モントゥー特集の最終回である。前回に続き、≪クラシックCD文庫・ピエール・モントゥー編≫に含まれているCDの中から、今回はドビュッシー作品のアルバムをもとにして語ってみたいと思う。
≪ドビュッシー作品集 : 牧神の午後への前奏曲、管弦楽のための映像、夜想曲~「雲」「祭り」≫
この中の<牧神の午後への前奏曲>と<夜想曲~「雲」「祭り」>は、かつてラヴェルの<亡き王女のためのパヴァーヌ>等と組んでデッカから発売されていた。一方、<管弦楽のための映像>はもともとフィリップス・レーベルへの録音だったので、これらがこうして一枚のCDにまとめて発売されるというのは、昔なら考えられない事だった。つくづく時代は変ったと思う。話の混乱を避けるために、念のためオリジナルの組み合わせを先に書いておきたい。
〔かつてのデッカ盤の一枚〕
ラヴェル : 亡き王女のためのパヴァーヌ、スペイン狂詩曲 & ドビュッシー : 牧神の午後への前奏曲、夜想曲~「雲」「祭り」
〔かつてのフィリップス盤の二枚〕
ラヴェル : ボレロ、ラ・ヴァルス、<マ・メール・ロワ>全曲・・・これで一枚だった。
ドビュッシー : 管弦楽のための映像、<聖セバスティアンの殉教>~交響的断章・・・これで一枚だった。
かつてのデッカ盤で、<亡き王女のためのパヴァーヌ>と<牧神の午後への前奏曲>を聴いた時の感動は、今でもよく覚えている。特にラヴェルの方。ともすると、安っぽい通俗曲のように受け取られている部分がなくもない<亡き王女>だが、最晩年のモントゥーが指揮した演奏に触れた時、私はちょっと言葉にならないような深い感銘を受けたのである。何という高潔な音楽だろうと思った。<牧神>も同様である。ドビュッシーだからといって安直な“もやもやサウンド”などは使わず、極めてくっきりとした澄明な響きで音楽が進む。これ見よがしな事は一切せず、淡々としているのに、音楽の味が濃い。曲の終わり間際(※〔7:20〕あたりから)で聴かれる、あの小さな鐘の音はとりわけ印象的で、ちょっと他の演奏には求められない感動を私は得たのだった。
現在、別シリーズの中で、上に記したモントゥー最晩年の<亡き王女のためのパヴァーヌ><スペイン狂詩曲><ボレロ><ラ・ヴァルス>、そして<マ・メール・ロワ>全曲をひとまとめにした一枚のCD≪モントゥーのラヴェル作品集≫が発売されている。未聴の方はこれも是非、お聴きいただきたいと思う。
これらの録音で聴かれるモントゥー最晩年の演奏は、決して豊麗なサウンドで聴き手を酔わせるといった種類のものではなく、むしろその正反対のものだ。「ここをこのようにやってやろう」とか、「ここにクライマックスを置いて、盛り上げていこう」などといった小賢しい表現意欲などは、どこにもない。あくまで自然体で、飾り気のない音楽である。しかし、その飾り気のない枯れた音の中に深いコクがあるのだ。例えば<マ・メール・ロワ>をもっと豊かな響きで美しく聴かせる指揮者は他にもいるが、私が聴くたびに最も深い感動を得るのは、他でもないモントゥー盤なのである。素朴で枯れた響きの中から、やさしい夢と深い憂愁、そして寂しげな詩情といったものが沁みだして来るからだ。特に終曲「妖精の園」はこの上なく感動的で、ここに至ると私はいつも泣けてきそうになる。
さて、あまり思い込みの過ぎた文章を書いていると物笑いのタネにもなりかねないので、ここらで一区切りつけて、最後に武川寛海(たけかわ ひろみ)氏が昔、『指揮者のすべて』(音楽之友社・1977年)という本の120ページで紹介なさっていた「モントゥー名言集」を、ちょっと披露させていただこうかと思う。
モントゥー先生、のたまわく・・
1.ソロ楽器がソロの箇所を吹いているときは、指揮棒を動かしてはならない。
2.難しい箇所に来たら、担当奏者を睨んだりして恐れさせたり、気を悪くさせたりしてはならない。
3.たとえ練習中でも、明らかに間違った音を出したときは、指揮棒を叩いて中断してはならない。
4.私は指揮者として、楽員諸君に従う気はない。だから諸君は、私に従わねばならない。
1から3までの言葉は、「はあ、なるほどね」と誰もが首肯なさるのではないかと思われるが、最後の4はどうだろう。何だか不穏当な発言に聞こえないだろうか。この4のセリフがいつ頃どういう状況で、どのオーケストラに向かって発せられたものかは不明だが、私にはこれが最も含蓄深く、示唆に富んだものに思える。オーケストラ芸術のあり方を考える上で、極めてデリケートにして、かつ本質的な部分に触れているからだ。
トスカニーニは、楽員たちから恐れられた。ひどい怒り方が半端じゃなかったからである。当時のNBC響のメンバーには、自分の子供があんまり駄々をこねると、「いいかげんにしないと、トスカニーニのところへ連れていくぞ」と言って黙らせた人もいたなどという伝説さえ残っている。クレンペラー博士のリハーサル風景の映像を見ると、厳しい学校の先生が出来の悪い生徒を叱っているようだった。譜面台を手のひらでバタバタ叩きながら、「何で教えた通りのボウイングをしないんだ」と頭から湯気を出して怒りまくる。ジョージ・セルは楽員の採用人事にも大きな権限を持っていたから、下手な演奏を続ける楽員は本当にクビにされた。だから皆、厳しいリハーサルにも必死に耐えた。ライナーの切れ長の目で睨まれると、シカゴ響の楽員たちは心底ブルったそうである。
そういった指揮者達の言葉というならともかく、楽員たちからこよなく敬愛されていたというモントゥーが、上の4のようなセリフを言っていたのは極めて象徴的だ。何を象徴しているかと言えば、時代である。モントゥーが活躍した時代は、所謂「巨匠指揮者達の時代」だった。上に挙げたような個性強烈な大指揮者の面々が、各地のオーケストラに君臨していた時代だった。今のように「君主」がいなくなり民主化されたオーケストラには、もうほとんど生み出す事の出来なくなった超弩級の名演奏が、しばしば出現した時代だった。(※だからマニアは飽きもせず、倦みもせず、古い発掘音源を渉猟し続ける。)
この時代には、オーケストラの楽員たちが今よりずっとつらい思いに耐えていた、という面も勿論あっただろう。そんな時代の中にあってモントゥーは、「げに、いとおしき専制君主」であり得た人だったのだ。<春の祭典>や<ペトルーシュカ>、あるいは<ダフニスとクロエ>等の初演指揮を好例とするロシア・バレエ団での歴史的な仕事、名指揮者にとって必ずしも名誉ある任務には見えなかったであろうアメリカ・サンフランシスコ響の立て直し作業、モントゥー指揮者学校での若手養育、その他もろもろの人生経験を経た結果、酸いも甘いもかみ分けて美しく枯れてくれたお爺ちゃんを、楽員たちも聴衆もみんなが尊敬し、そして愛したのだ。
巨匠最晩年の<亡き王女のためのパヴァーヌ>や<牧神の午後への前奏曲>、あるいは<マ・メール・ロワ>などに聴かれる美しさというのは、ほとんど解脱(げだつ)の境地にまで達した音楽家だからこそ作り得た、他とはちょっと種類の違う別格の美なのである。
≪ドビュッシー作品集 : 牧神の午後への前奏曲、管弦楽のための映像、夜想曲~「雲」「祭り」≫
この中の<牧神の午後への前奏曲>と<夜想曲~「雲」「祭り」>は、かつてラヴェルの<亡き王女のためのパヴァーヌ>等と組んでデッカから発売されていた。一方、<管弦楽のための映像>はもともとフィリップス・レーベルへの録音だったので、これらがこうして一枚のCDにまとめて発売されるというのは、昔なら考えられない事だった。つくづく時代は変ったと思う。話の混乱を避けるために、念のためオリジナルの組み合わせを先に書いておきたい。
〔かつてのデッカ盤の一枚〕
ラヴェル : 亡き王女のためのパヴァーヌ、スペイン狂詩曲 & ドビュッシー : 牧神の午後への前奏曲、夜想曲~「雲」「祭り」
〔かつてのフィリップス盤の二枚〕
ラヴェル : ボレロ、ラ・ヴァルス、<マ・メール・ロワ>全曲・・・これで一枚だった。
ドビュッシー : 管弦楽のための映像、<聖セバスティアンの殉教>~交響的断章・・・これで一枚だった。
かつてのデッカ盤で、<亡き王女のためのパヴァーヌ>と<牧神の午後への前奏曲>を聴いた時の感動は、今でもよく覚えている。特にラヴェルの方。ともすると、安っぽい通俗曲のように受け取られている部分がなくもない<亡き王女>だが、最晩年のモントゥーが指揮した演奏に触れた時、私はちょっと言葉にならないような深い感銘を受けたのである。何という高潔な音楽だろうと思った。<牧神>も同様である。ドビュッシーだからといって安直な“もやもやサウンド”などは使わず、極めてくっきりとした澄明な響きで音楽が進む。これ見よがしな事は一切せず、淡々としているのに、音楽の味が濃い。曲の終わり間際(※〔7:20〕あたりから)で聴かれる、あの小さな鐘の音はとりわけ印象的で、ちょっと他の演奏には求められない感動を私は得たのだった。
現在、別シリーズの中で、上に記したモントゥー最晩年の<亡き王女のためのパヴァーヌ><スペイン狂詩曲><ボレロ><ラ・ヴァルス>、そして<マ・メール・ロワ>全曲をひとまとめにした一枚のCD≪モントゥーのラヴェル作品集≫が発売されている。未聴の方はこれも是非、お聴きいただきたいと思う。
これらの録音で聴かれるモントゥー最晩年の演奏は、決して豊麗なサウンドで聴き手を酔わせるといった種類のものではなく、むしろその正反対のものだ。「ここをこのようにやってやろう」とか、「ここにクライマックスを置いて、盛り上げていこう」などといった小賢しい表現意欲などは、どこにもない。あくまで自然体で、飾り気のない音楽である。しかし、その飾り気のない枯れた音の中に深いコクがあるのだ。例えば<マ・メール・ロワ>をもっと豊かな響きで美しく聴かせる指揮者は他にもいるが、私が聴くたびに最も深い感動を得るのは、他でもないモントゥー盤なのである。素朴で枯れた響きの中から、やさしい夢と深い憂愁、そして寂しげな詩情といったものが沁みだして来るからだ。特に終曲「妖精の園」はこの上なく感動的で、ここに至ると私はいつも泣けてきそうになる。
さて、あまり思い込みの過ぎた文章を書いていると物笑いのタネにもなりかねないので、ここらで一区切りつけて、最後に武川寛海(たけかわ ひろみ)氏が昔、『指揮者のすべて』(音楽之友社・1977年)という本の120ページで紹介なさっていた「モントゥー名言集」を、ちょっと披露させていただこうかと思う。
モントゥー先生、のたまわく・・
1.ソロ楽器がソロの箇所を吹いているときは、指揮棒を動かしてはならない。
2.難しい箇所に来たら、担当奏者を睨んだりして恐れさせたり、気を悪くさせたりしてはならない。
3.たとえ練習中でも、明らかに間違った音を出したときは、指揮棒を叩いて中断してはならない。
4.私は指揮者として、楽員諸君に従う気はない。だから諸君は、私に従わねばならない。
1から3までの言葉は、「はあ、なるほどね」と誰もが首肯なさるのではないかと思われるが、最後の4はどうだろう。何だか不穏当な発言に聞こえないだろうか。この4のセリフがいつ頃どういう状況で、どのオーケストラに向かって発せられたものかは不明だが、私にはこれが最も含蓄深く、示唆に富んだものに思える。オーケストラ芸術のあり方を考える上で、極めてデリケートにして、かつ本質的な部分に触れているからだ。
トスカニーニは、楽員たちから恐れられた。ひどい怒り方が半端じゃなかったからである。当時のNBC響のメンバーには、自分の子供があんまり駄々をこねると、「いいかげんにしないと、トスカニーニのところへ連れていくぞ」と言って黙らせた人もいたなどという伝説さえ残っている。クレンペラー博士のリハーサル風景の映像を見ると、厳しい学校の先生が出来の悪い生徒を叱っているようだった。譜面台を手のひらでバタバタ叩きながら、「何で教えた通りのボウイングをしないんだ」と頭から湯気を出して怒りまくる。ジョージ・セルは楽員の採用人事にも大きな権限を持っていたから、下手な演奏を続ける楽員は本当にクビにされた。だから皆、厳しいリハーサルにも必死に耐えた。ライナーの切れ長の目で睨まれると、シカゴ響の楽員たちは心底ブルったそうである。
そういった指揮者達の言葉というならともかく、楽員たちからこよなく敬愛されていたというモントゥーが、上の4のようなセリフを言っていたのは極めて象徴的だ。何を象徴しているかと言えば、時代である。モントゥーが活躍した時代は、所謂「巨匠指揮者達の時代」だった。上に挙げたような個性強烈な大指揮者の面々が、各地のオーケストラに君臨していた時代だった。今のように「君主」がいなくなり民主化されたオーケストラには、もうほとんど生み出す事の出来なくなった超弩級の名演奏が、しばしば出現した時代だった。(※だからマニアは飽きもせず、倦みもせず、古い発掘音源を渉猟し続ける。)
この時代には、オーケストラの楽員たちが今よりずっとつらい思いに耐えていた、という面も勿論あっただろう。そんな時代の中にあってモントゥーは、「げに、いとおしき専制君主」であり得た人だったのだ。<春の祭典>や<ペトルーシュカ>、あるいは<ダフニスとクロエ>等の初演指揮を好例とするロシア・バレエ団での歴史的な仕事、名指揮者にとって必ずしも名誉ある任務には見えなかったであろうアメリカ・サンフランシスコ響の立て直し作業、モントゥー指揮者学校での若手養育、その他もろもろの人生経験を経た結果、酸いも甘いもかみ分けて美しく枯れてくれたお爺ちゃんを、楽員たちも聴衆もみんなが尊敬し、そして愛したのだ。
巨匠最晩年の<亡き王女のためのパヴァーヌ>や<牧神の午後への前奏曲>、あるいは<マ・メール・ロワ>などに聴かれる美しさというのは、ほとんど解脱(げだつ)の境地にまで達した音楽家だからこそ作り得た、他とはちょっと種類の違う別格の美なのである。