クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

2011年5月・近況、バルビローリ、ライナー

2011年05月31日 | エトセトラ
当ブログ主は、何とか生存中。ただ、実生活面で現在深い失意に沈んでいるため、長い文章に取り組むような気力が出ないのがつらいところ。―ということで今回は、掲示板書き込み程度のお気楽エントリー。

古くからあまねく知られた名演奏のCDを、今月2つ買い直した。1つは、ジョン・バルビローリ&ベルリン・フィルによるマーラーの<交響曲第9番>。思いっきり有名な、EMIの1964年盤だ。バルビローリの<マラ9>はLPレコード(2枚組)の時代から初期CD(1枚物で発売されて、当時驚いた記憶がある)と買いつないできたが、いずれも随分昔に売却して、長いこと気持から離れていた音源である。それが、先日何となく久しぶりに聴きたくなって、通販サイトで注文。この演奏聴くのって、何年ぶりだろう・・・。今回はHigh Quality CD(略してHQCD)という新しい規格の盤で買ったのだが、これが大正解。とにかく、音の情報量が豊かなのだ。例えば弦楽セクションに施された繊細な表現、トゥッティで聞かれる管弦楽のマッシブな迫力、そして各楽器群の音の分離の良さ。私が耳にしてきたこれまでのディスク(※但しART盤は未聴)からは聴き取れなかったものがたくさん得られ、感銘を新たにしたのである。

正直なところ、この演奏には幾ばくかの不満が無いわけでもない。今の水準で見たらオーケストラの練り上げというか、アンサンブルの仕込みみたいなところで今一つ詰めが甘いように思われる部分もあるし、表現自体にも生ぬるさが感じられて物足りない箇所も散見される。しかし、その上でなお、この演奏は何か心にずっと残り続けるものがあって、私の中ではある特別な地位を保ち続けている名盤なのである。同じベルリン・フィルとの同曲の録音でも、例えば割と最近出たラトル盤(2007年録音)のように、一回聴いたら「はい、わかりました。もういいです」と言いたくなるような浅薄さ(もうちょっと言葉を補うと、オケの見事な仕込み具合や細を穿った明晰な音像とは裏腹の、内面的な部分での共感度の乏しさ)とは次元が違うし、ひたすら丁寧、且つ精密でそのうち私を退屈で眠らせてしまったアバドの演奏とも違う。ましてや、無意味な弱音と空虚な大音響で、聴いているうちにムカムカ、イライラさせられて、「インチキもいいかげんにしやがれ」と罵倒したくなったカラヤン盤(1979~80年録音。スタジオ盤は特にひどいが、ライヴ盤の方もどっこい、どっこい)などとは全然違う。

一言で言えば、「ハートがある」ということだ。技術的な問題云々を超えて、聴く者の心に残る何かがある。ある時、ふと取り出してまた聴きたくなる。そういう独特な魅力が、バルビローリ盤にはあるということなのだ。で、結論。ベルリン・フィルでマーラーの第9を聴くなら、バーンスタインとの一回きりの共演となった79年ライヴ(※1枚物で再発売されたOIBP盤が良い)と、このバルビローリ盤が私の中でのベスト2というわけである。ちなみに、涼宮バルビのEMI・マーラー録音には、ニュー・フィルハーモニア管との第5番、第6番もあって、この2つも世評が高い。私の独断では第6番が最高無類の名演で、それに続くのが今回取り上げたベルリン・フィルとの第9番。残りの第5番だけはちょっと癖のある演奏なので推薦しにくいもの、ということになる。

さて、今月買ったもう1枚。これまた有名な演奏。フリッツ・ライナー&シカゴ響によるバルトークの<弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽>である。1958年、RCAによるステレオ最初期の名盤だ。これもLPレコード、初期CDと買いつなぎ、その後中古売却して長らくご無沙汰していた名演である。今回はxrcdがネット通販のセール対象品として見つかったのがきっかけで、「あ、これ、随分安くなったんだな。じゃ、懐かしいところで久しぶりに聴いてみるか」と、早速注文したのだった。これも大正解。xrcdと言えば、少し前にシャルル・ミュンシュ&ボストン響のサン=サーンスの3番を堪能したばかりだが、このライナーのバルトークも素晴らしかった。またそのセリフか、と言われそうだが、ここでもやはり音の情報量が圧倒的に豊かで、決して大げさでなく、もう新発見の連発となったのである。とりわけ第1楽章にびっくり。「この演奏って、こんなにも各楽器が分離良く鳴っていたのか」と、私はそれまでの古い記憶を完全に塗り替えさせられることとなった。全4楽章にわたって、ステレオ感も十分。LPの頃はこんな感じではなくて、もっとモノラルっぽかったように思う。

ライナー&シカゴ響のバルトークと言えば<管弦楽のための協奏曲>(1955年)も夙(つと)に高名だが、そちらについてはもっと新しい録音で、もっと余裕のある名演奏が他にも少なからず存在するため、必ずしもライナーのが決定的名演とまでは言えないと思うのだが、こちらの<弦チェレ>については、今もなお同曲録音のベストを争えるものと私は思っている。厳しいほどに引き締まった音像と、全編を貫く強烈な緊張感。これは<弦チェレ>演奏の一つの究極であるとさえ思う。私の趣味として、この名演に肩を並べられるのは、これとは全く違った個性的なアプローチで楽しませてくれるということで、バーンスタイン&ニューヨーク・フィルのソニー盤ということになるだろうか。若きバーンスタインのタクトが生み出すのは、ダイナミックで表情濃厚な、何ともホットなバルトークである。(※参考までに、「ブダペストのバーンスタイン」というタイトルで発売されているフンガロトン音源のCDというのもあって、そこには円熟期のバーンスタインがバイエルン放送響と行なった同曲のライヴ演奏が収録されている。より引き締まった、大人っぽい演奏だ。ただこれ、音楽表現としてはいくぶん常識的な感じがして、ニューヨーク時代の楽しい荒々しさがなくなってしまっている。そのあたりが、私には惜しまれるところだ。)

―と、一気にここまでワープロ原稿を打ちまくってきたら、さすがに疲れた。今回は、この辺で・・・。

(追記)

昨日は一息で書き上げた原稿を速攻で掲載したため、後になって気がついたことがある。C・アバドが指揮したマーラーの第9演奏で、私が聴いた(というより、視聴した)のはベルリン・フィルとのものではなかったようだ。当時のメモがもう残っていないので、演奏日時やオーケストラ名はわからないのだが、とにかくベルリン・フィルではなかったように思う。いずれにしても今回言いたかったのは、老境に入ったアバドのマーラーは丁寧精密な仕上げの名演であったことは認められるにしても、私には全く退屈で、面白くも何ともなかったということなのだ。途中で本当に寝てしまったし、最後まで聴きとおすこともなく機械のスイッチを切り、その後二度とプレイ再生することはなかったのである。
コメント (3)
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