クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

男性の高音の可能性~マラカイ・バヨー、ディマシュ・クダイベルゲン

2024年03月01日 | 演奏(家)を語る
2024年3月1日(金)。先頃、YouTubeサーフィン中に出会った動画。曲は、ミュージカルの作曲家アンドリュー・ロイド=ウェッバーがクラシックの流儀で書いた<レクイエム>の中から、「ピエ・イエズ」。黒人の男の子が歌っている。celestial(天上の世界のよう)な響きを持つボーイ・ソプラノの歌唱である。これは著明な海外オーディション番組の一コマだが、初めてこれを見た時、ブログ主は動画に出てくる白髪の審査員と全く同じように、涙にむせた。まず、[3:22]のdona eis のところ。ここでの声と歌詞のディクションはもう、絶品。一方[4:31~]のsempti eternamに入る直前では、大舞台の緊張が続いたせいか、僅かに声が揺れる。思わず、「うっ、頑張れ」と心の中で祈るように応援した。そして見事に歌い上げた後の、あどけない安堵の笑み。w

【和訳】「まるで天使の歌声」 マラカイの歌唱が審査員の琴線に触れる | BGT 2023

ボーイ・ソプラノの美声はしかし、儚い。ここで奇跡のような声を聞かせてくれた13歳の少年も、あと数年以内に体の成長に伴う変声期、いわゆる「声変わり」の時を迎える。これは悲しくも、いずれ失われる運命(さだめ)にある“束の間の美”なのだ。

しかし近年、特異な才能を持つ一部の人たちによって、男女の声を隔てる壁は乗り越えられつつある様子。旧来のファルセット(いわゆる裏声)を使った男のメゾ・ソプラノとは違う、あるいは、かつて『もののけ姫』の主題歌で話題になったカウンターテナーの声質とも違う、よりナチュラルな男声のソプラノ。今回は、世界に複数存在するそのような男たちの中から、おそらく現在トップに君臨する人であろうと思われる人気歌手の映像を、1つ。

ディマシュ・クダイベルゲン(※注)/S.O.S. d'un terrien en détresse(悩める地球人のS.O.S)/ Dimash Kudaibergen 日本語和訳
(※注 ロシア語系のアルファベット表記を読むと、ジマーシュ・クダーイビェルゲノフ)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

窓の拭き掃除。ドライアー&LSO、他のグリーグ<ペール・ギュント>全曲

2021年02月23日 | 演奏(家)を語る
2021年2月23日(火)。天皇誕生日。昨日から、ちょっと珍しいぐらい陽気が暖かい。そこで今日、昨年末に出来なかった2階の窓拭きを、午後の時間に行なった。強い風のために東窓の外側は拭けなかったが、南窓を両面ともきれいに出来たので、まあ、今回はこれでいいかなと。しかし、つくづく、窓拭きのような重い作業が億劫になってきた。以前は、こんなじゃなかったのに。年を取ったんだなあ・・。

さて、YouTube動画ネタ。前回グリーグの<ピアノ協奏曲>を貼ったので、今回は、同じ作曲家によるもう一つの名作<ペール・ギュント>。ペル・ドライアーという聞き覚えのない名前の指揮者がロンドン響、他を指揮した全曲録音である。で、いきなり結論。これは劇音楽<ペール・ギュント>の、おそらく最高の名演と言ってよい。

<ペール・ギュント>全曲と言えば、俳優達によるセリフのやり取りまで含んだネーメ・ヤルヴィのグラモフォン録音が有名だが、正直な感想を言えば、これは「文献的な価値の高さによって、かけがえのない記録」というのが、当ブログ主の中での評価である。はっきり言ってしまうが、演奏自体には感動がない。ソプラノ独唱として出演しているバーバラ・ボニーも同様で、ただ美しいだけ、ただきれいに歌っているだけである。この完全全曲版で唯一感動的なのは、「オーゼの死」の場面。ここだけは、何回聴いても涙が出てくる。しかし、それはヤルヴィの指揮がもたらす音楽演奏の力ではなく、あくまでペールと母オーゼを演じる俳優さんたちの演技が生み出している感動なのだ。(特にオーゼ役の女優さんの声と、しゃべり方!)

声楽パートを含んだ<ペール・ギュント>の準全曲盤として、ジョン・バルビローリ&ハレ管、他によるEMI録音も夙(つと)に有名。御存じの向きも多いと思う。当ブログ主にとっては、実はこれこそが(演奏内容の点で)ずっと1位を保ち続けてきた同曲最高の名盤ということになる。それが今年に入って、1つの変動が起きた。「俳優達のセリフはなく、オーケストラと合唱団、そして何人かの独唱歌手が加わった、音楽だけによる全曲録音」というのが、当ドライアー&LSO音源の佇まいである。その点ではバルビローリ盤とほぼ同じであるが、収録曲数が万全な分、ドライアーの方が(個々の楽曲での優劣は入れ替わるにしても)全体的な得点で上を行くことになる。

昔と違って、今は動画を貼ることで、“論より証拠”を示せるようになった。だから、贅言は並べるまい。<ペール・ギュント>の劇音楽を愛する方は是非、御一聴を。

"Peer Gynt" Complete Incidental Music - Edvard Grieg
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手術延期。クナッパーツブッシュの<神々の黄昏>~終曲(1963年)

2020年04月29日 | 演奏(家)を語る
2020年4月29日。緊急事態宣言による様々な活動の制限は、大型連休明けも続くのだろうか。一部では自粛の続行を疑問視する声も出始めている。曰く、「このまま経済活動を止め続けたら、コロナ肺炎による死者数よりも、生活苦から死に追い込まれる人の方が遙かに多くなってしまうではないか」と。もっともだと思う。強く危惧されるのは、中小企業の倒産・廃業の激増だ。感染爆発を防ぐことと、経済崩壊を防ぐこと。この両者のバランスをどう取っていけば良いのか、非常に難しい局面にさしかかってきたように思える。

当ブログ主の場合、昨年11月の腫瘍切除に続いて、実はもう1回、腸の修復手術を受けねばならないのだが、それは当面見送りということになっている。つまり、延期である。と言っても、病床のキャパシティ超過による医療崩壊が起きているという訳ではなく、担当医が言うところの、「ウイルス蔓延が騒がれているご時世だから、オペは少し先に延ばした方が良いね」という状況だ。手術で大きな体力低下が起きている時にウイルス感染などしたら、それこそ命に関わる事態になりかねないから。・・・さて、このウイルス禍、いつ頃どういう形で終息するのだろう。

音楽ネタ。前々回、クナッパーツブッシュが北ドイツ放送響を指揮した<皇帝>の名演動画を貼ったところからの繋がりで、今回はクナ先生が同じオケを振った<神々の黄昏>終曲を貼っておこうと思う。これは1963年3月24日の演奏会ライヴで、かつてタワレコさんの企画CDで限定発売されたことのある音源である。現在は廃盤。当ブログ主も、随分前に中古売却してしまった。若きクリスタ・ルートヴィヒが挑んだブリュンヒルデの歌唱はちょっと苦しい感じがしないでもないが、クナ先生の指揮はさすがに凄い。全体の演奏時間は21分52秒ほど。ラストの豪演だけ楽しめれば良いという方は、[16:30]あたりからどうぞ。ルートヴィヒの声もちゃんと聴きたいという方は、[12:02]からがお勧め。



―今回は、これにて。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オリンピック延期。バックハウス最高の<皇帝>

2020年03月26日 | 演奏(家)を語る
新型肺炎の世界的拡大を受け、東京五輪2020は延期される事になった。アスリートたちは調整のし直しを余儀なくされるなど、いろいろ大変だろう。しかし、この延期、日本にとっては必ずしも悪い話ではないように思える。用意された関連の設備は帰国者や感染者の一時的な受け入れ施設として使っていくこともできそうだし、豊洲移転のゴタゴタでオリンピックには間に合わないと諦められていた環状2号線の工事も、これなら余裕で完成できる。

そして昨日(2020年3月25日)、都内で新たに40人以上の感染が確認され、小池都知事が夜8時から会見を行なった。曰く、「“感染爆発の重大局面”なので、不要不急の外出等は控えてほしい。今後の進展によっては、都市封鎖の可能性も否定できない」と。また、それを受けて、関東近県の知事達が次々と東京都に同調して自粛を呼びかけ始めるなど、穏やかならざる動きも出てきた。・・・そんなこんなで、不安な要素を並べ始めたらきりがない状況になってきている。

そこで(常に他とは違う個性を出したがる)当ブログ主としては、ちょっと面白い、というか期待を寄せてみたくなるような言葉を今回引用してみることにした。以下に記すのは、評論家の渡邉哲也氏が一昨日(3月24日)、ツイッター上に書いておられた文言である。財務省の傀儡(かいらい)みたいなイメージで安倍政権の支持層からもすっかり嫌われている麻生太郎財務大臣だが、どうもこんな↓裏があるとか、ないとか・・・。

{ 7月都知事選に合わせ、給付金を配り、消費減税と憲法改正をセットで総選挙。ウィルスを抑え込めれば、安倍総理の思惑通りになるなぁ。・・・安倍さん、重要な決定は麻生さんとする。ふたりの仕込みで、ヒール役を麻生さんがやっていると見たら、どう見える。 }(※氏の文言は一切修正せず、句読点と・・・記号のみ当ブログ主が補筆。)

渡邉氏の発言の当否を判断する力は当ブログ主にはないが、「ひょっとしたら、そうなのかな。だとしたらこの先、結構胸ワクな展開があるかも」と、ちょっとニンマリしてしまう。7月の都知事選挙に合わせて、衆議院解散総選挙を仕掛ける。そして、その理由付けとして、消費税減税を打ち出す。これは最強の切り札になるのではないか。ウイルスの抑え込みという難しい課題が絡んでくるので、まだ何とも言えないが、消費税の減税は是非とも実現してほしいと思う。あと、給付金の配布が7月というのはあまりにも遅すぎて論外だから、そちらの方はもっと急いでほしい。

―さて、音楽ネタ。今日(3月26日)は、“20世紀ドイツ最大のピアニスト”ウィルヘルム・バックハウスの誕生日である。前回クナ先生の<皇帝>を話題にしたので、今回はそれを引き継いで、バックハウス最高の<皇帝>という線で行ってみようかと思う。当ブログ主がこれまでにCDで聴いてきたバックハウスの<皇帝>は、S=イッセルシュテット&ウィーン・フィルとのデッカ・ステレオ盤(1959年)、クレメンス・クラウス&ウィーン・フィルとのデッカ・モノラル盤(1953年)、クナッパーツブッシュ&バイエルン国立管とのライヴ盤(1959年)、同じくクナッパーツブッシュ&ウィーン・フィルとのライヴ盤(1954年)、カイルベルトと共演したシュトゥットガルト・ライヴ盤(?年)、F・コンヴィチュニー&ゲヴァントハウス管とのライプツィヒ・ライヴ盤(1960年)といったあたり。それと、少し前に、若きショルティが指揮するケルン放送響との1956年放送録音というのをYouTubeで聴いた。バックハウスのピアノ独奏に関しては、(勿論、それぞれに違いはあるけれども)いわゆる駄作・駄演は一つも無いと言ってよいと思う。で、結論。バックハウス最高の<皇帝>はどれかと言えば、答は上のどれでもなく、これ↓になる。

●W・バックハウス(Pf)、カール・シューリヒト指揮スイス・イタリア語放送管弦楽団によるベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番<皇帝>~1961年4月27日 ルガーノ アポロ・ザールでのライヴ録音

もしベートーヴェンが20世紀後半の時代に生きていて、現代のピアノを知っていて、さらに一流ピアニストの腕前を持っていたら、大作曲家はきっとこのように<皇帝>を弾いただろう。・・・決して大げさでなく、心からそのように思える。それぐらい凄い演奏だ。シューリヒトの指揮も熱い。



(PS) この名演のCDについて

当音源は、過去に2つのレーベルから発売された実績がある。1つ目は、ちょっとプレス年代が古くなるErmitage盤。11年前に当ブログ主が癌入院した際、当時まだ現役だったCDウォークマンと一緒に病室まで持ち込んだCDの1つ。組み合わせは同じシューリヒトの指揮によるモーツァルトの<交響曲第40番>と、メンデルスゾーンの序曲<フィンガルの洞窟>。ライヴで燃える名指揮者の姿を如実に窺い知ることができる、貴重な記録である。

もう1つは、「バックハウス ベートーヴェン、モーツァルト ピアノ協奏曲集」といった感じのタイトルが付いたCD4枚組のMemories盤。これには、カール・ベーム&VPOとのモーツァルト<第27番>2種(1956年と1960年の各ライヴ)、ハンス・クナッパーツブッシュ&VPOとのベートーヴェン<第4番>(1957年ライヴ)、グイード・カンテッリ&NYPとのベートーヴェン<第4番>(1956年ライヴ)、ヨゼフ・カイルベルト&SWR-RSOとの<皇帝>(Memories盤には1953年3月17日のライヴと記されているが、1962年としている他社のCDもある。別音源なのか、あるいはどちらか一方のデータが間違っているのか、現段階では不明)、フランツ・コンヴィチュニー&LGOとの<皇帝>(1960年ライヴ)、そして、このシューリヒト共演による<皇帝>(1961年ライヴ)が収録されている。シューリヒト盤<皇帝>の音質については、両CDでそんなに大きな差はない。が、やはりプレスの新しいMemories盤の方が、(同じモノラルではあるけれども)オーケストラ楽器の分離と音場感が良く、よりすっきりした音像が得られているように感じられる。

―というところで、今回はこれにて。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新型肺炎。クナッパーツブッシュ最高の<皇帝>

2020年03月12日 | 演奏(家)を語る
2020年3月12日。風雲急を告げる世界経済。音楽のブログで政治的な話はなるべくしたくないので、ここでは重要ポイントのみ。昨2019年に消費税増税を強行されて冷水をかけられた日本の国民経済は今、新型肺炎の世界的拡大という追い討ちを受けて深刻な事態に陥りつつある。贅言無用。安倍政権は速やかに、大規模な財政政策を打ち出さねばならない。消費税減税!

さて、音楽ネタ。今日3月12日は、我らが(?)ハンス・クナッパーツブッシュ大先生の誕生日である。昨年6月、バックハウスとの共演によるベートーヴェンの<皇帝>スイス・ライヴ(1954年1月21日)という大変興味深いCDが発売され、当ブログ主も年末に購入した。正直なところ、クナ先生が伴奏指揮を務めた<皇帝>には、感心できる物がそれまで一つも無かった。まず、クリフォード・カーゾン、ウィーン・フィルとのデッカ録音(1957年)が駄作。おそらくマエストロとしてはあまり気乗りのしない企画をレコード会社からオファーされ、「しょうがないから、お付き合いでやっといた」みたいな、パッとしない出来栄えの一品(ひとしな)だった。何十年前の話になるか、まだLPレコードの時代だったが、バックハウスのピアノとクナッパーツブッシュ指揮ベルリン・フィルによる<皇帝>のライヴ録音(1953年)という、ファン大喜びの音源が発売された。その時は当ブログ主も、飛びつくような勢いで買った。ジャケットの解説は勿論、宇野功芳センセー(笑)。「これこそ皇帝の進軍だ」とピアノ独奏を絶賛する一方、伴奏指揮については、「ここでのクナは何も特別な事をせず、極めて実直にピアノを支えている」と賞賛口調を基本としつつも、いつもの褒めまくり文とは異なる雰囲気の解説を付けておられた。ところがこれ、後にヨゼフ・カイルベルトの指揮によるシュトゥットガルトでのライヴらしいことがわかり、クナ先生とは関係ない(しかし、バックハウスのピアノともども、演奏自体は大変立派な)物ということに、今は落ち着いている。その後CD時代になり、今度は間違いなくバックハウスとクナッパーツブッシュの共演という音源が、オルフェオ・レーベルから出た。オケはバイエルン国立管で、1959年のライヴ。お聴きになった方も、おられるだろう。現在YouTubeでも聴けるようになっている同音源はしかし、音質の悪さもさることながら、あまりにも酷い伴奏にうんざりさせられる幻滅CDだった。

―で、昨2019年に発売されたMEMORIES盤に一縷の望みを託す思いで、CDを購入したわけである。これはまず、音質が優秀。特にピアノの音が鮮明で、大ピアニストの冴えた打鍵が痛快、爽快。クナの指揮ぶりも、上に並べた駄演群とはひと味もふた味も違う、興に乗った好演を展開している。敢えて不満を言えば、ウィーン・フィルの響きはドイツ的重厚さとは違った趣を持つもので、特に弦楽パートに薄さが感じられるのと、クナの表現にも「ちょっと、ティンパニを強調し過ぎ」と思われる部分があって、完璧な満足感を得るレベルまでには届かなかったというのが、率直な感想である。

それやこれやで、最終結論。クナ先生の指揮が最高に魅力的な<皇帝>はおそらく、これ↓であろうと。現段階ではYouTubeの音声動画をデスクトップPC+外付け小型スピーカーで聴いたのみで、CDの音質がどうかまでは当ブログ主には分からない。が、かつてキングレコードから国内発売されていた当音源はTAHRA原盤だったようなので、CDの方もそれなりに良い音だったんじゃないだろうか。

●P・バドゥラ=スコダ(Pf)、H・クナッパーツブッシュ&北ドイツ放送響のベートーヴェン <皇帝>
~1960年3月14日 ハンブルク公演のライヴ録音



パウル・バドゥラ=スコダは録音の数が少ないためか、日本での人気や知名度は低いけれども、若い頃はフリードリヒ・グルダ、イェルク・デムスと並んで「ウィーンの三羽がらす」と呼ばれた名ピアニストだった。ここでの独奏も、非常に立派。クナ先生の指揮も、素晴らしい。ドイツ的な厚みのある響きと、驚くほどのノリの良さに、「こういう伴奏が聴きたかった。これこそ一番、クナ先生らしい<皇帝>だ」と、思わず膝を打つ人がきっと大勢いるだろう。「この演奏は知らなかった」という方がおられたら是非、御一聴いただけたらと思う。Satisfaction guaranteed.

―今回は、これにて。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする