先頃まで続いた《ウンディーネ・シリーズ》の最後に語った作品は、ドヴォルザークの歌劇<ルサルカ>だった。主人公は美しい娘の姿がイメージされるキャラクターだったが、スラヴ民族の伝承によれば、水死した娘の魂がルサルカという名の「水と木の精」になるのだそうである。その肌はいかにも水死体らしく青ざめており、目は緑色をしているという。そこからふと、「ひょっとすると、この主人公はこの後ルサルカに変身するのかな」と思わせるオペラ・キャラが一人、私の脳裏に思い浮かんだのだった。今回のタイトルに掲げた歌劇の主人公、ハルカである。実はつい先日、当オペラについて非常に詳しい調査研究を行なった人の成果発表をネット上で見つけたのだった。
それは平岩理恵さんという方の、《スタニスワフ・モニューシュコの歌劇<ハルカ>に於ける諸版比較研究》という論文である。これは、上っ面の情報ばかりが氾濫するインターネット上では普段見つけることが出来ない種類の、稀有の力作と絶賛されるべきものだ。ポーランド国内でもまだ十分に研究が行なわれているとは言い難い作曲家について、外国人としてのハンディもものかはで、大変な時間と労力、そして情熱をつぎ込んで書き上げておられる。私にはその内容のすべてを理解する能力はないものの、とても興味深く読ませていただいた。
この論文から私が学ばせてもらったことの一つを挙げるなら、歌劇<ハルカ>には、オペラ作品としての姿や意義に歴史的な変遷があったという事実である。そのbottom lineに当たる文章をいきなり書いてしまうなら、「封建制度下に起こった一つの悲劇を描いた社会派オペラから、より普遍的な国民歌劇に変貌を遂げた作品」という感じになろうか。一般に、ポーランドの代表的な国民歌劇の一つのように位置づけられている<ハルカ>だが、この作品は必ずしも、書かれた当初からそういう物ではなかったということなのだ。そのあたりをもう少し具体的に言えば、このオペラの楽譜には複数の版が存在するということ。そしてその過程で加えられた補筆修正によって、作品の意義自体が微妙に変化する結果になったということである。(※ただし、平岩氏が述べておられるように、物語の本質的な部分は初稿以来変わっておらず、「改訂によっていくつかの舞曲やアリアが書き加えられた結果、オペラ作品として普遍的なアピール力を獲得していった」と見るのが妥当なようである。)以下、このオペラの話の流れを追ってみたい。
―歌劇<ハルカ>のあらすじ
〔第1幕〕
序曲に続いて、ポロネーズのリズムに乗った力強い合唱が始まる。領主ヤヌシュと、名門ストルニク家の令嬢ゾフィアの婚約を皆で祝っている場面である。そこへ、主人公ハルカの悲しげな歌が聞こえてくる。あの声は誰かしらと、戸惑うゾフィア。ハルカは領主ヤヌシュに騙されて遊ばれ、男女の関係まで持った村娘である。しかし、ここでヤヌシュは、自分は何も知らないといった素振りを見せる。
やがて、ハルカと面会したヤヌシュは、「お前を捨てたりはしないよ。しかし、とりあえず、ここには来ないでくれ」と、体(てい)よく彼女を追い払う。純情なハルカは男の言葉を信じて、その場を去る。その後、マズルカの舞曲が始まって祝宴が大きく盛り上がったところで、第1幕の終了。
(※平岩氏の論文によれば、第1幕を締めくくる壮麗なマズルカ舞曲は、当オペラの初稿であるヴィルノ版【1848年】には元々無かったものだそうだ。後に改定を経て、現今最も多く使用される最終稿・ワルシャワ版【1858年】で普通に使われるようになった訳だが、このあたりが、社会派オペラから国民歌劇に変貌を遂げたこのオペラの、一つのチェックポイントになりそうである。参考までに、同じモニューシュコの作曲によるもう一つの代表的歌劇<幽霊屋敷>では終曲間際15分ぐらいのところから、やはり絢爛たるマズルカ舞曲が出て来て華やかに場を盛り上げる。しかもそちらは、合唱付きの豪華版。)
(※歌劇<ハルカ>は開幕早々からポロネーズのリズムに乗った合唱が聴かれるが、歌劇<幽霊屋敷>もまた、勢いの良い舞曲を背景にした音楽で始まる。やはりこのあたりは、ポーランドらしさを演出する上での“お約束”の展開なのだろう。さらに言えば、国民歌劇的な民族素材の利用法ということになろうか。)
〔第2幕〕
短い前奏曲に続いて、ハルカのアリア。「哀れな孤児(みなしご)の私にも、愛しいヤヌシュがまた戻ってくれば・・」と、けなげに希望を歌う。そこへ、村の青年ヨンテックが登場。あまりにナイーヴ(=世間知らず)な彼女を笑う。しかし、彼は心からハルカのことを思っており、彼女に早く現実に気付いてほしいと願っている。「あの男がまた、君のところに来ると思うのかい?あいつは今、名門のご令嬢と婚約祝いの踊りを楽しんでいる最中なんだぜ」。
いたたまれない気持ちになったハルカは再びストルニクの屋敷に戻り、「中に入れて!私の赤ちゃんの父親が中にいるのよ」と入り口で叫ぶ。何の騒ぎだ、とパーティの客人たちが騒然とする。ハルカを追って一緒に来たヨンテックに向かって、ヤヌシュが言う。「お前がこの娘をうまくおさめてくれたら、あとで褒美をつかわすぞ」。花嫁となる令嬢ゾフィアは、いったい何が起こっているのかと戸惑うばかり。一同の騒然たる合唱で、第2幕が終了。
(※平岩氏の論文には、歌劇<ハルカ>の初稿と最終稿の歌詞対訳が比べやすいように並べられている。ただ、私が今持っているロベルト・サタノフスキの指揮による1986年10月14日のライヴ盤では、その両者の台本を折衷的に使用しているか、またはそれらの間に書かれた別の原稿を使っているようである。ちなみに、このCDの出演者は、B・ザゴルザンカ、W・オフマン、A・ヒオルスキ、他といったメンバーである。それぞれに、声とキャラクターがよく似合った好演を聴かせている。なお、この3人については、当ブログで昨2005年1月5日にシマノフスキの歌劇<ロジェ王>を語った際に、ごく軽くではあるが、言及したことがあった。)
続く後半部分、第3&4幕の内容については次回・・。
それは平岩理恵さんという方の、《スタニスワフ・モニューシュコの歌劇<ハルカ>に於ける諸版比較研究》という論文である。これは、上っ面の情報ばかりが氾濫するインターネット上では普段見つけることが出来ない種類の、稀有の力作と絶賛されるべきものだ。ポーランド国内でもまだ十分に研究が行なわれているとは言い難い作曲家について、外国人としてのハンディもものかはで、大変な時間と労力、そして情熱をつぎ込んで書き上げておられる。私にはその内容のすべてを理解する能力はないものの、とても興味深く読ませていただいた。
この論文から私が学ばせてもらったことの一つを挙げるなら、歌劇<ハルカ>には、オペラ作品としての姿や意義に歴史的な変遷があったという事実である。そのbottom lineに当たる文章をいきなり書いてしまうなら、「封建制度下に起こった一つの悲劇を描いた社会派オペラから、より普遍的な国民歌劇に変貌を遂げた作品」という感じになろうか。一般に、ポーランドの代表的な国民歌劇の一つのように位置づけられている<ハルカ>だが、この作品は必ずしも、書かれた当初からそういう物ではなかったということなのだ。そのあたりをもう少し具体的に言えば、このオペラの楽譜には複数の版が存在するということ。そしてその過程で加えられた補筆修正によって、作品の意義自体が微妙に変化する結果になったということである。(※ただし、平岩氏が述べておられるように、物語の本質的な部分は初稿以来変わっておらず、「改訂によっていくつかの舞曲やアリアが書き加えられた結果、オペラ作品として普遍的なアピール力を獲得していった」と見るのが妥当なようである。)以下、このオペラの話の流れを追ってみたい。
―歌劇<ハルカ>のあらすじ
〔第1幕〕
序曲に続いて、ポロネーズのリズムに乗った力強い合唱が始まる。領主ヤヌシュと、名門ストルニク家の令嬢ゾフィアの婚約を皆で祝っている場面である。そこへ、主人公ハルカの悲しげな歌が聞こえてくる。あの声は誰かしらと、戸惑うゾフィア。ハルカは領主ヤヌシュに騙されて遊ばれ、男女の関係まで持った村娘である。しかし、ここでヤヌシュは、自分は何も知らないといった素振りを見せる。
やがて、ハルカと面会したヤヌシュは、「お前を捨てたりはしないよ。しかし、とりあえず、ここには来ないでくれ」と、体(てい)よく彼女を追い払う。純情なハルカは男の言葉を信じて、その場を去る。その後、マズルカの舞曲が始まって祝宴が大きく盛り上がったところで、第1幕の終了。
(※平岩氏の論文によれば、第1幕を締めくくる壮麗なマズルカ舞曲は、当オペラの初稿であるヴィルノ版【1848年】には元々無かったものだそうだ。後に改定を経て、現今最も多く使用される最終稿・ワルシャワ版【1858年】で普通に使われるようになった訳だが、このあたりが、社会派オペラから国民歌劇に変貌を遂げたこのオペラの、一つのチェックポイントになりそうである。参考までに、同じモニューシュコの作曲によるもう一つの代表的歌劇<幽霊屋敷>では終曲間際15分ぐらいのところから、やはり絢爛たるマズルカ舞曲が出て来て華やかに場を盛り上げる。しかもそちらは、合唱付きの豪華版。)
(※歌劇<ハルカ>は開幕早々からポロネーズのリズムに乗った合唱が聴かれるが、歌劇<幽霊屋敷>もまた、勢いの良い舞曲を背景にした音楽で始まる。やはりこのあたりは、ポーランドらしさを演出する上での“お約束”の展開なのだろう。さらに言えば、国民歌劇的な民族素材の利用法ということになろうか。)
〔第2幕〕
短い前奏曲に続いて、ハルカのアリア。「哀れな孤児(みなしご)の私にも、愛しいヤヌシュがまた戻ってくれば・・」と、けなげに希望を歌う。そこへ、村の青年ヨンテックが登場。あまりにナイーヴ(=世間知らず)な彼女を笑う。しかし、彼は心からハルカのことを思っており、彼女に早く現実に気付いてほしいと願っている。「あの男がまた、君のところに来ると思うのかい?あいつは今、名門のご令嬢と婚約祝いの踊りを楽しんでいる最中なんだぜ」。
いたたまれない気持ちになったハルカは再びストルニクの屋敷に戻り、「中に入れて!私の赤ちゃんの父親が中にいるのよ」と入り口で叫ぶ。何の騒ぎだ、とパーティの客人たちが騒然とする。ハルカを追って一緒に来たヨンテックに向かって、ヤヌシュが言う。「お前がこの娘をうまくおさめてくれたら、あとで褒美をつかわすぞ」。花嫁となる令嬢ゾフィアは、いったい何が起こっているのかと戸惑うばかり。一同の騒然たる合唱で、第2幕が終了。
(※平岩氏の論文には、歌劇<ハルカ>の初稿と最終稿の歌詞対訳が比べやすいように並べられている。ただ、私が今持っているロベルト・サタノフスキの指揮による1986年10月14日のライヴ盤では、その両者の台本を折衷的に使用しているか、またはそれらの間に書かれた別の原稿を使っているようである。ちなみに、このCDの出演者は、B・ザゴルザンカ、W・オフマン、A・ヒオルスキ、他といったメンバーである。それぞれに、声とキャラクターがよく似合った好演を聴かせている。なお、この3人については、当ブログで昨2005年1月5日にシマノフスキの歌劇<ロジェ王>を語った際に、ごく軽くではあるが、言及したことがあった。)
続く後半部分、第3&4幕の内容については次回・・。