2023年3月25日(土)。5日前に、今何か追加で送るべき物があるかどうかを確認しようと、ブログ主は病院に問い合わせの電話をかけた。受け付けの人を間に挟んで病棟の看護スタッフから来た返答は、「おむつの追加以外では、入浴時に使うボディソ-プとシャンプー、コンディショナーのセットを用意してほしい」というものだった。思わず、電話口の受け付けさんに訊き返す。「えっ、お風呂ですか?あの、タオル清拭(せいしき)じゃなくて」。「そのようです」。・・・近々お風呂に入れるという事は、いよいよ母の意識が戻りだしているのかなと、ちょっと嬉しくなった。電話の後、速攻で近所のドラッグストアに行き、ミニボトルのボディソープとシャンプー&コンディショナーのトラベルセットを購入。そして、おむつともども、ゆうパックで病院宛てに送った。
その3日後、3月23日(木)。主治医から電話が来た。内容は勿論、母の容体(ようだい)。「気管切開後、今は酸素吸入を行いながら呼吸を確保しています」「脳の状態も、安定しています」「肺に溜まっていた水も、徐々に減ってきています」。はい。はい。あ、そうですか。良かった。有り難うございます。
・・・と、良い話は、そこまで。そこから先は、天国から地獄へのnosedive。
「意識が戻らないんですよ。クモ膜下出血にありがちな例の1つとして、このままずっと行ってしまう可能性が高いです。近々、どこかの施設に移ってもらわなければならないんですが、行った先で将来異変が起きた時に、御家族がどこまでの蘇生努力や延命措置を担当スタッフに望むのか、そのあたりの意思をしっかり伝える必要があります。数日以内に当院のケースワーカーから連絡が行きますので、よく御相談の上、結論をお出しください」。呆然とするブログ主の耳に、とどめの言葉が飛びこむ。「自宅に帰る事は、できません」。あ、あの、こちらの希望的な予測として、この後はどこかのリハビリ病院に行って、そこで平日はお世話になって・・で、土日ぐらいにちょっと帰宅して家で過ごさせてやってって、そんな考えを持っていたんですけども・・。「まあ、そうできれば何よりなんですが、現状、帰宅は不可能です」。
(※気管切開後の患者には数時間ごとの痰吸引が必要とされるが、今は素人でも病院の指導を受ければできるものらしい。ただ、それが1年365日続くとなると、家族はどこにも出かけられなくなる。それはさすがに、無理。でも土日ぐらいなら、母のために終日家にいて付き合おうという気持ちは出来ていた。カフ付きのスピーチカニューレを使って、少しでも声が出せる母と言葉を交わしたい。そんなささやかな希望を抱いていたのだが、無念にも崩れ去った。今回の話で何が確定してしまったかと言えば、「次に母が家に帰ってくるときは、魂が天に召された後の悲しい抜け殻になっている」ということだ。・・・駄目だ。もう書けない。)
来月やってくる90歳の誕生日を仮に母が生きて迎えられるとしても、それはどこかの施設のベッドの上。おそらく昏睡状態のまま。間に合わなかったバースデイ・プレゼント。ブログ主が胸にずっと秘めていた卒寿記念の贈り物は、空前の予算をかけた家の大規模改修。水回りの全面的なリフォームだった。母に見せてあげたかった。我が家のお風呂、脱衣所、トイレ(そして、母の合意があればキッチンも)が新しく生まれ変わるところを。
その3日後、3月23日(木)。主治医から電話が来た。内容は勿論、母の容体(ようだい)。「気管切開後、今は酸素吸入を行いながら呼吸を確保しています」「脳の状態も、安定しています」「肺に溜まっていた水も、徐々に減ってきています」。はい。はい。あ、そうですか。良かった。有り難うございます。
・・・と、良い話は、そこまで。そこから先は、天国から地獄へのnosedive。
「意識が戻らないんですよ。クモ膜下出血にありがちな例の1つとして、このままずっと行ってしまう可能性が高いです。近々、どこかの施設に移ってもらわなければならないんですが、行った先で将来異変が起きた時に、御家族がどこまでの蘇生努力や延命措置を担当スタッフに望むのか、そのあたりの意思をしっかり伝える必要があります。数日以内に当院のケースワーカーから連絡が行きますので、よく御相談の上、結論をお出しください」。呆然とするブログ主の耳に、とどめの言葉が飛びこむ。「自宅に帰る事は、できません」。あ、あの、こちらの希望的な予測として、この後はどこかのリハビリ病院に行って、そこで平日はお世話になって・・で、土日ぐらいにちょっと帰宅して家で過ごさせてやってって、そんな考えを持っていたんですけども・・。「まあ、そうできれば何よりなんですが、現状、帰宅は不可能です」。
(※気管切開後の患者には数時間ごとの痰吸引が必要とされるが、今は素人でも病院の指導を受ければできるものらしい。ただ、それが1年365日続くとなると、家族はどこにも出かけられなくなる。それはさすがに、無理。でも土日ぐらいなら、母のために終日家にいて付き合おうという気持ちは出来ていた。カフ付きのスピーチカニューレを使って、少しでも声が出せる母と言葉を交わしたい。そんなささやかな希望を抱いていたのだが、無念にも崩れ去った。今回の話で何が確定してしまったかと言えば、「次に母が家に帰ってくるときは、魂が天に召された後の悲しい抜け殻になっている」ということだ。・・・駄目だ。もう書けない。)
来月やってくる90歳の誕生日を仮に母が生きて迎えられるとしても、それはどこかの施設のベッドの上。おそらく昏睡状態のまま。間に合わなかったバースデイ・プレゼント。ブログ主が胸にずっと秘めていた卒寿記念の贈り物は、空前の予算をかけた家の大規模改修。水回りの全面的なリフォームだった。母に見せてあげたかった。我が家のお風呂、脱衣所、トイレ(そして、母の合意があればキッチンも)が新しく生まれ変わるところを。