クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

過去の記事タイトル・一覧(1~60)

2005年04月26日 | 記事タイトル一覧表
当ブログを立ち上げてから、この4月末で丸半年になる。最近、ここに書いた記事はどこで検索出来るものかと思って、自分でいくつか試してみた。Googleでは全く、ヒットしない。ヤフーの検索で、かなり当たる記事が見つかった。しかし、当たらない物もある。また、このgooブログ内での検索は、記事を投稿してからあまり期間が経っていないものは見つかるが、数ヶ月も前のものは、古い順に消えていくらしい事も分かった。

前回の<シンフォニア・タプカーラ>で、ちょうど記事番号が第60番という区切りになり、あと数日でブログ立ち上げから半年という区切りにもなるので、これまで書いてきた記事のタイトルを整理してみた。こうして並べて見てみると、つくづくマニア志向の強いものばかりで、日頃のアクセスipの少なさが改めてうなずけてしまう。また、最初の頃は割と短い書き込みが多かったのに、だんだん一つ一つの記事に力が入るようになってきたのがわかる。

1.交響詩<青いユリのために> : 2004年10月31日
2.『野ばら』の背徳性 : 2004年11月1日
3.ハイネ : 2004年11月1日
4.歌劇<ラパチーニの娘> : 2004年11月3日
5.マンドラゴラ : 2004年11月3日
6.「エレクトラ」の薀蓄話 : 2004年11月3日
7.レナード・バーンスタイン : 2004年11月6日
8.グスタフ・ナイトリンガー : 2004年11月7日
9.クリングゾル : 2004年11月9日
10.アーサー王 : 2004年11月13日
11.ローランド・パネライ : 2004年11月14日
12.インゲ・ボルク : 2004年11月17日
13.<クモの饗宴> : 2004年11月20日
14.<エスタンシア> : 2004年11月23日
15.アイーダ・トランペット : 2004年11月25日
16.歌劇<リア王> : 2004年11月28日
17.<若き恋人たちへのエレジー>  :2004年12月1日
18.F=ディースカウの<冬の旅>1955年盤 : 2004年12月3日
19.<曼殊沙華(ひがんばな)> : 2004年12月6日
20.ネーメ・ヤルヴィ : 2004年12月9日
21.シャーベットな<四季> : 2004年12月12日
22.<カントゥス・アルクティクス> : 2004年12月14日
23.<イカロスの飛翔> : 2004年12月16日
24.イワン・ペトロフ : 2004年12月19日
25.レナータ・テバルディの訃報 : 2004年12月21日
26.ムラヴィンスキーの初来日盤 : 2004年12月25日
27.オスカー・ワイルドのこぼれ話 : 2004年12月28日
28.ユージン・オーマンディ : 2004年12月31日
29.歌劇<低地> : 2005年1月3日
30.歌劇<ロジェ王> : 2005年1月5日
31.<コラ・ブルニョン>組曲 : 2005年1月8日
32.ダヴィッド・オイストラフ : 2005年1月10日
33.ブゾーニの<ファウスト博士> :2005年1月13日
34.セメレ : 2005年1月16日
35.ヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレス : 2005年1月20日
36.『バッカスの歌』 : 2005年1月23日
37.カッサンドラ : 2005年1月26日
38.ベルリオーズの<荘厳ミサ曲> : 2005年1月29日
39.ラターの<レクイエム> : 2005年2月2日
40.ハウェルズの<レクイエム> : 2005年2月5日
41.ヘルベルト・ケーゲル : 2005年2月8日
42.「オルフはね、ナチなんだよ」。 : 2005年2月12日
43.フランツ・グルントヘーバー : 2005年2月16日
44.ティト・ゴッビ : 2005年2月20日
45.ティト・ゴッビの十八番 : 2005年2月24日
46.アリアドネ : 2005年2月27日
47.Esultate!~オテロの第一声~ : 2005年3月3日
48.エルネスト・アンセルメ : 2005年3月6日
49.メルジーネの物語 : 2005年3月11日
50.『白蛇伝』 : 2005年3月15日
51.<センセマヤ>と<マヤの夜> : 2005年3月20日
52.コンスタンティン・シルヴェストリ : 2005年3月24日
53.「シルヴェスター(=大晦日)」の由来 : 2005年3月28日
54.ゴンサロ・ソリアーノ : 2005年4月1日
55.アタウルフォ・アルヘンタ : 2005年4月5日
56.ソーゲの<旅芸人> : 2005年4月9日
57.テルミン : 2005年4月12日
58.テルテリャーンの交響曲第3番、第4番 : 2005年4月16日
59.<そして神は大いなる鯨を造りたもうた> : 2005年4月20日
60.<シンフォニア・タプカーラ> : 2005年4月23日

語るネタがまだあるので、もうしばらくは続く予定だが、この偏屈マニアの独り言ブログがいつまで続くかは、正直なところ不明である。ただ、ネット上にはなるべく残しておいて、「どれだかの記事をどなたかに参考にしてもらったり、何かのヒントとして役立てていただけたら嬉しいなあ」という気持ちが、私の中にはある。また何ヶ月かして記事の数が節目になった頃にでも、改めて今回のような記事リストを作ってみようかなと思う。来し方を時折振り返るのも、それなりに楽しいことがあるし・・。
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<シンフォニア・タプカーラ>

2005年04月23日 | 作品を語る
前回語ったアラン・ホヴァネス(Alan Hovhaness)の最後のs をアルファベットしりとりして、今回は伊福部昭先生の<シンフォニア・タプカーラ(Sinfonia Tapkaara)>について、個人的な思い出も含めて少し語ってみたい。

近所の幼なじみと親子連れ立って映画館に行き、初めて劇場の大画面で観た映画が『大魔神』で、その後も学校が長い休みに入るたびに必ず怪獣映画を見に行った“昭和の怪獣少年”だった私にとって、伊福部先生の音楽はもう別格というか、特別な体験として体にしみついてしまっている部分がある。で、その御大のクラシック分野での代表作の一つが、「立って踊る」の交響曲、<シンフォニア・タプカーラ>ということになるのだろう。私がこの作品に触れたのはしかし、クラシックを本腰入れて聴き始めた大学時代になってからようやくであった。現在入手困難な音源も含めて、この曲にはもう相当数の録音が存在するようで、私など、とてもそのすべてを耳に出来たわけではないのだが、思い出せるものや、ネット上の検索で確認できたものだけ、順に列挙してみたいと思う。

1.山岡重信の指揮によるLP(?)録音

学生時代にこれをFMで聴いたのが、私にとってのこの曲との出会いであった。いつ頃の録音かは、残念ながら不明。今再びこれを聴いたら、おそらくオケの響きの薄さとか、技術的な稚拙さとかが気になる事だろう。(※どこのオケかも、忘れてしまった。読売だったかな?)しかしこれ、CDにはなっていないのではないだろうか。

2.手塚幸紀&東響のキング盤(1984年2月21日・簡易保険ホール)

今もこのCDは処分せず、手元に置いてある。と言うのは、<タプカーラ>よりも、同じ日のライヴで収録された<交響譚詩>の方で抜群の快演が聴けるからである。このCDでの<タプカーラ>の演奏は、終楽章でオケが疲れてしまって息切れ演奏になっているのが、素人耳にもわかる。<交響譚詩>の名演奏に、大きな価値を感じる一枚。また、外山雄三の<ラプソディ>や小山清茂の<木挽き歌>なども収められているので、その点でもこれは結構充実した一枚である。

3.芥川也寸志&新響のフォンテック盤(1987年・サントリーホール)

かなりオフ・マイクの録音。何だかすり鉢の奥の方で鳴っているような音で、何ともじれったい。改訂版による大編成のもの。オケは芥川氏が生前手塩にかけていたアマチュア・オーケストラである。事実、ちょっとしたところにアマチュアっぽい響きが出ている。しかし、これが一番良い演奏だという方もおられる。演奏面の評価はともかくとして、この録音のとり方はなあ・・。

4.井上道義&新日本フィル、他によるライヴ盤(1991年9月17日・サントリーホール)

東京サントリーホールで企画された≪作曲家の個展≫シリーズの一環として、伊福部先生の作品が取り上げられた時のライヴ。このコンサートを、私は生で体験している。演奏については、かなり速めのテンポ設定がなされていた。井上氏は速めのテンポでがんがん進めていく事で、作品が持つ迫力を表現しようと意図したのかも知れない。全体に亘ってそうなのだが、特に第3楽章コーダの追い込みなど、かなり突っ走る。当時の私はその速さに共感できず、すわりの悪い演奏に感じてしまったのだが、年月を経てCDで聴き直すと、これはこれで説得力があると感じる。第2楽章も速めながら、抒情味はしっかりと出ている。推進力のあるイケイケ演奏で楽しみたい方には、これが一番であろう。

ところで、この日の演奏会では、<日本組曲>の管弦楽版初演に立ち会えたことと、休憩時間中にホールのロビーに姿をお見せになった伊福部御大を、「あと30センチで、さわれるぞ」ってところまで近づいて見られたのが、私には良い思い出である。そこまで近づけたなら声をかけてサインでももらっときゃよかったのに、と思われるかも知れないが、御大を囲むようにしてお弟子さんたち、黛敏郎氏やら、石井眞木氏やらが身内の和やかムードで歓談なさっていて、とてもではないが、「サイン下さい」などと割って入れるような空気ではなかったのである。そのうち、あんまり私が伊福部先生に近づいて立っていたので、黛氏が「何だ、こいつは?」みたいな目をしてこっちを見たのである。(怖い!)で、すごすご退散したのであった。しかし、その黛氏も石井氏も今は幽明境を異にしておられる。早くにお亡くなりになった芥川氏といい、御大はご自身の長寿とは裏腹にお弟子さんたちに次々と先立たれて、定めし寂しい思いをされておられるのではないかと拝察する。

5.石井眞木指揮の新星日響盤(1991年12月13日・府中の森劇場)

伊福部御大の、確か喜寿記念コンサートのライヴ。映画『ゴジラ対キングギドラ』が公開された時のものである。東京は府中市で行われた演奏会で、私はそのホールの客席から大喝采を送った聴衆の一人であった。つまり、これも生で聴いたのである。この時の演奏は、非常に良かった。第1楽章あたりは、石井氏の指揮棒が横に流れる動きのためか、「もう一つ、リズムに縦の切れ味が欲しいなあ」などと、にわか評論家気分で聴き始めたコンサートだったが、ゆーったりと歌う第2楽章から、土俗のエネルギーが爆発する第3楽章へと進んで行くうちに、ぐんぐん引き込まれて、演奏が終わった直後にはもう我を忘れて夢中で拍手していた。「有頂天」とは、まさにこういう気分を指して言うのであろう。CD、LDがその後同時に発売された。最初は映像つきで保存しておきたくてLDを買い、何年か後になってCDも聴いたのだが、残念な事にそれらに記録された音質は、生を体験した人間にとってはどうにもならないシロモノであった。「何だ、これは」である。と言っても、ライヴCDから与えられるこの種の失望は、生を聴いたものにとっては日常茶飯の出来事。仕方のない事と、諦めねばならないのだろう。このライヴも例外とはなり得ず、当夜の熱狂は残念ながら、そこに居合わせた者達だけの思い出の宝石になってしまったようである。伊福部御大自身の指揮による<ジャコモコ・ジャンコ>、他も併録されている。

6.広上淳一&日本フィル盤(1995年)

これをベストであると感じておられるファンも、少なくないようだ。しかしこれは(失礼ながら)、私にとっては我慢ならない演奏であった。買って、一回聴いて、腹が立って、即座に売り払ってしまった。広上氏はこの曲のリズム構造を明晰に分解してみせるという、その解剖行為自体に快感を持っているのか、(第3楽章でとりわけ顕著なのだが)複雑なリズムで錯綜する管弦楽が、とにかく透かし彫りのようにきれーいに、きれーに分解されて白日のもとに開陳されている。熱狂というすぐれて情緒的な要素も、並んだ音の響きの物理的な結果の一つに過ぎないとでも言っているかのように、しらじらしく現象としての音だけが鳴り続ける。私はこういう“妙に知的な演奏”で、伊福部先生の音楽を聴きたくないのである。

7.&8.石井眞木の指揮&新響による、その後の二種類のライヴ録音。「1994年10月・傘寿記念コンサート」&「2002年5月19日・紀尾井ホールでの米寿記念コンサート」。

これら二つの新しいライヴ盤については、私は全く未聴である。このブログでも以前ちょっと書いたことなのだが、ヒーローであったバーンスタインが世を去って、私はアクチュアルに追い求められるアーティストを失い、しばしの冷却期間を経てのち、それまで作っていたLP、CD、LD、ビデオ、カセット・テープなどの膨大なコレクションを順次、それも大胆にバッサリと処分した。そして、クラシックから少し引いていた時期があったのだった。多少は新しいCDも買ったりはしていたのだが、コンサート情報を仕入れて足を運ぶというようなことは一切していなかった。これらのライヴは、その期間中のイヴェントだったので、残念ながら全くわからない。本当に最近になって、「ああ、こういうの、やってたんだなあ」と知ったばかりなのである。石井氏の指揮なので演奏は悪くないんじゃないかな、と推測されるのだが、さて実際のところはどうだろう。そして、CDとしての音質はどうだろうか?

8.原田幸一郎&新響(1994年・芸術劇場での収録盤)

これはネット上で、伊福部先生の関連サイトをサーフィンしていたら偶然に見つかったものだが、「へえ、こういうのもあったの」である。これについても、私は何もわからない。

9.D・ヤブロンスキー&ロシア・フィル(ナクソス盤)

とうとう出てしまったなあ、外国人指揮者による困りまくったトホホ演奏が。出だしからやけに速いテンポでそっけなく始まるので、ちょっといやな予感がしたのだが、これはもうどうにもならない演奏である。聴き終える前に止めようかと思ったのを何とかこらえて聴き通して、がっくりとうなだれてしまった。全編通して、テンポもフレージングもバランスも、とにかく全部が変。第2楽章にしても、何の思いも感動もなく、ただスタスタと進めていくだけ。先の井上が、速めのテンポを取りながらもしっかりとこの楽章の抒情味を歌い出していたのに比べ、こちらは情趣のかけらもなく、ただ音符をなぞって片付けていくだけの作業をしている。腹立たしくさえ感じる。ロシアのオケらしい土俗的な響きが第3楽章の冒頭で聴かれて、「おおっ」と顔に明るい光が差し込むのも束の間、すぐに指揮者の棒に起因するトンチンカンな音楽になってしまう。やれやれ、である。ナクソスは何故、日本人指揮者を起用しなかったのだろうか。「楽譜だけを見て外国人が演奏すれば、こういうことになってしまう」というしょうもない失敗例が示されたという感じだ。それやこれやで、私にとってこのCDの価値は、ピアノと管弦楽のための<リトミカ・オスティナータ>をここで初めて聴けたという、その一点のみ。

素晴らしいライヴの思い出を残してくれた石井眞木氏は、もうこの世を去ってしまわれた。今後は誰が、この曲の感動や熱狂を伝えてくれるのだろうか。少なくとも私にとっては、それが外国人指揮者であるということは、まず考えられないのだが。

(PS)

ところで伊福部先生のクラシック作品には、映画のために書かれた音楽と重複するモチーフがしばしば発見される。先生ご自身の言葉によると、「映画のために書いた音楽の題材をもっと展開させたいと思った時は、クラシック作品として本格的に書き直すのです」ということなのだが、<シンフォニア・タプカーラ>もまた、映画と密接につながっているものの一例である。私はまだ観たことがないのだが、『大坂城物語』(1961年)という映画がある。この映画の中で、外国船に捕らえられた阿伊という女性を茂兵衛と才蔵が助け出すシーンというのがあるらしいのだが、その場面での音楽が、この<タプカーラ>第1楽章の締めくくりの何分かと、瓜二つにそっくりなのである。この部分は、≪伊福部昭・特撮映画マーチ集≫という一枚のCDに収められていて、それを聴いて私も初めてその事実を知ったのだった。ただし<シンフォニア・タプカーラ>の初稿は1954年なので、この場合は映画よりも先にクラシック作品の方が出来ていたという順番になるようだ。また、ひょっとしたら将来、何かのきっかけで他の転用箇所が見つかるかも知れない。
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<そして神は大いなる鯨を造りたもうた>

2005年04月20日 | 作品を語る
もう何年も前になるが、随分な贅沢をしたことがある。専門ショップに足を運び、何十万円も払って一通りの器具・装備を買い揃え、スキューバ・ダイビングをやったのだ。基本的なトレーニングを受けて、あとはそのショップが主催する週末のダイビング・ツアーに参加するという形。だが、その後は思うように予定がとれず、結局ほんの数回参加しただけでやめてしまったのだった。高価な装備も、ほどなく処分。大散財に終わった。

では何故そんなことを試みたのかと言えば、子供の頃の夏休みに家族で海へ泊りがけ旅行に行ったことがあって、そこでの体験が忘れらなかったからなのだ。あの感動をもう一度、そしてもっと深く味わいたいと思ったからである。その時の体験というのは、実は何という事でもない。水中メガネとスノーケルだけをつけて、海面をぷかぷか泳ぎ回りながら海の中の様子を見たというだけのことである。でもそれは、海から遠く隔たった山の中で生まれた私にとっては、一生の宝になるような感激的な体験だった。色鮮やかな魚たち、イソギンチャク、タコノマクラ、ゆらめく海藻のすき間からひょっこりと姿を見せたワタリガニ・・。素晴らしい別世界だった。背中の皮が二回もむけるほどひどい日焼けをしてしまったが、報われて余りある体験だった。それを大人になって、もっと深く味わうために海へ潜ってみたいと思い立ったのである。結果は上述の通り大散財に終わったが、それでも海中に潜ってこそ得られた体験は確かにあって、またそれなりの思い出も少しは出来たので、まるっきりの大損というわけでもなかった。

さて、もし海に潜っている時に、巨大な生き物が目の前にグォーッと現われたらどうだろうか。それがどれほど恐ろしいことか、私は自らの拙いダイビング体験から想像することが出来る。別に、映画『ジョーズ』に出てきたホオジロザメのような危険なものでなくても、巨大な海洋生物というのは、海の中で出会ったらやっぱり怖いのである。

本物のザトウクジラの声を録音したテープとオーケストラを共演させたのが、今回の標題に掲げたこの作品。アルメニアに出自を持ち、アメリカで活動し続けてきたアラン・ホヴァネスの作曲によるものである。弦が波を、金管が海底を表すものとされ、人類出現以前の太古の海を泳ぐクジラを描いたものだという。演奏時間12分あまりの、そんなに大きくはない管弦楽曲だが、中国の何とか皇帝がお出ましになりそうな壮大な前奏から始まるこの曲、私にはかなりのインパクトを与える作品である。

理由は他でもない、そのクジラたちの声である。曲の途中から彼らの声がキュオーン、グオオーン、と響き始めると私の背中には戦慄が走る。怖くなるのだ。海に潜っていたら巨大なクジラが現われて、私のすぐ頭の上をゴオォーッと通り過ぎてゆく、そんな感覚を覚えるからだ。大きくて安全な船の上からホエール・ウォッチングを楽しんでいるのではなく、彼らとともに私も海の中にいるのである。瞳孔が大きく開く。心臓の鼓動が激しくなる。息苦しさのあまり、背中にしょったボンベから必死に空気をむさぼる。・・そんな感覚体験をしてしまうから、怖くなるのである。しかし面白いもので、そういったインパクトがあるからこそ印象的な作品として心に残るわけで、私がこの曲に触れたジェラード・シュウォーツ指揮のデロス盤CDについて言えば、併録されていた他のホヴァネス作品(※六十何曲かある彼の交響曲の一つも、確か含まれていたはず。)は何一つ記憶に残っていないのである。

勿論、ここで語ったことは、たまたま私が個人的な体験から得た一つの感じ方に過ぎず、一般的には、曲想も色彩も変化に富んだ面白い作品として受け止める事が出来るものだろう。終り方もユニークだ。何だかサスペンスを盛り上げるような雰囲気で、ややや、ここから先はコリリアーノの世界だぞ、なんて思わせるところでスパッと終わる。興味の向きは、御一聴を。

【参考文献】

『作曲家1400人の作品紹介 名曲大事典』(音楽之友社・昭和60年)~544ページ
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テルテリャーンの交響曲第3番、第4番

2005年04月16日 | 作品を語る
前回語ったテルミンからの連想で、テルテリャーンの名前が思い浮かんだ。単に最初の二文字が同じというだけの、たわいのない理由からだが、気の向くままに語るというのが当ブログの身上なので、今回はアーヴェト・テルテリャーン(1929~1994)が作曲した二つの交響曲について語ってみたいと思う。具体的には、少し前に国内盤で聴くことの出来た<第3番>と<第4番>である。(※CDの解説によると、この人はアゼルバイジャンの生まれではあるが、大戦後アルメニアに移住して活躍したことで、一般にはアルメニアの作曲家ということになっているらしい。)

テルテリャーンは未完の<第9番>を含めて全部で9つの交響曲を書いているらしいのだが、そのうちの<第3番>と<第4番>がロリス・チェクナボリアンの指揮によるアルメニア・フィルの演奏で1996年にCD化された。そのうちの<第3番>はかなり激越な交響曲で、「爆裂音楽、大好き」というバーバリズム志向のクラシック・マニアなら聴き逃せない作品。<第4番>の方は、不穏な静けさと漸進的な高揚、そして心臓に悪い唐突な大音響で聴く者をたじろがせる。以下、この二つの交響曲についての簡単な解説と感想を述べてみたい。

<交響曲第3番>

12本のホルン、低弦部を強化した管弦楽、各種の打楽器群と民族楽器、そしてピアノというその楽器編成を見ただけで、この作品はちょっとただ物ではないということがわくわくと予感される曲だ。そして、そのわくわく感は決して裏切られることがない。

まず第1楽章出だしの2分半、いきなり打楽器軍団がドカドカドコドコ、ドシャーンと大音響を繰り広げる。これには度肝を抜かれる。そのあと突然静寂が訪れるのだが、チーンと鳴る鈴のような音にミュートをかけた金管のグリッサンド、そしてピチャッというムチの音・・いったい何が始まっているのでしょうか?それに続くは、ポェ~ペロペロ、ポェ~ペロペロのチャルメラ軍団。(※正しく言えば、これはチャルメラではなく、アルメニアの民族楽器。)一般的には「スコットランドのバグ・パイプが連想される音」とでも表現すべきだろうが、私の場合は、ずらりと並んだ屋台のラーメン屋さんにチャルメラをポェ~~!!と一斉に耳元で吹き始められたような恐怖を感じた。続いて、何か法螺貝みたいな音が出てきたと思ったら、また太鼓の爆裂音と金管群の咆哮、そして「戦闘開始!突撃―」といった感じの勇猛なリズム。続くは、弦の妖しげなグリッサンド。(※ブリテンが、歌劇<真夏の夜の夢>で使ったようなやつ。)そこからまたドカーーン!と太鼓の爆発。耳をつんざくような金管。そしてチーン・・チーン・・という静かな鈴音に続いて、曲はアタッカで第2楽章へ。何だかなあ・・。

弦の通奏に乗って、木管がわびしげな調べを吹く。中間部で鐘の音と各種の楽器が独特なリズムに乗って交錯し、その後再び、冒頭の弦と木管の調べに戻る。この第2楽章が、とりあえずソナタ形式っぽくなっているのだろうか。

激しい舞曲のリズムで始まる第3楽章は、再び爆裂サウンドの嵐。打楽器の爆発と金管の咆哮は第1楽章同様だが、ここではさらにピアノが加わってくる。勿論、チャルメラ軍団(?)も黙ってはいない。弦楽とムチのピチャッ!でフレーズの区切りがついたところへ、すかさずポェ~ペロペロ、ポェ~ペロペロ・・。そして、この楽章でピアノが聴かせるメラメラと炎が燃え上がるような音は、例えばスクリャービンの<アッラ・フィアンマ>とか、伊福部昭の<SF交響ファンタジー第2番>に出てくる「大怪獣バランのテーマ~バラダギ山神の歌」とか、ちょうどそのあたりを髣髴とさせるような激しいものである。ラスト2分ぐらいのところまで来ると曲はスッと静かになって、マーラーの<第9番>の冒頭のような雰囲気が一瞬漂い、そこからもう一度音楽が爆発して、静かに消え入るようなコーダとなる。演奏時間20分そこそこの、そんなに大きくはない作品だが、そのぶっ飛び迫力はメガトン級である。アルメニア国家賞受賞作。恐れ入りました。

<交響曲第4番>

単一楽章で書かれた約34分ぐらいの曲だが、先の<第3番>とは全く趣が違う。全体に不穏な緊張感を湛えた音楽だ。

まず、控えめな鐘の音がカーン、カーンと鳴った後、チェンバロが登場する。続いて弦楽が、音量を上げたり下げたりしながら、どこかリゲティ風の音型を繰り返す。これがこの曲の大部分を占める主要モチーフになっている。これは、かなり長く続く。各種の金管楽器やスネアのドラム・ロールが入ってからも、さらに弦による高揚は続く。そして、チェレスタが木管とともに宇宙的な音の世界を作り出す時間を経て、チェンバロのせわしない音型、リゲティ風の弦、遠巻きに聞こえてくるホルンなどが続いて、またチェンバロの爪弾き・・。

そんな感じで、こちらの作品は全体的にかなり不気味な静けさと緊張感に覆われたものなのだが、演奏時間表示が残り7分40秒ぐらいのところで控えめな太鼓のビートが聞こえてきたら、この曲を初めて聴く方はよくよくお気をつけいただきたい。うとうとし始めていたら、起きて欲しい。その後突然、ドカァーーン!!と物凄い爆発音が轟くからである。私が初めてこの曲を聴いた時は、凄絶な<第3番>を聴き終えて疲れた後だっただけに、実は<第4番>のそのあたりで頭が少しボヤンとしていたような状態だった。そのため、この爆発音には本当にびっくりしてしまい、もう心臓が止まるかと思った。受け狙いの冗談などではなく、ここは本当に心臓に悪い。身の安全のために、最初はボリュームを小さくして再生していただくのが安心かも知れない。一度経験してそこがわかっていれば、自然と身構えるようになるので、どうということもなくなってくる。とにかく、何も知らない状態での大音量再生は禁物である。

次回のトピックも、アルメニアつながりで持っていく予定。と言っても、あの有名なハチャトリャーン先生ではなく、アルメニア出自ながらずっとアメリカで活動していたアラン・ホヴァネスの作品を一つ、と思っている。

(PS)

先程、「一度経験してそこがわかっていれば、云々」ということを書いたが、これはいろいろな事に当てはまる話だと思う。少し前になるが、TVの深夜枠でケン・ラッセル監督の映画『アルタード・ステーツ』(※本来の英語の発音からすれば、『オールタード・ステイツ』と表記した方が近いだろう)が放送されたので、ビデオに録画して後で観た。コリリアーノが書いたサイケな音楽に乗って展開される強烈な幻覚映像に圧倒され、観終わった時にはもうぐったりと疲労してしまった。しかし、日を改めてもう一度観なおしてみたら、今度は余裕を持って観ることが出来たのだった。やはり一度経験して、流れがわかっていたからであろう。ここにご紹介したテルテリャーンの交響曲もかなり激しいものではあるが、様子がつかめて来ればそんなに怖くはないと言えそうだ。
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テルミン

2005年04月12日 | エトセトラ
前回登場した作曲家アンリ・ソーゲ(Henri Sauguet)の、最後のtをアルファベットでしりとりして、今回はテルミン(Theremin)についてちょっと語ってみたい。

ご存知の方も多くおられると思うが、一般にテルミンと言ったら、それは旧ソ連出身のレオン・テルミンなる人物がラジオのノイズの正体を調べようとして始めた研究がどんどん発展した結果、ついに発明されるに至った“世界初の電子楽器”のことを指す。これは言わば、シンセサイザーのご先祖みたいな楽器である。私も学生時代から、その名前だけは本の知識として得ていたものの、その楽器の実際の音がどんなものであるかとか、ましてや、その発明者がどんな生涯を送った人なのかなどということは知る由もなかった。しかし最近、この興味深い人物のドキュメンタリー映像を観ることが出来たのだった。(※映画『テルミン』~スティーヴン・マーティン監督 1993年・米)

テルミンという電子楽器は、細長い足の付いた四角い箱から二本のアンテナみたいな金属棒が突き出しているだけという、極めてシンプルな姿をしている。客席からの目線で見ると、左側の棒は箱の天井から垂直に立っていて、右側の棒は箱の横腹から水平に突き出している。演奏者は左右の手をその二本の棒に近づけたり遠ざけたり、あるいはぶるぶる震わせたりして音を出す。テルミンの大きな特徴の一つは、その機械に演奏者が手を触れずに音を出すということだ。箱の中にはいくつかのコイルみたいなものが並んでいて、それらが磁場を発生させているらしく、箱から突き出た二本のアンテナ棒に手を近づけるとその磁場が干渉されて、あの独特の音が作り出されるという仕組みのようだ。

モーグ・シンセサイザーの発明者であるロバート・モーグ氏もこの映画に出演していて、テルミンにまつわる思い出話や、その特徴の解説をしてくれている。氏の解説によると、テルミンの垂直ロッドは音程を調節するためのもので、下から上へ手を上げていくにつれて、音も高くなっていく。この楽器は、4オクターヴ半の音程を出せるものらしい。水平に突き出た棒は強弱の調節をするためのもので、手を近づければ音は弱くなり、手を放していくにつれて強くなっていくといった按配である。

ところで、この楽器の音を私はすでに子供の頃に(それとは知らずに)聞いていたらしいことが、ドキュメンタリー映画を観てわかった。テルミンは映画の効果音を作るものとして利用されていたのである。紹介されていたのは『白い恐怖』、『失われた週末』、『地球の静止する日』といった古い映画作品だが、そのうちの『失われた週末』は、私も昔TVで観た覚えがある。レイ・ミランドが演じる主人公はアルコール依存症に苦しむ男なのだが、その映画の一場面として、彼が椅子に腰をおろしてネクタイを緩め、ほっとしたその瞬間に酒の入ったグラスが目に入るというシーンがある。彼を誘惑するそのグラスがクローズ・アップされる時に鳴る、あのウィ~ヒュォ~という怪しい音こそ、実はこのテルミンの音だったのだ。「ああ、これだったのか」と納得した。また、私自身はまだ観ていないのだが、その関連の本によると、『地球の静止する日』はSF映画ファンなら知らぬ者なき名作らしい。監督は『サウンド・オブ・ミュージック』がよく知られたロバート・ワイズ、音楽担当はバーナード・ハーマンで、そこでは二台のテルミンが使用されていたという。テルミンそのものがメジャーな楽器として普及する事はなかったが、それが作り出す音は、こういった映画作品を通じて、案外多くの人の耳に届いていたということである。子供の頃怪獣映画やSF物が大好きで、邦画・洋画を問わず本当にたくさんの作品を観ていた私の場合、知らず知らずテルミンの音にかなり触れていたであろうことはほぼ間違いない。

映画『テルミン』には、他ならぬテルミン博士ご自身と、発明当時からの名演奏家であったクララ・ロックモア女史、その他数多くの関係者が出演しているが、その中に約一名、やけにテンションの高い人物がおられる。人気バンド、ビーチ・ボーイズの創立者であるブライアン・ウィルソン氏である。歳をとってもヤング・アダルトといった感じの若々しい風貌の持ち主だが、何よりもその話し方が思いっきり アメーゥリカン・ポァーップ!していて、なるほどこういう人だからああいう音楽作れたんだなあと、これまた思いっきり納得の瞬間であった。彼曰く、「『グッド・ヴァイブレーション』の大ヒットは、チェロとテルミンのおかげさ」。

「いかにも電気で作られたという感じの音で、どうにも気色悪い」と、嫌う人が出てきても仕方ないように思われるテルミンだが、微妙な手の動きによって音を調節するという何ともアナログ・ファジーなその操作法と、不思議な暖かさを持った音質によって、より新しい時代のシンセサイザーとははっきり一線を画するユニークな電子楽器である。

このドキュメンタリーの最後の方で、老いたテルミン博士が車の後部座席に乗って移動中のところを映し出す場面があるのだが、お疲れになったのか、何かを思い出したのか、博士がふと目を閉じてじーっと物思いに耽る表情を見せるところが、私には印象的であった。ふり返れば、旧ソ連のKGBだかに拉致されてマガダン(=収容所のある場所)へ送られたり、電子関係の技能を見込まれて盗聴器の製作をやらされたり、まあ随分と波乱に満ちた人生を送ったわけだから、思い出すことも忘れたい事もたくさんあるだろうなあと思った。

映画の最後に出たテロップによると、レオン・テルミン博士は1993年、97歳の高齢でこの世を去られたとのこと。
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