クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

歌劇<ル・シッド>

2008年03月25日 | 作品を語る
このところずっとマスネのオペラをシリーズで語ってきているが、その流れに乗って今回は、歌劇<ル・シッド>(1885年)を採りあげてみることにしたい。これは、ピエール・コルネイユが書いた同名の戯曲を原作とする、非常に力強いオペラである。

―歌劇<ル・シッド>のストーリー概要

スペインの若き勇者ロドリーグ(T)と、ゴルマス伯爵(Bar)の娘シメーヌ(S)は恋人同士。これは、双方の父親も互いに認めた間柄である。ところが、その父親同士が、国王から受けた職位を巡って激しい諍(いさか)いを起こしてしまう。ロドリーグの父ドン・ディエグ(B)は、往時こそ一騎当千の勇士として名をはせた人物だったが、寄る年波には勝てず、伯爵に侮辱されたまま屈伏するしかなかった。その父から、「わしの名誉のために、仇を討ってくれ」と頼まれたロドリーグは、倒すべき相手が最愛の人シメーヌの父親と知って驚く。しかし、彼は悩んだ末に結局伯爵に決闘を挑み、そして打ち倒す。

恋人のロドリーグに父親を殺され、シメーヌは激しいショックを受ける。「我が父の仇に、死のお裁きを」と国王に訴え出る彼女だが、心の中ではまだロドリーグを愛している。そんな折、ムーア人たちの軍勢がやって来てスペインに宣戦を布告。ロドリーグは自ら陣頭指揮に立ち、彼らとの戦いに赴く。

何日か後、「ロドリーグは、戦死した」という話を伝えられて、ドン・ディエグは悄然とする。しかし実際にはロドリーグは死んでおらず、それどころか見事戦いに勝利をおさめていた。その後祖国の英雄として戻ってきた彼をどう処分したいかと国王から尋ねられ、シメーヌはひどく困惑する。が、短剣をもって自害することで恋人へのお詫びをしようとするロドリーグを、彼女は押し止める。二人は和解し、一同の喜びの声が響くところで、全曲の終了。

(※ここに書いた筋書きは思いきり簡略化したもので、実際にはもう少し細かいエピソードがあちこちに挿まれてくる。また、上の文章では省いてしまったが、「ロドリーグへの秘められた恋に悩むスペイン王女」というのも、控えめながら大事な登場人物の一人だ。王女(S)は、愛するロドリーグが王家の血筋でないことから、自分とは身分上結ばれないと悩んでいる。その後ムーア軍との戦いに勝ち、そこの敵兵たちから、「シッド(=君主)」と讃えられることになるロドリーグを見て、「彼は今や、ル・シッドと呼ばれる人。もう身分の違いなど、気にすることはないわ」と、新たに恋の悩みを募らせる場面が原作にある。)

(※参考までに、もう一つ。コルネイユの戯曲では、ロドリーグがムーア人たちとの戦いに勝利して帰ってきた後、オペラとはかなり違った展開が見られる。国王が、「ロドリーグは戦いに勝ったが、怪我がもとで死んだそうだ」とうそをつき、動揺するシメーヌの様子を見て彼女の本心を確かめるのである。ロドリーグはちゃんと生きているということが明らかにされた後、シメーヌに思いを寄せる貴族ドン・サンシュという人物が名乗り出てくる。そして、「ロドリーグと一騎打ちをして、もし勝てたら、シメーヌを妻に迎えることができる」という条件で、彼はロドリーグとの決闘に臨むのである。しかし、ストーリーが煩雑になるのを避けるためか、マスネのオペラではこのあたりの流れはすっぽりとカットされている。)

―コルネイユの戯曲『ル・シッド』に見る義務と恋愛の美意識

ロドリーグとシメーヌのそれぞれの行動を支えているメンタリティがどんなものだったのか、現代の感覚ではちょっと分かりにくい部分がある。『欧米文芸・登場人物事典』(大修館)の459~460ページにそのあたりのポイントを手短にまとめた文章が出ているので、ここで一部引用してみることにしたい。

{ 父ドン・ディエグから過敏な名誉心を受け継いだ、若く血気にはやるロドリーグは、恋ゆえに鈍る心と戦い、父の名誉を傷つけたドン・ゴルマスに、それが恋人シメーヌの父親であるにもかかわらず決闘を挑む。そこで悲劇は、武勲とか騎士道の武勇とかいう外的なものから、心情の問題に移行する。父親への服従は「徳ある人の義務」であり、恋愛は相互の敬意に基づいているため、ロドリーグの愛を失いたくなければ、シメーヌは復讐を誓うほかない。 }

上の記述を裏打ちするようなシメーヌのセリフが、以下の通り、原作の第3幕第4場に見られる。

「あのような恥辱を受けた上は、高貴な人なら名誉のためどうするか、それは私とて存じております。あなたは、立派な人としての義務を果たされただけです。ただそのことによって、私の義務が何であるかも教えてくださいました。・・・あなたをお慕いしているからといって、あなたの処罰をしぶるような卑怯を期待なさらないで下さい。私たちの恋があなたのためにどのようなことをささやこうと、私もあなたのご立派な心根にこたえねばなりません。あなたは私の怒りを招くことによって、私に相応しい方であることをお見せになりました。私もあなたの命を奪うことにより、あなたに相応しい女であることをお見せしなければなりません」。(Cf.筑摩世界文学大系18 『古典劇集』 ~189ページ)

―歌劇<ル・シッド>の音楽

前回語った<エスクラルモンド>は徹底したワグナー流儀で書かれたものだったが、この<ル・シッド>を作曲するにあたってマスネが採用したのは、ヴェルディの様式であった。冒頭の序曲からすでにそう思わせるような設計が見られるし、第1幕でロドリーグがナイトの称号を受ける場面で聴かれる音楽も非常にダイナミックで、ヴェルディ的である。さらに、第2幕第2場。「父の仇に裁きを」と訴え出るシメーヌの力強い登場と、この悲劇が起こるに至った成り行きをドン・ディエグが国王に説明する場面。続いてロドリーグの行動を巡って賛否両論に分かれる人々の反応と、いきなり乗り込んできたムーア人による宣戦布告。これら一連の緊迫したシーンでも、ヴェルディが書きそうな激しいサウンドを聴くことができる。

第3幕第1場でシメーヌが歌う有名なアリア、そして彼女のもとに現れたロドリーグとの二重唱、このあたりの音楽もどことなく、ヴェルディの流儀を感じさせるものになっている。戦地に赴いたロドリーグの祈りの歌が聴かれる第3場と、それに続く第4場の戦闘シーン。これら二つの場面はコルネイユの原作にはないオペラだけのオリジナルだが、ここに出てくるマーチ風のリズムと激しく畳みかけるような音楽にも、やはりヴェルディ的な雰囲気が漂っている。

―歌劇<ル・シッド>の全曲盤

今回参照している演奏は、イヴ・ケラー指揮ニューヨーク・オペラ管弦楽団、他によるカーネギー・ホールでのライヴ録音盤(1976年3月・ソニー)である。CDのジャケットに「世界初録音」と記されているが、ひょっとしたらこれは初録音というにとどまらず、今もなおこのオペラの唯一の全曲盤かもしれない。

ロドリーグ役は、プラシド・ドミンゴ。いつもながら、立派な歌唱である。「血気盛んなスペインの若き英雄」という熱いキャラクターに、彼はよく似合っている。相手役のシメーヌを歌っているのはメゾ・ソプラノのグレース・バンブリーだが、この人も大変素晴らしい。特に第2幕第2場以降の力演たるや、ただもう圧巻と言うしかない。その他の脇役陣では、ドン・ディエグを歌うポール・プリシュカがなかなかの好演を示している。

ところでグレース・バンブリーという黒人歌手は、録音が少ないこともあって今一つなじみが薄いけれども、今回の<ル・シッド>のように、調子が良い時は相当な力を発揮していた人だったようだ。彼女が録音にのこした歌唱で私がまず思い出すのは、若き日のヴォルフガング・サヴァリッシュがバイロイトで振った<タンホイザー>全曲(1962年)でのヴェーヌスである。これはもう30年近くも前、当時大学生だった私が奮発して買った3枚組のLPレコード(Ph盤)で出会ったものだった。タイトル役のヴィントガッセンが、この人にしてはイマイチかなと思われた一方、エリーザベト役のアニア・シリア、そしてヴェーヌス役のバンブリーがともに名演で、非常な聴き応えを感じたものである。いや、それ以上にサヴァリッシュの指揮がとにかくホットで、彼が後年N響との一連の共演で聴かせることになる「立派だけど、全然面白くない演奏」とはまるで別世界の、気迫に満ちた凄い音楽をやっていた。サヴァリッシュのことをひたすらつまらない指揮者とイメージしておられる方は是非とも、彼が若い頃に指揮したバイロイトでのライヴ録音をお聴きいただきたいと思う。

一方、このバンブリーが主役を張った録音としては、若きフリューベック・デ・ブルゴスの指揮によるビゼーの歌劇<カルメン>全曲(1969~70年・EMI)というのが、LP時代からよく知られている。しかし、はっきり言って、これはあまり感心した出来栄えのものではない。バンブリーはここでも一応頑張ってはいるのだが、どうもその歌が板に付かないのである。ドン・ホセ役のジョン・ヴィッカースも魅力薄だし、エスカミーリョ役の何とかパスカリスに至っては、もう完全な二流だ。良かったのは、ミカエラを歌うミレッラ・フレーニの存在感あふれる歌唱と、木の十字架少年合唱団の可愛らしさぐらいだった。w

―今回は、この辺で・・。
コメント
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