前回まで指揮者シノーポリについて語ってきたが、実はせっかく思いついたのに、やむなくお蔵入りにしてきたネタがいくつかあった。それぞれのトピックの、一回分の枠に収まりきらなかったからである。今回は、それらをまとめて敗者復活(笑)させておきたい。
まず歌劇<蝶々夫人>だが、前回、「シノーポリ対カラヤン」という図式の中で語ったミレッラ・フレーニの他にも、チョーチョーサンの役を得意として2回(以上)全曲録音をしている名歌手が何人かいる。今回、私が聴いて知っている範囲内で、その具体例を挙げておこうと思う。
レナータ・テバルディ : 彼女の<蝶々夫人>スタジオ録音にはモノラル時代のエレーデ盤(L)と、初期ステレオのセラフィン盤(L)がある。私が聴いて知っているのは、後者のセラフィン盤のみ。全盛期のテバルディが聴かせるチョーチョーサンは、かなり堂々とした恰幅の良いものだ。だから第1幕では、チョーチョーサンの可憐さとはいささかイメージが遠いことに不満を感じる。しかし、第2幕の「ある晴れた日に」以降は、指揮ともども素晴らしいドラマが展開する。セラフィンの指揮も、オペラティックな感興に満ちたものだ。随所でさりげなく日本の旋律を浮かび上がらせる技も鮮やか。そう言えば、ここで若き日のコッソットがスズキをやっているのも面白い。この若々しいスズキと貫禄タップリのチョーチョーサンの二人が、場面によっては逆じゃないのかな、このお二人・・なんて思えてしまう。
ヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレス : この人の<蝶々夫人>にも、2種類のスタジオ録音がある。ガヴァッツェーニ指揮の1955年盤と、サンティーニの指揮による1959年の再録音盤(EMI)。私はサンティーニ盤のハイライトだけ、少し前に耳にする機会を得た。いかにもこの人らしい清楚なチョーチョーサンだが、やはり15歳の娘には聴こえない。「成熟した大人だけど、少女らしい可憐さを持っている人」というイメージだ。ただ、彼女の歌唱も含めて、演奏の全体的な感銘度はそれ程でもない。何よりもサンティーニの指揮が物足りない。スッキリ型の音楽運びだが、せめてラストにはもっとスケール感がほしい。ビョルリンクのピンカートンは、いつもの彼らしく力強い声で、端正な歌を聴かせる。音楽的には優れた歌唱なのだが、結果的にピンカートンがやたら立派な人に見えてしまうのが困ったチャン。ピンカートンは(特に第1幕では)もっと、ちゃらんぽらんな人でしょ。
レナータ・スコット : この名歌手にもまた、2種類のスタジオ録音がある。私が聴いて知っているのは、旧録音となるバルビローリ盤(EMI)の方。若きスコットによるチョーチョーサンは、非常に魅力的だ。とにかく一途で、情熱的。この主人公の一生懸命さが、悲劇の感動を高めるのである。「ある晴れた日に」のクライマックス部分、Tienti la tua paura と歌う箇所では、日本の演歌みたいに“こぶし”を効かせるが、それがピタリとはまっている。自刃して果てる直前の歌も、まさに渾身の絶唱だ。それと、あまり目立たないが見逃せないポイントがもう一つ。このオペラの大事な登場人物の一人であるシャープレスについては、なかなか名唱に出会えないのだが、ここで歌っているローランド・パネライは良い味を出している。当バルビローリ盤はハミング・コーラスがあまり巧くなかったり、オーケストラが洗練味に欠けていたりする不満もあるが、演奏家の暖かい心が伝わるユニークな名盤である。またこれは、イギリス人サー・ジョンではなく、洗礼名がその出自を表しているところの、ジョヴァンニ・バッティスタ・バルビローリに出会える録音とも言えるだろう。残念ながら、スコットがより円熟してからの再録音(※マゼールの指揮によるソニー盤)は未聴なので、そちらについては何とも言えない。
―さて、シノーポリ・シリーズの最初に語った通り、指揮者シノーポリに私が親近感を持つきっかけとなったのは、ヴェルディの歌劇<ナブッコ>の名演奏だった。これについても、今回ちょっと補足しておきたい。まず、ごく簡潔に言っておくと、私にとってのベスト・ナブッコは、若きムーティのEMI盤である。それに次いで、このシノーポリ盤とガルデッリのデッカ盤が良い勝負で並んでいるという感じだ。
若きムーティのEMI盤はまず、速いテンポでガンガンたたみこんで行くムーティの熱い指揮が良い。ヴェルディの初期作品には、この“熱さ”が大事である。歌手陣も揃って素晴らしい。特に、アビガイッレを歌うレナータ・スコットが見事だ。ザッカリアを歌うギャウロフの声は、「カンタービレ」という言葉の究極を体現している。よくまあ、こんなにも滑らかな高音が朗々と出せるものだと、唖然とさせられる。ムーティがスカラ座のボス(?)になってからの<ナブッコ>全曲も、かつてBSなどで視聴した。しかし私にとっては、やはりこの若い頃のハチャメチャな音楽の奔走、その沸騰サウンドの方がより好ましいものに感じられる。<ナブッコ>に限らず、後年のムーティは、暗い感じの渋い演奏が目立ってくるように思われる。
ガルデッリの指揮によるデッカ録音は、LP時代の懐かしい名盤。ここではまず、エレナ・スリオティスが歌った超弩級のアビガイッレが聴き物である。オールラウンドな完成度の高さを示すスコットとは対照的に、スリオティスは持ち前の強靭な美声でストレートに切り込んでいく。スコットとスリオティスの二人が、私の中ではアビガイッレ役に関する“東西の横綱”になっている。(※敢えて順位をつければ、スリオティスの方が上。)それと、ウィーン国立歌劇場の素晴らしい合唱。この合唱の見事さは、ムーティ盤をはるかに凌ぐ。
シノーポリ盤(G)は、やはり何と言ってもシノーポリの熱い指揮ぶりがまず注目される。ただ、歌手陣は玉石混交。カプッチッリのナブッコは立派。ヴァレンティーニ=テッラーニのフェネーナも良い。ドミンゴのイズマエレも、贅沢なキャスティングだ。しかしアビガイッレを歌うディミトローヴァと、ザッカリアを歌うネステレンコはどうもいただけない。前者はただ馬鹿みたいな大声を張り上げるばかりで、その歌は率直に言って神経に障る。後者は、スラヴ系の硬い声が今ひとつヴェルディのカンタービレに乗れていない。だから正直に言うと、シノーポリの<ナブッコ>全曲録音は、この指揮者に親近感を持たせてくれたきっかけではあったけれども、繰り返し聴いて楽しむ名演になっていた訳ではないという事なのだ。
ところで、このオペラの主役ナブッコのモデルとなっているバビロニアのネブカドネザル王(在位604~562BC)について、少し前にちょっと興味を持って調べてみたら、思いがけず有名なエピソードに出くわしたのだった。(※ちなみに、ヴェルディの<ナブッコ>で描かれている物語は、586BCから、その後の7年間にあたるものと考えられているようだ。)
世界制覇を目論むネブカドネザル王は、腹心ホロフェルネスをイスラエルに派遣して包囲させた。勝利は目前だったが、ユディトという女性の身を呈した勇気ある策略によって、戦況は大逆転されるのである。
{ ユディトは亡き夫の喪に服して静かに暮らしていたが、イスラエルの危機的状況に直面して立ち上がる。彼女はまず、国を裏切ったふりをして、敵将ホロフェルネスに身を委ねる素振りで近づく。ユディトの美貌にすっかりホの字になった彼は、気を良くして深酒。いい気分になって眠り込む。そこへ大きな刀を持ったユディトがこっそりやって来て、彼の首をバッサリと斬り落とすのである。ユディトによって、「全世界を震えさせる」という名前を持った辣腕の軍人は亡き者となり、イスラエルは危機を脱したのであった。 }
さて、このユディトという有名な女性のお話から連想されるのは、R・シュトラウスの傑作<サロメ>である。周知の通り、この作品の中でもヨカナーン(=ヨハネ)という有名人が最後に首を斬り落とされる。そこで、次回から数回にわたって<サロメ>の演奏史を追ってみようかと思う。と言っても、実体はそんな偉そうなタイトルをつけられるような物ではなく、要するに、自分が知っている<サロメ>の全曲演奏を収録年代順に並べ直して、それぞれについての感想を少しずつ語ってみようという企画である。いささか羊頭狗肉っぽいが、まあ、同好の士に気軽に読んでいただけたらと思う。
【2019年4月27日 おまけ】
●若きムーティのEMI盤<ナブッコ>全曲より、開幕の合唱
まず歌劇<蝶々夫人>だが、前回、「シノーポリ対カラヤン」という図式の中で語ったミレッラ・フレーニの他にも、チョーチョーサンの役を得意として2回(以上)全曲録音をしている名歌手が何人かいる。今回、私が聴いて知っている範囲内で、その具体例を挙げておこうと思う。
レナータ・テバルディ : 彼女の<蝶々夫人>スタジオ録音にはモノラル時代のエレーデ盤(L)と、初期ステレオのセラフィン盤(L)がある。私が聴いて知っているのは、後者のセラフィン盤のみ。全盛期のテバルディが聴かせるチョーチョーサンは、かなり堂々とした恰幅の良いものだ。だから第1幕では、チョーチョーサンの可憐さとはいささかイメージが遠いことに不満を感じる。しかし、第2幕の「ある晴れた日に」以降は、指揮ともども素晴らしいドラマが展開する。セラフィンの指揮も、オペラティックな感興に満ちたものだ。随所でさりげなく日本の旋律を浮かび上がらせる技も鮮やか。そう言えば、ここで若き日のコッソットがスズキをやっているのも面白い。この若々しいスズキと貫禄タップリのチョーチョーサンの二人が、場面によっては逆じゃないのかな、このお二人・・なんて思えてしまう。
ヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレス : この人の<蝶々夫人>にも、2種類のスタジオ録音がある。ガヴァッツェーニ指揮の1955年盤と、サンティーニの指揮による1959年の再録音盤(EMI)。私はサンティーニ盤のハイライトだけ、少し前に耳にする機会を得た。いかにもこの人らしい清楚なチョーチョーサンだが、やはり15歳の娘には聴こえない。「成熟した大人だけど、少女らしい可憐さを持っている人」というイメージだ。ただ、彼女の歌唱も含めて、演奏の全体的な感銘度はそれ程でもない。何よりもサンティーニの指揮が物足りない。スッキリ型の音楽運びだが、せめてラストにはもっとスケール感がほしい。ビョルリンクのピンカートンは、いつもの彼らしく力強い声で、端正な歌を聴かせる。音楽的には優れた歌唱なのだが、結果的にピンカートンがやたら立派な人に見えてしまうのが困ったチャン。ピンカートンは(特に第1幕では)もっと、ちゃらんぽらんな人でしょ。
レナータ・スコット : この名歌手にもまた、2種類のスタジオ録音がある。私が聴いて知っているのは、旧録音となるバルビローリ盤(EMI)の方。若きスコットによるチョーチョーサンは、非常に魅力的だ。とにかく一途で、情熱的。この主人公の一生懸命さが、悲劇の感動を高めるのである。「ある晴れた日に」のクライマックス部分、Tienti la tua paura と歌う箇所では、日本の演歌みたいに“こぶし”を効かせるが、それがピタリとはまっている。自刃して果てる直前の歌も、まさに渾身の絶唱だ。それと、あまり目立たないが見逃せないポイントがもう一つ。このオペラの大事な登場人物の一人であるシャープレスについては、なかなか名唱に出会えないのだが、ここで歌っているローランド・パネライは良い味を出している。当バルビローリ盤はハミング・コーラスがあまり巧くなかったり、オーケストラが洗練味に欠けていたりする不満もあるが、演奏家の暖かい心が伝わるユニークな名盤である。またこれは、イギリス人サー・ジョンではなく、洗礼名がその出自を表しているところの、ジョヴァンニ・バッティスタ・バルビローリに出会える録音とも言えるだろう。残念ながら、スコットがより円熟してからの再録音(※マゼールの指揮によるソニー盤)は未聴なので、そちらについては何とも言えない。
―さて、シノーポリ・シリーズの最初に語った通り、指揮者シノーポリに私が親近感を持つきっかけとなったのは、ヴェルディの歌劇<ナブッコ>の名演奏だった。これについても、今回ちょっと補足しておきたい。まず、ごく簡潔に言っておくと、私にとってのベスト・ナブッコは、若きムーティのEMI盤である。それに次いで、このシノーポリ盤とガルデッリのデッカ盤が良い勝負で並んでいるという感じだ。
若きムーティのEMI盤はまず、速いテンポでガンガンたたみこんで行くムーティの熱い指揮が良い。ヴェルディの初期作品には、この“熱さ”が大事である。歌手陣も揃って素晴らしい。特に、アビガイッレを歌うレナータ・スコットが見事だ。ザッカリアを歌うギャウロフの声は、「カンタービレ」という言葉の究極を体現している。よくまあ、こんなにも滑らかな高音が朗々と出せるものだと、唖然とさせられる。ムーティがスカラ座のボス(?)になってからの<ナブッコ>全曲も、かつてBSなどで視聴した。しかし私にとっては、やはりこの若い頃のハチャメチャな音楽の奔走、その沸騰サウンドの方がより好ましいものに感じられる。<ナブッコ>に限らず、後年のムーティは、暗い感じの渋い演奏が目立ってくるように思われる。
ガルデッリの指揮によるデッカ録音は、LP時代の懐かしい名盤。ここではまず、エレナ・スリオティスが歌った超弩級のアビガイッレが聴き物である。オールラウンドな完成度の高さを示すスコットとは対照的に、スリオティスは持ち前の強靭な美声でストレートに切り込んでいく。スコットとスリオティスの二人が、私の中ではアビガイッレ役に関する“東西の横綱”になっている。(※敢えて順位をつければ、スリオティスの方が上。)それと、ウィーン国立歌劇場の素晴らしい合唱。この合唱の見事さは、ムーティ盤をはるかに凌ぐ。
シノーポリ盤(G)は、やはり何と言ってもシノーポリの熱い指揮ぶりがまず注目される。ただ、歌手陣は玉石混交。カプッチッリのナブッコは立派。ヴァレンティーニ=テッラーニのフェネーナも良い。ドミンゴのイズマエレも、贅沢なキャスティングだ。しかしアビガイッレを歌うディミトローヴァと、ザッカリアを歌うネステレンコはどうもいただけない。前者はただ馬鹿みたいな大声を張り上げるばかりで、その歌は率直に言って神経に障る。後者は、スラヴ系の硬い声が今ひとつヴェルディのカンタービレに乗れていない。だから正直に言うと、シノーポリの<ナブッコ>全曲録音は、この指揮者に親近感を持たせてくれたきっかけではあったけれども、繰り返し聴いて楽しむ名演になっていた訳ではないという事なのだ。
ところで、このオペラの主役ナブッコのモデルとなっているバビロニアのネブカドネザル王(在位604~562BC)について、少し前にちょっと興味を持って調べてみたら、思いがけず有名なエピソードに出くわしたのだった。(※ちなみに、ヴェルディの<ナブッコ>で描かれている物語は、586BCから、その後の7年間にあたるものと考えられているようだ。)
世界制覇を目論むネブカドネザル王は、腹心ホロフェルネスをイスラエルに派遣して包囲させた。勝利は目前だったが、ユディトという女性の身を呈した勇気ある策略によって、戦況は大逆転されるのである。
{ ユディトは亡き夫の喪に服して静かに暮らしていたが、イスラエルの危機的状況に直面して立ち上がる。彼女はまず、国を裏切ったふりをして、敵将ホロフェルネスに身を委ねる素振りで近づく。ユディトの美貌にすっかりホの字になった彼は、気を良くして深酒。いい気分になって眠り込む。そこへ大きな刀を持ったユディトがこっそりやって来て、彼の首をバッサリと斬り落とすのである。ユディトによって、「全世界を震えさせる」という名前を持った辣腕の軍人は亡き者となり、イスラエルは危機を脱したのであった。 }
さて、このユディトという有名な女性のお話から連想されるのは、R・シュトラウスの傑作<サロメ>である。周知の通り、この作品の中でもヨカナーン(=ヨハネ)という有名人が最後に首を斬り落とされる。そこで、次回から数回にわたって<サロメ>の演奏史を追ってみようかと思う。と言っても、実体はそんな偉そうなタイトルをつけられるような物ではなく、要するに、自分が知っている<サロメ>の全曲演奏を収録年代順に並べ直して、それぞれについての感想を少しずつ語ってみようという企画である。いささか羊頭狗肉っぽいが、まあ、同好の士に気軽に読んでいただけたらと思う。
【2019年4月27日 おまけ】
●若きムーティのEMI盤<ナブッコ>全曲より、開幕の合唱