クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

若き日のチェリと、キレまくりサバタ

2006年12月31日 | 演奏(家)を語る
今回は、年末年始特番の第3回。2人の異能(?)指揮者のレアな録音について。

●クアドロマニア盤に聴く若き日のチェリビダッケ

「クアドロマニア」と呼ばれる一連の4枚組廉価ボックス・シリーズがある。クアドロ(=quadro)は数字の4を表す単語だから、これは、「マニアのための4枚組」みたいな意味で付けられた名前だろう。元の音源が古いこともあって、このシリーズはとても安い。昨年来、私もいくつかのセットを買ったのだが、その中の一つが、『セルジュ・チェリビダッケ マエストロ・プロフォンド』であった。

正直言ってチェリビダッケは、私には全く縁遠い指揮者である。しかし若い頃の彼、つまり、「フルトヴェングラーの後を継いでベルリン・フィルを任されることになるのはカラヤンか、それともチェリビダッケか」と言われていた頃の彼がどんな演奏をしていたのか、ということにはずっと興味があった。かつて古い映像で観たベルリン・フィルとの演奏での、あのやたらアブない風貌と気色悪い指揮姿もその気持ちを駆り立てるに十分な力があった。

赤い箱に入った4枚のCDには、期待通り、若い頃の彼がベルリン・フィルを振った演奏が中心に収められている。ハイドンの<驚愕>(1946年)、メンデルスゾーンの<イタリア>(50年)、チャイコフスキーの<ロミオとジュリエット>(46年)、ドビュッシーの<海>(47年)と<遊戯>(48年)、ブゾーニの<ヴァイオリン協奏曲>(49年)、そしてショスタコーヴィチの<第7番>(46年)といったところだ。しかし私の感想としては、これらベルリン・フィルとの演奏よりも、併録されたロンドン・フィルとの2つ、即ちモーツァルトの<交響曲第25番>とチャイコフスキーの<交響曲第5番>(いずれも1948年)の演奏の方が断然面白かった。

ベルリン・フィルとの演奏は、良くも悪くも、若い指揮者の棒である。あの晩年のスタイルとは似ても似つかない、しゃきしゃきとした音楽で活気がある。それ自体は、好ましいポイントだ。ハイドンの第2楽章など、あざといまでの音の仕掛けで、聴く者を本当に驚愕させる。が、その一方で、何か音楽がつんのめり気味で安定感に欠けていたり、逆に何を言いたいのか分からないような凡演も多く目につく。だからカラヤンに負けたんだ、とかそんな単純な話ではないだろうが、とりあえず、ここで聴かれるベルリン・フィルとの演奏には総じて、あまり惹かれるものを私は感じなかった。

しかし、ロンドン・フィルとの2曲はかなり面白かった。何が面白いって、その異様なテンポ設定である。まずモーツァルトの方だが、これは第1楽章の激しい疾走がとりあえず聴き手を惹きつける。「さすがに、音楽が若々しいなあ」と思わせる。ところが第2楽章に入ると、ドド、ドヨーンとテンポが遅くなって、音楽が異様な暗さに沈んでいくのである。一体何事だ?それが第3、4楽章になるとまた落ち着いたテンポになって、割と普通の感じで終わる。う~ん・・。もっと凄いのはチャイコフスキーの<第5番>で、特に前半2つの楽章は晩年のスタイルさながらのびっくり仰天超スロー・テンポ。でも遅いだけのワン・パターンではなく、速いところはひたすら速い。伸縮自在、やりたい放題なのである。つまり同じスロー・テンポでも、スコアの深読みから音楽を緻密に練り上げていった晩年の芸風とはだいぶ趣が違うのだ。要するに、「ここは、うーんとゆっくりやりたい。逆にこっちは、ガンガン飛ばして」という、若さ溢れる表現意欲が前面に出ていたのではないかと思われるのである。このスタイルで後半2つの楽章も徹底してくれていたら、もっと面白かったのだが。―という訳で、このロンドン・フィルとの2曲が聴けただけでも、お値段分の価値は十分あったのだった。 

(※ところで、晩年に超スロー・テンポの音楽ばかりやっていたという点では、あのレナード・バーンスタインもそうだった。彼も若い頃は全開バリバリのイケイケ演奏を多くやっていたのだが、上記チェリビダッケの<チャイ5>のように、あれっ、と思わせるような音源につい数年前出会った。1963年に録音されたドヴォルザークの<交響曲第7番>である。バーンスタインが若い頃に<ドヴォ7>をやっていたというのはちょっと意外だったが、外盤で入手したCDを聴いて、あれまあ、と思ったのである。晩年のスタイルを思わせるような、何ともゆったりしたテンポのスロー演奏。勿論、それはあくまで若い指揮者の音楽ではあったのだが、へえ、こういうのもあったのか、とひとしきり唸ってしまった。)

●キレまくりサバタの『20世紀レパートリー』

ヴィクトール・デ・サバタという指揮者は、マリア・カラスとの<トスカ>全曲(EMI)が名高い録音ではあるものの、一般のクラシック・ファンに広く親しまれている人物とは言い難いように思える。上記<トスカ>以外の正式な録音セッションと言えば、あとはヴェルディの<レクイエム>(EMI)ぐらいしか確かなかったから、無理もない話だ。オペラ・ファンなら、他にカラスとの<マクベス>全曲ライヴ(EMI)なども思いつくだろうが、それだってポピュラーな物とはとても言えない。しかし、これら3点の録音からも伝わってくるとおり、彼がただならぬ力量の持ち主であったことは間違いなく事実なのである。

このサバタがコンサート指揮者としてどんな演奏をやっていたか、ということに私は前々から興味があった。そして昨年、廉価レーベルのArchipelというところから出ているCDで、『デ・サバタ 20世紀レパートリー』と題された2枚組を入手し、今年に入ってからじっくり聴いた。これには1947年から53年にかけてのライヴが中心に収められているのだが、特にウィーン・フィルとの2曲が凄かった。

極めつけは、ラヴェルの<ラ・ヴァルス>。添えつけのブックレットによると、1953年に行なわれたザルツブルクでのライヴ録音らしい。これ、かなり異常な演奏である。なだらかなワルツをねっとり歌わせるのは、まあいいとして、演奏が進むに連れてその音楽の異様さがどんどん目立ってくる。曲の最後の部分に至ると、ついにこの指揮者は完全にキレて、もう言語を絶するハチャメチャ、ドシャガシャの凶暴サウンドで締めくくるのだ。これがラヴェル?これがウィーン・フィル? 同じコンビによるもう1曲、R・シュトラウスの交響詩<死と変容>も、<ラ・ヴァルス>ほどではないものの、相当にイってしまった演奏だ。病人が生と死の狭間で葛藤する場面など、その取り乱し方が尋常ではない。いずれにしても、ウィーン・フィルの音をトタン工場の花火事故みたいにしちゃったサバタの感性と腕前は、やはりただものではないと言うべきだろう。w 

上記2曲に次ぐのは、ラフマニノフの<パガニーニの主題による狂詩曲>だろうか。これはニューヨーク・フィルとの1950年3月のライヴで、ピアノ独奏はアルトゥール・ルビンシュタイン。何だか急き立てられるような緊張感を持った演奏で、豪快なソロをサバタが特有のかんしゃく玉サウンド(?)で支えていく。

あと、これはおそらくボーナス・トラックという感じで付けられている物だと思うが、2枚目の最後にサンフランシスコ響とのリハーサル風景が少しだけ収められている。で、これがなかなか楽しい。やっているのは、<サロメの踊り>。演奏の途中あちこちでストップをかけて楽員への指示や注意が入るので、曲自体をゆっくり楽しむことは出来ないものの、この指揮者ならではの音楽世界はしっかりと味わえる。そして、最後の通し演奏が終わった瞬間が、何とも微笑ましい。 “Thank you,gentlemen.”という指揮者の言葉が出ると同時に、オーケストラのメンバーが、「ああ~、終わった、終わった~」という感じで、一斉にみんな安堵の息をついて帰り支度を始める様子が、短い時間ながら記録されているのだ。ちょっと現場をのぞき見させてもらった感じ。

最後に一つ。このCDのジャケット表紙下部に書かれた“Desert Island Collection”という一句を目にした時は、噴き出して笑った。これを日本語にすれば、「無人島コレクション」である。誰がこんな物を、無人島にまで持って行きたいなんて思うかあ!(爆)
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<ヒロシマ>、W・キラール、<至福>

2006年12月26日 | 作品を語る
今回は、年末年始特番の第2回。前回の別宮作品からの連想を出発点に、いくつか思いついた物を並べてみたい。

●大木正夫 : 交響曲第5番<ヒロシマ>、他 (ナクソス盤)

前回語った別宮貞雄の第4交響曲は終戦の夏を標題に掲げ、作曲者の心に大きな影響を与えた戦争がテーマとして語られていた。私が今年買って聴いたCDの中に、そこから連想される物が一つある。大木正夫の交響曲第5番<ヒロシマ>である。これは描いている対象が生半可でなく凄い物なので、全編にわたって重苦しい雰囲気が支配する暗い作品だ。

全曲を聴き通した感想としては、やはり最後の『悲歌』が、この作品の総決算になっているように思えた。「人類の良心の声」や、死んでいった少年少女へのレクイエムといったような肯定的ファクターと見なされる音楽素材と、戦争の脅威や原子爆弾といった否定的ファクターと見なされる物が、交互に現れてせめぎ合う。しかしそれらがアウフヘーベンして、より高次元の解決に向かうことは決してない。それどころか、後者の否定的ファクターの方が楽章全体を通して優勢にさえ聞こえるのだ。声楽を伴わない器楽のみで描かれたこの暗鬱な死の世界は、聴く者の頭(こうべ)を終始垂れ続けさせる。

●W・キラール : <ピアノ協奏曲>、<神の母>、他 (ナクソス盤)

今年CDを買って聴いた曲の中に、現代ポーランドの作曲家ヴォイチェフ・キラールによる<神の母>というのがあった。日本語の解説帯によると、これは平和への祈りというテーマで書かれたものらしい。上記の<ヒロシマ>からふと今連想されたのだが、正直言うと、この曲はあまり私にはピンと来なかった。そのCDではむしろ、併録された<ピアノ協奏曲>の方が面白かった。

映画音楽の分野でも有名らしいキラールの作品については、実は何年か前に同じナクソス盤で、<エクソダス>や<アンジェラス>等を収めた1枚を買って聴いたことがあった。で、これがまあ、何と言うか、かなりアブナイ音楽。同一音型が執拗に繰り返されながら次第に盛り上がっていき、それが大音響に達した後もまだ終わらない、みたいな作風だった。ミニマル風のパターンがひたひたひたひた、ひたひたひたひたと迫りながら、じわじわ、じわじわ、粘っこくクレシェンドしていくのである。合唱と管弦楽にソプラノ独唱が加わる大作<アンジェラス>は特に強烈で、「うおおっ、そ、そこまでやっておきながら、まだ続くのかあっ」と、聴きながらのけぞらずにはいられなかった。具体的なタイミングで言えば、〔15:30〕のあたり。「あ、ここで終わりかな」などと思ったら、とんでもない。そこからまた、ひたひた、ひたひたと始まるのだ。w

今年聴いた<ピアノ協奏曲>も、そのような繰り返しパターンみたいな物が使われている点では共通している。が、上記のCDで聴かれたような異常性(?)は随分後退しているので、精神面での安全度は高い。w 第1楽章「アンダンテ・コン・モート」は、ピアノ独奏が微妙に表情を変えながら類似音型を繰り返し、オーケストラによる背景が映画音楽風のきれいなメロディを付け添えていくというパターン。これは非常に把握しやすく、また親しみやすい曲である。続く第2楽章「コラール」では、どこかの教会で聞かれそうなコラール主題が繰り返される。で、面白いのは、それを訥々(とつとつ)と弾くピアノが、何だかベートーヴェンの曲をやっているみたいに聞こえる点。第3楽章「トッカータ」は、派手に騒がしく盛り上げる曲。1997年に書かれたという比較的新しい作品だが、以上見てきた通り、何だか“ごった煮風”の構成になっている。(※ところで、この作曲家の名前だが、ナクソス盤CDでは「キラル」と表示されている。「キラール」と伸ばすのと、どちらがより原音に近いのだろう?)

●フランク : オラトリオ<至福>

昨日12月25日は、クリスマス。それにちなんで今回は、イエス・キリスト様がご登場になる作品で締めくくることにしたい。ベルギーの作曲家セザール・フランクと言えば、<交響曲>や<ヴァイオリン・ソナタ>等がとりわけ有名だが、自身が敬虔なカトリック教徒だったこともあって、彼は宗教的な声楽曲も相当数遺していたようだ。オラトリオ<至福>(1879年)も、その一つ。これは『プロローグ』と8つの『至福』から構成され、8人の独唱者と合唱団、そしてオルガン付きの管弦楽を要求する大がかりな作品である。

しかし、その大がかりな音楽とは対照的に、テキストの設計は至ってシンプルなものだ。まず人間の心に巣食う悪と善が前半で語られ、最後はイエス・キリストの言葉によって救われるというパターンを、各『至福』で毎度繰り返すのである。別にクリスチャンでも何でもない私の場合、単に「珍しい物が中古で見つかったから、ちょっと聴いてみるか」という程度の軽い気持ちでCDを買ったに過ぎないのだが、聴いてみて非常に気に入った曲が一つある。

『第3の至福』である。これは非常に良い。他の7曲とはいささか趣が異なって、この曲は音楽がかなり“オペラティック”に書かれているのだ。パターンは他の『至福』と同じで、まず前半で地上の苦しみが歌われる。ここでは孤児(Ms)、妻を失った夫(T)、息子を失った母(A)、夫を失った妻(S)といった人たちが、おのがじし苦しみや悲しみを歌う。それからいくつかの楽曲が展開した後、最後にイエス(Bar)が登場し、「悲しむ人は幸いである。その人は慰められるであろう」と語って聞かせるわけである。で、この『第3の至福』で凄いのは随所に出て来る合唱で、これが何とも迫力に満ちた楽想を壮大に歌い上げるのだ。このオペラ的表現、私は気に入った。ヒジョーに気に入った。フランクせんせー、やるじゃあーりませんか。w 

―さて次回へのつなぎは、久々にアルファベットのしりとり。<至福>のフランス語原題であるLes Beatitudesの最後のsを受けて、指揮者セルジュ・チェリビダッケ(Sergiu Celibidache)の古い録音を採りあげてみたい。それと、ついでにもう一人、名字に大文字のSがあるイタリアの指揮者ヴィクトール・デ・サバタ(Victor de Sabata)のコンサート音源も、ちょっと語ってみようかと思う。
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別宮貞雄の交響曲と『マタンゴ』

2006年12月20日 | 作品を語る
今回から、年末年始特番である。第1回はやはり日本人の作曲家から、ということで、交響曲と映画音楽の両分野にわたる別宮貞雄(べっく さだお)氏の作品について語るところから始めたい。

●別宮貞雄 : <交響曲第1&2番> (ナクソス盤)、他

別宮貞雄の交響曲というのは全部で5曲あるそうなのだが、私の場合は、かつて若杉弘&都響による<第3&4番>(1993年1月27日・サントリーホール・ライヴ フォンテック盤)をCDで聴いたのが最初になる。今回の特番で別宮氏の交響曲を採りあげた理由は、<第1&2番>を今年になって初めて、ナクソスのCDでじっくり聴いたからである。

<第1&2番>については、やはり最初の第1番(1961年)の方がとっつきやすい音楽に感じられた。まず、第1楽章の出だしが非常に良い。これを聴いた時、私は思わず、「○○石鹸がお送りする、奥様・愛の劇場」みたいな昼メロのテーマ音楽を連想してしまった。w つまり、それだけ分かりやすいということだ。片山杜秀氏の熱血(!)解説によると、この最初の楽章は、「あこがれ」をイメージしたものだそうである。なるほど・・。次の第2楽章は、「たたかい」。木琴がストラヴィンスキーの<火の鳥>みたいに活躍する、嵐みたいな音楽。続く第3楽章は、「なげき」。全体に陰鬱で重々しい雰囲気が漂う。このあたりも、分かりやすい展開。最後の第4楽章には、「・・・そしてまた」という標題がもともとあったらしい。ここでは、片山氏のいわゆる「ルーセル風の第1主題」が中心的役割を担っていて、これが勢いよく曲を盛り上げる。確かに、音楽がルーセルしている。コーダで再び、第1楽章の奥様・愛の劇場(?)が呼び戻されるのだが、これが即ち、「・・・そしてまた」という意味になるもののようだ。作曲者自身の言葉によると、「西洋近代の伝統的な交響曲形式の中に、私の気持ちをどのようにつぎ込めるかという試みだった」そうな。

しかし、次の第2番(1977/2004年)には、正直言って、お手上げ。昼メロ風のメロディの断片や木琴の活躍に、第1番との共通点がちょっとだけ感じられたものの、全体に把握困難な音楽だ。荒れる第1楽章、沈思黙考する第2楽章、パッサカリア風の第3楽章。しかし、どうもつかめない。別宮氏の言葉によると、「西洋19世紀風の音楽にとらわれず、自分の心によりぴったり合う響きを求め、厳しい音による3楽章にまとまったもの」だそうである。って、言われてもなあ・・。

作曲者自身が、「西洋19世紀風の音楽を避けようなどとは考えず、自由に思いのままに歌おうとした。第2番に対する反動とも云える物」と語る第3番(1984年)は、再び分かりやすい音楽になる。この交響曲には、シューマンの第1番やテオドラキスの第7番と同じく、<春>という標題が付いている。ホルンのソロと賑々しいファンファーレで始まる第1楽章「春の訪れ」、人々が浮かれる様を描く第3楽章「人は踊る」、それぞれにかなり具体的で理解しやすい。しかし、「花咲き、蝶は舞い・・・」という標題が添えられた第2楽章こそ、この曲の中でも最も親しみやすい部分と言えるだろう。いかにも春らしい、暖かいのどかさと平和な気分に満ち、木管が歌いだす鳥の声が彩りを添える。この雰囲気、実に良い。

<夏 1945年>と題された第4番(1991年)は、またヘヴィーな曲。テーマは、終戦の年の夏である。第1楽章の副題になっている「妄執・オブセッション」は、作曲家にとっての強迫観念であった戦争を示唆するものらしい。同一のリズム・パターンがしつこく張り付いたように繰り返され、いかにもオブセッションという言葉を具現化している音楽だ。第2楽章「苦闘・ストラグル」は、楽曲としては一種のスケルツォ的な性格を持っている。木琴の活躍がここでも聴かれる。最後の第3楽章「解放・リベレーション」は、解決の音楽。別宮氏いわく、「敗戦は破局であると同時に、解放の始まりでもあった」ということで、グレゴリオ聖歌の<レクイエム>を引用して犠牲者への追悼を行いつつ、最後は喜びの音楽で締めくくるという設計になっている。

残念ながら第5番はまだ聴く機会を得ていないのだが、上記の4作品について言えば、やはり第1番と第3番が比較的親しみやすいものに思える。

―ところで別宮貞雄氏は、東宝映画『マタンゴ』(1963年)の音楽も担当していた。放射能変異による恐怖のキノコ人間を描いたこの映画は、大映映画の『大魔神』第1作などと同じように、一部マニアの間でカルト的な人気を得ている作品だ。

と言っても、そこでの別宮氏は、伊福部先生のような存在感出しまくりのドロドロ音楽(?)は書いていない。東宝のロゴ・マークと一緒に出て来る冒頭の音楽こそ不気味ムードいっぱいだが、タイトル・テーマ曲になると、これが何とも意外。海に浮かぶヨットの画像を背景にして流れる音楽は、まるで当時の青春映画にでも使えたんじゃないかと思えるぐらい軽やかで楽しげなのである。だから一層、その後に始まるドラマのおどろおどろしさが引き立つという仕掛けなのかもしれない。

水野久美さんが演じるマミに手引きされて、土屋嘉男さん演じる笠井がついにマタンゴを口にする時に流れる音楽、あれなど一つの形にまとまった音楽作品と言えそうだ。マタンゴを食べながら笠井が見る幻影は、東京の夜のネオン街。どこかの怪しげな店で繰り広げられる、ステージ・ショーの女たちである。電子オルガンやサクソフォンなどが活用された、まあいかにも、という感じの音楽がその場面に付けられている。

(※ところで、この道のファンの間では常識になっている話だが、マタンゴは食べると本当に美味しいのだそうだ。素材は老舗の和菓子店に注文した「おしんこもち」で、それに当時の円谷組のスタッフが遊び心で砂糖やきな粉を混ぜて仕上げたものらしい。映画の中で土屋さんが、まるで綿菓子をほおばる子供のように幸せな顔をするのも、八代美紀さん演じる明子が、「せんせー、おいしいわあ」とうれしそうな顔をして見せるのも、どうやら演技だけではないようだ。 )

さて、映画『マタンゴ』が観る者に突きつけてくる問いかけは、「あなたなら飢えて死にますか?それとも、マタンゴを食べて化け物になってでも生き続けますか?」という二者択一である。考えたら結構ヘヴィーなテーマではあるのだが、そこがやっぱり東宝映画らしいというか、本多猪四郎監督らしいというか、そんなに陰惨な衝撃を残す作品にはなっていないように私には思える。水野久美さん演じるマミがキノコを食べても化け物にならず、逆に妖艶な美人に変わるという展開は本多監督のアイデアだったそうだ。お優しいこと。あるいは、福島正実氏の原作にはあったらしい、村井研二と相馬明子の激しい性行為シーンも映画の台本からはカットされている。「子供たちもきっと観に来るから」という配慮があったのだろうが、このあたりの健全志向がいかにも東宝映画らしい。

最後に一つ。この映画の音響効果として最も印象に残るものは何かと言ったら、それはもう、あのマタンゴたちの不気味な声であろう。子供がキャハキャハ、ケラケラと笑う声、大人がホッホッホッと笑う声、これらが加工されて素敵に気持ちの悪い効果音に仕上がっているのだ。その子供の声は確か、『ウルトラQ』の「悪魔っ子」で使われていたと思う。大人の声はもっと有名で、これはあのバルタン星人の声のルーツである。と、その前にケムール人。懐かしいなあ・・。(※『ウルトラQ』と言えば、あのテーマ曲を始めとする各種の背景音楽が非常に効果的だったが、それらを書いていた宮内国郎氏が先月11月の27日に亡くなられたそうだ。おそらく仏式の葬儀が行なわれたものと拝察し、ご冥福をお祈りしたい。)

―という訳でこの『マタンゴ』、ある世代の東宝映画ファンには、ちょっと思い入れのある作品なのであった。あれ、別宮センセーの話は?ま、いいや。フォーッホーッホーッホッ・・・。
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歌劇<イーゴリ公>(5)

2006年12月15日 | 作品を語る
ボロディンの歌劇<イーゴリ公>・第5回。今回は、最後の第4幕。

〔 第4幕 〕

戦によって荒れ果ててしまったプチヴリの町。ヤロスラヴナが一人佇(たたず)んで、悲しい思いを歌にする。「私はカッコウ鳥になって飛んで行き、カヤラ川に袖を浸そう。そして、我が夫の傷口を拭いてあげたい・・」。

(※このヤロスラヴナの歌の中で、夫のイーゴリ公がアリアの中で歌ったものと同じメロディが繰り返して聴かれるのが注目ポイント。これはひょっとしたら、遠く離れていても心が通い合っている夫婦の姿を表現しているのかも知れない。)

(※先にご紹介した森安達也氏の『イーゴリ遠征物語』によると、ここに出て来るカッコウ鳥というのは、実際にはカモメと解釈するのが妥当なようである。原語の「ゼグジツァ」は確かにカッコウと訳せる単語ではあるらしいのだが、ウクライナ地方の鳥類に関する研究成果から、実体はカモメであろうと推測出来るのだそうだ。ヤロスラヴナの言葉にある「カヤラ川に袖を浸す」という行動も、カモメの習性にこそ一致するものらしい。ちなみに同書によると、在原業平が歌に詠んだと伝えられる都鳥(みやこどり)も、その正体はユリカモメだそうである。)

(※森安氏の著作から得られる知識を、もう一つ。ヤロスラヴナというのは、「ヤロスラフの娘」という意味の言葉で、彼女本来のファースト・ネームはエフロシニヤというのだそうだ。イーゴリ公の後妻として嫁いだ時には、わずか16歳だったという。また、悪役である彼女の兄ガリツキー公も、本当の名前はウラジーミル・ヤロスラヴィチである。これは、「ヤロスラフの息子ウラジーミル」という意味だ。たまたま、主人公であるイーゴリ公の息子もウラジーミルという名前なので、混乱を避けるため当ブログではずっと、「ヤロスラヴナの兄ガリツキー」で通したのだった。ちなみに、イーゴリの息子ウラジーミルをロシア語流に言えば、ウラジーミル・イーゴレヴィチということになる。なお、このウラジーミルはヤロスラヴナの子ではなく、イーゴリ公と先妻の間に生まれた息子である。)

「こんな姿になってしまったのは、グザーク汗にやられたからだ」と、プチヴリの人々がうなだれて行進していった後、ヤロスラヴナは遠くから2人の男が馬に乗って近づいてくるのを目にする。やがて、そのうちの一人が夫のイーゴリ公であると分かり、彼女は大喜び。そしてついに、夫婦は感激の再会を果たす。

敵に囚われたイーゴリ公のことをそれまでさんざんからかっていたスクラとエロシュカの2人も、イーゴリの帰還を知るや、態度をコロッと変える。「おーい、みんな喜べー!我らの公がお戻りだぞー」。お調子者2人にあきれる人々も、「まあ、うれしい出来事だから、こいつらも許してやろう」と寛容な言葉を送る。そして、イーゴリ公の帰還を喜ぶ人々の大合唱による華々しい終曲。

(※という訳で、イーゴリ公は無事に帰国し、愛する妻と再会することが出来た。めでたし、めでたし。ところで、一旦は断ったオヴルールの脱出計画を、その後どんないきさつでイーゴリが受け入れて実行することになったか、あるいは、彼らの脱出行にどんな“神と自然の御加護”があったか、そのあたりの説明はオペラにはないが、原典の『イーゴリ公遠征譚』の中ではしっかりと語られている。興味の向きは、ご一読を。)

―以上で、歌劇<イーゴリ公>は終了。お疲れ様。

(PS) ロシア国民楽派の2つの流れについて

今回は枠に余裕があるので、ちょっと知ったかぶりのお話、と言うか、本の受け売り話を一席。イタリアに学んだミハイル・グリンカ(1804~57)がロシア国民音楽の土台を作り、多くの作曲家がその後に続いたというのは周知の通り。歌劇<ルスランとリュドミラ>に強く感化され、自らルスラニストであることを明言していたR=コルサコフも勿論、その一人である。しかし近代ロシアの音楽史を語る際には、グリンカと並んでもう一人、その出発点となった人物として忘れてはならない作曲家がいる。

アレクサンドル・ダルゴムイシスキー(1813~69)である。グリンカがイタリアの流儀をもとにした作風で、アリアとレチタティーヴォをはっきり区分けしつつ、随所にロシア民謡等の民族素材を盛り込んだのに対し、ダルゴムイシスキーは全く別のスタイルを打ち立てた。それは、もっぱらレチタティーヴォを中心にドラマを運び、ロシア語の特徴から劇的内容まで、すべてを音楽の言葉に移し変えていくという手法である。このデクラメーション(=朗唱)様式は、後にムソルグスキーによって完成されることになる。さらに言えば、そのムソルグスキーに深く傾倒し、20世紀ソヴィエトの時代に衣鉢を継いだのが、あのショスタコーヴィチであった。

(※先頃当ブログで語ったR=コルサコフの歌劇<モーツァルトとサリエリ>が異色の作品に見えるのは、基本的にはグリンカの流儀を引き継いでいた作曲家が、その出来上がりの姿に於いて、ダルゴムイシスキーの様式に近づいたような物を書き上げることになったからである。)

ところで、そのダルゴムイシスキーの作品だが、私がこれまでに聴いたことがあるのは、ほんの数曲しかない。まず、<毛虫>などの歌曲がいくつか。これは、エフゲニ・ネステレンコ(B)の来日リサイタルがNHK-TVでオン・エアされた時に視聴したものだ。もう何年前になるのだろうか・・。後は、ドン・ジョヴァンニの物語を題材にした<石の客>の一部。これもやはり随分昔、確かFM放送で聴いたものだったと思う。しかし、それらの中で私に音楽的な感動を与えてくれたものは、残念ながら一つもなかった。彼の作品を理解するにはやはり、ロシア語の素養が必要なのだろう。

【 参考文献 】(※いずれも、音楽之友社)

『スタンダードオペラ鑑賞ブック 5 フランス&ロシアのオペラ』 ~124ページ

『オペラ・キャラクター解読事典』 ~186、187ページ  

★〔年末年始特番〕開始!

さて、次回からの予定について。R=コルサコフが補筆完成させた名作オペラの話をまだ続けてみよう、という考えはあるのだが、時期がこれから年末年始に入る。そこで、今やっているシリーズはちょっと休憩にして、これからしばらく、〔年末年始特番〕と銘打った特別記事のシリーズを“気ままに”書いていきたいと思う。

テーマを具体的に言えば、「今年(2006年度)買って聴いたCDの中で、特に印象に残った物」である。こういう話題は、今のような年末年始こそがチャンスだと思う。また、「厳密に言えば買ったのは去年だが、今年に入ってからじっくり聴いたCD」というのも、せっかくなので、この特番に含めて扱っていきたい。オペラ以外の話に普段なかなか触れられずにいるので、それらをまとめて採りあげることが出来るという意味でも、これは絶好のチャンスである。

次回はその第1回となるが、やはり最初は日本人の作曲家から始めてみることにしたい。
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歌劇<イーゴリ公>(4)

2006年12月10日 | 作品を語る
前回の続き。ボロディンの歌劇<イーゴリ公>・第4回。このオペラの中で最も有名な、『ポロヴェッツ人の踊りと合唱』が出て来る場面から。

〔 第2幕 〕 ~続き

ポロヴェッツの陣営。夜明け。猛将コンチャク汗(ハン)が、イーゴリ公のもとに現れる。彼はイーゴリへの敬意を表明しつつ、有名なアリアを歌う。「カヤールの合戦であなたは傷つき、そして捕虜となった」と一旦は始めるものの、すぐに、「いや、違う。あなたは私の親愛なる客人だ」と言い直し、豪快な調子の歌を続ける。さらに、イーゴリ公と手を組むことまで希望している彼は、「絶世の美女たちがおる。好きな女を選んでくれ」と、イーゴリの気持ちをなびかせようと努力する。そして、コンチャク汗の命令一下、あの有名な『ポロヴェッツ人の踊りと合唱』が始まる。男女が入り混じっての激しい踊りと、「コンチャク汗を讃えよう」と歌う大合唱が圧倒的な熱狂を生み出し、その興奮が頂点に達するところで第2幕が終了。

(※M=パシャイエフ盤でコンチャク汗を歌っているのは、重鎮マルク・レイゼン。先述のA・ピロゴフと並ぶ大ボリス歌いだった人だ。ここでも深みと威厳のある豊かな声を活かして、スケールの大きなコンチャク汗を聴かせてくれる。いや、凄い貫禄である。ハイライトとなる『ポロヴェッツ人の踊りと合唱』では、当時のボリショイ劇場合唱団の土俗的なパワーが聴き物。オーケストラも豪快。ただこの演奏、太鼓の音が何とも控えめで、引っ込んだ感じになってしまっているのが残念だ。あのドコドンドン、ドコドンドンをもっと派手にやってほしかった。)

(※全体に平凡な演奏を展開しているハイティンクだが、『ポロヴェッツ人の踊りと合唱』に入るや、ここぞとばかりに燃え上がる。M=パシャイエフとは対照的に、彼はあざといぐらいに太鼓を強調し、これでもか、これでもかと煽り立てる。コヴェント・ガーデンの合唱団、そして舞台上の踊り手たちも熱演を見せ、これはかなり楽しめる演奏に仕上がった。ここでコンチャク汗を歌っているのは、パータ・ブルチュラーゼ。カラヤン晩年の<ドン・ジョヴァンニ>で歌った騎士長、あるいはアバドの<ホヴァンシチナ>で歌ったドシフェイなどで、常人離れした豊かな声を披露してくれた人だ。が、ここでの存在感は、正直言って今一つの印象である。と言うより、上記のレイゼン、そして次に出て来るヴェデルニコフがちょっと凄すぎるのだ。)

(※エルムレル盤でコンチャク汗を歌っているのは、アレクサンドル・ヴェデルニコフ。スヴェトラーノフが指揮したショスタコーヴィチの<森の歌>でバス独唱を担当していた人と言えば、思い当たるファンの方も多いように思う。もう、とんでもなくアクの強い声を持ったバス歌手である。しかし、コンチャク汗というのはまさに、彼のような強烈な声でこそ生きてくる役でもあるのだ。これこそ、適材適所!ところで、このエルムレル盤、『ポロヴェッツ人の踊りと合唱』でも勿論力演が聴かれるのだが、曲の後半で右スピーカーから出て来る男声合唱が引っ込み気味になっているのが残念。もっと前面に、ガンガン出してほしかった。)

(※ついでの話だが、エルムレルの<イーゴリ公>について、ここで一つ付け足しておきたい話がある。当ブログで2年前にイワン・ペトロフを語った時にも触れたことなのだが、エルムレルは当1969年録音とは別に、記念碑的な<イーゴリ公>の全曲ライヴを指揮している。これはNHK-FMで1987年10月11日と18日に放送されたので、おそらくボロディンの没後100年記念だったのではないかと思われるのだが、当時のソ連が国を挙げて、「ボロディン・フェスティヴァル」みたいなものをやったことがあったのである。これは作曲家ボロディンの全作品を演奏しようという一大企画で、歌劇<イーゴリ公>はその中でも最大のハイライトだった。当時の名歌手たちを一同に揃え、このオペラのスペシャリスト的存在であったエルムレルがタクトを執った。詳しい配役や演奏の細かい部分は残念ながらもう忘れてしまったが、これも凄い上演だったと記憶する。勿論、『ポロヴェッツ人の踊りと合唱』も、大変な豪演であった。もし、このライヴ音源がボリショイ劇場かどこかに保存されているなら、是非ともCD化してほしいものである。)

(※映画版ソフトでは『踊りと合唱』に他の場面が交錯して入ってくるので、一つの曲としての一貫性は失われている。この作品を映像付きで楽しむなら、一般的には、NHKでかつて放送されたこともあるゲルギエフのライヴが妥当な選択だろう。彼独特のはたきつけるような爆裂サウンドには、強烈な迫力がある。ただし、そちらの歌手陣は総じて小粒。)

〔 第3幕 〕

ポロヴェッツの陣営。遠くから、『ポロヴェッツ人の行進曲』が響いてくる。やがて、「我らがグザーク汗を讃えよ」という勇壮な合唱がそれに加わり、音楽が大きく盛り上がる。続いてコンチャク汗が、戦勝祝いの歌を豪快に歌い始める。

ひとしきり続いた大騒ぎの後、ポロヴェッツ人たちは皆グーグーと寝入ってしまう。これがチャンスとばかりイーゴリ公は、オヴルールの手引きに従って脱走計画を実行に移す。しかし、息子のウラジーミルは、必死にすがりつくコンチャコヴナの熱い想いにほだされて、すっかり挙措(きょそ)を失う。コンチャコヴナが銅鑼を激しく叩き、陣営の仲間たちを起こす。イーゴリ公は脱出するが、ウラジーミルは結局父と別れ、ポロヴェッツ人たちのもとに残る。

騒ぎを聞きつけたコンチャク汗が登場し、「さすがに、俺が見込んだ男だ。やってくれるじゃないか」とイーゴリ公を改めて讃える。ポロヴェッツ人たちが、「敵将イーゴリが逃げたのなら、ここに残った息子の方は殺しましょう。そして、他の捕虜たちも」とコンチャク汗に迫るが、娘の恋心に気付いていた彼は、「大きな鷹は巣に向かって飛び去ったが、小さな鷹は我が娘の婿として迎えよう」と宣言する。

(※楽曲解説書によるとボロディンは、この第3幕と最後の第4幕については、終幕の合唱を除いてスケッチしか残せなかったそうである。つまり、歌劇<イーゴリ公>の後半はほとんどグラズノフとR=コルサコフが作曲したということになる。確かに聴いていて思うのだが、このオペラの後半は音楽の充実度がはっきり低下する。

しかし、そうは言いつつも、第3幕には音楽素材として魅力的な物が多く内包されている。まず、『ポロヴェッツ人の行進』。ボロディンがスケッチを構想した時には、何と日本の大名行列がイメージされていたのだそうだが、これはゴキゲンな名曲である。さらに、そこから続くポロヴェッツ人たちの宴の場の音楽、そしてイーゴリ公脱走直前の緊張感溢れる三重唱、等等。これらをボロディン自身が作曲してくれていたら、どんなに良かったろう・・。)

(※一つ、薀蓄話。勇壮な合唱を伴う『行進曲』の中でしきりに讃えられている人物が、お馴染みのコンチャク汗ではなく、グザーク汗という別の男になっていることにちょっと注目したい。さらに付け足すなら、次の第4幕で、「私たちがこんな姿になったのは、グザーク汗にやられたからだ」と、打ちひしがれたプチヴリの人々が繰り返しながら歌う場面も要チェックである。さて、このグザーク汗とは何者か?

結論から言えば、「コンチャク汗とほぼ同等の、また場面によってはコンチャク汗以上の力を見せるポロヴェッツ軍のリーダー」である。オペラ・キャラクターとしては出てこないが、原典となる『イーゴリ公遠征譚』を見てみると、彼が非常な実力者であることが分かる。たとえば、戦略を巡ってコンチャク汗と意見が対立した時、正しいやり方を主張していたのはグザークの方だったと後で判明する例がある。この人物は極めて現実的、合理的な行動をとる猛将だったようだ。コンチャク汗をも凌ぐこの男の“正しさ”は、下記の例によっても明らかである。前回言及した森安氏の本の中で紹介されている話を、整理・編集して書き出してみたい。

{ イーゴリ公に逃げられた直後、「鷹が逃げたとあっては、ここに残った鷹の子は黄金の矢で射殺(いころ)そう」と、グザーク汗は主張する。それに対してコンチャク汗は、オペラのセリフの元ネタになっている次のような反論を返す。「鷹は巣に向かって飛び去ったが、鷹の子は美しい乙女でつなぎとめよう」。グザーク汗はさらにそれに対し、「それをやったら、我々は鷹の子も美しい乙女も失うことになり、鳥どもがまたポロヴェッツの野で我々を討ち始めることになる」と言い返す。

果たして現実に、歴史はグザーク汗の予言通りに進んだ。「結婚したウラジーミルは妻コンチャコヴナと子供を連れ、1187年にロシアに帰った。そこで彼は改めて教会の結婚式を挙げ、妻はスヴォボダ(=自由)という洗礼名を得た」と、年代記に記されているのである。 }

以上のような訳だが、オペラ・キャラクターとして見た場合は、やはりグザーク汗よりもコンチャク汗の方がよりふさわしくて魅力的な人物のように思える。

―次回は、歌劇<イーゴリ公>の最終回。ラストの第4幕。
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