クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

クラウディオ・アバドの名演・名盤から

2014年02月24日 | 演奏(家)を語る
2014年1月20日、クラウディオ・アバドが亡くなった。享年80との由。また一人、20世紀後半を代表した名指揮者がこの世を去ってしまった。寂しいものである。今回は亡き名匠を偲び、数多く遺された名演・名盤の中から、「これを聴くなら、アバドでしょ」と言えそうなものを厳選し、以下にリスト・アップしてみることにしたい。(※注意!これは一人のクラヲタが独断と偏見で選んだものなので、必ずしも普遍的な説得力を持つとは限らないことを、前もってお断りしておかねばならない。)

【交響曲部門】

○スクリャービン/交響曲第4番<法悦の詩>・・・ボストン響(グラモフォン盤)

曲の姿としては交響曲というよりも交響的幻想曲みたいな呼び名の方が似合いそうな20世紀の怪作に、若きアバドはくっきりした明晰な輪郭を与え、わかりやすく、かつ面白く聴かせてくれる。アバドはやはり、このような珍しい系統の曲でかけがえのない存在価値を示した人に思える。後年のベルリン・フィルとの録音でも、例えばあの骸骨のような姿にされた無残なベートーヴェンなどより、ヒンデミットの<画家マティス>みたいな、ちょっとマニアックな作品の方で結構な名演が聴かれたりするのだ。

【管弦楽曲部門】

○ロッシーニ序曲集・・・ロンドン響(RCA盤&グラモフォン盤)

当ブログでも以前書いたことがあるが、アバドの音楽的美質は他の何よりもロッシーニの作品に於いて最高度に発揮されるものだった。となれば当然、管弦楽曲部門からはその序曲集が選ばれることになる。いささか月並みな選択ではあるが、やはりこれは外せない。若きアバドが遺した2つの録音は、同曲集のおそらく永遠のスタンダードであり続けることだろう。ちなみに、アバドは後年、ヨーロッパ室内管とグラモフォンに何曲かを再録音している。さすがにそちらは一層闊達な演奏になっているのだが、ある種“行書体”的なスタイルであるため、基本的なライブラリーとしてはやはり、ロンドン響との旧録音を優先して聴きたいところ。

【協奏曲部門】

○ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第3番・・・ラザール・ベルマン(Pf)、ロンドン響(ソニー盤)

日本の大学受験の世界に当てはめて言うなら、アバドという人は、「どの教科でもまんべんなく80点を取れる、典型的な国公立受験型の優等生」だった。このことは特に、協奏曲の録音について強く感じられる特徴だったように思える。つまり、「大きな失敗作はないが、逆に、これといって特に凄い演奏というのも見当たらない」という印象なのだ。今回は、ピアノのベルマンと共演したラフマニノフの<ピアノ協奏曲第3番>を挙げておくことにしたい。これはかつて当ブログでトピックにしたことのある曲であり演奏でもあるが、ピアノ独奏の圧倒的な迫力といい、オケとの録音バランスの良さといい、非常に聴き栄えのする名盤として多くの方にお薦めできる逸品である。

【オペラ部門】

○ヴェルディ/歌劇<アイーダ>全曲(ミラノ・スカラ座のミュンヘン引っ越し公演・1972年8月)

オペラに於いても、演奏会レパートリーに於いても、アバドは基本的に知が勝った演奏を行なった人で、「感情の抑えがたい高ぶりによって、音楽が羽目を外してぶっ飛ぶ」ということがまず起こらなかった。(※だいたい、生粋のイタリア人オペラ指揮者なのにプッチーニができない、その他ヴェリズモ・オペラは一切お断り、なんて普通だったらちょっと考えられない話である。)そういう特徴がこの人の演奏に無類の安定感を与えていたことも確かなら、上記協奏曲部門のところで書かせてもらったように、「これといった凄い爆演が見当たらない」という不満を常に与えていたことも確かである。アバドが指揮したマーラー(例えばシカゴ響との1番、5番やウィーン・フィルとの4番など)を私が今一つ買えないのは、ロマンティシズムへの耽溺(たんでき)を理知が冷徹に拒否しているため、どこか作曲家に寄り添い切っていないよそよそしさを感じるからである。

だから逆に、そういう人が日頃のリミッターを外して赤裸々な情熱を音楽にぶちまけた時、聴き手は異様な感銘を受けることになる。それはアバドの場合、オペラのライヴに於いてしばしば顕現した。その最たる好例が、1972年ミュンヘン・オリンピックの時に行なわれたミラノ・スカラ座の引っ越し公演<アイーダ>である。実を言うと、私がこの凄い音源を知ったのは随分後になってからだ。名作<アイーダ>については、リッカルド・ムーティのオペラ全曲セッション録音第1弾となったEMI盤が、何よりもその歌手陣の豪華さによって、長いこと私の中で一つの規範となっていた。それがタイトル役以外の主な登場人物がすべて同じ歌手達というアバドのミュンヘン・ライヴをのちに知って入手したところ、びっくり仰天させられたわけである。歌手陣の素晴らしさは言うまでもないが、アバドの指揮の燃え方が半端じゃないのだ。やっ、こりゃ凄いわと。w 録音状態はあまり芳(かんば)しくないものの、鑑賞に差し支えるほどではない。ベスト<アイーダ>を選ぶ際に、極めて有力な候補になってきそうな物の1つ。(※間違ってもグラモフォンのしらけた全曲盤などを選ばないよう、御注意の程。)

【声楽曲部門】

○ヴェルディ/レクイエム(1978年1月6日ミラノ・スカラ座ライヴ)

アバドが生前、非常に得意としていたヴェルディの<レクイエム>。声楽曲部門からはやはり、これだろう。ライヴ発掘音源を含めると、今私が思いつくだけで少なくとも7種類ある。いずれもそれぞれに優れた内容を持つ物で、いわゆる“駄演”は一つもない。その中から今回は、YouTubeで聴けるこちらの↓レア音源をご紹介しておきたい。

http://www.youtube.com/watch?v=HGEqUrYkMtg

最低7種あるアバドのヴェル・レク録音の中でも、4人の独唱者のスケールに於いて断トツなのがこれ。カラヤンからアバドの時代、指揮者もオペラ・ファンも何が幸せだったかと言えば、ここに出てくるような凄い歌手たちがずらりと勢揃いしていたこと。〔5:20〕のKyrieから、4人の歌唱が始まる。テノールのパヴァロッティはあまりこの作品のソロはうまくなかったが、この日のライヴはかなり良い方の出来栄え。何よりも声が大きく、良く伸びる。続くバス独唱は、ニコライ・ギャウロフ。当作品のバス独唱者として、空前にしておそらく絶後の人。この人が全盛期に聴かせた超人的な声と歌唱はカラヤンの1967年・スカラ座映像盤で堪能できるが、当ライヴはその圧倒的な力が示されたおそらく最後の花道。(翌々1980年のグラモフォン録音では、明らかに声の衰えが見てとれるから。)で、この2人に煽られてか、ソプラノのミレッラ・フレーニも出だしからエンジン全開。w カラヤン、BPOのグラモフォン録音で聴かれる完成度の高い歌唱と比べるとここでの歌はかなり粗っぽいが、ライヴのフレーニはこんなに熱かったんだなあと改めて実感。そしてこの3人をもさらに凌いでいるのが、メゾ・ソプラノのエレナ・オブラスツォワ。当時「驚異のメゾ~オブラスツォワ」なんてタイトルのLPレコードが発売されていたが、本当にこの人の全盛期の声は驚異的なものだった。まずは〔15:13〕からのLiber Scriptusで、その威力をご堪能あれ。

当ライヴ音源は会場ノイズが大きく、音質も決して良い物ではない。が、演奏内容がメチャ凄いので、オーディオ的な不備は聴いているうちにだんだん気にならなくなってくる。こんな爆演を正月早々から生で聴けた当時の聴衆は、何と幸福だったことだろう。以下に主な演奏タイミングをメモしておくので、鑑賞の際にご利用いただけたらと思う。

〔9:10〕~Dies irae ※アバドお得意のリタルダンドが聴かれるところは、〔10:20〕と〔1:19:10〕。
〔13:42〕~Mors stupebit 
〔24:30〕~Rex Tremendae
〔32:44〕~Ingemisco
〔36:40〕~Confutatis 
〔42:34〕~Lacrimosa
〔48:48〕~Domine Jesu Christe
〔53:45〕~Hostias
〔1:00:05〕~Sanctus
〔1:02:57〕~Agnus Dei
〔1:08:35〕~Lux aeterna
〔1:15:30〕~Libera me

―他にもアバドが遺した名演・名盤はまだ山ほどあるのだが、今回の記事はここで区切りをつけることにしたい。クラウディオ・アバド先生、たくさんの名演、そしてたくさんの感動を有り難うございました。どうぞ、安らかに・・。
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