クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

母の緊急入院。悲しい予感

2023年02月27日 | エトセトラ
2023年2月27日(月)。先週20日の月曜日、あまりにも突然、それはやって来た。

これから起こる悲劇など神ならぬ身の知る由もなく、いつもの通りのルーティーン。午後3時過ぎから内臓のリハビリと目の休息、さらに運動不足の解消と気分転換も兼ねた散歩に出る。そして、これまたいつもの通り、帰り道の途中にあるドラッグストアとスーパーに寄って、食料品の買い出し。不器用で料理が苦手なため、簡単な調理を母に頼み、その日の献立を考えて材料を買って帰るのが、ブログ主の役目。3月が近づき、そろそろ懐中電灯みたいなものがいらない明るさになってきた午後5時少し前、普通に帰宅。「行ってきたよ~」というこちらの声を受け、「はいよー」という母の返事。(※時には家の外、道路際まで出てきて息子の帰りを待っていた母。「おみゃあさんがいつ帰って来るかと、さっきから出たり入ったりしてたよ」「岸壁の母じゃなくて、“通りっぱたの母”だな。w 心配しなくても、この息子は毎日ちゃんと帰ってくるから」なんてやり取りも、随分やった。夏もさることながら、暗くて寒い冬の夕方、肩をすぼめながら道路際に立っていた母の姿を思い出すと、涙が出てくる・・。)

家に上がって、買ってきた物を母に渡す。「夕方用に、みいちゃんの好きな素甘(すあま)とコロネパン、買ってきた。値引きシールが出たんだわ。あと、夕食は、かつおのたたき。今日の日替わり特価ね。今夜は手間いらずで、みいさんも楽だんべ」「そうだな。助かるよ」。「じゃ、上で着替えてくるわ」と、2階へ上る。午後5時を10分ぐらい回った頃か、着替え中のブログ主の耳に、下の階から悲鳴に近いような苦悶の声が聞こえてきた。「おお~い、来てくれよ~。おかしいんだよ~。急におかしくなっちゃったよ~」。バタバタと階段を駆け下りて下へ行くと、母がベッドに突っ伏して呻(うめ)いている。「頭が痛い、頭が痛い。どの向きになって、どこを押さえたらいいのか、わからない。ああっ、痛いよ」。とっさに思い浮かんだ事を、母に訊く。「吐き気は?吐き気はあるか」「吐き気は・・ないよ」。ちょっと安堵する。しかし、苦しみ方が尋常ではない。「これから、救急車を呼ぶからね」。

―119番に電話してから10分経ったかどうかぐらいの時間で、ピーポーピーポー・・・。「良かったね、みいさん。もう来てくれたよ」。救い主の来訪を告げる7度4度の音が、うちの前で止まった。

夕方の渋滞時間にぶつかって、発進しては止まり、止まってはまた急発進を繰り返す救急車のラフな運転に内心閉口しつつ、長座席に並んで座った隊員の一人に訊く。「さっきのモニター心電図ですが、出ていたのは、サイナス・タキぐらいでしたか」「う~ん、まあねえ。でも、血圧が240超っていう方がね」「大きな陰性T波は、なかったですか」「あ、それはない」。思ったよりもずっと早く駆けつけてくれた隊員さんたちの問いかけに、ベッドに横たわりながら、しっかり答えていた母。自分の名前はもちろん、生年月日もちゃんと言えた。見当識に、大きな障害はなさそうだった。「本人の意識は、かなり清明。吐き気・嘔吐もなし。心電図に巨大陰性T波もない。・・どうやら最悪のあれではなさそうで、良かったかも。何より、俺が家にいてすぐ対応できて、本当に良かった」と、ブログ主は何とか事態の良い側面、希望が持てる側面ばかりを見ようと必死になっていた。

やがてサイレンが止まり、救急車も停車。着いたのは、ブログ主自身も消化器外科で現在お世話になっている市内の大きな病院。救急車に乗ってから嘔吐を繰り返すようになった母が、ストレッチャーで救急救命室に運び込まれる。「ご家族の方は、そちらの廊下でお待ち下さい。これから検査に入ります」。

それから、どれぐらいの時間が経ったろうか。その日の当直医らしき人に呼ばれて、説明を聞く。「脳の血管の枝分かれした部分、ここにお母さんは動脈瘤っていう瘤(こぶ)が出来ているんだけど」「はい。そのこと自体は、本人ともども知っています。3年ぐらい前になりますか、母が一度意識障害を起こしてK病院に搬送され、そこで脳のMRIをやりまして・・」。「で、今その瘤が破れて出血しているという状況です。診断は、くも膜下出血」。・・・ブログ主が今回一番除外したかった、最悪のあれ・・・。激しい鬱。抑えられない心の震え。「まさか・・そんな」。

離れた町で暮らす弟に電話。「こんな状況だ。病院まで来てもらえないか」「ん、わかった」。・・・夜の9時を回った頃、兄弟そろって緊急手術前の説明を聞く。ここでは詳述しないが、話のポイントは2つ。まず、この疾患は予後が非常に悪い物なので、家族は色々と覚悟が必要であるという事。そして、うちの母の場合、発生した場所と動脈瘤の形状の点で、手術の難儀が予想されるという事。しかし、その一方で、出血量自体はそんなにひどいものではなく、ある意味、軽傷(?)で済んでいるようにも思えた。動脈瘤が破裂して血がspout(噴き出)しているというより、瘤に穴があいて血がじわじわとooze out(滲み出)して広がっている・・・そんな印象を受ける画像だった(※注 素人に脳の造影CTなど分かるわけがないので、これはあくまで患者の家族としての希望が反映された身勝手な読影である)。医師の説明によると、「最初に出た血がその後血のりとなって穴をふさぎ、自力で止血した形になっている」ようだった。そして勿論、それは一時的なもので、いずれは決壊すると。

夜9時半頃、手術開始。果たせるかな、非常に長いものとなった。終わったのは、夜中の2時半。廊下で待ち続けること、実に5時間。「ひょっとして、駄目なのか」と、一時は強い不安感に襲われたりもしたが、「手術は無事に終わりました」という執刀医の言葉を聞いて、ほっとする。その後入院手続きを済ませ、弟の車で帰途につく。家に帰り着いたのは結局、午前3時50分過ぎ。まさに眠れぬ一夜となった。

翌2月21日(火)の午後4時頃、入院時に指示されていた物(はくタイプではないおむつ、本人の入れ歯、プラスチックコップ、マスク、ティッシュペーパー等)を持って、一人で病院へ。応対の看護師さんから、良い経過報告を聞く。「今日はCTをやりました。異常なかったですよ。もう御自分で呼吸ができる状態になっています」。ああ、良かった・・。

しかし、その2日後、事態が暗転する。電話の繋がり方の関係で先に弟に伝えられる形となった病院からの連絡は、“耐え難い別れ”がやってくるかもしれないという、悲しい予感をブログ主に抱かせる物だった。
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記録的な低室温、記録的な高体温。筋トレの頓挫

2023年02月11日 | エトセトラ
2023年2月11日(土)。先月後半は、大変だった。21日(土)に、我が家も築40年超ということで、古くなった電気のブレイカーを新しくすべく、電気屋さんに依頼して分電盤の交換工事をやってもらった。(ついでに、いくつかの壁コンセントも)。リフォームに関する過去の失敗からの反省に基づき、今回は3つの業者さんから事前の見積りを取った。そして、内容と価格がベストのところを選択。結果は、大満足。めでたし、めでたし。良い新年のスタートになったなと、ニコニコしていたのだが・・・

その日の夜、体に異変が起きた。妙に咳が出て、何だかだるい。熱を測って、びっくり仰天。38・4℃!何、これ?自分がまだ勤めに出ていた頃は、毎日毎日精神の拷問で打ちひしがれていて、ちょっとの風邪でも必ず重症化していたものだったが、それでも、こんな数字まではめったに出なかった。そして20数年前に世間から身を引かせてもらって以来、風邪をひくことなど殆ど無くなっていた。今回のはまさに、記録的な高体温だ。で、また、そういうときに限って、マーフィーの法則みたいなものが発動して、翌朝の2階の温度が2・7℃を記録する。北国にお住まいの方には、「それが、何?」レベルだとは思うが、東京で、室内(それも、板張りではない畳の和室)の温度が2℃台というのは、かなり異常である。作りが古い拙宅でさえ、ちょっと前例が思いつかないほどの、記録的な低室温だ。そんな厳寒の中、38℃を超える熱発が続いたのである。ヒドス。何、この「降れば、どしゃ降り。悲しみはいつも、相続人を連れてやって来る」状態。ふと脳裏をよぎる、嫌な言葉。コロナ感染。”Chances are I’ve got corona virus. Ugh!”

実際、コロナだったのかもしれない。幸いというか何というか、ブログ主にはそれを克服するだけの体力があったようで、21日(土)の夜から22日(日)にかけては38・4~38・6℃を出したものの、3日目となる23日(月)には36℃台に下がった。そしてそれ以後はずっと、36℃台を維持。咳で声が荒れたりはしたけれども、熱はすっかり正常化した。市販薬のパブロンと、もともと神経の痛み対策として整形外科でもらっていたカロナール。この2つで、乗り切った。「ウイルス感染とかいうのも、最後は本人の体力だよな」と、改めて思った。23日(月)の通院予約は勿論、キャンセル。本音の話、病院側でも、こんな患者に来られたら困るだろうし。

病に伏せっていると、(筋肉と言わず、関節と言わず)体のあちこちが痛くなってくる。特に、腰がつらくなる。このあたりのことは過去の入院時に幾度となく経験していたが、久しぶりに自宅でその苦悩を追体験することになった。やれやれ・・。で、2月に入ってだいぶ体も回復してきてはいるのだが、昨年末から取り組んできた筋トレは、完全に頓挫している。レッグレイズ、ヒンズースクワットから始めて、腹筋ローラーの“立ちコロ”。それからチューブ等を使った脚の筋肉のトレーニングと、アイソメトリクス器具による上半身の鍛錬。最後に、全身のストレッチ。こんなコースで毎晩入浴前に頑張っていたのだが、今は中止状態。体の痛みはなくなっていても、気力の方が萎えてしまったのだ。この「物事にやる気がなくなる」というのが実は、ブログ主のような“気ばかり若い老人”にとって一番怖い病気かもしれない。

―とりあえずは、この寒い季節が早く終わってほしい。お天気の神様、お願いします。
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