クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

退院の日。怪我の経過

2024年04月23日 | エトセトラ
2024年4月23日(火)。先月の末、5日間の入院から無事に帰宅。昨年のヘルニア手術の時と同じで、今回もエント当日は雨降り。ついてにゃあ(苦笑)。しかし、独りぼっちの帰宅となった前回と違って、今回は“迎えの人”が来た。といっても、母はもう寝たきり入院で、ずっと眠っている状況。弟も、事故当日こそ救急隊員からの緊急連絡に驚いて遠い町の病院まで駆けつけてくれたが、さすがに退院日の迎えまでは、業務多忙のため無理。じゃあ、誰が?という話になるわけだが、答えは昨年の夏に契約していた終活サービスの業者さん。39万6000円という安くない会費を払うかわりに、「入院時の身元引き受け」と、「長期入院の際の見舞い&もろもろの雑用引き受け」、そしてまさに今回のような「退院時の出迎えから、家に着くまでの付き添い」をしてもらうことが、契約内容になっている。(※無料の派遣サービスは、2回まで。つまり、あともう1回これを使ったら、その後からは毎回有料となる。)

しかしまあ、今回は本当に助かった。当日来た人はブログ主よりも4歳年上の男性で、元証券マンだったというSさん。いかにもって感じで、客対応のトークが上手い。「じゃ、行きましょう。先輩」って、いや、ああたの方が傍目にどう見てもおっちゃんだし、実際に俺より年上じゃん。w でまた、こちらのリクエストに機敏に応じるフットワークの良さ!「あ、Sさん、ちょっと7000円、貸してくれる?ここ、カード払いが出来ないって。俺今7000円も持っていないから」「すいません。私もそこまでの額は持ち合わせがなくて・・。あ、ちょっと待っててください。そこのコンビニへ行って、下ろしてきます」と言って、速攻猛ダッシュ。数分後、現金を持ってきてくれた。そこでブログ主は必要な支払いを済ませ、その後家の近くまで着いた時に、別のコンビニで今度はこちらがお金を下ろし、速やかに返済。この臨機応変なやり取りが、実に心地良い。さすが、元営業職。

顔の痛みや足のふらつきはその日も当然続いていたのだが、この人の付き添いのおかげで、バス20分~電車25分~さらにバス20分~徒歩10分という遠距離帰宅が、随分楽になった。一人ぼっちでふらつきながら乗り換え~乗り換えの長旅って、ちょっと不安過ぎる。(※さりとてタクシーでは、料金が殺人的な数字になる。)それが、おしゃべりを楽しみながら心配なく家に向かうことができたのだ。途中の駅でファミレスに寄り、Sさんにお昼をおごったブログ主の行動は当然至極のことであったといえよう。w (※ここでも、彼は大人の対応。「何でも、お好きなものをどうぞ」という言葉にうきうきしながらメニューをめくりつつも、こちらが一番安い日替わりランチに決めたら、「あ、じゃ、私も同じので」としっかり合わせてきた。う~ん、お見事。)

さて、その後の顔の経過だが、事故当日ザリザリに剥けて赤くただれた皮膚も、だいぶ元に戻った。ブラックジャック傷も、当初より薄くて短い物になった。少なくとも、人気漫画キャラのそれみたいに顔の輪郭線まで走るような長い傷ではなく、左目の目頭から鼻の脇をザクッと行っているぐらいの感じで、花粉対策のメガネなどをかければ、はた目には全く気づかれないぐらいになった。眼窩底(がんかてい)骨折による、左の頬から上唇にかけての痺れは、今もある。かなり、つらい。医師によると、この痺れは普通2カ月ぐらい続くらしい(泣)。左目の下の肉が削げ落ちてしまったため、乾くうちに引きつってきて、何だか爬虫類っぽい形の目になってしまった。しかし、視力の方は全く異常なく、普通に見えている。これが何よりの幸い、というところか。
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事故当日の気持ち

2024年04月07日 | エトセトラ
2024年4月7日(日)。自分自身の体力の衰えと、あまりにも鈍臭い運動神経の無さに、つくづく嫌気がさした、あの事故の日。3月21日(木)。何でもない普通の地面にサンダルでつまずき、たたらを踏むように前方につんのめって転倒。顔面から庭の瓦礫に突っ込んだ。あっ、あっあっ、とっとっとっ・・・・。

ぐがあっ、グシャシャッ(と同時に、ガツーン!ゴギッ)・・・。

幸い頭の強打はなかったので、意識は飛ばずにすんだ。しかし、起き上がる気力が全く出ない。ヒリヒリ、ジリジリと焼けつくような皮膚の痛みと、顔面骨折による左目の下の強い疼痛。開かない左目。鼻の内側から喉に落ちてくるドロッとした血の塊を口から吐いたり、飲んだりしながら、そのまま地べたに仰向け。春の彼岸のお中日を過ぎたところとはいえ、夕方6時近くになると、空気がぐんと冷え始める。灰色の空を地べたから見上げながら、外着のコートを着たままでも寒さがしみてくる陽気の中、わが身の置かれた情けなさすぎる状況を嘆いて恨んで、ひとりごちた。

「何なんだろうな、このみじめな人生。・・・なんかもう、いろいろ、いやになっちゃったな」。

自宅の狭い裏庭に、べたーっと横たわる顔面血まみれの小さな老人。生涯に亘るコンプレックスの原因だったガキみたいな顔が激しく損傷し、醜くただれた。周りには、誰もいない。・・・深い孤独。やがて、おかしな思考が脳裏を巡り始める。

「もし違った転び方をしていて、頭をブロックか何かの角にでもぶつけていたら、意識がなくなって、そのまま寒い夜になって、体温が下がって・・俺はこの世から去っているんだろうな。それなら、それでも良かったよ。もう、本当に、いろいろと、いやになったから。3日も4日も経ってから遺体が発見されるか、奇跡的に死ぬ直前に誰かが見つけてくれて、救急搬送されて、病院到着の頃に死亡確認とかね。で、何かい、俺が最後に遺す心電図の所見は、低体温性のj波?オズボーン波かよ。そりゃ確かに、まだ寒いから長いおズボンをはいているけどよ。って、何言ってんだかな。しょうもな」。 

「あ、ひょっとして、みいさんが俺を呼んでるんかな?『お母さん、もうすぐ逝くんだけど、やっぱり一人じゃ寂しいから、おみゃあさんも一緒に来てくれにゃあかなあ』って。そうだな、それでもいいかもしんないな。本当にお金にルーズな人で、息子として随分尻拭いの苦労をさせられた(※ブログ主が解消した親たちの負債額は、1000万円を軽く超える)けど、こんな男をずっと愛し続けてくれたこの世でただ一人の女性だったからね、母は。そしたら、一緒におじいんとこへ行こうか」。

やがて、気持ちが少し回復する。ショルダーポーチからスマホを取りだし、見える右目の弱い視力を頼りに119番。・・・それから、20分ぐらい経ったかな。ピーポーピーポー。「救急隊です。Tさん、どちらですか」。
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