クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

<祖霊祈祷>と<阿知女(アチメ)>

2007年10月31日 | 作品を語る
前回まで2回に分けて、先月9月6日に亡くなったルチャーノ・パヴァロッティの録音をいくつか語った。その関連で今回は、モデナの名歌手よりもちょうど1ヶ月前、8月の6日にこの世を去っていた松村禎三(1929~2007)の作品を2つほど語ってみることにしたい。

まずは、<祖霊祈祷>(1969年)。これは、1970年に開催された大阪万国博(Expo'70)に際し、テーマ館地下展示室のために書かれた曲の一つだったそうだ。LP廃盤以来長く埋もれていたこの曲が、この夏、タワーレコードさんの企画『Victor Heritage Collection』の中でついに甦った。そして奇しくも、そのCDが作曲家・松村禎三への追悼盤となったのである。付属の解説書によると、件(くだん)の地下展示室には、「生命の誕生から人類の原始の生活、そして生命の根源的な発動である“祈り”を表現する多くの展示がなされていた」そうだ。松村氏が担当したのは、その“祈り”の空間に流す音楽であった。<祖霊祈祷>は演奏時間にして11分08秒ほどの曲だが、その中身は大体次のような感じである。

{ 各種の打楽器による不気味なオープニングに続いて、タイム・カウンター〔1:00〕のところから女声合唱が「ハッ! ハッ! ハッ! ハッ!」と、声でリズムを刻み始める。そして〔1:38〕から、男声合唱がヒキガエルさながらの低い声で、「オアエ オアエ オアエ オアエ オアエ・・・」と歌い始める。その背景には、ドシャン!バシャン!と響く原始的なリズムが張り付く。

それがひとしきり繰り返された後、オーケストラによる間奏曲のような部分に入る。〔3:18〕からはごついピアノの音、〔4:21〕からはキリキリと唸る弦楽合奏、そして〔4:45〕からは粘っこい表情の金管楽器が加わって、曲はどんどんと大きな盛り上がりを形成していく。

〔5:58〕から再び男声合唱の低い唸り声が、「ウアエ ウアエ ウアエ ウアエ ウアエ ウアエ・・・」と繰り返し始める。そこから、オーケストラの響きは一種のトランス状態へ。〔8:21〕から女声合唱「アッハー アッハー アッハー 」と男声のうめき(※ここまでくると、彼らがどんな言葉を発しているのか、もはや正確に聞き取ることはできない。w )が激しく交錯し、音楽はついに狂乱に達する。そして〔9:10〕のところで、一人の女性が「アァアァーーーーッ!」と物凄い声で絶叫。(※この恐るべき悲鳴はフェード・アウトしながら、何と1分以上響き続ける。人工音声か。)

その後、控えめなピアノとチェレスタの響きが静かな雰囲気を作り出し、最後に銅鑼の音がボゥワァ~ン!と鳴り響いて、全曲の終了。 }

さて、この<祖霊祈祷>の前触れみたいな性格を持っているのが、1957年の<阿知女(アチメ)>という作品。これはソプラノ独唱、打楽器と11人の奏者のために書かれた曲だが、やはり原始主義的な性格を強く持った音楽になっている。一つ困るのは、この曲の歌詞というのが現代の日本語から著しく乖離したものであるため、その具体的な意味が殆ど解読不能であることだ。第4連で聞かれる「トヨヒルメガ ミタマホス」の“トヨヒルメ”が太陽神であり、古来天皇はその末裔であって穀物の神であると見なされていたという話、それと第7連「タマハコニ ユフトリシテテ」のタマハコが、“魂を入れるハコ、即ち肉体”と解釈できること、そしてそのタマハコ、つまり肉体を揺さぶることによって魂に活気を促そうとしたのが「阿知女法(アチメワザ)」なる降神術の意図であったという話、それらがかろうじてCD付属の解説書によって分かるぐらいである。真面目な話、この曲には歌詞対訳がほしい。歌われている内容が理解できれば、もっと深く味わえると思う。

演奏時間19分21秒ほどの当作品を聴いていて、最初に「おっ!」と思わされるのは、〔4:30〕から始まる第1連と第2連の歌詞を歌う部分での激しい変拍子だ。松村氏は池内友次郎に師事したのち伊福部門下に入った人だが、この部分のリズムはかなり伊福部音楽的な表情を持ったものである。それに続く長い中間部は、何か祝詞(のりと)でも読み上げるような穏やかな表情で古代の歌詞が歌われるが、〔13:59〕のところから第7連が始まると、音楽は再び激しいリズムを刻み始める。そして16分あたりのところで大きなクライマックスに到達。全体的には、上記<祖霊祈祷>の方が私には面白い曲だと思われるが、そのルーツとも言えそうなこの作品にも、なかなかの魅力を感じる。

(※最後に、ついでの話を一つ。松村氏は師匠・伊福部昭とのつながりで、映画音楽の仕事も生前かなりこなしていた。その分野の松村作品を集めたCDも1枚聴いたが、そこでは<ぼくが鳥になったら>にじわっと泣かされた。これは、筋ジストロフィにかかった子供たちの病院生活を撮った映画『ぼくのなかの夜と朝』【昭和46年】の挿入歌だったそうだ。「ぼくが鳥になったら ぼくが空を飛んだら 朝日の中で光るだろう」と始まる素朴で純真な歌詞を、皆川おさむのあどけない歌と男性ナレーターの語りに続いて、児童合唱団が歌う。これは反則。聴きながら、ただもう泣きの涙であった。

それともう一つ、『TOMORROW 明日』【昭和63年】の音楽も痛く胸にしみた。これは、原爆投下によってすべてが消滅させられる直前の、長崎の人たちの暮らしを描いた映画の付随音楽である。途中で恐ろしい爆発音が響き、ああ、ここで全部終わってしまったんだなと思わせる。そのあとにしんみり流れる素朴な音楽が、ひたすら悲しかった。)

―というわけで、松村禎三。結構良い曲を書いていた日本の作曲家。パヴァロッティのように世界中にその訃報が伝わるような有名人ではなかったが、この人も今年の夏、ひっそりと世を去っていたのであった。故人の御冥福を祈りたい。

(PS)ブログ3周年

今日10月31日は、当ブログの誕生日。あっという間に、満3歳である。振り返ってみると、随分いろいろなことを書いてきた。更新ペースは遅くても、当ブログの投稿はまだ続けていきたいと思っているので、今後ともどうぞ宜しく。
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