。)当ブログ主がこれまでに聴いたヴンダーリッヒの<詩人の恋>は、全部で4種。

まず、一番よく知られたグラモフォンのスタジオ録音。これは最も平凡。美しい声で丁寧に歌われてはいるのだが、「一応そつなく、まとめておきました」という程度の仕上がりで、さほど感動的な物にはなっていない。(但し録音は、4種の中でも断トツ優秀。)1965年8月のザルツブルク・ライヴはいかにも生のステージらしい豊かな感興を持つものだが、時折音程がふらついたりして、歌の完成度という点から見ると“傷あり物件”。これをもって彼のベストとするのは、ちょっと苦しい。図らずも名テノール最後のコンサートとなった1966年9月のエディンバラ・コンサートの録音は、歌唱の出来は大変に素晴らしいものの、録音状態に難あり。暗い靄(もや)がかかったような、こもった音。特に当ブログ主がかつて持っていたMYTOレーベルのCDでは、あちこちで謎の女性歌手の声がゴーストのように聞こえてきて何とも気持ち悪かった。当音源はグラモフォン等からも発売されているが、そちらでは変な声はカットされているのだろうか。

―ということで、(当ブログ主が知っている4種の中では、という条件付きの話だが)ヴンダーリッヒ最高の<詩人の恋>は断然、1966年3月24日にドイツのハノーファーで行なわれたコンサートのライヴということになる。特に印象的だった何曲かについての感想は以前の記事で書いたので今回は省略するが、ザルツブルクでの歌唱と違って音程のふらつきがなく、エディンバラ・ライヴのような録音上の不満もない。入魂の名唱が歌い手の息遣いまで聴き取れるような上質な音で、しっかりと記録されているのが有り難い。ただ残念なのは、かつてMYTOレーベルから「1 MCD 932.78」という型番で発売されていた当音源のCDは既に廃盤で、かなり前から入手困難な状況になってしまっているということ。前回語ったマータ&ロンドン響の<春の祭典>みたいなメジャー系の音源なら、そのうち最新リマスターによる再発売がタワレコさんの企画CD等で実現するかもしれないが、ヴンダーリッヒの埋もれたライヴのようなレア物系音源は復活が難しいかもしれない。あとは、当ブログ主がまだ知らずにいる他の音源が何かあって、そちらでもっと優れた内容の物が聴かれる可能性があるかどうか、というところ。

―今回は、これにて。
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