クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

歌劇<エロディアド>(2)

2007年12月30日 | 作品を語る
前回の続きで、マスネの歌劇<エロディアド>。今回は、その後半部分の内容。

〔 第3幕 〕

ファニュエルの家。占星術師ファニュエルが、洗礼者ジャンは何者なのかと推し量る。「あの男は人間か?それとも神か」。そこへ、いきり立ったエロディアドが登場。「夫の愛情を私から盗んだあの娘の正体も、いつか星が明かしてくれることでしょう」と話す。と同時に彼女は、かつて捨ててしまった自分の娘に対する罪の意識も隠さなかった。ファニュエルは、「ヘロデを惹きつけているあのサロメこそ、エロディアドが捨ててきた実の娘である」という事実を、彼女に分からせる。しかし、エロディアドはそのことが信じられず、激しい勢いで飛び出していく。

寺院に姿を見せたサロメが、洗礼者ジャンへの恋心と深い苦悩を歌う。やがて、そこへ来たヘロデがサロメの存在に気付き、激しく求愛し始める。サロメは毅然とした態度でそれを拒否し、自分には心から愛している人がいるのだと叫ぶ。

(※サロメの苦悩の歌と、それに続くヘロデとの劇的なやり取りは、このオペラのハイライト・シーンの一つ。非常に聴き栄えのする場面である。なお、ヘロデの求愛はここでもやはり、情熱的な青年の恋のアタックみたいに聞こえる。)

僧侶たちが、「人々から救世主と見られているジャンを、処刑せよ」と要求する。ローマ領事ウィテリウスは決定の責任をヘロデに転嫁し、審問を任せる。招じ入れられた洗礼者は、「私の唯一の武器は説法であり、目指すものは自由だ」と弁明し、手を組もうとこっそり囁くヘロデの申し出も拒否する。エロディアドと僧侶たちは、ジャンの磔刑(たっけい)を要求。その時、彼と運命を分かち合おうと決意したサロメが、前に進み出てくる。「サロメの愛する男がまさか、こいつだったとは」とヘロデは怒りに震え、死刑の宣告を行う。ジャンは誇り高い態度で、それを聞き入れる。それぞれの人物がそれぞれの思いを吐露するアンサンブルと、壮麗な合唱の響きをもって、第3幕が終了。

〔 第4幕 〕

洗礼者ジャンの地下牢。死への準備をするジャンのもとに、サロメがやってくる。一緒に死にたいという彼女に対して、ジャンは愛情を感じていることを認める。そしてジャンはサロメに、自分と一緒に死んだりしてはいけないと諭す。情熱的な愛の二重唱。やがて高僧がそこを訪れ、ジャンに処刑のときが来たと告げる。そしてサロメには、ヘロデの命令だから宮殿へ戻るようにと伝える。

宮殿の大ホールでは、ローマ人たちの賑やかな戦勝祝いが行なわれている。エジプト、バビロニア、ガリア、そしてフェニキアの女たちが踊る。そこへサロメが飛び込んできて、ヘロデとエロディアドの二人にジャンの助命を請う。やがて死刑執行人が姿を現すが、彼が持っている刀からは血が滴り落ちていた。ジャンが既に亡き者にされていることを知ったサロメは、短刀を引き抜いてエロディアドを殺そうと迫る。が、そこで彼女は憎む相手から思いがけない言葉を耳にして、立ちすくむ。「助けてちょうだい!私は、あなたの母なのです」。

サロメは、「憎き王妃よ!もし本当にその忌まわしい下腹部から私が出てきたのなら、さあ、この血と私の命を取り返すがいい」と叫び、短刀を自らの体に突き刺して果てる。「何という恐ろしい日」と人々が叫ぶところで、全曲の終了。

(※R・シュトラウスの<サロメ>に馴染んでいる者にとってはちょっとびっくりするような幕切れだが、このフロベール原作による<エロディアド>に見られるテーマは蓋(けだ)し、「神への愛に通じるサロメの純愛と、母子の宿命的なつながりを描くこと」にあったようだ。)

(※補足の話。歌劇<エロディアド>は、いわゆる“グランド・オペラ”としての属性を備えている。今回の締めくくりとして、そのグランド・オペラなる物の特徴について、岡田暁生・著『オペラの運命』【中公新書】の90ページ以降にある詳しい解説から一部編集して、以下に書き出してみることにしたい。

{ グランド・オペラは、主に1830~1848年の七月王政時代にパリの王立オペラ座で上演された、記念碑的な規模を持つ5幕のオペラである。長大な演奏時間と豪華な舞台装置を売り物にし、素材は必ず歴史劇を用いる。・・・あちこちにタブローと呼ばれる群集場面を配し、フランスの伝統に従って第2幕か第3幕にバレエを入れる。 }

歌劇<エロディアド>は4幕構成なので上の定義と完全に符合するわけではないが、グランド・オペラ的な要素は随所に見受けられる。まず、上演時間が約2時間46分にも及ぶ壮大な歴史劇になっていること。第2幕の冒頭で、大がかりな合唱と踊りの場面が見られること。あるいは第4幕、宮殿の大ホールで開かれる戦勝祝いのシーンで、絢爛たる大合唱と色とりどりのバレエ音楽が聴かれること。これらが、その例である。ちなみに、第4幕のパーティ・シーンでは、合唱もバレエも、まるで同郷の先輩グノーの歌劇<ファウスト>を思わせるような音楽が展開される。プラッソン盤では指揮者の名タクトが冴え渡り、ゴキゲンそのもの。また、第1幕と第4幕で聴かれるサロメとジャンの『愛の二重唱』なども、「壮大な歴史ドラマの中で運命に翻弄される男女の姿を、ロマンティックな音楽が彩る」といういかにもグランド・オペラらしい要素をしっかり体現しているものと言ってよいように思う。)

―これで、本年・2007年度の記事投稿はすべて終了。次回の更新は、年が明けてからです。どうぞ皆様、良い年をお迎えくださいますよう。 m( _ _ )m
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歌劇<エロディアド>(1)

2007年12月23日 | 作品を語る
前回「異国オペラ」の代表例とも言えるドリーブの歌劇<ラクメ>を採りあげ、ミシェル・プラッソンの名演盤にも言及した。そこからのつながりで、今回のトピックはマスネの歌劇<エロディアド>(1881年・初演)ということにしてみたい。この大作オペラも、聖書を題材にした一種の異国オペラと見なすことが出来るし、これにもまたプラッソンの指揮による優れた全曲録音(EMI)が存在するからである。(※ちなみにタイトルだが、“エロディアド”という名前にはピンとこなくても、「それは、ヘロディアスのことだよ」と言われれば、「ああ、そうか」と思い当たる方が多いのではないかと思う。何を隠そう、このオペラのタイトル役は、あのサロメの母親なのである。)

フランス・オペラの大作曲家ジュール・マスネは、有名無名取り混ぜて、生涯に25作ものオペラを書いた。その芸術的な価値は別として、<フィデリオ>のような痛々しいオペラを一つしか書けなかったベートーヴェンとは対照的に、マスネは極めて柔軟な作曲の技能に恵まれていた。彼は時代の流行や聴衆の好みをよく理解し、次々と人々に歓迎されるオペラを発表していった。メルヘン・タッチの<サンドリヨン(=シンデレラ)>は当ブログでも少し前に採りあげたが、その他にもワグナー風、ヴェルディ風、イタリア・ヴェリズモ風など、実に多様なスタイルの作品を書き上げている。今話題にしている異国オペラのジャンルも当然、手がけた。ヴァイオリンのための『瞑想曲』がよく知られた<タイス>は古代エジプトが舞台、作曲家若き日の大作<ラオールの王>はインドが舞台、そして今回の<エロディアド>は聖書の物語世界が舞台になっている異国オペラというわけである。

以下、歌劇<エロディアド>各幕の大まかな中身を見ていくことにしたい。今回参照している演奏録音は、ミシェル・プラッソン指揮トゥールーズ・キャピトル管弦楽団&合唱団、他による1994年のEMI盤である。

―歌劇<エロディアド>のあらすじ

〔 第1幕 〕

ヘロデ王の宮殿の中庭。夜明け。商人たちの一団が到着し、挨拶を交わす。一方で、ユダヤ人とサマリア人が言い争っている。そこへ、カルデアの占星術師ファニュエル(B)が現われ、「より大きな共通の敵ローマ人にこそ、目を向けよ」と、彼らを諌(いさ)める。人々が退場するのと入れ替わりに、サロメ(S)が登場。王妃エロディアド(=ヘロディアス)と生き別れになっている娘はこのサロメであるという事実を、ファニュエルは知っている。しかし、当の二人は、そのことを知らない。「昔ローマで私を捨てた母をずっと捜しているのだけど、まだ見つからない。・・・今私は、ジャン(=洗礼者ヨハネ)という人に惹かれているの」といった話を、サロメはファニュエルに語る。

(※このオペラに於けるサロメは、純粋で一途な娘といったイメージになっていて、R・シュトラウス作品のサロメとは全くキャラクターが違う。ドラマティックな力も要求されるが、本質的にはリリックな声が望まれるという、なかなか難しい役どころである。プラッソン盤では、一時期引く手あまたの人気を誇ったシェリル・ステューダーが歌っている。私の感想としては、ここでの彼女の歌唱はまあまあの出来といった感じだ。むしろ、もうひとりの重要キャラであるファニュエルを演じるホセ・ファン・ダムが良い味を出している。前回採りあげたプラッソンの<ラクメ>に於けるニラカンタや、かつて語ったデュトワの指揮によるフォーレの<ペネロプ>でのエウマイオス、そしてここでのファニュエルなど、この人はフランス物のオペラ録音に良い物が多いような気がする。そう言えば、カラヤンのEMI盤<ペレアスとメリザンド>にもゴロー役で出ていた。もっとも、あのゴローはちょっと強すぎたようにも思えるが・・。)

ヘロデ王(Bar)が物思いに耽っている。美しい娘サロメへの淫らな欲情が、彼の心を駆り立てている。そこへ妻のエロディアド(Ms)がやってきて、荒野で一人の野蛮な男に侮辱を受けたと怒りをぶちまける。そして自分の名誉のためにその男、洗礼者ジャン(=ヨハネ)を処刑してほしいと夫に迫る。しかしヘロデは、「洗礼者ジャンは、ユダヤの民からの信望が厚い。そう簡単には殺せない」と答える。

(※このオペラに登場するヘロデも、上記のサロメと同様、R・シュトラウス作品に出て来る同一キャラとはだいぶ様子が違う。何とも若やいだ感じのするヘロデである。マスネがこの役に持っていたイメージは、情熱的な青年王みたいなものだったのかもしれない。「サロメに対する淫らな欲情を歌う」といっても、その歌は何とも晴朗な印象を与えるものになっているのだ。ちなみに、プラッソン盤で同役を歌っているのは、人気のバリトン歌手トマス・ハンプソン。「ああ、なるほどね」という感じである。)

そこへジャン(T)本人が姿を現し、ヘロデとエロディアドに激しい非難の言葉を浴びせる。その二人が退散した後に、サロメが登場。彼女はジャンへの想いを打ち明けるが、「その情熱を、来(きた)るべき新しい夜明けへの想いに昇華させなさい」と、彼はサロメを諭(さと)す。マスネらしい美しい旋律が流れる場面。

(※R・シュトラウスの<サロメ>に出て来るヨハネは、日本語でヨカナーンと表記されるバリトンの役柄だが、このマスネ作品ではスピントの効いた声を持つテノール歌手が歌う。“屹立する鉄壁のモラル”みたいなシュトラウス作品の洗礼者とは対照的に、ここに出て来るジャンは、より生身の人間を思わせる英雄的キャラクターになっている。)

〔 第2幕 〕

宮殿の中にあるヘロデ王の部屋。奴隷たちが王のために踊り、媚薬を彼に渡す。妖しげな薬に酔い痴れながら、ヘロデはサロメへの欲情を歌う。そこへファニュエルがやってきて、「近いうちに、動乱がありますぞ」と、ヘロデに警戒を促す。しかし王は、「ローマ人を撃退するために洗礼者ジャンの人気を利用し、そのあとで本人を始末すればいい」と考えており、その実現に自信を持っている。そこから場面は変わって、宮殿の外の広場。ヘロデは人々の愛国心を巧みに焚きつけ、戦いに向けての熱狂的な雰囲気を作り出す。

(※奴隷の女たちによるしっとりしたコーラスが流れる第2幕の冒頭は、大変に印象的だ。続いて、サロメへの想いに悶々とするヘロデに一人のバビロニア娘が歌を歌いながら媚薬を手渡すのだが、プラッソン盤ではこの役をマルティヌ・オルメダというソプラノ歌手が演じている。他の録音でこの人の名に触れたことはないのだが、当CDを聴いた限りで言えば、とても魅力的な歌手である。)

(※宮殿の外の広場に場面が変わる時に、ヘロデを讃える群衆の力強い男声合唱が流れる。で、これが何というか、ちょっとベルリオーズ風の曲。ひょっとして、同郷の大先輩に敬意を表したということか?w )

舞台背景からトランペットが響き、ローマ領事ウィテリウス(B)の到着が告げられる。ウィテリウスは信教の自由を認めることを人々に呼びかけ、賞賛を受ける。やがて、サロメと洗礼者ジャンが揃って登場。カナン人の女たち、そして子供たちが、「主に栄光あれ」と『オザンナ』を歌う。これがローマ人を讃える合唱と交錯して音楽が大きく盛り上がるところで、第2幕が終了。

―この続き、第3幕と第4幕の中身については、次回・・・。
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