前回の続きで、マスネの歌劇<エロディアド>。今回は、その後半部分の内容。
〔 第3幕 〕
ファニュエルの家。占星術師ファニュエルが、洗礼者ジャンは何者なのかと推し量る。「あの男は人間か?それとも神か」。そこへ、いきり立ったエロディアドが登場。「夫の愛情を私から盗んだあの娘の正体も、いつか星が明かしてくれることでしょう」と話す。と同時に彼女は、かつて捨ててしまった自分の娘に対する罪の意識も隠さなかった。ファニュエルは、「ヘロデを惹きつけているあのサロメこそ、エロディアドが捨ててきた実の娘である」という事実を、彼女に分からせる。しかし、エロディアドはそのことが信じられず、激しい勢いで飛び出していく。
寺院に姿を見せたサロメが、洗礼者ジャンへの恋心と深い苦悩を歌う。やがて、そこへ来たヘロデがサロメの存在に気付き、激しく求愛し始める。サロメは毅然とした態度でそれを拒否し、自分には心から愛している人がいるのだと叫ぶ。
(※サロメの苦悩の歌と、それに続くヘロデとの劇的なやり取りは、このオペラのハイライト・シーンの一つ。非常に聴き栄えのする場面である。なお、ヘロデの求愛はここでもやはり、情熱的な青年の恋のアタックみたいに聞こえる。)
僧侶たちが、「人々から救世主と見られているジャンを、処刑せよ」と要求する。ローマ領事ウィテリウスは決定の責任をヘロデに転嫁し、審問を任せる。招じ入れられた洗礼者は、「私の唯一の武器は説法であり、目指すものは自由だ」と弁明し、手を組もうとこっそり囁くヘロデの申し出も拒否する。エロディアドと僧侶たちは、ジャンの磔刑(たっけい)を要求。その時、彼と運命を分かち合おうと決意したサロメが、前に進み出てくる。「サロメの愛する男がまさか、こいつだったとは」とヘロデは怒りに震え、死刑の宣告を行う。ジャンは誇り高い態度で、それを聞き入れる。それぞれの人物がそれぞれの思いを吐露するアンサンブルと、壮麗な合唱の響きをもって、第3幕が終了。
〔 第4幕 〕
洗礼者ジャンの地下牢。死への準備をするジャンのもとに、サロメがやってくる。一緒に死にたいという彼女に対して、ジャンは愛情を感じていることを認める。そしてジャンはサロメに、自分と一緒に死んだりしてはいけないと諭す。情熱的な愛の二重唱。やがて高僧がそこを訪れ、ジャンに処刑のときが来たと告げる。そしてサロメには、ヘロデの命令だから宮殿へ戻るようにと伝える。
宮殿の大ホールでは、ローマ人たちの賑やかな戦勝祝いが行なわれている。エジプト、バビロニア、ガリア、そしてフェニキアの女たちが踊る。そこへサロメが飛び込んできて、ヘロデとエロディアドの二人にジャンの助命を請う。やがて死刑執行人が姿を現すが、彼が持っている刀からは血が滴り落ちていた。ジャンが既に亡き者にされていることを知ったサロメは、短刀を引き抜いてエロディアドを殺そうと迫る。が、そこで彼女は憎む相手から思いがけない言葉を耳にして、立ちすくむ。「助けてちょうだい!私は、あなたの母なのです」。
サロメは、「憎き王妃よ!もし本当にその忌まわしい下腹部から私が出てきたのなら、さあ、この血と私の命を取り返すがいい」と叫び、短刀を自らの体に突き刺して果てる。「何という恐ろしい日」と人々が叫ぶところで、全曲の終了。
(※R・シュトラウスの<サロメ>に馴染んでいる者にとってはちょっとびっくりするような幕切れだが、このフロベール原作による<エロディアド>に見られるテーマは蓋(けだ)し、「神への愛に通じるサロメの純愛と、母子の宿命的なつながりを描くこと」にあったようだ。)
(※補足の話。歌劇<エロディアド>は、いわゆる“グランド・オペラ”としての属性を備えている。今回の締めくくりとして、そのグランド・オペラなる物の特徴について、岡田暁生・著『オペラの運命』【中公新書】の90ページ以降にある詳しい解説から一部編集して、以下に書き出してみることにしたい。
{ グランド・オペラは、主に1830~1848年の七月王政時代にパリの王立オペラ座で上演された、記念碑的な規模を持つ5幕のオペラである。長大な演奏時間と豪華な舞台装置を売り物にし、素材は必ず歴史劇を用いる。・・・あちこちにタブローと呼ばれる群集場面を配し、フランスの伝統に従って第2幕か第3幕にバレエを入れる。 }
歌劇<エロディアド>は4幕構成なので上の定義と完全に符合するわけではないが、グランド・オペラ的な要素は随所に見受けられる。まず、上演時間が約2時間46分にも及ぶ壮大な歴史劇になっていること。第2幕の冒頭で、大がかりな合唱と踊りの場面が見られること。あるいは第4幕、宮殿の大ホールで開かれる戦勝祝いのシーンで、絢爛たる大合唱と色とりどりのバレエ音楽が聴かれること。これらが、その例である。ちなみに、第4幕のパーティ・シーンでは、合唱もバレエも、まるで同郷の先輩グノーの歌劇<ファウスト>を思わせるような音楽が展開される。プラッソン盤では指揮者の名タクトが冴え渡り、ゴキゲンそのもの。また、第1幕と第4幕で聴かれるサロメとジャンの『愛の二重唱』なども、「壮大な歴史ドラマの中で運命に翻弄される男女の姿を、ロマンティックな音楽が彩る」といういかにもグランド・オペラらしい要素をしっかり体現しているものと言ってよいように思う。)
―これで、本年・2007年度の記事投稿はすべて終了。次回の更新は、年が明けてからです。どうぞ皆様、良い年をお迎えくださいますよう。 m( _ _ )m
〔 第3幕 〕
ファニュエルの家。占星術師ファニュエルが、洗礼者ジャンは何者なのかと推し量る。「あの男は人間か?それとも神か」。そこへ、いきり立ったエロディアドが登場。「夫の愛情を私から盗んだあの娘の正体も、いつか星が明かしてくれることでしょう」と話す。と同時に彼女は、かつて捨ててしまった自分の娘に対する罪の意識も隠さなかった。ファニュエルは、「ヘロデを惹きつけているあのサロメこそ、エロディアドが捨ててきた実の娘である」という事実を、彼女に分からせる。しかし、エロディアドはそのことが信じられず、激しい勢いで飛び出していく。
寺院に姿を見せたサロメが、洗礼者ジャンへの恋心と深い苦悩を歌う。やがて、そこへ来たヘロデがサロメの存在に気付き、激しく求愛し始める。サロメは毅然とした態度でそれを拒否し、自分には心から愛している人がいるのだと叫ぶ。
(※サロメの苦悩の歌と、それに続くヘロデとの劇的なやり取りは、このオペラのハイライト・シーンの一つ。非常に聴き栄えのする場面である。なお、ヘロデの求愛はここでもやはり、情熱的な青年の恋のアタックみたいに聞こえる。)
僧侶たちが、「人々から救世主と見られているジャンを、処刑せよ」と要求する。ローマ領事ウィテリウスは決定の責任をヘロデに転嫁し、審問を任せる。招じ入れられた洗礼者は、「私の唯一の武器は説法であり、目指すものは自由だ」と弁明し、手を組もうとこっそり囁くヘロデの申し出も拒否する。エロディアドと僧侶たちは、ジャンの磔刑(たっけい)を要求。その時、彼と運命を分かち合おうと決意したサロメが、前に進み出てくる。「サロメの愛する男がまさか、こいつだったとは」とヘロデは怒りに震え、死刑の宣告を行う。ジャンは誇り高い態度で、それを聞き入れる。それぞれの人物がそれぞれの思いを吐露するアンサンブルと、壮麗な合唱の響きをもって、第3幕が終了。
〔 第4幕 〕
洗礼者ジャンの地下牢。死への準備をするジャンのもとに、サロメがやってくる。一緒に死にたいという彼女に対して、ジャンは愛情を感じていることを認める。そしてジャンはサロメに、自分と一緒に死んだりしてはいけないと諭す。情熱的な愛の二重唱。やがて高僧がそこを訪れ、ジャンに処刑のときが来たと告げる。そしてサロメには、ヘロデの命令だから宮殿へ戻るようにと伝える。
宮殿の大ホールでは、ローマ人たちの賑やかな戦勝祝いが行なわれている。エジプト、バビロニア、ガリア、そしてフェニキアの女たちが踊る。そこへサロメが飛び込んできて、ヘロデとエロディアドの二人にジャンの助命を請う。やがて死刑執行人が姿を現すが、彼が持っている刀からは血が滴り落ちていた。ジャンが既に亡き者にされていることを知ったサロメは、短刀を引き抜いてエロディアドを殺そうと迫る。が、そこで彼女は憎む相手から思いがけない言葉を耳にして、立ちすくむ。「助けてちょうだい!私は、あなたの母なのです」。
サロメは、「憎き王妃よ!もし本当にその忌まわしい下腹部から私が出てきたのなら、さあ、この血と私の命を取り返すがいい」と叫び、短刀を自らの体に突き刺して果てる。「何という恐ろしい日」と人々が叫ぶところで、全曲の終了。
(※R・シュトラウスの<サロメ>に馴染んでいる者にとってはちょっとびっくりするような幕切れだが、このフロベール原作による<エロディアド>に見られるテーマは蓋(けだ)し、「神への愛に通じるサロメの純愛と、母子の宿命的なつながりを描くこと」にあったようだ。)
(※補足の話。歌劇<エロディアド>は、いわゆる“グランド・オペラ”としての属性を備えている。今回の締めくくりとして、そのグランド・オペラなる物の特徴について、岡田暁生・著『オペラの運命』【中公新書】の90ページ以降にある詳しい解説から一部編集して、以下に書き出してみることにしたい。
{ グランド・オペラは、主に1830~1848年の七月王政時代にパリの王立オペラ座で上演された、記念碑的な規模を持つ5幕のオペラである。長大な演奏時間と豪華な舞台装置を売り物にし、素材は必ず歴史劇を用いる。・・・あちこちにタブローと呼ばれる群集場面を配し、フランスの伝統に従って第2幕か第3幕にバレエを入れる。 }
歌劇<エロディアド>は4幕構成なので上の定義と完全に符合するわけではないが、グランド・オペラ的な要素は随所に見受けられる。まず、上演時間が約2時間46分にも及ぶ壮大な歴史劇になっていること。第2幕の冒頭で、大がかりな合唱と踊りの場面が見られること。あるいは第4幕、宮殿の大ホールで開かれる戦勝祝いのシーンで、絢爛たる大合唱と色とりどりのバレエ音楽が聴かれること。これらが、その例である。ちなみに、第4幕のパーティ・シーンでは、合唱もバレエも、まるで同郷の先輩グノーの歌劇<ファウスト>を思わせるような音楽が展開される。プラッソン盤では指揮者の名タクトが冴え渡り、ゴキゲンそのもの。また、第1幕と第4幕で聴かれるサロメとジャンの『愛の二重唱』なども、「壮大な歴史ドラマの中で運命に翻弄される男女の姿を、ロマンティックな音楽が彩る」といういかにもグランド・オペラらしい要素をしっかり体現しているものと言ってよいように思う。)
―これで、本年・2007年度の記事投稿はすべて終了。次回の更新は、年が明けてからです。どうぞ皆様、良い年をお迎えくださいますよう。 m( _ _ )m