クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

モントゥー最晩年の録音から(2)~ラヴェル、ドビュッシー

2005年07月30日 | 演奏(家)を語る
モントゥー特集の最終回である。前回に続き、≪クラシックCD文庫・ピエール・モントゥー編≫に含まれているCDの中から、今回はドビュッシー作品のアルバムをもとにして語ってみたいと思う。

≪ドビュッシー作品集 : 牧神の午後への前奏曲、管弦楽のための映像、夜想曲~「雲」「祭り」≫

この中の<牧神の午後への前奏曲>と<夜想曲~「雲」「祭り」>は、かつてラヴェルの<亡き王女のためのパヴァーヌ>等と組んでデッカから発売されていた。一方、<管弦楽のための映像>はもともとフィリップス・レーベルへの録音だったので、これらがこうして一枚のCDにまとめて発売されるというのは、昔なら考えられない事だった。つくづく時代は変ったと思う。話の混乱を避けるために、念のためオリジナルの組み合わせを先に書いておきたい。

〔かつてのデッカ盤の一枚〕

ラヴェル : 亡き王女のためのパヴァーヌ、スペイン狂詩曲 & ドビュッシー : 牧神の午後への前奏曲、夜想曲~「雲」「祭り」

〔かつてのフィリップス盤の二枚〕

ラヴェル : ボレロ、ラ・ヴァルス、<マ・メール・ロワ>全曲・・・これで一枚だった。

ドビュッシー : 管弦楽のための映像、<聖セバスティアンの殉教>~交響的断章・・・これで一枚だった。

かつてのデッカ盤で、<亡き王女のためのパヴァーヌ>と<牧神の午後への前奏曲>を聴いた時の感動は、今でもよく覚えている。特にラヴェルの方。ともすると、安っぽい通俗曲のように受け取られている部分がなくもない<亡き王女>だが、最晩年のモントゥーが指揮した演奏に触れた時、私はちょっと言葉にならないような深い感銘を受けたのである。何という高潔な音楽だろうと思った。<牧神>も同様である。ドビュッシーだからといって安直な“もやもやサウンド”などは使わず、極めてくっきりとした澄明な響きで音楽が進む。これ見よがしな事は一切せず、淡々としているのに、音楽の味が濃い。曲の終わり間際(※〔7:20〕あたりから)で聴かれる、あの小さな鐘の音はとりわけ印象的で、ちょっと他の演奏には求められない感動を私は得たのだった。

現在、別シリーズの中で、上に記したモントゥー最晩年の<亡き王女のためのパヴァーヌ><スペイン狂詩曲><ボレロ><ラ・ヴァルス>、そして<マ・メール・ロワ>全曲をひとまとめにした一枚のCD≪モントゥーのラヴェル作品集≫が発売されている。未聴の方はこれも是非、お聴きいただきたいと思う。

これらの録音で聴かれるモントゥー最晩年の演奏は、決して豊麗なサウンドで聴き手を酔わせるといった種類のものではなく、むしろその正反対のものだ。「ここをこのようにやってやろう」とか、「ここにクライマックスを置いて、盛り上げていこう」などといった小賢しい表現意欲などは、どこにもない。あくまで自然体で、飾り気のない音楽である。しかし、その飾り気のない枯れた音の中に深いコクがあるのだ。例えば<マ・メール・ロワ>をもっと豊かな響きで美しく聴かせる指揮者は他にもいるが、私が聴くたびに最も深い感動を得るのは、他でもないモントゥー盤なのである。素朴で枯れた響きの中から、やさしい夢と深い憂愁、そして寂しげな詩情といったものが沁みだして来るからだ。特に終曲「妖精の園」はこの上なく感動的で、ここに至ると私はいつも泣けてきそうになる。

さて、あまり思い込みの過ぎた文章を書いていると物笑いのタネにもなりかねないので、ここらで一区切りつけて、最後に武川寛海(たけかわ ひろみ)氏が昔、『指揮者のすべて』(音楽之友社・1977年)という本の120ページで紹介なさっていた「モントゥー名言集」を、ちょっと披露させていただこうかと思う。

モントゥー先生、のたまわく・・

1.ソロ楽器がソロの箇所を吹いているときは、指揮棒を動かしてはならない。
2.難しい箇所に来たら、担当奏者を睨んだりして恐れさせたり、気を悪くさせたりしてはならない。
3.たとえ練習中でも、明らかに間違った音を出したときは、指揮棒を叩いて中断してはならない。
4.私は指揮者として、楽員諸君に従う気はない。だから諸君は、私に従わねばならない。

1から3までの言葉は、「はあ、なるほどね」と誰もが首肯なさるのではないかと思われるが、最後の4はどうだろう。何だか不穏当な発言に聞こえないだろうか。この4のセリフがいつ頃どういう状況で、どのオーケストラに向かって発せられたものかは不明だが、私にはこれが最も含蓄深く、示唆に富んだものに思える。オーケストラ芸術のあり方を考える上で、極めてデリケートにして、かつ本質的な部分に触れているからだ。

トスカニーニは、楽員たちから恐れられた。ひどい怒り方が半端じゃなかったからである。当時のNBC響のメンバーには、自分の子供があんまり駄々をこねると、「いいかげんにしないと、トスカニーニのところへ連れていくぞ」と言って黙らせた人もいたなどという伝説さえ残っている。クレンペラー博士のリハーサル風景の映像を見ると、厳しい学校の先生が出来の悪い生徒を叱っているようだった。譜面台を手のひらでバタバタ叩きながら、「何で教えた通りのボウイングをしないんだ」と頭から湯気を出して怒りまくる。ジョージ・セルは楽員の採用人事にも大きな権限を持っていたから、下手な演奏を続ける楽員は本当にクビにされた。だから皆、厳しいリハーサルにも必死に耐えた。ライナーの切れ長の目で睨まれると、シカゴ響の楽員たちは心底ブルったそうである。

そういった指揮者達の言葉というならともかく、楽員たちからこよなく敬愛されていたというモントゥーが、上の4のようなセリフを言っていたのは極めて象徴的だ。何を象徴しているかと言えば、時代である。モントゥーが活躍した時代は、所謂「巨匠指揮者達の時代」だった。上に挙げたような個性強烈な大指揮者の面々が、各地のオーケストラに君臨していた時代だった。今のように「君主」がいなくなり民主化されたオーケストラには、もうほとんど生み出す事の出来なくなった超弩級の名演奏が、しばしば出現した時代だった。(※だからマニアは飽きもせず、倦みもせず、古い発掘音源を渉猟し続ける。)

この時代には、オーケストラの楽員たちが今よりずっとつらい思いに耐えていた、という面も勿論あっただろう。そんな時代の中にあってモントゥーは、「げに、いとおしき専制君主」であり得た人だったのだ。<春の祭典>や<ペトルーシュカ>、あるいは<ダフニスとクロエ>等の初演指揮を好例とするロシア・バレエ団での歴史的な仕事、名指揮者にとって必ずしも名誉ある任務には見えなかったであろうアメリカ・サンフランシスコ響の立て直し作業、モントゥー指揮者学校での若手養育、その他もろもろの人生経験を経た結果、酸いも甘いもかみ分けて美しく枯れてくれたお爺ちゃんを、楽員たちも聴衆もみんなが尊敬し、そして愛したのだ。

巨匠最晩年の<亡き王女のためのパヴァーヌ>や<牧神の午後への前奏曲>、あるいは<マ・メール・ロワ>などに聴かれる美しさというのは、ほとんど解脱(げだつ)の境地にまで達した音楽家だからこそ作り得た、他とはちょっと種類の違う別格の美なのである。
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モントゥー最晩年の録音から(1)~ベートーヴェン、ドヴォルザーク、エルガー

2005年07月25日 | 演奏(家)を語る
モントゥーのお話の続きである。巨匠ピエール・モントゥーが最晩年に残した名演奏の中から、選りすぐりのレパートリーをまとめたユニヴァーサルの国内盤・1200円シリーズが数ヶ月前に発売された。≪クラシック文庫 ピエール・モントゥー編≫である。その中には、永らく入手困難だったコンセルトヘボウ管との<ベートーヴェン : 英雄>も含まれていて、ファンを大喜びさせたようである。今回は、このシリーズに収められた名演奏の中からいくつか、任意に選んで語ってみたい。

≪ベートーヴェン : 交響曲第4&7番≫

これは何と言っても、<第7番>が気迫の名演。モントゥーの<ベー7>を初めて聴いたのはもう、何年も前になる。当時の輸入盤で、≪ベートーヴェン&ドヴォルザークの第7番≫という組み合わせのCDであった。LP時代、このモントゥーの<ドヴォ7>が私は大好きで、繰り返し聴いていたので、外盤ながらそのCDが見つかった時はちょっと懐かしくなって買ってみたのである。それに併録されていた<ベー7>をそこで初めて耳にして、本当にびっくりしてしまったのだ。これが録音当時90歳に近かった老人の指揮だなどと、誰が信じられるだろう。第1楽章の最初の和音がダーン!と始まった瞬間から、えっ、何これ?である。気迫漲る凄い音楽が始まるのだ。そして全楽章に亘って緩みがなく、それどころか後半に差し掛かってこそ音楽は熱を増してくる。しかも、これだけ熱い音楽でありながら、力みというものがない。自然体にして、パワフルなのだ。オーケストラの鳴らし方を知り尽くした人の、一つの到達点なのかも知れない。所謂ドイツ的な重厚さはなく、やはりこの指揮者らしく器楽的純度の高い表現なのだが、この作品の熱気と迫力は十全に示されている。素晴らしい名演である。

≪ドヴォルザーク : 交響曲第7番 & エルガー : エニグマ変奏曲≫

モントゥー&LSOの<ドヴォ7>は、私にとってはLP時代の懐かしい名演である。ただ、ここにはいわゆる土の香りとか、チェコの民族色とかいったものを求める事は出来ない。やはりモントゥーらしく、格調の高い物である。とりわけ、第1楽章の終わり間際で聴かれるクライマックス部分(※〔9:00〕あたり)は、クーベリック、ケルテス、バーンスタイン等、他の誰にもましてモントゥーが一番ビシッと決まる。私などは、聴くたびにゾクゾクするところだ。人によっては、低音が足りなくてドヴォルザークらしい土俗感がない、というような不満をお感じになる向きもあるかも知れないが、モントゥーのような流儀もまたそれなりに良い物ではないかなと思う。

併録された<エニグマ変奏曲>は、その<ドヴォ7>をもはるかに凌ぐ名演。この曲については、ボールト盤、バルビローリのモノラル盤とステレオ盤、そしてアレグザンダー・ギブソンのデジタル盤といったあたりも聴いた。それぞれに優れた特長を持つものばかりだが、私個人的にはモントゥー盤が一番好きである。これを初めて聴いた時のCDは、シベリウスの<交響曲第2番>と組まれていた国内盤だったが、メインのシベリウスよりも、このエルガー作品の方がずっと強烈な印象を残したのだった。

まず第4、第7、あるいは第11変奏で聴かれる、その覇気の凄さに驚かされる。一方、第12変奏で聴かれる憂愁に満ちたチェロも格別だ。最も有名な第9変奏「ニムロッド」では、万感の思いを胸に秘めながら、音楽が気高く高潮していくのが素晴らしい。そしてエルガー自身を描いているとされる最後の第14変奏は、まさに圧巻。あのコーダのトロンボーンを聴くたびに胸のすく思いがする。ボールトもバルビローリも、そしてギブソンも、この終曲はモントゥーに敵わない。

≪ベートーヴェン : 交響曲第3番<英雄> & ブラームス : 悲劇的序曲≫

今回のシリーズで一番売れているのはおそらく、これだろう。コンセルトヘボウ管との<英雄>である。この演奏は永く入手困難で、初期盤のCDがネット・オークションなどに出品されると、びっくりするような高値がついていたものだ。何故そんな事になったかという理由は、福嶋章恭(ふくしま あきやす)氏が複数の本にお書きになっていた言葉が答えになりそうである。簡単に抜粋すると、「モントゥーの録音の前に万人はひざまずくべきである。・・・スコアの通りに演奏しただけなのに、隅から隅までモントゥーの知と愛に照らされている奇跡的な名演である」。

而して現実には、この演奏のCDはずっと入手困難だったため、ある種の伝説みたいになっていたようなのである。オークションでの価格高騰は、当然の帰結だったのだ。ただし、「モントゥー&コンセルトヘボウ管の<英雄>が、最も楽譜どおりにやっている演奏だ」と指摘したのは、福嶋氏が最初ではない。私が思い出せる範囲に限っても、作曲家の諸井誠氏が随分前に、『レコード芸術』誌の記事でお書きになっていた例がある。何年度の何月号だったか、みたいなことは忘れてしまったが、諸井氏が当時、<英雄>の名演奏とされていたレコードを並べて比較していた数ページの記事があった。それの確か終わりの方で、「モントゥーとコンセルトヘボウの演奏が一番、ベートーヴェンの楽譜どおりに聴こえる」と書いておられたのである。諸井氏のささやかな(?)名誉のために、ここで補っておきたいと思う。

この<英雄>なる交響曲、第1楽章の終わり間際にトランペットが英雄の主題を高らかに吹くところがあるのだが、ベートーヴェンの楽譜では、そのトランペットが途中で消えてしまっているそうである。私は楽譜が読める人間ではないので、これは本で読んだ知識を受け売りしているに過ぎないのだが、ベートーヴェンの時代のトランペットでは音が出せなかったらしく、途中から他の楽器にバトン・タッチするように書かれたものらしい。ここをその楽譜どおりにやると、トランペットが力強い主題を吹いている途中で消えてしまうため、何だか変てこな印象を聴く者に与えてしまうのである。

そこで古今の指揮者たちは(ごく数人の例外を除いて)、「楽譜には書かれていないが、ベートーヴェン先生は当時のトランペットがちゃんと音を出せていたのなら、そのように吹かせたかったに違いない。また、そうでないと音楽的にもおかしい」と解釈して、楽譜にない音を補って吹かせるという姿勢をとった訳である。有名なフルトヴェングラー&ウィーン・フィルの1944年盤では、タイム・カウンターが〔14:40〕前後のところだが、トランペットがしっかりと主題を吹き切っている。「楽譜に忠実」という話になるとよく引き合いに出されるトスカニーニも、フルトヴェングラーと同様、楽譜にない音を加えてトランペットの主題をしっかり最後まで吹かせている。(※1939年盤と1953年盤、どちらもそうである。’39年盤では〔13:17〕、’53年盤では〔13:28〕のところで確認出来る。)

ところがモントゥーは、楽譜の通り、トランペットを途中でやめさせているのである。〔14:02〕のところだ。(※ちなみに、ウィーン・フィルとのデッカ盤でもモントゥーは同じ姿勢をとっていたのだが、それは〔13:47〕のところで確認出来る。)トランペットの音が力強く主題を吹いている途中でスッと消えるのが、それらの箇所で聴き取れると思う。実はこれこそが、「ベートーヴェンの楽譜に忠実な演奏」ということになるようなのだ。

上述の通り、モントゥーはウィーン・フィルとも<英雄>のステレオ録音を作っているが、やはりコンセルトヘボウ管との演奏の方がずっと優れていると言えそうだ。ウィーン・フィル盤は、何か尻すぼみというか、楽章が進むごとに音楽の覇気が薄れていくように私には聴こえてしまうのだが、コンセルトヘボウ盤では最後まで気力が充実していて、満足度が高い。第3楽章後半で聴かれる有名なホルンの重奏、第4楽章最後の部分の炸裂ティンパニーなど、いずれもコンセルトヘボウ盤の方が生きた音で鳴り響いている。第1楽章も、コンセルトヘボウ盤の方が良い。いろいろな楽器をバランスよく活かそうという意識が、本当に隅々にまで行き渡っている。

フルトヴェングラーやトスカニーニが遺してくれた往年の名演奏も勿論素晴らしいものだが、今の私にはちょっとしんどく感じられる面もある。「そこまで凄い音を出されると、こっちは逆に疲れちゃいます」みたいな感じで。要するに、私の方が軟弱になってしまったということなのだろう。かといって、古楽器派の快速シャキシャキ演奏も今ひとつピンと来ない。そんな今の私には、モントゥーのコンセルトヘボウ盤がしっくり来るのである。暖かい風格に満ちた、豊かな音楽。やたらに人の魂を鼓舞して揺さぶろうとは敢えてせず、楽譜に書かれた立派な音楽をただあるがまま、自然体で鳴らしきった演奏。このCDはずっと先まで売却せずに手元に置いておくことになるような気がする。

次回もう一度だけ、モントゥー最晩年の録音から題材を選んで語ってみたいと思う。
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サンフランシスコのモントゥー(2)~ドイツ系の作品

2005年07月22日 | 演奏(家)を語る
前回に続いて、サンフランシスコ時代のモントゥーの名演奏についてのお話である。今回は、ドイツ系の作品に焦点を当ててみたいと思う。

まずは、ブラームスの<交響曲第2番>。モントゥーが最も愛していた作品の一つであったことは、周知の事実だろう。とりわけ、ロンドン響と録音した初期ステレオ盤(Ph)が名高いが、その録音とは別に、ウィーン・フィルとのデッカ盤もあった。そしてサンフランシスコ響とのモノラル盤とあわせて、つごう3種類の演奏を私も聴いてきたことになるが、やはり一番音楽に覇気があるのはサンフランシスコ盤である。

第1楽章、あのメロディアスな主題をよく歌わせている。しかし基本的には、速めのイン・テンポ。ここでも気迫がこもって、音楽がホットだ。逆にコーダ部分は、ゆったりと構えて堂々と締める。第2楽章もやはり速めのイン・テンポだが、アメリカの地方オーケストラとは思えないほどに、弦に厚みがあって良い。第3楽章も木管が鮮明で、曲の輪郭線がくっきりと浮かび上がってくる。第4楽章も、速いテンポで力強く盛り上がる。この気力充実の好演に対して、敢えて一つケチをつけるとすれば、オーケストラの音色にやはりもう少し魅力が欲しいというところだろうか。(※例えば、エイドリアン・ボールト&ロンドン・フィルの演奏で聴かれるような音色。横道にそれるが、ボールト卿が指揮したブラームス交響曲全集の中でも、私は<第2番>が好きだ。一見何もしていない、平凡とも取られかねない演奏だが、実は何度聴いても飽きないコクと味わいがある。これは例えて言うなら、「上等な白ワインを収めた樽の、その木の香りが漂ってくるようなブラームス」なのである。)

(※参考までに、モントゥーが指揮した他の二つの<ブラ2>録音についても、ちょっとだけ個人的な感想を書いてみたい。ウィーン・フィルとのデッカ盤は、第1楽章で弦が歌う主題の美しさや、魅力溢れる木管のオブリガートがとても素敵なのだが、楽章が進むごとに、何だか尻すぼみにつまらなくなっていくような印象を私は持っている。また、世評の高いロンドン響とのフィリップス盤も、大きく揺れ動くテンポやその表情の付け方が何だかしっくり来なくて、正直なところ、私はあまり感動出来なかった。)

続いて、シューマンの<交響曲第4番>。この曲も結構モントゥーのお気に入りだったらしく、他のオーケストラとのライヴCDも出ているようだ。この曲に関しては、フルトヴェングラー盤(※例えば、1953年のルツェルン・ライヴ)や晩年のバーンスタイン盤(G)あたりが、私個人的には印象深いものだが、他にもクナッパーツブッシュのいくつかのライヴ(※私が聴いたのは1956年のドレスデン盤のみだが、他にもっと良い物があるようだ)やクレンペラー盤(EMI)なども、往年の大指揮者たちの名演奏として評価が高い。しかしモントゥーのシューマンは、それらの巨匠達の誰とも似ていない。と言うより、全然違うアプローチがなされている。

例えば晩年のバーンスタインが聴かせたような、重くて暗い情念のようなものはモントゥーの演奏には全く希薄で、むしろ速めのテンポでスッキリと走らせながら、気力充実の音楽を展開している。第2楽章も、寂しさはよく出ていると思うが、テンポはやはり速い。第3楽章も全く粘らず、キッパリした表現が身上という感じだ。第4楽章も同様。覇気を漲らせて、ガンガン進む音楽になっている。このようなスッキリした明晰なシューマン演奏を好むファンの方も、きっとおられることと思う。

次は、ベートーヴェンの<交響曲第4&8番>。モノラル期のベートーヴェン2曲では、特に<第8番>が素晴らしい。例によって基本的なテンポが速く、響きも充実していて生命感がある。第2楽章がちょっとびっくりで、もしポール・パレーがこの曲を指揮したらこうなるんじゃないかな、と思わせるようなハイ・スピード演奏になっている。さすがなのは、こんなに速くても音楽が決して上滑りしないことである。また、前回語ったフランス系の作品と違って、ベートーヴェンの場合は、あまりオーケストラの音色美がどうとかいうことを気にしなくていいので、その点でもこの<ベー8>は非常に印象の良い名演になっている。<第4番>は、この時代のモントゥーとしては思いがけずゆったりした演奏だ。終楽章のコーダにさしかかると相当な気迫がこもってくるが、それでも全体的には、晩年の演奏スタイルに近いものがあるように感じられる。

ドイツ編の最後に挙げるのは、R・シュトラウスの交響詩<死と変容>。これがまた大変素晴らしい演奏で、ステレオ録音という大きな利点も考慮すると、ひょっとしたらこのコンビの最高の遺産かも知れない。一般的にはモントゥーのR・シュトラウスと言われても、「う~ん、どうかねえ」みたいな反応が普通じゃないかなと思う。私も他の曲を聴きたくて買った二枚組CDにこれが入っていたので、最初は全く何の気もなく聴いたのだったが、そこでぶっ飛んだのである。

何とも凄い演奏が記録されている。と言っても、カラヤン風の、柔らかく豊麗な響きがもわ~っとふくらむようなシュトラウス・サウンドではない。全体的に、いかにもモントゥーらしい器楽的純度の高い名演だ。そしてここでは、各楽器群が皆、それぞれの持ち場というか、役目みたいなものをしっかり理解しているらしい事がよく伝わってくる。冒頭部で聴かれる木管の表情がまず印象的だが、やがて飛び出すティンパニの鋭い強打!血の通った、気迫の音。弦楽部も勿論、モントゥーの指揮によく反応して、振幅の大きい表情豊かな演奏を行なっている。そして忘れてならないのが、随所で聴かれる金管群の轟然たる雄叫び。ラスト3分はもう、弦も管も揃って怒涛の音楽になっている。モノラル期には、そのこもりがちな録音ゆえに損をしていた感もあるこのコンビの、おそらく最高の記録がこれなんじゃないかなと思う。モントゥーの<死と変容>は、今よりもっと高く評価されてよい名演である。

次回は、モントゥー先生が最晩年に遺したステレオ録音に目を向けてみたいと思う。
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サンフランシスコのモントゥー(1)~フランス系の作品

2005年07月19日 | 演奏(家)を語る
先頃語ったブーレーズと同じピエールでも、巨匠ピエール・モントゥーは、指揮者として限りなく理想に近い成長と円熟を果たした人ではないかと思う。と言っても、私が自分なりの感想を語れる材料は1940年代以降の、サンフランシスコ交響楽団との録音から始まる。それ以前の、例えばパリ交響楽団との大昔の録音みたいな、あんまり古いものについては何とも言えない。

モントゥーが遺した名演奏といえば、一般的にはデッカやフィリップスを中心とした最晩年のステレオ録音に言及されるのが普通であろう。勿論、それらはどれを取っても一聴の価値ある名品ばかりで、中にはもう“解脱(げだつ)の境地”とさえ呼べるような、神々しいまでの名演さえ存在する。だから、むしろ感心しない出来のものをいくつか並べた方が、よっぽど話が早く済むと言ってもいいぐらいだ。その人口に膾炙(かいしゃ)した最晩年の芸術についてはもっと先に譲るとして、今回と次回はまず、サンフランシスコ響との演奏記録を材料にして、この20世紀の偉大なマエストロが遺した音楽について語ってみたいと思う。

熱心なモントゥー・ファンの多くがサンフランシスコ時代の演奏を尊ぶのには、ちゃんと理由がある。名指揮者の気迫と音楽の充実ぶりが最もよく出ていたのが、他でもない、このサンフランシスコ時代だったからである。ただ私の場合、このコンビの演奏を何から何まで全部聴き尽くしたという訳ではないので、あくまでも聴いて知っている範囲でのお話ということになるが、その辺はご容赦いただきたいと思う。

まず今回は、フランス系のレパートリーから見ていきたい。「私がフランス人だからって、フランス物ばかりをやらされたり評価されたりするのは、まったく心外なことだ」と、モントゥー自身はいつも悔しがっていたそうである。とは言うものの、決して故国フランスの音楽を嫌っていた訳ではなく、サンフランシスコ時代にもやはり、彼は素晴らしい演奏を記録してくれている。

とりわけ有名なのは、ベルリオーズの<幻想交響曲>(1950年盤)だろうか。これ以前にもこれ以後にも繰り返し録音されている、モントゥーお得意のレパートリーだが、世評通り、1950年盤は気迫漲る豪演と言ってよいものだ。ただ、私の個人的な感想を言えば、この演奏で最も印象に残るのはむしろ第3楽章である。幻想交響曲の第3楽章というのは、ともすると、私など聴きながら退屈してきて、「早くここ終わんねえかな、飛ばして次へ行っちゃうかな・・」なんて気分になってしまうことがなくもない楽章なのだが、モントゥー盤を聴くと退屈どころか、「ああ、こんなに聴き所の多い楽章だったんだなあ」と聞き惚れてしまうのである。各楽器の奏者が、本当にいい仕事をしている。そう言えば、宇野功芳氏がこの演奏についてほめているのは、第5楽章の鐘の音だった。カアーーン!カアーーン!コーーン!と響く、あの弔いの鐘である。宇野氏の言葉どおり、モントゥーは随分思い切った事をやったものである。凄まじく強調された輝かしい鐘。確かにちょっとびっくりさせられる。

だが、この録音には非常に残念な欠点がある。ズバリ、音質だ。現在発売されているCDは24ビット・リマスターされたものだが、音の押し出しが良くなっているのと同時に、シャーシャー・ノイズも盛大になっている。しかしそれ以上に、第5楽章の最後の部分で特に顕著に感じられる、“トゥッティ部分に於ける音のこもり”が大きな不満である。せっかくの力演なのに、それがこもった団子状態の音になってしまっているので、この曲ならではのカタルシスが得られないのだ。

その理由を、最近知った。当時RCAで使用していたコンプレッサーが原因だそうである。1943年から1950年まで使用されていたらしく、エンジニアが録音時にオーケストラのダイナミック・レンジの細かな調節をしなくてもいいようにと採用されたものらしい。これによって、音量の小さな箇所では各楽器の音色がくっきりと聞こえる一方、トゥッティでは音がこもって団子になってしまうという結果を生んだ訳である。当時としては、良かれと思ってしたことなのだろうが、結果的には負(マイナス)の部分が大きかったかも知れない。この<幻想>も、あとわずか1年か2年あとに録音が行なわれていたら、もっと伸びのある音質になっていたかも知れないのだ。残念!

続いては、ショーソンの<交響曲>。この曲は数種類の演奏を聴いてきたが、モントゥー盤が指揮者の表現という点では最高の名演だと感じる。第1楽章の盛り上がり部(〔9:00〕あたり)など、もう聴いていて胸がすくような快感を与えられる。第2楽章の暗く爛れた情感も、抉るようなモントゥーの棒によって素晴らしい表現になっている。第3楽章の激しい嵐も最高だ。気迫と情熱が溢れ返っている。この交響曲については、世評の高いジャン・フルネのDENON盤も一応持ってはいるのだが、これはまず録音が私には物足りない。いかにもDENONサウンドというのだろうか、抑え目の音で品は良いのだが、全然伸びてこないのが不満である。演奏面でも、フルネの指揮は全体に淡白なので、モントゥー盤の気迫や雄弁さを堪能している者としては、何とももどかしいのである。

ただ、このモントゥー盤にも欠点がある。一つは、音の悪さ。上述の<幻想>と同じで、せっかくオーケストラが力強く盛り上がっても、例によって音が団子っぽい。それと、オーケストラ自体の響きがいささか荒いこと。楽員たちの指揮者への敬愛と献身、その一生懸命ぶりは文句なしに伝わってくるのだが、いかんせん、アメリカの地方オーケストラである。フランスの一流オーケストラのような馨(かぐわ)しい音色美を求めるのは酷なようだ。第2楽章後半のクライマックス部分(〔6:18〕あたりから)も、何だかやかましい感じになってしまっている。第3楽章の残り3分10秒あたりから冒頭のテーマがトランペットに導かれて提示されるのだが、これももう少し味が欲しい。この曲の場合はやはり、オーケストラ自体の音色の魅力も大事な要素だと思えるので、残念なところである。

最後に、ベルギーの作曲家フランクの<交響曲>(1952年盤)。このコンビにはさらに古い録音もあるようだが、私が聴いて知っているのは'52年盤だけ。しかし、これも素晴らしい演奏である。一般にモントゥーのフランクと言えば、シカゴ響との初期ステレオ盤が名盤と称揚されているが、私は’52年盤の方が断然好きだ。シカゴ響の方は、何と言うか、やけにオーケストラの音がpushy(=でしゃばって、押しがやたら強い感じ)で、曲が妙に大柄な構えになっているのが、素直に受け入れられない違和感を与えるのである。雄大なスケール感と深い呼吸で素晴らしいじゃないか、という好意的な受け止め方が主流なのかも知れないが、私はどうも好きになれない。逆に、このサンフランシスコ響との’52年盤は極めて適切なスケール感(と、私は思う)で、音楽の姿がよりスタイリッシュなのが心地良い。オーケストラ自体の響きはやや荒いものの、迫力やニュアンスも十分。この曲については、私はたいてい誰が指揮したものを聴いても、一回で「はい、わかりました。もういいです」となってしまうのだが、モントゥー盤は繰り返し聴く気になるし、またその都度楽しませてもらえる。モノラル録音ではあるが、上述の二作と違って音が団子という問題も殆どなく、聴きやすい音になっている。1952年ということで、例のコンプレッサーからは解放(?)されているようだ。

現在発売されている国内盤CDでは、このフランクの余白にダンディの<フランスの山人の歌による交響曲>と、イベールの<寄港地>が収められている。ダンディの方は、録音が1941年ということもあって音がかなり悪い。モントゥーの指揮は、この時期の彼としては珍しいかも知れないが、テンポがゆったり目だ。ただ、全体に独奏ピアノが埋没気味だったり、第3楽章でラジオの受信障害ノイズみたいなジリジリ音が継続的に出てきて聞き苦しかったりと、小さくはない問題を抱えている。これは、熱心なモントゥー・ファンのためのコレクターズ・アイテムみたいなところかも知れない。(※ちなみに、この曲での私のお気に入りは、ミュンシュ&ボストン響の初期ステレオ・RCA盤。音楽が巨大な峰になって聳え立つような豪快さが好き。オーマンディ、ボド、デュトワ、そしてこのモントゥーと、どれを聴いてもミュンシュには及ばず。)

<寄港地>は、速めのテンポでかなりアグレッシヴな演奏を行なっている。第1楽章の追い込みの凄さは、ミュンシュ以上かも知れない。コーダは逆に、うんとゆったりしている。表現としては、続く第2楽章の冒頭がユニークだ。ギシギシこすれる弦の音とは別に、何か金属の板でも叩いているような面白い音が聞こえる。最後の第3楽章も速い、速い。一気呵成に突き進む。この時期のモントゥーの一側面がよく出ている演奏だ。(※同曲の初演指揮者であるポール・パレーのマーキュリー盤も、よく知られる通り速いテンポなので、<寄港地>という曲はこうやるのが基本なのだろうか。マルティノンあたりは、ゆっくり目に歌わせていたように記憶するが。)

次回は、モントゥー自身が「もっと評価してくれよなあ」と願っていた、ドイツ系のレパートリーを見てみたいと思う。
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ピエロ・カプッチッリの訃報

2005年07月15日 | 演奏(家)を語る
またも臨時追悼記事である。先月、指揮者ジュリーニの死を悼む記事を書いたばかりなのに、今度は同じイタリアの名バリトン歌手ピエロ・カプッチッリが亡くなったらしい。この7月11日に他界なさったそうである。享年78との由。当ブログのもともとの予定としては、前回のピエール・ブーレーズから、同じファースト・ネームを持つフランスの大指揮者ピエール・モントゥーに話を進めようと、ワープロ原稿を仕上げていたのだが、突然の訃報に触れて急遽、あたふたとパソコンに向かってこれを打ち始めた訳である。そんな事情ゆえ、今回の記事はいつもよりまとまりが悪くなるかも知れない。それと、モントゥーの話はまた次回ということにしたい。

1970年代以降、随分永きにわたってイタリア随一のバリトンとして名を馳せたカプッチッリだが、若い頃はそれほどパッとしていなかったように思われる。何が根拠かと言えば、彼が1960年代初頭の初期ステレオ録音に参加したものがいくつかあるのだが、そこでの彼には、はっきり言ってまるで存在感がなかったからである。私がそれを実感したものとしては、カラス&タリアヴィーニの主演で巨匠セラフィンが指揮した<ランメルムーアのルチア>全曲(EMI)にエンリーコ役で出ていたものと、ジュリーニの指揮による<フィガロの結婚>にやはり何だったかのチョイ役で出ていたものがある。これら二つでのカプッチッリには、本当に(こう言っては何だが)存在感がない。声自体にさほど魅力もなく、歌も大味だったという印象しか残っていないのである。また、私は未聴ながら、同じ頃にジュリーニが録音した<ドン・ジョヴァンニ>(EMI)にもマゼット役で出ていたらしいのだが、やはり似たような状況だったのではないだろうか。しかし、彼の中に大きな才能を見出していた当時のEMIスタッフの目が決して節穴でなかったことは、その後の大成によって実証されることになる。

歴史を振り返ってみると、1967年に不幸な病死を遂げた不世出の名バリトン歌手、エットレ・バスティアニーニの衣鉢を継ぐようにして、カプッチッリの活躍と円熟が始まったようだ。(※参考までに、1967年10月にシエナで開催されたバスティアニーニを偲ぶための短いオペラ・シーズンに招かれたのはカプッチッリだったし、1968年4月18日に、シルミオーネのコングレス・ホールで行なわれた「バスティアニーニ追悼式」に招かれて、故人のレパートリーから何曲かを歌ったのも、このカプッチッリだった。)

カプッチッリが遺した名唱の記録というのは、ライヴ音源なども含めたらそれこそ大変な数になるので、今回は私が聴いて知っている範囲に限って書き出してみる事にしたい。いずれも1970年代から80年代初頭に作られたものばかりである。ムーティの<アイーダ>(1974年)でのアモナスロ、アバドの<マクベス>(1976年)でのタイトル役、クライバーの<オテロ>スカラ座ライヴ(1976年)でのイアーゴ、アバドの<シモン・ボッカネグラ>(1977年)でのタイトル役、カラヤンの<ドン・カルロ>(1978年)でのロドリーゴ、ジュリーニの<リゴレット>(1979年)でのタイトル役、そしてシノーポリの<ナブッコ>(1982年)でのタイトル役といったあたりだ。これらの全曲録音のいずれに於いても、カプッチッリは当時のベストと言える名唱を聴かせている。他にも勿論、彼が優れた歌唱を聴かせたレパートリーは少なくない。ここに挙げた数が少ないのは、私が聴いてきたものに限ったから、というだけの話である。

さて、私の中にあるカプッチッリ像について語らねばならない。実を言うと、意外に数が少ない上の一覧からも察せられる通り、このトリエステ出身の名バリトンは、かなり割を食っている面がある。誰に食わされているかと言えば、上述のバスティアニーニである。若くして癌に倒れた、シエナ生まれの孤独な名バリトンの声と歌唱は、私にとっては殆ど類例のない魅力と威力を持ったものなので、どうしてもその後の世代となるカプッチッリやブルゾンといった人たちは、私の中では割を食うのである。実際、イタリア・オペラのバリトン役については、バスティアニーニの録音があればそれが最優先で、また大抵の場合、「これがあれば、もういいや」という感じで済んでしまうのである。

カプッチッリには、バスティアニーニのような陶酔的な美声、男をもしびれさせるような魅惑的な美声はなかった。彼の声は朗々とよく響くものではあったが、声質的にはもっとストレートな、“オヤジ声”に近いものだった。若い頃の録音に魅力がないのも、ある意味当然だったのである。それが1970年代に入る頃から、彼は深みと円熟味を獲得するようになっていったのだ。声自体も力強いものになっていき、高音も強く出せるようになっていった。そして、特にシモンやリゴレット、あるいはマクベスといった、心理的に深い表現力を要求される役に於いて、ほとんど絶対的なまでの信頼感を聴き手に与えるバリトン歌手に成長していったのである。

カプッチッリよりもさらに後の世代になるレナート・ブルゾンに対しては、私が感じるシンパシーはさらに薄まってしまう。ファンの方は気を悪くなさるかも知れないが、そこからさらにレオ・ヌッチ、さらにセルゲイ・レイフェルクスと時代を下って来るにつれて、どんどん歌手の魅力もレベル・ダウンしてくるように思えてならない。バスティアニーニ以降、私にとってはこのカプッチッリが、「特にヴェルディ歌いとして納得させてくれた、殆ど最後のバリトン歌手」ということになってしまうのである。

最後に、相当数遺された彼のライヴ録音の中から、極めつけの逸品を一つだけご紹介しておきたい。これは大変に有名なライヴなので、既にCDをお持ちの方も多くおられる事と思う。

1980年12月21日、ウィーン国立歌劇場は熱狂の坩堝と化した。立役者は、指揮者ジュゼッペ・シノーポリ。演目はヴェルディの歌劇<アッティラ>である。これは<ナブッコ>や<マクベス>、あるいは<エルナーニ>などと並ぶ、ヴェルディ初期の傑作オペラの一つだが、ここに並べた他の3作に比べると地味な印象が強いものかも知れない。しかし聴いてみると、いかにも若きヴェルディの筆によるものらしく、あちこちで音楽が爆発する面白い作品であることが分かる。特に目立って有名な旋律などはないが、言わば、“黒光りのする熱気”とでもいったものを内蔵しているのが、歌劇<アッティラ>なのである。

ここで主役のアッティラ王を歌っているニコライ・ギャウロフは、声自体は盛りをとっくに過ぎていたものの、貫禄と言うか、さすがに凄い存在感を示して大役をこなした。イタリアの女戦士オダベッラを歌うマーラ・ザンピエリも、善戦。指揮者シノーポリは、この上演の成功から一気にその名を広く知られる事となった。しかし、当夜のライヴで誰よりも一番圧倒的だったのは、ローマ将軍エツィオを歌ったカプッチッリであった。最初の登場場面からして、ベスト・コンディションにあったらしいことがすぐに伝わってくるほどの調子良さ。艶のある声がバンバン響く。そして何よりも、第2幕第1場の最後で聴かせたエツィオの怒りの歌!これこそ、カプッチッリ最高の絶唱であった。これは、「私は、いかなる戦いにも臨む用意が出来ている。命を落とすことになっても、私の名は残るであろう。・・・最後のローマ人に、イタリア全土が涙することであろう」といったような内容の勇猛なる歌である。

この歌の最後の一句、Tutta Italia piangera! の ra!で、Bフラットの高音を見事に轟かせて、カプッチッリはウィーンの聴衆を熱狂させたのだった。そしてさらに凄いのは、客席から湧き起こった Bis! Bis!(=アンコール!)の合唱に応えて、彼は再びこの歌を歌い出すのである。しかも、最後のPiangera!の最高音を再び、しかも一回目よりさらに見事に轟かせたのだ。後がどんな騒ぎになったかは、CD未聴の方もいつか機会を見てお確かめいただけたらと思う。ライヴ収録ということで気になる録音状態について言うと、1980年にしてはこもり気味で、ハイ・ファイとはちょっと言い難い音質なのだが、ヴォリュームをやや大きめにすれば鑑賞に支障はないレベルである。

カプッチッリさん、永い間のご活躍、お疲れ様でございました。どうぞ、安らかに・・。

【参考文献】

『君の微笑み(ブロンズとビロードの声)』
マリーナ・ボアーニョ&ジルベルト・スタローネ 原著
辻昌宏&辻麻子 訳(2003年・フリースペース刊)
コメント (2)
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