クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

歌劇<ハルカ>(1)

2006年01月28日 | 作品を語る
先頃まで続いた《ウンディーネ・シリーズ》の最後に語った作品は、ドヴォルザークの歌劇<ルサルカ>だった。主人公は美しい娘の姿がイメージされるキャラクターだったが、スラヴ民族の伝承によれば、水死した娘の魂がルサルカという名の「水と木の精」になるのだそうである。その肌はいかにも水死体らしく青ざめており、目は緑色をしているという。そこからふと、「ひょっとすると、この主人公はこの後ルサルカに変身するのかな」と思わせるオペラ・キャラが一人、私の脳裏に思い浮かんだのだった。今回のタイトルに掲げた歌劇の主人公、ハルカである。実はつい先日、当オペラについて非常に詳しい調査研究を行なった人の成果発表をネット上で見つけたのだった。

それは平岩理恵さんという方の、《スタニスワフ・モニューシュコの歌劇<ハルカ>に於ける諸版比較研究》という論文である。これは、上っ面の情報ばかりが氾濫するインターネット上では普段見つけることが出来ない種類の、稀有の力作と絶賛されるべきものだ。ポーランド国内でもまだ十分に研究が行なわれているとは言い難い作曲家について、外国人としてのハンディもものかはで、大変な時間と労力、そして情熱をつぎ込んで書き上げておられる。私にはその内容のすべてを理解する能力はないものの、とても興味深く読ませていただいた。

この論文から私が学ばせてもらったことの一つを挙げるなら、歌劇<ハルカ>には、オペラ作品としての姿や意義に歴史的な変遷があったという事実である。そのbottom lineに当たる文章をいきなり書いてしまうなら、「封建制度下に起こった一つの悲劇を描いた社会派オペラから、より普遍的な国民歌劇に変貌を遂げた作品」という感じになろうか。一般に、ポーランドの代表的な国民歌劇の一つのように位置づけられている<ハルカ>だが、この作品は必ずしも、書かれた当初からそういう物ではなかったということなのだ。そのあたりをもう少し具体的に言えば、このオペラの楽譜には複数の版が存在するということ。そしてその過程で加えられた補筆修正によって、作品の意義自体が微妙に変化する結果になったということである。(※ただし、平岩氏が述べておられるように、物語の本質的な部分は初稿以来変わっておらず、「改訂によっていくつかの舞曲やアリアが書き加えられた結果、オペラ作品として普遍的なアピール力を獲得していった」と見るのが妥当なようである。)以下、このオペラの話の流れを追ってみたい。

―歌劇<ハルカ>のあらすじ

〔第1幕〕

序曲に続いて、ポロネーズのリズムに乗った力強い合唱が始まる。領主ヤヌシュと、名門ストルニク家の令嬢ゾフィアの婚約を皆で祝っている場面である。そこへ、主人公ハルカの悲しげな歌が聞こえてくる。あの声は誰かしらと、戸惑うゾフィア。ハルカは領主ヤヌシュに騙されて遊ばれ、男女の関係まで持った村娘である。しかし、ここでヤヌシュは、自分は何も知らないといった素振りを見せる。

やがて、ハルカと面会したヤヌシュは、「お前を捨てたりはしないよ。しかし、とりあえず、ここには来ないでくれ」と、体(てい)よく彼女を追い払う。純情なハルカは男の言葉を信じて、その場を去る。その後、マズルカの舞曲が始まって祝宴が大きく盛り上がったところで、第1幕の終了。

(※平岩氏の論文によれば、第1幕を締めくくる壮麗なマズルカ舞曲は、当オペラの初稿であるヴィルノ版【1848年】には元々無かったものだそうだ。後に改定を経て、現今最も多く使用される最終稿・ワルシャワ版【1858年】で普通に使われるようになった訳だが、このあたりが、社会派オペラから国民歌劇に変貌を遂げたこのオペラの、一つのチェックポイントになりそうである。参考までに、同じモニューシュコの作曲によるもう一つの代表的歌劇<幽霊屋敷>では終曲間際15分ぐらいのところから、やはり絢爛たるマズルカ舞曲が出て来て華やかに場を盛り上げる。しかもそちらは、合唱付きの豪華版。)

(※歌劇<ハルカ>は開幕早々からポロネーズのリズムに乗った合唱が聴かれるが、歌劇<幽霊屋敷>もまた、勢いの良い舞曲を背景にした音楽で始まる。やはりこのあたりは、ポーランドらしさを演出する上での“お約束”の展開なのだろう。さらに言えば、国民歌劇的な民族素材の利用法ということになろうか。)

〔第2幕〕

短い前奏曲に続いて、ハルカのアリア。「哀れな孤児(みなしご)の私にも、愛しいヤヌシュがまた戻ってくれば・・」と、けなげに希望を歌う。そこへ、村の青年ヨンテックが登場。あまりにナイーヴ(=世間知らず)な彼女を笑う。しかし、彼は心からハルカのことを思っており、彼女に早く現実に気付いてほしいと願っている。「あの男がまた、君のところに来ると思うのかい?あいつは今、名門のご令嬢と婚約祝いの踊りを楽しんでいる最中なんだぜ」。

いたたまれない気持ちになったハルカは再びストルニクの屋敷に戻り、「中に入れて!私の赤ちゃんの父親が中にいるのよ」と入り口で叫ぶ。何の騒ぎだ、とパーティの客人たちが騒然とする。ハルカを追って一緒に来たヨンテックに向かって、ヤヌシュが言う。「お前がこの娘をうまくおさめてくれたら、あとで褒美をつかわすぞ」。花嫁となる令嬢ゾフィアは、いったい何が起こっているのかと戸惑うばかり。一同の騒然たる合唱で、第2幕が終了。

(※平岩氏の論文には、歌劇<ハルカ>の初稿と最終稿の歌詞対訳が比べやすいように並べられている。ただ、私が今持っているロベルト・サタノフスキの指揮による1986年10月14日のライヴ盤では、その両者の台本を折衷的に使用しているか、またはそれらの間に書かれた別の原稿を使っているようである。ちなみに、このCDの出演者は、B・ザゴルザンカ、W・オフマン、A・ヒオルスキ、他といったメンバーである。それぞれに、声とキャラクターがよく似合った好演を聴かせている。なお、この3人については、当ブログで昨2005年1月5日にシマノフスキの歌劇<ロジェ王>を語った際に、ごく軽くではあるが、言及したことがあった。)

続く後半部分、第3&4幕の内容については次回・・。
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過去の記事タイトル一覧(101~150)

2006年01月23日 | 記事タイトル一覧表
今回は、第101~150番。

101. <サロメ>の演奏史(4)~ダウンズ(映像)、ドホナーニ : 2005年9月10日
102. 過去の記事タイトル一覧(1~50) : 2005年9月14日
103. 過去の記事タイトル一覧(51~100) : 2005年9月15日
104. 歌劇<メフィストフェレ>の聴き比べ : 2005年9月20日
105. 歌劇<ポホヤの人々> : 2005年9月24日
106. 歌劇<村のロミオとジュリエット> : 2005年9月28日
107. 冨田勲の世界 : 2005年10月2日
108. 冨田勲とクラシックBGM : 2005年10月6日
109. アイヌ文化とクラシック作品 : 2005年10月10日
110. <シンフォニア・タプカーラ>【改訂投稿】 : 2005年10月14日
111. エディプス王 : 2005年10月19日
112. <エディプス王>の聴き比べ(1) : 2005年10月23日
113. <エディプス王>の聴き比べ(2) : 2005年10月27日
114. プーランクの三大歌劇 : 2005年10月30日
115. ノーマン、アマゾン、一周年 : 2005年11月3日
116. <アマゾン川>と<アマゾンの森> : 2005年11月7日
117. <ショーロス第10番> : 2005年11月11日
118. <ショーロス第10番>の聴き比べ : 2005年11月15日
119. クラシックの標題よもやま話 : 2005年11月19日
120. 短い曲名、長い曲名、まぎらわしい曲名 : 2005年11月23日
121. 芥川也寸志の交響作品 : 2005年11月27日
122. 四大元素と妖精たち : 2005年12月1日
123. フーケーの『ウンディーネ』 : 2005年12月5日
124. 『ウンディーネ』、『オンディーヌ』、『人魚姫』 : 2005年12月9日
125. 四つの<オンディーヌ>~ドビュッシー、三善、ヘンツェ、ラヴェル : 2005年12月14日
126. 歌劇<ウンディーネ>(1) : 2005年12月19日
127. 歌劇<ウンディーネ>(2) : 2005年12月23日
128. 歌劇<沈鐘>(1) : 2005年12月27日
129. 歌劇<沈鐘>(2) : 2005年12月31日
130. 歌劇<沈鐘>(3) : 2006年1月3日
131. 歌劇<ルサルカ>(1) : 2006年1月8日
132. 歌劇<ルサルカ>(2) : 2006年1月14日 
133. 《ウンディーネ》~まとめと補足~ : 2006年1月19日
134. 過去の記事タイトル一覧(101~150) : 2006年1月23日
135. 歌劇<ハルカ>(1) : 2006年1月28日
136. 歌劇<ハルカ>(2) : 2006年2月2日
137. 歌劇<イスの王様>(1) : 2006年2月6日
138. 伊福部昭先生の訃報 : 2006年2月10日
139. 歌劇<イスの王様>(2) : 2006年2月18日
140. 歌劇<三王の恋> : 2006年2月22日
141. 歌劇<イオランタ> : 2006年2月27日
142. 歌劇<イオランタ>の聴き比べ : 2006年3月5日
143. 歌劇<フランチェスカ・ダ・リミニ> : 2006年3月9日
144. <大聖堂の殺人> : 2006年3月13日
145. <熊野補陀落(くまの ふだらく)> : 2006年3月19日
146. オデュッセウス(=ユリシーズ) : 2006年3月22日
147. 歌劇<ウリッセの帰郷>(1) : 2006年3月28日
148. 歌劇<ウリッセの帰郷>(2) : 2006年4月2日
149. 歌劇<ウリッセの帰郷>(3) : 2006年4月5日
150. ダラピッコラの歌劇<ウリッセ>(1) : 2006年4月9日
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《ウンディーネ》~まとめと補足~

2006年01月19日 | エトセトラ
今回は、《ウンディーネ・シリーズ》としてこれまで語ってきた作品の整理と、枠の関係で前回までに書けなかった内容の補足である。まず、これまでにご紹介してきた作品群を系統別に整理しておきたい。フーケー作品に見られる二大モチーフを出発点にして、それぞれから出来上がっている系譜を一覧にしてみると、おおよそ以下の通りになろうかと思う。

{ フーケーの『ウンディーネ』に見られる2つの重要モチーフと、それぞれの系譜 }

第1のモチーフ : 精霊(エレメント)は、人間との愛の絆によって魂を得ることが出来る。
第2のモチーフ : 精霊界にある貞節の掟を破る人間は、死の報復を受ける。

●第1&2の両方のモチーフを踏襲した作品

=ジロドゥの戯曲『オンディーヌ』

●第1のモチーフを踏襲した作品

=アンデルセンの『人魚姫』→ツェムリンスキーの交響詩<人魚姫>

●第2のモチーフを踏襲した作品

=ハウプトマンの象徴劇『沈鐘』→レスピーギの歌劇<沈鐘>

●第2のモチーフに加えて、『人魚姫』と『沈鐘』の要素も包含する作品

→ドヴォルザークの歌劇<ルサルカ>

●フーケー作品を直接土台にした音楽作品

→ホフマンの歌劇<ウンディーネ>
→ロルツィングの歌劇<ウンディーネ>
→三善晃の音楽詩劇<オンディーヌ>
→ドビュッシーのピアノ曲<オンディーヌ>(《前奏曲集・第2巻》~第8曲)
→ヘンツェのバレエ音楽<オンディーヌ>

●A・ベルトランの詩をもとにした音楽作品

→ラヴェルのピアノ曲<オンディ-ヌ>(《夜のガスパール》~第1曲)


※チャイコフスキーが書いた2作目の歌劇も、フーケー原作の<ウンディーネ>だったと伝えられるが、それは上演には至らず、その断片が後にあちこちで利用されることになったらしい。

※プロコフィエフも、13~16歳にかけてフーケー原作による『ウンディーネ』のオペラ・スコアを書いていたらしいのだが、その上演記録や録音等については不明。

※ダルゴムイシスキーの歌劇<ルサルカ>については、最近フェドセーエフの指揮による全曲CDが出ていることを確認したのだが、内容については不詳。

―当然のことながら、上記の作品群以外にも、<ウンディーネ>関連の音楽作品がまだ存在する可能性は十分にある。とにかく『ウンディーネ』は、数多くの作曲家に創作の霊感を与えた物なのである。

続いて、「フーケーが『ウンディーネ』を創作するに当たって、きっと参考にしたであろう」と専門家の間で考えられている伝説・伝承について補足しておきたい。

{ フーケーが『ウンディーネ』の題材にしたであろうと考えられている伝説・伝承 }

1.メルジーネ伝説

当ブログでもかつてトピックにして軽く触れたことがあるが、下半身がヘビという謎の女性を巡るヨーロッパの伝説。彼女に提示された「土曜日に私を見ちゃイヤよ」というタブーを破ったことで、その男の家系が滅びる。このメルジーネを人魚の一種として語る伝承もあり、ヨーロッパの各地にいくつかのヴァリエーションが散在する。ちなみに、メンデルスゾーンが序曲<美しきメルジーネ>を書くきっかけとなったクロイツァーのオペラ台本には、人魚姫的な要素が包含されていたようである。

メルジーネについてのまとまった物語としては、14世紀末にジャン・ダラスなる人物が書いたものが現今よく知られている。その話によれば、彼女がヘビ女になった経緯は以下のようになるらしい。

〔 メリュジーヌ(←フランス語読み)の父は、アルバニア国王だった。狩の最中、彼は森の中でプレジーヌと名乗る美しい女と出会い、結婚した。出産には立ち会わないという約束を王が破ったので、プレジーヌは三人の娘を連れて姿を消す。後に父王の約束破りを知った娘たちは、王を山に閉じ込めたが、まだ彼を愛していたプレジーヌは怒って、娘たちに呪いをかけた。その結果メリュジーヌは、普通に男性と結婚できれば人間となって最後の審判で救われるが、土曜日に姿を見られたらヘビ女に戻るという定めになった。その後メリュジーヌは結婚まではこぎつけたものの、結局正体を夫に見られて姿を消すことになった訳である。 〕

2.シュタウフェンベルク伝説

ペーター・フォン・シュタウフェンベルクという騎士が、森の中で謎の美女に出会う。「あなたがこれまでうまく成功して来られたのは、私の加護のおかげなのよ」というような事を、女は騎士に言う。さらに彼女は、いつでも騎士の望むままに愛を与えてやろうと告げる。そのかわり、決して誰とも結婚してはいけないという条件も出す。そして契りの指輪を受け取った騎士は、この女との奇妙な愛情生活に入るのだが、やがて周りの人たちが騎士に結婚を勧めるようになる。騎士は、自分とずっと関わっている謎の女の事を話す。僧侶たちは、「それは魔物だ。手を切りなさい」と進言する。結局騎士は、国王の姪に当たる美しい姫と結婚するのだが、女の予告通り、結婚式の三日後に彼は死んでしまう。

これで、当ブログの《ウンディーネ・シリーズ》は終了である。シリーズの最初に、「四大元素の妖精たちの中でも、ウンディーネには特別な存在感がある」と書いたことの意味を、この何回かで一応、それなりに語れたのではないかと思う。

【 参考文献 】

『水の音楽』(青柳いづみこ・著)みすず書房

(PS)

★カール・ライネッケの<フルート・ソナタ>Op167に、「ウンディーネ」の標題あり。1885年頃の作とされる。

★ジョージ・テンプルトン・ストロングの交響詩<オンディーヌ>については、当ブログ2007年1月5日の記事に解説あり。
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歌劇<ルサルカ>(2)

2006年01月14日 | 作品を語る
前回からの続きで、今回はドヴォルザークの歌劇<ルサルカ>の後半部分。第2幕後半から、第3幕終曲まで。

第2幕(後半) 王子の城~つづき

外国の王女と、彼女の味方につく王子によって悲しみのどん底に突き落とされたルサルカは、外へ飛び出す。するとそこには、懐かしい水の精の男ワッサーマンがいた。彼と出会ったルサルカは突然声を取り戻し、悲しい気持ちを歌い始める。

(※ルサルカのつらい状況を見ながら歌うワッサーマンの悲しげなアリアは、このオペラの中でも大きな聴きどころの一つである。「かわいそうなルサルカ。人間界に彼女の幸福はなく、水の世界に戻された後は、死をもたらす呪いの存在になり果てる。かわいそうなルサルカ」。中間部で極めて印象的なメロディが流れるこのアリアは、プロフォンドな声を持つバス歌手にとっては非常に歌いがいのある曲だろう。このワッサーマンのアリアと、婚礼を祝う合唱が交錯する展開は、喜びと悲しみのコントラストが鮮烈に浮かび出して、劇的な効果に富む。)

(※ここでルサルカが絶望的な気持ちを訴える歌は、何かせき立てられる様なテンポで歌われる。「彼の心は、他の女性のもの。私には、彼女のような情熱がない。冷たい水から生まれたから。王子には見捨てられ、水の世界からは呪われて、私は虚しいこだま。人の妻になれず、水の精にも戻れない。死ぬことも出来ず、生きることも出来ない・・」。)

そこへ、王子と外国の王女が登場。ルサルカは王子の腕に飛び込むが、ゾッとした王子は彼女を突き飛ばす。ワッサーマンが怒りに満ちた声で、間もなく王子に訪れる死の宿命を予告する。そして、ルサルカを伴って水の中に消えていく。恐ろしくなった王子は、「私を助けておくれ」と外国の王女にすがりつく。しかし彼女は、「あなたは、ご自分で選んだお嫁さんのところへ行きなさいよ」と、彼に肘鉄を食わせて去っていく。

(※この場面は笑える。何が笑えるかと言えば、この王子の情けなさである。オペラ・ブッファのキャラでもないのに、こんな情けない王子もちょっと珍しい。彼につけられた音楽に魅力がないのは、どうも作曲家に嫌われたからではないかという気もしてくる。一方、外国の王女が漂わせる雰囲気の、何とまあ堂々としていること!ルサルカが基本的にリリコ・スピントのソプラノであるのに対して、この王女はドラマティック・ソプラノ、またはメゾ・ソプラノの声が合っている。)

第3幕 再び、湖のほとり

狐火になって、ゆらゆらと漂っているルサルカ。かつての美しい金髪も、すっかり灰色。すべてに背を向けられた悲しみを歌う。そこへ、魔女イェシババが登場。「あんたが救われる方法が、たった一つだけある。このナイフで王子を刺し殺すんだよ。そして王子の暖かい血をすすれば、あんたは水の精に戻れるんだ」。しかしルサルカは、そんな事は出来ないと答える。「じゃあ、好きにしな」と魔女は去っていく。ルサルカは、ナイフを湖に捨てる。やがて、水の精たちの歌声が聞こえてくるが、その内容はルサルカへの絶縁の言葉であった。

(※「ナイフで王子を殺して、その血で・・」と来れば、これはまさに『人魚姫』のプロットである。ここで聴かれる水の精たちの合唱は美しいものだが、やがて、「お前は、あたしたちの踊りに二度と入ってくるんじゃない。泥沼の上で、人魂どもといつまでも揺らめいているがいい」と、ルサルカに対して過酷な内容を歌い始めるのである。)

森番と皿洗いの小僧が、魔女イェシババのもとにやってくる。「王子の重い病は、逃げ去った不気味な花嫁の呪いだろうから、助ける方法を教わってこい」と人に言われて、恐る恐るここへ頼みに来たのであった。ルサルカのことを徹底的に悪く言う小僧の言葉に激怒したワッサーマンが突然出現し、「どっちのせいか、分かっておるのか」と一喝する。森番と小僧の二人は死ぬほど驚いて、「ギャアー、河童のお化けー」とわめきながら逃げ去って行く。その後、第1幕の冒頭のように、木の精たちがワッサーマンを囲んで踊り始めるのだが、彼の方はもうそんな気分ではない。

王子が登場。「私の白い牝鹿よ。・・戻ってきておくれ」と、ルサルカへの仕打ちを後悔している気持ちを歌う。そこへルサルカが現れ、王子に「私はもう、あなたに死をもたらすだけの存在よ」と告げる。しかし王子は、「それでいい。私にキスしておくれ。私にやすらぎを与えておくれ」とルサルカに告げ、彼女の接吻を受ける。王子は死ぬ。「人間の魂に、神の祝福を」と歌いながら、ルサルカも静かに湖底に消えていく。(終)

―以上のような訳で、ドヴォルザークの歌劇<ルサルカ>は、主人公がウンディーネの末裔であると同時に、作品としては『人魚姫』のプロットも引き継ぎ、さらに『沈鐘』の影響も色濃く反映しているという、究極の(?)ウンディーネ・オペラなのであった。さて次回は、《ウンディーネ・シリーズ》の締めくくりとして、これまでにご紹介してきた作品の整理と、一回ごとの枠の関係で割愛してきた話の補足をしておきたいと思う。

(PS) ドヴォルザークの交響詩<水の精>

晩年のドヴォルザークが作曲したいくつかの交響詩の中に、<水の精>というのがある。しかし、これは『ウンディーネ』や<ルサルカ>とは全く別系統の作品である。エルベンの詩集『花束』に題材をとったもので、以下のような不気味な筋書きを持つ。音楽はしかし、そんなに陰惨なものではない。ご参考までに・・・。

〔 水の精の男と結婚した人間の娘が、里心を出して実家の母のもとにいったん帰る。しかし、母が止めたこともあって、約束した期日になっても彼女は夫のところへ戻らなかった。怒れる水の精が彼女の家の戸口までやって来て、二人の間に産まれていた赤ん坊の惨殺死体を置いて去って行く。 〕
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歌劇<ルサルカ>(1)

2006年01月08日 | 作品を語る
ドヴォルザークの代表的歌劇<ルサルカ>。このオペラの主人公ルサルカも、ウンディーネの末裔である。それも、当シリーズの掉尾を飾るに相応しい究極の(?)ヒロインである。このオペラは、前回までに語ってきたロルツィングの<ウンディーネ>やレスピーギの<沈鐘>と比べたら遥かに有名な作品なので、ここではストーリーを細かく追う形はとらずに、その粗筋と音楽的な聴き所だけをチェックしていく展開にしたいと思う。今回はその前半部分に当たる第1幕と、続く第2幕の前半までを扱う。

第1幕 湖のほとりの草地。

まず、4分程度の短い序曲。水の精の男を表す動機に始まり、フルートによるルサルカの動機など、重要な音楽的モチーフが提示される。

(※序曲の冒頭で、チェロの旋律に控えめなティンパニが添えられる音型が聞かれるが、これが水の精の男を表す動機とされている。この「タタタタ、ターンタ」というリズムは、ハウプトマンの『沈鐘』に出て来る水の精ニッケルマンの鳴き声「ブレケケ、ケックス」を音符化したものだという専門家の指摘がある。また場面設定も、『沈鐘』の舞台風景に近い物になっているらしい。なお、このドヴォルザーク・オペラに登場する水の精の男は、本によってはドイツ語流にワッサーマンという名前で紹介されることもある。当ブログでも便宜上、今後はその呼称を使おうと思う。)

序曲に続いて、踊りながら笑いさざめく3人の木の精たちの合唱。彼女たちはワッサーマンを取り囲み、からかって楽しむ。

(※伊達男気取りの年老いた男を若い娘たちが取り囲んで笑うという開幕風景は、ワグナーの<ラインの黄金>を思わせるが、このオペラに登場する水の精ワッサーマンは、アルベリヒなどとは全く違って善良そのものの男である。ところで、この開幕早々に聴かれる「木の精たちの合唱」では、いきなりドヴォルザーク節全開の素晴らしいオーケストラ伴奏が楽しめる。ワッサーマンの動機を土台にした強烈な連打音。ゴキゲンな土俗的高揚感が最高だ。)

ハープのアルペッジョに乗って登場したルサルカと、ワッサーマンの対話。水浴に来た人間の王子を見て、恋をしてしまったというルサルカ。「人間って、魂を持っているんですってね。私も人間になりたいわ」。驚くワッサーマン。続いて、有名なルサルカのアリアが聴かれる。

(※この対話の中で聞かれるルサルカのセリフから、彼女がウンディーネから人魚姫に引き継がれたモチーフをそのまま踏襲していることが分かる。また、彼女が登場して間もなく歌うアリア「白銀(しろがね)の月よ」は、美しい旋律の多いドヴォルザークの声楽曲の中でも屈指の名曲である。この歌の最後で、ルサルカの願いもむなしく月が雲に覆われてしまうのは、何か暗い運命を予告しているかのようだ。)

ルサルカは決意して、魔法使いの老婆イェシババのところへ行く。ここで老婆は、次のようなことをルサルカに言う。「魔法の薬は作ってあげるけど、かわりにその妖精の衣をいただくよ。それにあんた、人間の世界に行ったら、愛の証(あかし)を手にするまで声が出なくなる。そしてもし、その愛を得られなかったら、あんたは水の世界に引き戻されて、深い淵で永遠に呪われ続けることになるんだ。その上、あんたのいい人も道連れになる。それでもいいのかい」。

(※「人間になったら、声が出なくなる」というのは、『人魚姫』のプロットそのものである。そして「愛を裏切られたら、自分自身が死の使いとして相手の男を死なせねばならない」という設定は、ウンディーネからラウテンデラインに引き継がれたモチーフである。)

イェシババが、いかにもおとぎ話に出て来そうな呪文の言葉を歌いながら、魔法の薬を作る。「かわいそうなルサルカ」と嘆くワッサーマンの声が響いてくる。やがて、牝鹿を狩で追ってきた王子が登場。人間になったルサルカと出会い、惹かれる。「ねえ、一人足りないわよ」とささやき合う水の精たちの声を耳にしてルサルカは瞬時ためらうが、決意したとおり、王子に手を差し伸べて一緒に城へ向かう。

(※終曲部分は、力強い音楽。しかし、後々にまた確認されることなのだが、このオペラに登場する王子の歌には、あまり魅力がない。)

第2幕 王子の城の庭

森番と皿洗い小僧の対話。「王子様が森で出会った怪しい娘と、結婚するらしいよ」と話している。二人はルサルカを気味悪い存在と見ており、嫌悪感をあらわにしている。そこへ、王子とルサルカが現れる。王子は、会って以来全く物を言わない花嫁に対して苛立つ思いを隠さない。外国の王女が続いて登場。彼女は、「私が座りたいところに、他の娘がいるのよねぇ」と歌い始め、やがてルサルカを悪しざまに見下げた態度を取る。さらに王子までもが、王女の側についてしまう。いたたまれなくなったルサルカは、一人で走り去る。やがて城の広間では、婚礼を祝う祝典の音楽が鳴り始める。

(※この部分では、王子がルサルカへの不満を吐露するつまらない歌よりも、外国の王女の迫力ある存在感が目を引く。そして音楽的には、婚礼の祝典音楽が聴き物だ。華々しいファンファーレに導かれた、いかにも晴れやかな曲想の舞曲が流れる。これは本当にゴキゲンな音楽で、聴いていると心がウキウキしてくる。)

第2幕の後半から最後の第3幕については、次回・・。
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