クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

部屋の片づけをしながらFMで聴いたゲザ・アンダのピアノ

2015年09月29日 | 演奏(家)を語る
2015年9月29日(火)。前回の更新からもう、1ヵ月が経った。早い・・・。毎日が忙しいから、何だかあっという間である。

おととい27日の日曜日、おなじみのFM番組『名演奏ライブラリー』を聴いた。ハンガリー出身のピアニスト、ゲザ・アンダの特集。と言っても、端座して傾聴していたわけではなく、自室(特に、押し入れ内にしまい込んであった物)の片づけ作業をしながらの“聴き流し”モード。今回の感想文もそれゆえ、あまり大したことが書けない。w

1曲目のリスト<ピアノ・ソナタ>はまあ、可もなく不可もなくといった印象で、普通に聴き流し。取りかかり始めた片づけ作業の方にむしろ、その時は気持ちが集中していた。そう言えば、「リストのピアノ・ソナタなど、もし何か標題がついていたら、今よりずっと人気のある曲になっていたのではないだろうか」という趣旨の文章を昔、何だったかのクラシック系雑誌で見たことがある。その指摘、実際そうかもしれない。特に日本人の場合、いわゆる絶対音楽よりも、何か物語的なものを想起させてくれる標題音楽の方を好む傾向があるから。ちなみにこの曲、かつてあのホロヴィッツが得意としていて、当ブログ主は後年のRCA録音しか聴いていないのだが、えらく迫力のある演奏だったと記憶している。それともう1つ思い出されるのは、ホロヴィッツ的な豪演とはある意味対極にあるような、アルフレード・ブレンデルによる内省的な演奏。同じ曲でも、これだけの表現差が成り立つのだから、この曲もそれなりに奥行きのある作品なのだろうなと思う。

2曲目は同郷のF・フリッチャイと共演したバルトークの<ピアノ協奏曲第2番>。これはLP時代からよく知られた有名な演奏。バルトークのピアノ協奏曲は、CD時代になって全3作が1枚のディスクに収まるようになり、コレクションするのがうんと楽になった。当アンダ盤も昔持っていて、その後中古売却。今回久しぶりに聴いて、「う~ん、やっぱり良いなあ」と思った。この曲については、実はほんの何日か前、ポリーニ&アバド、シカゴ響の演奏を何十年ぶりかで聴いたばかりなのだが、それがあまりにも酷いものだったため、今回アンダ&フリッチャイの名演を聴けたのは良い口直し(or耳直し?)になったのだった。LP発売時、ポリーニ&アバドのバルトークは非常な高評価を得ていて、その頃まだまだ鑑賞歴が浅かった当ブログ主は、「そうだなあ、こういうのを完璧な演奏っていうんだろうなあ」などと、評論家諸氏の絶賛ぶりにすっかり洗脳(?)され、こんなプラスチックの破片をなめさせられるような天下の悪演を漠然と崇拝していたものだった。ところでこれ、当時『レコ芸』協奏曲部門の担当だった宇野センセーがレコード・アカデミー賞選考会議の時に首を縦に振らず、受賞が見送られた経緯がある。(その年のアカデミー賞・協奏曲部門は確か、スターン&ロストロポーヴィチのチャイコフスキー<ヴァイオリン協奏曲>が取ったんじゃなかったかな。)

(※バルトークのピアノ協奏曲については、同じ『名演奏ライブラリー』で今年3月15日に放送されたジェルジ・シャーンドルとアダム・フィッシャーの共演による素晴らしい演奏が今も強く心に残る。が、この至高の名演CDは現在、入手困難な模様。残念なことである。)

ドリーブの原曲によるワルツの独奏曲を挟んで、この日最後に紹介されたのは、上記バルトークと同じフリッチャイの伴奏指揮によるブラームスの<ピアノ協奏曲第2番>。オケはベルリン・フィルで、1960年の録音らしい。これは今回初めて聴いたが、なかなかの名演だと思った。で、正直なところを書くと、この曲の演奏について今一番印象に残っているのは、アンダのピアノよりもむしろ、伴奏を務めているオーケストラの響き。何を思ったかというと、「このベルリン・フィルの響きには何となく“カラヤン色”とでも言えるような、洗練味みたいなものが感じられるなあ。1960年という時期からして、さもありなむ・・」ということだ。

このあたりについての最も好適な比較資料は多分、ウィルヘルム・ケンプのピアノ独奏による新旧2種の「ベートーヴェン/ピアノ協奏曲全集」(いずれもグラモフォンのセッション録音)になるんじゃないかと思う。旧録音は1953年のモノラルで、指揮はパウル・ファン・ケンペン。新しい方は、フェルディナンド・ライトナーの指揮による1961年のステレオ録音。で、この両者を聴いて感じられる大きな違いの一つが、それぞれで演奏しているベルリン・フィルの響きなのである。勿論、指揮者であるケンペンとライトナーの個性の差もあるのだけれど、オーケストラ自体のサウンドがまた随分違うのだ。ケンペン盤のはズバリ、フルトヴェングラー時代のベルリン・フィル。仄暗く重厚で、どこか蒼古とした色合いを持つ響き。一方のライトナー盤では、それがもっとモダンな感じの滑らかさを持った響きに変わってきており、カラヤン美学への歩み出しが始まった新しいベルリン・フィルの姿みたいなものが窺われるのである。

(※なお両者の演奏内容についてだが、当ブログ主の好みとしては、旧録音の方を上位に置きたい気持ちが強い。というのは、圧倒的なパワーを漲らせて、「おおっ、これならバックハウスとタメはれるぜ」と思わせるケンプの豪然たる独奏が聴けるのは旧盤の方だし、本家ドイツの指揮者も顔負けの重厚極まりないドイツ音楽をやったオランダ人指揮者ケンペンの棒にも、抗いがたい魅力があるからだ。)

―今回は、これにて。
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