クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

ミトロプロスの<ヴォツェック>と<期待>

2009年01月30日 | 演奏(家)を語る
ギリシャ出身の名指揮者ディミトリ・ミトロプロス(1896~1960)。若きレナード・バーンスタインが登場する前の時代に、ニューヨーク・フィルの音楽監督を務めていた人だ。実は私にとって、この人は本当に長いこと縁のない指揮者だった。LP時代に出回っていた録音の数がもともと多くなかったということもあるが、「この名曲は、他の演奏家を先に聴いた方がいいなあ」と、いつもレコード購入の候補から外される指揮者の一人だった。例外的に、ジノ・フランチェスカッティの独奏によるラロの<スペイン交響曲>とか、サン=サーンスの<ヴァイオリン協奏曲第3番>とかの名演には親しんでいたけれども、それらはいずれもヴァイオリン・ソロの素晴らしさによって輝いている名盤であって、別に伴奏指揮者がミトロプロスでなきゃいけないなんて理由はどこにもなかった。当時のCBSソニー系ならオーマンディ、バーンスタイン、あるいはジョージ・セルといった人たちがいたわけだから、彼らが振ったって、それなりの名演になっていたのは間違いないのである。それやこれやで、はっきり言ってしまえば、ミトロプロスという人はいてもいなくても、どっちでもいいような指揮者だった。

しかし、私がかつて持っていたそのような認識は、この何年かの間に大きな変化を遂げてきている。名指揮者が生前、ライヴを中心に遺してくれたオペラ演奏の中に、非常に優れた物が次々と見つかってきたからである。(※勿論、聴く側のこちらに「自分が成長したことによる余裕」みたいなものが出て来て、オペラに限らず、彼のユニークな演奏を味わえるだけの感性が育ったという要素もあるとは思う。)―という訳で、これから何回かに分けて、私がこれまで実際に聴いてきたミトロプロスのオペラ録音についての感想文を、順に書いていくことにしたいと思う。今回はまず、A・ベルクとA・シェーンベルクの作品から。

―ベルク : 歌劇<ヴォツェック> (1951年4月12日・ライヴ)

このオペラの全曲録音としてはおそらく最も古いもので、現在はこれよりもっと鮮やかな名演、もっと精緻な名演、あるいはもっと音の良いディスクを、他にいくらでも見つけることができる。それゆえ、<ヴォツェック>を初めて聴く人のためのファースト・チョイスには成り得ないが、その歴史的な価値は決して低くない。いかにもこの指揮者らしい仄暗い音色が、作品の雰囲気によくマッチしている。私がとりわけ気に入っているのは、第2幕第5場に入る部分での演奏だ。夜の兵舎で、「俺、眠れないんだよ」と、ヴォツェックがアンドレスに呼びかけるシーンの、すぐ手前。ここは合唱団の声ともども、音楽にやたら不気味なムードが漂う。その独特の気持ち悪さは最高である。勿論それ以外にも、鋭くパワフルな響きを随所で聴くことができるので、将来冴えたリマスターが行なわれたら、今よりもっと高く評価されるようになる可能性も十分あると思う。

歌手たちの出来は、当時のレベルで考えれば、まあまあのところだろう。マリー役のアイリーン・ファーレルはいかにもライヴらしい熱演を聴かせるし、鼓手長のフレデリック・ヤーゲルも立派。大尉を演じるジョゼフ・モルディーノの声も、役柄のイメージどおり。ただ、ヴォツェックの役は後に優れた歌手達による名演が続々と出てくるので、ここで歌っているマック・ハーレルという人には、ちょっと平凡な印象しか残らない。

ところで、歌劇<ヴォツェック>というのは、非常に名演奏に恵まれたオペラだと思う。私が学生時代に初めて購入した全曲盤は、カール・ベームのグラモフォン盤LPだった。当時の私はこの作品をまともに把握できるレベルではなかったが、フィッシャー=ディースカウの精緻な歌唱の凄さや、どしんとした手ごたえを持つベームの指揮ぶりなどは、今でもそれなりによく覚えている。ブレーズのソニー盤を聴いたときは、その明晰な響きに驚いた。ただ、ちょっと明るい光を当て過ぎて、曲自体が持っているはずの暗いムードをだいぶ薄めてしまっているような印象も受けた。映像付きで鑑賞したアバドのウィーン・ライヴは、もうこの作品がすっかり古典の名作になっていることを実感させた。主演のグルントヘーバーについては、当ブログで随分前に独立したトピックで語ったことがある。この方、こういう異形の役どころをやらせたら抜群の歌手である。一方、オーケストラの厳しいサウンドが極北に達していたのが、ケーゲル盤。歌手陣は他の名盤より落ちるが、指揮の凄みという点では、これが随一だと思った。そう言えば、つい昨年(2008年)、ブルーノ・マデルナの指揮による映画版のDVDを買って視聴した。歌手陣もオーケストラもとりあえず水準に達しているかな、というぐらいの演奏だったが、映像のインパクトが最高だった。北ドイツのどこかでロケーション撮影を行なったものと考えられるが、その寒々とした風景、じと~っとした裏通りの空気感、そしてリアルな人物描写。前衛的な演出よりも写実的な描写を好む(私のような)鑑賞者にはぴったりの、大変素敵な映像ソフトであった。

―シェーンベルク : モノドラマ<期待> (1951年11月18日・ライヴ)

激しいオーケストラ演奏を背景にして、一人の女の尋常でない精神状態が延々と語り出される恐ろしい作品。概要は、以下のとおり。

{ 月明かりの下、一人の女が森の中に入って行く。彼女は今、いなくなった恋人を探している。暗いところで何かが自分に触れたと言っては驚き、動物らしきものが動いたと言ってはおののく。それでも、女は闇の中を歩き続ける。体のあちこちに擦り傷ができて、白いドレスがところどころ赤く染まる。やがて女は、何かにつまずく。かがんで確かめてみると、それは恋人の死体。その手にキスをし、女は動かぬ相手に語りかける。続いて、彼女は自分の恋人を奪った別の女のことに思い至り、憎い相手をののしり始める。・・・夜明けが近付き、東の空が白んでくる。少し離れた場所に目をやって、女はうれしそうに叫ぶ。「ああ、あなた、そこにいたのね。探してたのよ」。 }

この異様な名作に、ミトロプロスは凄い演奏会の録音を遺している。1951年のニューヨーク・フィル・ライヴだ。暗い音色と鋭い響き、そして急き立てられたような速いテンポによって、作品が内蔵する狂気と戦慄が異常な迫力で抉り出されている。ソプラノ独唱はドロシー・ダウという人で、私にはちょっと馴染みがないが、当ライヴを聴く限りで言えば相当な力を持った歌手のようである。はじめから終わりまで、やたらなハイ・テンションで演奏が進む中、この人はまったく疲れを見せない。それどころか、後半に向かってどんどんパワー・アップしていくほどなのである。持続する緊張感と激越な表現を強靭な声がしっかりと支えていく、その様子はまさに圧巻の一語だ。なお、現在超廉価で入手できるArchipelの24ビット盤CD(ARPCD0093)には、ヤッシャ・ハイフェッツとミトロプロス&ニューヨーク・フィルが共演したシベリウスの<ヴァイオリン協奏曲>(1951年・ライヴ)が併録されていて、これがまたかなりの豪演。特に、第1楽章が凄い。

さて、ついでの話ながら、私がこれまでに聴いたことのあるモノドラマ<期待>の録音としては、他にシノーポリ盤とレヴァイン盤がある。この機会に、それら2点についての感想文も書き添えておこうと思う。

●ジェイムズ・レヴァイン指揮メトロポリタン歌劇場管、他 (1989年4月録音・フィリップス盤)

これは何と言っても、ジェシー・ノーマンの名唱が聴き物。歌詞のディクションが細やかで、“非常に知的な名演”という印象を与える。息をひそめた囁き声から激烈な叫び声まで、テキストの内容が深く吟味されており、説得力十分。また、やたら歌いすぎることなく、語りの雰囲気をよく残していることにも好感が持てる。メトのオーケストラも、いつになく(?)精妙な響きを聞かせる。勿論、レヴァインの指揮ゆえに、ここ一番での爆発力も申し分なくパワフルだ。音色はやや明るめで、後述するシノーポリ盤よりも鋭い感じがあるが、上記ミトロプロス盤の異様な迫力にはさすがに及ばない。演奏時間は32分36秒で、これがほぼ標準なのではないかと思われる。なお、当盤は長い第4場に細かいトラック番号分けがなされていて、CDの作りとしても大変親切なものになっている。

●ジュゼッペ・シノーポリ指揮ドレスデン国立歌劇場管、他 (1996年5月録音・テルデック盤)

ソプラノ独唱のアレッサンドラ・マークは、いくぶんメゾに近い肉厚な声の持ち主。この録音の前年、バレンボイムの指揮によるR・シュトラウスの<エレクトラ>全曲録音(テルデック盤)に参加し、クリソテミスを歌っていた。今回取り上げている<期待>の歌唱について言えば、かなりオペラティックな歌い方をしているように感じられる。このCDを聴いていると、何か現代オペラの一場面みたいなものを鑑賞しているような気分になってくる。ただ、これは確かに力演だし、「よくやっているなあ」とは思えるものの、聴き終えた後に残る手ごたえは、案外それほどでもない。自ら作曲もし、現代物を得意としたシノーポリの指揮はさすがに精緻なもので、「これは難曲でも何でもなく、普通の古典の名作ですよ」とでも言っているかのような余裕が感じられる。わめかず、騒がずの大人の構え、とでも言えようか。(※この点については、併録されたルイザ・カステラーニとの<ピエロ・リュネール>も同様。)ドレスデンのオーケストラということも関係してか、上記2種のCDで聞かれるようなアメリカ的な鋭い音はここにはないし、テルデックの音のとり方も、どちらかと言えば、“柔らか志向”が強いようである。演奏時間は33分40秒ほどで、この点でも、どこかゆったりとしたものが感じられる。逆に言えば、上記ミトロプロス盤の演奏時間が正味27分40秒であるというのが如何に凄いことか、ここで改めて実感されるとも言えるだろう。いずれにしても、ミトロプロスの<期待>は最強(と言うか、最恐?)である。

―次回は、私が指揮者ミトロプロスを高く評価し直すきっかけとなった2つのヴェルディ・オペラについて。
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<グラゴル・ミサ>の聴き比べ

2009年01月22日 | 演奏(家)を語る
今回取り上げるのは、ヤナーチェクの代表的な声楽曲<グラゴル・ミサ>(1926年)。当ブログお得意の、聴き比べ感想文である。

●カレル・アンチェル指揮チェコ・フィルハーモニー、他 (1963年・スプラフォン盤)

名指揮者アンチェルの特長や美質が、最高度に発揮された名演。非常に筋肉質でドライな演奏なので、聴く側の好悪は分かれるかもしれないが、全編どこを取っても緩みがなく、曲の隅々にまで熱い共感と燃えるような意志が行きわたっている。オーケストラは特に弦楽部の響きが素晴らしく、まさに“いぶし銀”の味わい。コーラスも力強く、優秀。4人の独唱者にも当時の一線級が揃っていて、なかなか聴き応えがある。女性2人については後にもっと優れた歌手達が登場してくるけれども、テノールのベノ・ブラフトは、今もなおベストを争えるような歌唱を聴かせる。ちょっと馴染みの薄いバス独唱のエドゥアルド・ハケンという人も、この録音を聴く限りで言えば、大変立派な声の持ち主だったようだ。今私が持っているのは何年か前に発売された24ビット・リマスター盤だが、さすがに音の情報量が豊かで、かつてのLPなどとは比較にならない。

●フランチシェク・イーレク指揮ブルノ国立管弦楽団、他 (1979年・スプラフォン盤)

作曲家の故郷ブルノの音楽家たちによる、いわゆる“ご当地”名演。同じチェコ系でも上記アンチェル盤とはだいぶ様子が異なり、全体にソフトな印象を与えるものになっている。演奏家が声高に自己主張するのではなく、作品にそっと寄り添うようなアプローチだ。オーケストラの機能的な面を言えばチェコ・フィルのそれにはかなわないものの、弦楽器群の独特な暖かさ、合唱団(特に女声パート)の美しい響きなど、ちょっと他の演奏からは得られない感動がここにはある。とりわけ曲が抒情的な美しさを見せる部分で、この演奏は魅力を増すようだ。4人の独唱者については、コーラスと同様、女性陣が素晴らしい。ソプラノのガブリエラ・ベニャチコヴァー、メゾ・ソプラノのエヴァ・ランドヴァー、ともにそれぞれのベストと言ってよい名唱を聴かせてくれる。一方のテノールとバスは、やや弱い感じ。演奏全体の設計としては、オルガン独奏からイントラーダに至る最後の2曲を大きく盛り上げ、最後を力強く締めくくるという形を取っている。

●ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団、他 (1964年・グラモフォン盤)

曲のゴツゴツ感を力強く打ち出しながら、全体に速いテンポで突き進むホットな名演。「美しい演奏」というタイプの物ではないが、迸(ほとばし)る情熱がとにかく圧倒的だ。オーケストラもコーラスも指揮者の棒に共感し、極めて熱い音楽を生み出している。上記のイーレク盤などと比べると、かなり聴き疲れのする演奏でもある。4人の独唱者はいずれもドイツ・オペラの分野で名を成したメンバーで、何とも肉厚な堂々たる声の持ち主が揃った。なお、現在入手可能なこの演奏のCDには、エルンスト・ヘフリガーの独唱で指揮者のクーベリックがピアノ伴奏を受け持った歌曲集<消えた男の日記>が併録されている。当ブログでも以前語ったことがあるが、そこでのクーベリックのピアノはもう絶品である。

●チャールズ・マッケラス指揮チェコ・フィルハーモニー、他 (1984年・スプラフォン盤)

PCMデジタル録音ということで、濁りのない澄んだ音が聴けるCD。この点は、クーベリック盤などにはない長所と言ってよいだろう。しかし、何か全体に抑えられたような録音で、音がまるで伸びてこない。そのせいもあってか、演奏についてもいささか平凡な印象しか残らない。デッカに行なった一連のオペラ・シリーズで鮮烈な音響と抉り込むような表現を聴かせ、ヤナーチェク音楽への深い洞察を披露した名指揮者が、ここでは何だか借りてきた猫みたいに感じられてしまう。決して悪い演奏というわけではないのだが、この音質では、聴いていてじれったくてしょうがない。4人の独唱者の中では、バスのリハルト・ノヴァクが少し良いぐらい。女性歌手の2人は、かなり落ちる。

●マイケル・ティルソン=トマス指揮ロンドン交響楽団、他 (1990年・ソニー盤)

鮮やかで力強い響きと抒情的な美しさが高いレベルで同居した、(こう言っては失礼ながら)意想外の名演。チェコ系でない演奏家による<グラゴル・ミサ>録音の中では飛びぬけた一枚と、言ってよいと思う。第1曲『ウーヴォト』からして、その音楽的な純度、というか演奏の完成度に驚かされるし、その後も全曲にわたって、「国際規格の最上の美演」が展開していくのである。オーケストラもコーラスも、申し分のない出来栄えだ。4人の独唱者については、女性歌手の2人が良い。おなじみベニャチコヴァーのソプラノ・ソロも好演だが、それに輪をかけて、メゾ・ソプラノのフェリシティ・パーマーが見事。彼女は聴く側の先入観を吹き飛ばすような、水際立った歌唱を聴かせてくれる。録音の素晴らしさも特筆すべきものだ。ソニーの優秀な20ビット・デジタル録音によって、トゥッティの壮大な響きからソロ楽器の細やかなパッセージまで、稀有な名演の全容が細大もらさず捉えられている。ついでながら、余白に収められた<シンフォニエッタ>でも、洗練されたスタイルによる心地よい快演を聴くことができる。第3曲、第5曲に聴かれる細やかな抒情なども素晴らしい。それやこれやで、このCDを聴き終わった後の充足感は非常に大きい。

―<グラゴル・ミサ>の楽曲構成に窺われるシンメトリー志向

最後に一つ、付け足し話。<グラゴル・ミサ>の終曲である『イントラーダ』は通常、全曲の締めくくりに1回だけ演奏される。しかし、「全曲の最後だけでなく、最初にもイントラーダを演奏する」という形が取られることもある(※ちなみに私は、何年も前にNHKで放送されたマッケラスの指揮による演奏会のライヴ映像で、その実例を一度耳にした)。日本語版・ウィキペディアによると、これは作曲家のオリジナル楽譜を研究した成果の一つとされるもののようだ。実はそういう形で演奏することによって、ある謎が一つ、解けそうなのである。例の不可解な(?)『オルガン独奏曲』が終曲間際に突然飛び込んでくる理由は何か、それに対する答がちょっと探れそうなのだ。

【A】 通常の演奏曲順。

1.ウーヴォト(=導入曲。器楽演奏のみ。)
2.ゴスポジ・ポミルイ(=キリエ・エレイソン)
3.スラヴァ(=グロリア)
4.ヴィエルーユ(=クレド)
5.スヴェト(=サンクトゥス)
6.アグネチェ・ボジイ(=アニュス・デイ)
7.オルガン独奏曲
8.イントラーダ

【B】 イントラーダを全曲の冒頭にも置いた場合。

1.イントラーダ
2.ウーヴォト(=導入曲。器楽演奏のみ。)
3.ゴスポジ・ポミルイ(=キリエ・エレイソン)
4.スラヴァ(=グロリア)
5.ヴィエルーユ(=クレド)
6.スヴェト(=サンクトゥス)
7.アグネチェ・ボジイ(=アニュス・デイ)
8.オルガン独奏曲
9.イントラーダ

【B】のパターンを見てみると、どうやら作曲者はこのミサ曲について、「最も大きな楽曲であるヴィエルーユ(=クレド)を中心にしたシンメトリー(=左右対称)構造を意識していた可能性がある」と推理できそうなのだ。具体的に見ていくと、まず1.と9.が同じイントラーダで向かい合う。続いて2.ウーヴォトと8.オルガン独奏曲も、「器楽のみで演奏される曲」という点で、一対のペアになる。さらに、「抒情的な曲想が中心」という音楽の性格によって、3.ゴスポジ・ポミルイと7.アグネチェ・ボジイも、一つのペアに成り得る。「比較的静かな出だしから、後半に向けて盛り上がる」という点で、4.スラヴァと6.スヴェトにも共通点が見出せる。―とまあ、かなり分かりやすく左右対称となった楽曲構成が見えてくるのである。(※もっとちゃんとした分析は、楽譜を読める方が是非トライなさって下さい。当ブログ主には無理です。w )そういった流れから、今後は【B】のパターンを採用する演奏家が、ひょっとしたら増えてくるかもしれない。

―というところで、ヤナーチェク作品についてのお話は一応、すべて終了。次回からは、先頃書いた<マクロプロス事件>の中でちょっとその名に触れていたギリシャの名指揮者ディミトリ・ミトロプロスを、シリーズで取り上げてみることにしたい。具体的に語るのは、この人が遺してくれたオペラ全曲録音の数々である。
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歌劇<マクロプロス事件>(3)

2009年01月12日 | 作品を語る
今回は、ヤナーチェクの歌劇<マクロプロス事件>の最終回。

〔 第3幕 〕~続き

私どもの尋問に対するエミリア・マルティの回答は、まことに信じ難いものでした。しかし、すべて偽りのない事実だったのです。以下、エミリアが語った驚愕の真実をご紹介させていただくところから、まとめのお話を始めてみたいと思います。(※一部ですが、本人のセリフ以外の言葉をこちらで補充させていただいた箇所があります。ご了承ください。)

「私の名は、エリナ・マクロプロス。年齢は、337歳。私の父はヒエロニムス・マクロプロスという名で、16世紀末に神聖ローマ帝国の皇帝だったルドルフ2世の侍医をしていた。・・・不老不死を願う皇帝の命令で、『300年の若さが得られる秘薬』を、父は作ったの。そして薬が出来上がると、当時16歳だった娘の私が、実験台として飲まされたわけ。私は意識をなくして、重体になった。騙されたと思って怒った皇帝は、父を投獄したわ。でも1週間後に目を覚ました私は、それから死ななくなった。そして父がギリシャ語で書き残した文書、つまり、“一服で300年の命が得られる薬の製法”が書かれた処方箋をもって、私はヨーロッパ各地を転々とするようになったの。名前と国籍を変えながらね。

そして今から100年前に、私はペピ(=ヨゼフ・プルス男爵)と出会って恋をし、フェルディナンドを産んだわ。その時の私の名は、エリアン・マクグレゴル。戸籍上はマクロプロス姓を使わなければならなかったから、子供の名前はその名字で登録することになったけどね。・・・私はペピと別れた時、例の処方箋を入れた封筒を、彼のところに置いていった。『また戻ってきてくれ』って、説得されちゃったから」。

そこまで語ると、エミリアは強い疲労を訴えて倒れます。彼女は寝室へ運ばれ、医師の手当てを受けました。この時ばかりは、私たちもちょっと彼女を厳しく問い詰めすぎたと反省しました。やがてエミリアがまた戻ってきて、オペラはいよいよラスト・シーンに入ります。

「ああ、こんなに長く生きるものじゃない。あなた方には、すべての物が意味を持つ。すべての物が価値を持つ。おバカさんたち。幸せな人たち。・・・私は父が残した秘伝の書を取り戻しにここへ来たけど、もういらないわ。これからまた300年生きたって、くだらないもの。誰かほしい人、いる?クリスタさん、あなたにあげるわ。有名な歌手になれるわよ、私のように。さあ、受け取って」。

私たちは、「そんな物をもらっちゃいかん」と止めましたが、クリスタは書類を受け取りました。そして彼女は無言のままそれを蝋燭の火にかざし、きれいに燃やしてしまいます。マクロプロスの秘伝の書は、完全に灰となりました。そしてそれを見届けたエミリア・マルティは、その場に崩れるように倒れこんだのです。【※1】歌劇<マクロプロス事件>は、ここで全曲の幕を閉じます。

【※1】 カレル・チャペックが書いた原作(1922年・舞台初演)では、「エミリアが最後に死ぬ」という形には必ずしもなっていないようだが、ヤナーチェクのオペラでは最後にエミリアが倒れ、どうやら彼女は死んだらしいことが示唆される。また、エミリア・マルティが最後、薬切れによって本来の337歳にふさわしい姿、つまり、「ミイラのような老婆の姿」にみるみる変容していくというホラー映画みたいな演出が施されたオペラ上演も、過去にはあったらしい。これは今の時代でも十分使えそうなエンディングで、いつか是非一度見てみたいものである。

―「300年の人生」を巡る登場人物たちの意見

チャペックの原作には、「300年の人生をどう思うか」について、各登場人物が語る場面があるらしい。ここで聞かれる意見はヤナーチェクのオペラ台本からすっぽりカットされていて、エミリア・マルティのセリフに少しだけ引用されている部分が見つかるにとどまる。しかし、この場面をちょっと見てみると、なかなか面白い発見がある。以下、チャールズ・マッケラス指揮ウィーン・フィル、他によるデッカ録音(1978年)の国内盤LPに付いていた解説書から、その該当箇所を一部抜粋・編集して書き出してみることにしたい。作品理解の一助としていただけたら幸いである。

●弁護士の秘書ヴィーテクの意見

「たかだか60歳までの人生で、一人の人間に何が達成できますか。・・・それこそ、生きたともいえないうちに死ぬようなものです。300年も生きられれば、はじめの50年で勉強し、次の50年で世の中を知り、すべての存在を知る。次の100年は他の人々の利益のために使い、人間として持つべきすべての経験を身につける。そして残りの100年は知恵の中に生きて、世を治め、人を教え、後世に手本を残すことに使う。・・・300年あれば、人間は誰でも完全無欠になって、真の意味で神の子になれるんです」。

●弁護士コレナティー博士の意見

「経済的、法律的見地からすれば、300年の人生なんて理屈に合わんよ。社会のシステムというのがそもそも、人生の短さの上に成り立っているんだから。契約、年金、保険、給料、遺言・・・みんなそうだ。結婚だってそうだろう。誰が300年も結婚していたいなんて思うかね」。

●ヤロスラフ・プルス男爵の意見

「300年の人生があり得るなら、それは有能な強者にだけ与えられるべきだ。・・・平々凡々たる連中が、誰も死なない。そしてせっせと休む間もなく、まるでネズミかハエのように子を産んで増えていく。死に絶えるのは偉大な人間ばかり。強くて有能な人間ばかり。それはつまり、そういった者たちに代わる人間がいないからだ。まあしかし、そういう優秀な種を保存するチャンスはあるかもしれん。・・・優れた人間が長寿を得る、つまり選ばれた少数による専制支配だ。頭脳による支配ということだ。・・・長寿を得る者が当然、人類の支配者となる」。

●実際に300年を生きたエリナ・マクロプロス(=劇中ではエミリア・マルティ)の意見

「300年なんて愛を持ち続けることは出来ないわ。希望だって、創造だって、物を観察することだって、300年は続かない。うんざりしてくるのよ。何をしても、退屈。退屈も時には良し悪しでしょうけどね。・・・でもそのうち、この世には何も存在しないってことが分かってくるのね。何も無いのよ。罪も、苦痛も、地面も、何にも無いの。ものが存在するってのは、ものに価値があるってことよ。並の人間にとっては、何でも価値があるわ。・・・あなたたちみたいなおバカさんは、幸せだと思うわ。腹立たしいけど。あなたたちは早く死ぬことができる。だから猿みたいに、まわりのものに興味が持てる。いろいろなものを信じることが出来る。愛を信じ、自分を信じ、徳を信じ、進歩を信じ、人類を信じ、・・・その他もろもろの事が信じられる」。

―マクロプロスという名前が暗示するもの

最後に一つ、付け足し話。上記マッケラス盤LPの解説書に、マクロプロスという名前の意味について興味深い文章が載っている。それによると、「プロス」というのは、“~の息子”を意味するギリシャ語の接尾辞だそうである。(そう言えば、ギリシャ系の名字に~プロスというのをよく見かけるような気がする。クラシック音楽界の例で言えば、ギリシャ出身の往年の名指揮者にディミトリ・ミトロプロスがいるし、ギリシャの名歌手マリア・カラスの本当の名字がカルゲロプロスであったことは、ファンの方ならきっとご存知のことと思う。)そして、前半の「マクロ」が“長い”という意味を持つ言葉であるとのことで、両者をつなげた「マクロプロス」は長寿を連想させるギリシャ系の名前、という仕掛けになっているようだ。

★以上で、当ブログに於けるヤナーチェク・オペラのお話は終了。次回は、ヤナーチェク・シリーズの締めくくりとして、<グラゴル・ミサ>を聴き比べた感想文を書いてみることにしたい。この個性的な名作については、私もこれまで相当数の演奏録音に触れてきたが、次回はその中から代表的な5種を厳選して語ってみようと思う。
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歌劇<マクロプロス事件>(2)

2009年01月02日 | 作品を語る
前回の続きで、ヤナーチェクの歌劇<マクロプロス事件>。今回は、第2幕と第3幕前半の内容。

〔 第2幕 〕・・・大きな劇場の中。上演後の片づけ中。

掃除婦(A)と舞台の電気係(B)が、先ほど終わったエミリア・マルティの公演について話しています。大歌手の信じられないような名唱、聴衆の熱狂、そして50回にも及ぶカーテン・コール・・・。ヤロスラフ・プルス男爵がエミリアに会いたいとやってきますが、彼はそこでしばらく待たされることとなります。続いて、クリスタが男爵の息子であるヤネク(T)とともにやって来ます。この二人は恋人同士です。しかし、クリスタは彼よりも、自分の大きな目標である大歌手マルティのことで頭がいっぱいです。やがてエミリア・マルティが姿を見せますと、ヤネクはたちまち彼女の美しさに打たれ、夢中になってしまいます。まあ、例によってですが、大歌手は若者を軽くあしらい、「この人、おばかさんでしょ」と、彼の父親であるプルス男爵に言います。

ほどなくすると、エミリアに夢中になっているもう一人の若者、アルベルト・グレゴルが花束を持って現れます。彼と一緒にいるのは、私の秘書ヴィーテクです。アルベルトがお金に無理をしたのが分かっているエミリアは、花を受け取りません。続いて彼女は、そこにいるヴィーテクに向かって露骨なことを尋ねます。「あなたの娘さん、クリスタさんって、もう恋人とやったのかしら?男女のあれを」。・・・当惑する一同を尻目に、彼女は言葉を続けます。「もしまだやっていなくても、そのうちやるんでしょうね。でもね、そんなの、何の価値もないことよ」。それまで黙っていたプルス男爵が、ここで彼女に問いかけます。「ではマルティさん、何だったらする価値があると、あなたはおっしゃるのですか」。それに対するエミリアの答えは、極めて冷ややかなものでした。「何もないわ。価値のあるものなんて、何も無いのよ」。

するとそこへ、ちょっと変な人物が訪れてきます。ハウク=シェンドルフ(T)という名の、年のいった男性です。なんでも、若い頃はオペレッタ歌手として活躍していた人らしいのですが、その当時(今から50年前)、彼が憧れていたエウゲニア・モンテスという歌手にエミリアはそっくりだと、ここまで彼女に会いに来たらしいのです。この方、どうも様子が普通ではありません。しかし、エミリアは優しく親しげな態度で彼に対応します。

そのハウク=シェンドルフ氏が去った後、「娘のクリスタのために、写真にサインしてやって下さい」というヴィーテクの注文に、エミリアは応えます。次いで人払いを済ませると、彼女はヤロスラフ・プルス男爵と二人きりになります。男爵は自宅で、いくつか謎めいた文書を見つけたようです。「E・Mというイニシャル署名の付いた手紙が、見つかりました。エリアン・マクグレゴルでしょうか。ヨゼフ・プルスとの、ふしだらな性の告白が書かれていました。それと、先頃見つかった遺言書に関連することなんですが、ロウコフの領地を遺贈されたフェルディナンドという子供、出生登録簿ではフェルディナンド・マクロプロスとなっておりましてね。グレゴル姓ではないのです。1816年生まれで、母親の名はエリナ・マクロプロスとか。・・・ああ、それともう一つ、何やら封のされた文書もありました」。「その封書を売ってちょうだい」とエミリアは申し出ますが、男爵にやんわりとかわされてしまいます。

プルス氏が去った後、またアルベルト・グレゴルが戻ってきます。彼は激しくエミリアに言い寄りますが、やはり突き放されます。そして強い疲労を感じていた彼女は、そのまま眠り込んでしまいます。失意のアルベルトが出て行くと、今度はヤネクがやって来ます。彼もまた、エミリア・マルティの妖しい魅力にはまってしまった哀れな男の一人です。目を覚ましたエミリアは、「私をそんなに思っているなら、あなた、お父さんのところから私が言うとおりの封書を取ってきてちょうだい」と彼に命じます。ヤネクは応諾するのですが、そこへ突然、彼の父親であるプルス男爵が現れます。そして小心者の息子を追い払い、男爵はエミリアと取引を交わします。「あなたがほしがっている文書を、お渡ししましょう。代価はあなた自身、ということで」。

〔 第3幕 〕・・・ホテルの一室。夜明けのかすかな光。

エミリア・マルティと一夜を過ごしたヤロスラフ・プルス男爵は、約束どおり、彼女がほしがっていた秘密文書の入った封筒を渡します。男爵は今、激しく後悔しています。「氷のような女。まるで死体を抱いているようだった」。そこへ女中がやって来て、彼の息子ヤネクが自殺したことを伝えます。激しい衝撃に打ちひしがれるプルス男爵ですが、エミリアは平然と髪をとかし続けています。「あんた、よくそんな風に平気でいられるな」と責めるプルス氏に対し、「私に何ができるって言うの」と、彼女はしれっとした態度で答えます。

続いて、プルス氏と入れ替わるようにハウク=シェンドルフが入ってきて、「妻の宝石をくすねてきた。あなたと一緒に、スペインへ行きたい」とエミリアに申し出ます。彼女の方も、「あ、それ、いいわね」と乗り気になります。そして二人が旅立つ準備をしているところに、私たちが乗り込みます。揃った顔ぶれは、私コレナティーと秘書のヴィーテク、アルベルト・グレゴル、クリスタ、ヤロスラフ・プルス男爵、そして一人の医者、という面々です。このまま彼女を逃がすわけにはいきません。私は、100年前に書かれたという書類を差し出し、「あなたが先日クリスタのためにしてくださったサインと、筆跡が全く同じですね」と言って、彼女に迫りました。するとエミリアは、「裁判なら受けてたちますよ。でもその前に、ちょっと着替えさせてくださいな」と言って席を外します。(もう一人、少しおかしくなっている男の方は、医者が連れ去りました。)

さて、彼女が別室に行っている間、私たちは彼女の持ち物を一斉に捜索しました。すると、出てくるのです。いろいろな手紙や書類が。エウゲニア・モンテス、エリアン・マクグレゴル、エルザ・ミュラー、エカチェリーナ・ミシュキン、いずれもイニシャルがE・Mとなるような名前のついた書簡。これらに書かれた文字もすべて、エミリア・マルティの筆跡そのものです。これで、私たちは確信しました。エミリアは文書の偽造をやっている!やがて着替えを終えた彼女が、ウィスキーのボトルを手に提げて戻ってきます。そしていよいよ彼女への尋問が始まるわけですが、そこで私たちは、まことに驚くべき話を聞かされることとなりました。

―この続き、ドラマの幕切れまでの展開については次回です。どうぞ、お待ちください。
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