今回は、マスネの歌劇<エスクラルモンド>の第2回。前回の続きで、第3幕第2場から終曲までの内容。
〔 第3幕第2場 〕
クレオメール王の宮殿の一室。外ではまだ喜び騒ぐ人々の声が聞こえるが、ロランの頭の中は、毎晩やって来る不思議な女性との逢引のことでいっぱいである。そこへ司教が現れ、王女との結婚を拒否した理由をロランに問い質(ただ)す。ロランは、誓いがあるから理由はどうしても話せないと答える。「神の前では、いかなる隠し事も通らない。告白せねば、そなたは永遠に呪われることになろう」と、司教は騎士を脅すように言う。ついに、ロランは自分の体験について語りだす。「私は夜毎、謎の女性と会っている。しかし、その人の顔はヴェールに覆われていて、何者かは分からない」。その話を聞いた司教は恐怖を感じ、神の許しを請うようにと、ロランに強く勧める。
司教がそこを去った後、エスクラルモンドの声が聞こえてくる。彼女への誓いを破ってしまったかもしれないと、不安になるロラン。やがてエスクラルモンドが彼の前に姿を現すが、それと同時にドアが激しい勢いで開けられ、司教と僧侶たち、そして松明を持った人々らが入ってくる。エスクラルモンドを悪魔の創造物と考えた司教は悪魔祓いの儀式を開始し、彼女の顔を覆っていたヴェールを取り去る。
初めて目にする恋人の美貌にロランは感激するが、エスクラルモンドは悲しみに打ちひしがれ、彼の裏切りを非難する。司教の命令で男たちがエスクラルモンドを捕えようとすると、彼女は火の精を呼び、自らの体を炎で包む。ロランは司教と対峙すべくサン・ジョルジュの聖剣を抜くが、その剣はたちまち、彼の手の中で砕け散ってしまう。エスクラルモンドはロランの不実をなじりながら、炎の中に消えていく。
(※この第3幕第2場では、殆ど超人的と言ってもいいような高音がエスクラルモンド役の歌手に要求される。ボニング盤ではジョーン・サザーランドが同役を歌っているが、彼女のコロラトゥーラをもってさえ、ちょっと苦しそうに聞こえる箇所がある。大変な難役だ。今活躍中の歌手なら、ナタリー・デッセイあたりにトライしてもらいたい感じがする。またこの場面では、ロランの不実に傷ついたエスクラルモンドが歌う嘆き節が聴き物で、これは愛に傷ついた女性の人間的な感情が痛切に歌いだされる佳曲だ。サザーランドはしばしば声の見事さとは裏腹に中身の薄い歌唱を示すことのある人だが、この場面での歌いぶりはとても良いと思う。しっかりと、聴く者の気持ちに訴えてくるものがある。)
(※悪魔祓いの儀式を始める司教と、男声合唱による群集の声、これがまた非常にパワフルで威力的。オーケストラも分厚い金管の咆哮が相変わらず凄いが、ここではさらにオルガンも加わっての大音響。)
〔 第4幕 〕
アルデンヌの森。帝位を退いたフォルカスが隠棲している洞穴の前。妖精や精霊たちが踊っている。伝令官(T)たちが馬に乗って通りかかり、「エスクラルモンドの結婚相手を選ぶ競技会が近々、催される」と告げて去っていく。それに続いて、パルセイスとエネアスがすっかり度を失った様子で登場。パルセイスは、エスクラルモンドと騎士ロランのことを包み隠さずフォルカスに話す。「何故、ちゃんと見ていなかったのだ」と先帝はパルセイスを叱るが、彼の怒りの矛先はすぐに娘のエスクラルモンドに向けられた。
(※この第4幕の冒頭シーンでは、森の様子を描く牧歌的な音楽が流れる。激烈な終わり方をする第3幕の後だけに、何だかほっとする。先帝フォルカスが出て来るシーンでは低弦が力強く唸って、いかにも役柄に相応しい貫禄が表現される。で、このあたりもまた、思いっきりワグナー風。フォルカスというのは決して悪役ではないのだが、パルセイスとエネアスの二人を相手にしての三重唱になると、彼はまるで《指環》のフンディングかハーゲンを思わせるような凄みを漂わせるのだ。)
自分の魔力を改めて確認したフォルカスは精霊たちを呼び、エスクラルモンドをここへ連れてくるようにと命じる。やがて、炎に包まれたエスクラルモンドが、稲妻雷鳴とともに登場。フォルカスとお付きの精霊たちが、彼女に厳しく宣告する。「戒めを破ったお前は、魔力と玉座を永遠に失うことになろう。ロランを棄てるのだ。さもなくば、奴は死ぬ」。愛する人を死なせたくないエスクラルモンドは、その命令を受け入れる。ほどなくするとロランが彼女の前に現れるが、「もう私を忘れて」と、エスクラルモンドは彼を拒絶する。
自分のせいでエスクラルモンドが魔法の力を失ったと知ったロランは、一緒に逃げようと彼女に訴えかける。そうしたい気持ちになるエスクラルモンドだったが、そこへフォルカスが現れ、彼女に義務の遂行を迫る。やがて二人の魔法使いは去り、ロランは一人になる。「私はもう、死ぬことしか望まぬ」と、彼はビザンティウムで行なわれる競技会に命を捨てるために参加することを決める。
〔 エピローグ 〕
プロローグと全く同じ、ビザンティウムの聖堂前。玉座に着いたフォルカス皇帝がエスクラルモンドを呼び寄せ、競技会の優勝者、即ち彼女の花婿候補と顔を合わせるように命じる。優勝した騎士は黒い甲冑(かっちゅう)を着込んでいて、その顔は面頬(めんほお)で隠されている。皇帝に名を聞かれた騎士は、「私の名は、絶望。死を求めて、この競技会に出た。褒美はいらぬ」と答える。
(※エピローグも、壮麗なオルガンの響きで始まる。フォルカス皇帝の宣言に続く合唱も勿論、ワグナー風。オーケストラの分厚いサウンドも相変わらずだ。「ああ、これって、ワグナーの曲にありそう」とオペラ・ファンならきっと思い当たりそうなパッセージが、ここでは特に弦楽セクションに聞かれる。)
エスクラルモンドはその声を聞いてすぐに、優勝者の正体を知る。一方、面頬を外して素顔を見せたロランは、結婚相手とされた皇帝の娘が他ならぬエスクラルモンドであると知って喜ぶ。二人は結ばれ、美しい女帝と雄雄しき配偶者を讃えて人々が歓喜の歌を歌う。めでたし、めでたしの大合唱による、絢爛豪華たる幕切れ。
(※マスネのオペラを全部聴いたわけではないので断言は出来ないが、歌劇<エスクラルモンド>はおそらく、マスネが書いた全25作の中でも飛びぬけて壮大・壮麗なヘビー級オペラではないかと思う。これでもか、これでもか、と繰り出される金管の雄叫びを中心とした、オーケストラ・セクションの分厚い響き。これがまず一つの要因になっていることは、もう言わずもがな。しかし、それと同時に、フォルカス皇帝、フランス王クレオメール、そしてブロワの司教といった大事な脇役に重厚な男性低音歌手を配置しているという点も、見過ごせないポイントになっていると思う。今回扱っているボニング盤は、この3人の男性低音陣に良い歌手達を得た。フォルカス皇帝を歌うクリフォード・グラント、フランス王クレオメールを歌うロバート・ロイド、そしてブロワの司教を歌うルイ・キリコ、この3人が皆揃って素晴らしいのである。彼らの好演が、演奏全体に千金の価値を与えている。主役のエスクラルモンドを歌うサザーランドも、彼女の中では出来の良い部類に入るのではないだろうか。ボニングの指揮も、申し分なくダイナミックで絢爛。)
(※最後の付け足しみたいになってしまうが、当ディスクで騎士ロランを歌っているのは、スペインのテノール歌手ジャコモ・アラガルである。録音が少ないこともあってか、知名度はあまり高くないが、なかなかの実力派だ。ここでも力強い歌唱を聴かせてくれている。
ちなみにアラガルは、この録音の後、再びボニング&サザーランドの夫婦コンビと共演して、ドニゼッティの歌劇<ルクレツィア・ボルジア>の全曲録音にも参加している。歌っているのは、主人公ルクレツィアの息子ジェンナーロの役である。ルネッサンス期のイタリアに実在した女性(※イタリア語の発音にもっと近づけた表記をするなら、ルクレーツィア・ボールジャ)をモデルにしたこのオペラは、数多いドニゼッティ歌劇の中でも屈指の名作に数えられるものだ。数奇な運命で、母親の家と対立する一派に属することになった若者ジェンナーロ。彼は第1幕で、Borgia(ボルジア)家の表札からBの文字を切り取ってorgia(乱交パーティー、淫蕩の宴)にして貶すような事をする。怒れるアルフォンソ公の罠で毒を飲まされるも、彼をわが子と知ったルクレツィアの解毒剤によって、命を救われる。しかし、彼が友人オルシーニの誘いで出かけたパーティーの席には、過去の出来事への仕返しを企むルクレツィアの罠が仕掛けられていた。まさか息子がそこに来ているとは知らなかったルクレツィアは、来客達に飲ませた毒薬の解毒剤を飲むよう必死になって彼に勧め、「母の頼みを聞いて。あなたもボルジア家の人間なのよ」とジェンナーロの本当の身分を明かす。思いもかけない自分の出自に驚きながらも、彼は「仲間を裏切って、自分だけ助かるような真似はしたくない」と、解毒剤を拒否。そのまま息絶える。
アラガルが演じるジェンナーロの主な聴かせどころと言えば、第1幕エンディングでのルクレツィアとの二重唱、第2幕冒頭でのアリア「女性の姿をした天使よ」、それと第2幕後半でのオルシーニとの『友情の二重唱』といったあたりになろうか。とりわけ第2幕冒頭のアリアで、アラガル氏は大変な熱唱を聴かせる。このボニング盤<ルクレツィア・ボルジア>は指揮者もタイトル役も好調だし、脇役陣も総じて優秀だ。オルシーニ役のマリリン・ホーン、ルクレツィアの密偵グベッタを演じるリチャード・ヴァン・アラン、そしてジェンナーロの仲間の一人ヴィテロッツォ役のピエロ・デ・パルマ、皆それぞれに好演。この録音は一聴の価値あり、である。)
―次回も、マスネのオペラ。
〔 第3幕第2場 〕
クレオメール王の宮殿の一室。外ではまだ喜び騒ぐ人々の声が聞こえるが、ロランの頭の中は、毎晩やって来る不思議な女性との逢引のことでいっぱいである。そこへ司教が現れ、王女との結婚を拒否した理由をロランに問い質(ただ)す。ロランは、誓いがあるから理由はどうしても話せないと答える。「神の前では、いかなる隠し事も通らない。告白せねば、そなたは永遠に呪われることになろう」と、司教は騎士を脅すように言う。ついに、ロランは自分の体験について語りだす。「私は夜毎、謎の女性と会っている。しかし、その人の顔はヴェールに覆われていて、何者かは分からない」。その話を聞いた司教は恐怖を感じ、神の許しを請うようにと、ロランに強く勧める。
司教がそこを去った後、エスクラルモンドの声が聞こえてくる。彼女への誓いを破ってしまったかもしれないと、不安になるロラン。やがてエスクラルモンドが彼の前に姿を現すが、それと同時にドアが激しい勢いで開けられ、司教と僧侶たち、そして松明を持った人々らが入ってくる。エスクラルモンドを悪魔の創造物と考えた司教は悪魔祓いの儀式を開始し、彼女の顔を覆っていたヴェールを取り去る。
初めて目にする恋人の美貌にロランは感激するが、エスクラルモンドは悲しみに打ちひしがれ、彼の裏切りを非難する。司教の命令で男たちがエスクラルモンドを捕えようとすると、彼女は火の精を呼び、自らの体を炎で包む。ロランは司教と対峙すべくサン・ジョルジュの聖剣を抜くが、その剣はたちまち、彼の手の中で砕け散ってしまう。エスクラルモンドはロランの不実をなじりながら、炎の中に消えていく。
(※この第3幕第2場では、殆ど超人的と言ってもいいような高音がエスクラルモンド役の歌手に要求される。ボニング盤ではジョーン・サザーランドが同役を歌っているが、彼女のコロラトゥーラをもってさえ、ちょっと苦しそうに聞こえる箇所がある。大変な難役だ。今活躍中の歌手なら、ナタリー・デッセイあたりにトライしてもらいたい感じがする。またこの場面では、ロランの不実に傷ついたエスクラルモンドが歌う嘆き節が聴き物で、これは愛に傷ついた女性の人間的な感情が痛切に歌いだされる佳曲だ。サザーランドはしばしば声の見事さとは裏腹に中身の薄い歌唱を示すことのある人だが、この場面での歌いぶりはとても良いと思う。しっかりと、聴く者の気持ちに訴えてくるものがある。)
(※悪魔祓いの儀式を始める司教と、男声合唱による群集の声、これがまた非常にパワフルで威力的。オーケストラも分厚い金管の咆哮が相変わらず凄いが、ここではさらにオルガンも加わっての大音響。)
〔 第4幕 〕
アルデンヌの森。帝位を退いたフォルカスが隠棲している洞穴の前。妖精や精霊たちが踊っている。伝令官(T)たちが馬に乗って通りかかり、「エスクラルモンドの結婚相手を選ぶ競技会が近々、催される」と告げて去っていく。それに続いて、パルセイスとエネアスがすっかり度を失った様子で登場。パルセイスは、エスクラルモンドと騎士ロランのことを包み隠さずフォルカスに話す。「何故、ちゃんと見ていなかったのだ」と先帝はパルセイスを叱るが、彼の怒りの矛先はすぐに娘のエスクラルモンドに向けられた。
(※この第4幕の冒頭シーンでは、森の様子を描く牧歌的な音楽が流れる。激烈な終わり方をする第3幕の後だけに、何だかほっとする。先帝フォルカスが出て来るシーンでは低弦が力強く唸って、いかにも役柄に相応しい貫禄が表現される。で、このあたりもまた、思いっきりワグナー風。フォルカスというのは決して悪役ではないのだが、パルセイスとエネアスの二人を相手にしての三重唱になると、彼はまるで《指環》のフンディングかハーゲンを思わせるような凄みを漂わせるのだ。)
自分の魔力を改めて確認したフォルカスは精霊たちを呼び、エスクラルモンドをここへ連れてくるようにと命じる。やがて、炎に包まれたエスクラルモンドが、稲妻雷鳴とともに登場。フォルカスとお付きの精霊たちが、彼女に厳しく宣告する。「戒めを破ったお前は、魔力と玉座を永遠に失うことになろう。ロランを棄てるのだ。さもなくば、奴は死ぬ」。愛する人を死なせたくないエスクラルモンドは、その命令を受け入れる。ほどなくするとロランが彼女の前に現れるが、「もう私を忘れて」と、エスクラルモンドは彼を拒絶する。
自分のせいでエスクラルモンドが魔法の力を失ったと知ったロランは、一緒に逃げようと彼女に訴えかける。そうしたい気持ちになるエスクラルモンドだったが、そこへフォルカスが現れ、彼女に義務の遂行を迫る。やがて二人の魔法使いは去り、ロランは一人になる。「私はもう、死ぬことしか望まぬ」と、彼はビザンティウムで行なわれる競技会に命を捨てるために参加することを決める。
〔 エピローグ 〕
プロローグと全く同じ、ビザンティウムの聖堂前。玉座に着いたフォルカス皇帝がエスクラルモンドを呼び寄せ、競技会の優勝者、即ち彼女の花婿候補と顔を合わせるように命じる。優勝した騎士は黒い甲冑(かっちゅう)を着込んでいて、その顔は面頬(めんほお)で隠されている。皇帝に名を聞かれた騎士は、「私の名は、絶望。死を求めて、この競技会に出た。褒美はいらぬ」と答える。
(※エピローグも、壮麗なオルガンの響きで始まる。フォルカス皇帝の宣言に続く合唱も勿論、ワグナー風。オーケストラの分厚いサウンドも相変わらずだ。「ああ、これって、ワグナーの曲にありそう」とオペラ・ファンならきっと思い当たりそうなパッセージが、ここでは特に弦楽セクションに聞かれる。)
エスクラルモンドはその声を聞いてすぐに、優勝者の正体を知る。一方、面頬を外して素顔を見せたロランは、結婚相手とされた皇帝の娘が他ならぬエスクラルモンドであると知って喜ぶ。二人は結ばれ、美しい女帝と雄雄しき配偶者を讃えて人々が歓喜の歌を歌う。めでたし、めでたしの大合唱による、絢爛豪華たる幕切れ。
(※マスネのオペラを全部聴いたわけではないので断言は出来ないが、歌劇<エスクラルモンド>はおそらく、マスネが書いた全25作の中でも飛びぬけて壮大・壮麗なヘビー級オペラではないかと思う。これでもか、これでもか、と繰り出される金管の雄叫びを中心とした、オーケストラ・セクションの分厚い響き。これがまず一つの要因になっていることは、もう言わずもがな。しかし、それと同時に、フォルカス皇帝、フランス王クレオメール、そしてブロワの司教といった大事な脇役に重厚な男性低音歌手を配置しているという点も、見過ごせないポイントになっていると思う。今回扱っているボニング盤は、この3人の男性低音陣に良い歌手達を得た。フォルカス皇帝を歌うクリフォード・グラント、フランス王クレオメールを歌うロバート・ロイド、そしてブロワの司教を歌うルイ・キリコ、この3人が皆揃って素晴らしいのである。彼らの好演が、演奏全体に千金の価値を与えている。主役のエスクラルモンドを歌うサザーランドも、彼女の中では出来の良い部類に入るのではないだろうか。ボニングの指揮も、申し分なくダイナミックで絢爛。)
(※最後の付け足しみたいになってしまうが、当ディスクで騎士ロランを歌っているのは、スペインのテノール歌手ジャコモ・アラガルである。録音が少ないこともあってか、知名度はあまり高くないが、なかなかの実力派だ。ここでも力強い歌唱を聴かせてくれている。
ちなみにアラガルは、この録音の後、再びボニング&サザーランドの夫婦コンビと共演して、ドニゼッティの歌劇<ルクレツィア・ボルジア>の全曲録音にも参加している。歌っているのは、主人公ルクレツィアの息子ジェンナーロの役である。ルネッサンス期のイタリアに実在した女性(※イタリア語の発音にもっと近づけた表記をするなら、ルクレーツィア・ボールジャ)をモデルにしたこのオペラは、数多いドニゼッティ歌劇の中でも屈指の名作に数えられるものだ。数奇な運命で、母親の家と対立する一派に属することになった若者ジェンナーロ。彼は第1幕で、Borgia(ボルジア)家の表札からBの文字を切り取ってorgia(乱交パーティー、淫蕩の宴)にして貶すような事をする。怒れるアルフォンソ公の罠で毒を飲まされるも、彼をわが子と知ったルクレツィアの解毒剤によって、命を救われる。しかし、彼が友人オルシーニの誘いで出かけたパーティーの席には、過去の出来事への仕返しを企むルクレツィアの罠が仕掛けられていた。まさか息子がそこに来ているとは知らなかったルクレツィアは、来客達に飲ませた毒薬の解毒剤を飲むよう必死になって彼に勧め、「母の頼みを聞いて。あなたもボルジア家の人間なのよ」とジェンナーロの本当の身分を明かす。思いもかけない自分の出自に驚きながらも、彼は「仲間を裏切って、自分だけ助かるような真似はしたくない」と、解毒剤を拒否。そのまま息絶える。
アラガルが演じるジェンナーロの主な聴かせどころと言えば、第1幕エンディングでのルクレツィアとの二重唱、第2幕冒頭でのアリア「女性の姿をした天使よ」、それと第2幕後半でのオルシーニとの『友情の二重唱』といったあたりになろうか。とりわけ第2幕冒頭のアリアで、アラガル氏は大変な熱唱を聴かせる。このボニング盤<ルクレツィア・ボルジア>は指揮者もタイトル役も好調だし、脇役陣も総じて優秀だ。オルシーニ役のマリリン・ホーン、ルクレツィアの密偵グベッタを演じるリチャード・ヴァン・アラン、そしてジェンナーロの仲間の一人ヴィテロッツォ役のピエロ・デ・パルマ、皆それぞれに好演。この録音は一聴の価値あり、である。)
―次回も、マスネのオペラ。