クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

F・スラットキンのガーシュウィン、グローフェ、「行進曲集」

2015年02月28日 | 演奏(家)を語る
2015年2月。今月、ちょっと懐かしい音源のCDを購入した。フェリックス・スラットキンの指揮による2枚である。いずれも中古で、随分安く入手することができた。(※指揮者スラットキンと聞いた時に大抵の人が思い浮かべるであろうレナード・スラットキンは、このフェリックスの息子。)

学生の頃だったろうか、当時のFM雑誌で、評論家の出谷啓(でたに けい)氏が書いていた記事の中に、「フェリックス・スラットキンが指揮した行進曲のアルバムは、大変素晴らしい」みたいな一節があった。その後しばらくして、その中の2~3曲だけがFM放送で流れ、それを耳にして、「なるほど、確かに良い演奏だなあ」と思ったものだった。それ以来、「今はどのお店へ行っても見つからないけど、このレコード、いつか手に入るかなあ」と、ずっと気にかけていた。それがまあ、実に30余年を経て(苦笑)、この2月、ついに輸入盤CDの形で入手できたのである。

英語版のタイトルは、“Salute to the services The Military Band”。コンサート・アーツ・シンフォニック・バンドという団体が演奏している。フル・オーケストラほどには重くなく、さりとて小編成のブラスバンドほどには軽くもなく、程良い感じのヴォリューム感。アルバムの作りとしては、アメリカン・マーチの名曲を集めて、それをメドレーで流していくという形をとっている。冒頭に起床ラッパ、続いて名行進曲の数々、そして最後にアメリカ国歌の演奏と静かな消灯ラッパが鳴らされて終了、という設計だ。スーザの名作から<星条旗よ永遠なれ><エル・カピタン><ワシントン・ポスト><雷神>などが選ばれているほか、ツィンマーマンの<錨を上げて>、ヨゼフ・フランツ・ワグナーの<双頭の鷲の旗のもとに>、バグレイの<国民の象徴>、そしてミーチャムの<アメリカン・パトロール>といった有名どころが収められている。

演奏はいずれも、間然するところのない名演である。快適なテンポ設定と、エッジの効いた音。全く緩むことのない緊密なアンサンブル。個々の楽器奏者たちが聴かせる名技。そして各曲の仕上がりに凸凹がなく、演奏のスタイルに統一感がある。決して大げさでなく、ここには行進曲演奏の一つの規範が示されているようにさえ思える。ハリウッドの映画畑での仕事が中心だったF・スラットキンの全録音の中でも、これはクラシック音楽ファンの厳しい審美眼にも十分耐え得る優れた内容を持つ名演奏と言ってよいだろう。24ビット・リマスターになっているのも、うれしいポイント。

(※惜しむらくは、収録曲数が少なくて全体の演奏時間がわずか38分53秒しかないこと。CD演奏面の半分が余白。w 「アメリカのミリタリー・マーチ集」というコンセプトで作られたアルバムのため、タイケの<旧友>という抜群の名曲が入っていないのは致し方ないかもしれないが、スーザの<士官候補生>は入れておいてほしかった!これ外しちゃ、ダメだろ。w )

―ということで、学生時代から30年以上も頭の片隅に置き続けてきた(LP時代にはついに手に入らなかった)幻の名盤をようやく手にした私は、これまた学生時代の思い出になるガーシュウィンとグローフェの作品を収めた同じ指揮者の1枚も改めて聴きたくなった。で、有り難いことに、今は生産終了となってしまっている1990年の国内盤CDが中古で安く見つかり、思いがけず楽に入手できる幸運に恵まれたのだった。中古とはいえ、盤は傷もスレもない良好な状態。そして再生してみると、かつてのLPなどよりずっと良い音が聴けて、まずオーディオ的な面での喜びを得た。

この演奏についての記憶はかなり曖昧になっていたのだが、今回CDで改めて聴き直し、「ああ、なるほど。そういうことね」と得心がいった。やはりというか、ここでもエッジが効いた鮮明な音のテクスチュアは共通しており、快速テンポによる小気味よい音楽運びが好印象を残す。たとえば<パリのアメリカ人>の快活な冒頭部分など、本当に意気揚々としたアメリカ人のおニイちゃんが目に浮かんでくるようなのだ。このあたりがF・スラットキンの基本的な演奏コンセプトになっているのだろうなと。

人気曲<ラプソディ・イン・ブルー>には名演が多いため、当スラットキン盤を1位に推すのはさすがに無理っぽいが、クラシックのフル・オーケストラとジャズ・バンドの間に入るぐらいの感覚で行なわれた演奏として、一聴に値する好演になっていることは間違いない。また、腕っこきのメンバーたちが独自の癖を出して楽しんでいるような部分はあっても、演奏そのものが緩みを見せることは決してない。指揮者がしっかりと手綱を締めている。レナード・ペナリオのピアノ独奏も鮮烈。ただ、ガーシュウィンの音楽に時折聞かれる“黄昏のような詩情”までは、十全に表現されていないようにも思える。このあたりが指揮者スラットキンの、ある意味限界だったのかもしれない。この人が本格的にクラシック界へ進出することがなかったのは、映画畑での仕事の方がおそらくずっと儲かるという生活面での事情以外にも、こういった音楽性に起因する理由もあったのではないかという気がするのである。

末尾に収録されたグローフェの組曲<グランド・キャニオン>については、何と言ってもオーマンディ&フィラデルフィア管の1967年盤が他のすべてに冠絶する圧倒的名演なので、他のどの演奏を持ってきても勝負にならないのだが、当スラットキン盤はハリウッド・ボウル響の腕利きメンバーたちが聞かせる個々の楽器の名技が緊密なアンサンブルの中で鮮明に浮き立っており、比較的小編成のオーケストラが行なった演奏として十分に楽しめるものになっている。少なくとも、やたら腰が重くて音色も暗いバーンスタインの失敗作よりは、こちらを上位に置いても良いように思われる。

―今回は、これにて。

(PS)

先月再修理に出したCDプレイヤーが、まだ帰ってこない。従って、今回の記事はミニコンポで聴いた上での感想文である。プレイヤーが戻ってきたらまたフルコンポで改めて聴き直してみるが、上に書いた感想文の本質的な部分は多分変わらないと思う。
コメント
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