2022年10月23日(日)。当ブログは今月31日に、満18歳の誕生日を迎える。現行法でいけば、人間なら成人の仲間入りだ。・・で、それを機に何を書こうかと考えたのだが、「自分が18歳前後の年齢だった頃、何に夢中になっていたか」を、ここで振り返ってみるのも面白そうだなと、今回の結論を出すに至った。(※具体的には1970年代後半の、ちょっと古いお話になる)。
直接のきっかけは、この10月1日(土)に流れたアントニオ猪木の訃報である。高校時代のブログ主が熱狂的なほどにハマり込んでいた趣味、それはTVのプロレス観戦だった。自分自身がチビ、短足、童顔で、おまけに病弱という情けない体に生まれついたことへの反動。恵まれた体を持つ男たちの活力みなぎる肉弾戦に、それこそ血沸き肉躍るような快感を味わっていたのだった。中でも当時全盛期にあったアントニオ猪木の異種格闘技戦シリーズは、最高の“御馳走”だった。毎日毎日、鬱な日々を送りがちだった当時の自分にとって、それは本当にかけがえのない心の栄養だった。
当時「格闘技世界一決定戦」と銘打って放送された試合については、40年以上経った今でも、相当数思い出すことができる。内容的には玉石混交だった同シリーズの中から、観ていてめちゃくちゃ燃え上がった名勝負はまず、柔道王ウィレム・ルスカとの最初の対戦、アメリカン・マーシャルアーツの王者モンスターマン・エヴェレット・エディとの最初の対戦、そしてプロボクサーのチャック・ウェッブナーとの対戦。職業格闘家ではない一般人の強者からは、レフトフック・デイトンと極真空手のウィリー・ウィリアムズ。・・・これが、ベスト5。モハメッド・アリやレオン・スピンクスといった超一流ボクサーとの試合がdud(不発)に終わった理由は、明らかである。どちらも事前の台本作りがどうにも折り合わず、話がまとまらないまま本番を迎えてしまったことが原因だ。逆に好試合となったウェップナー戦では、名のあるランキング・ボクサーが猪木側の提案に快く乗ってくれて、試合前に一緒にリングに上がり、リハーサルにまで付き合ってくれた。これが、成功の要因である。
新日本プロレスで長年レフェリーを務めていたミスター高橋(本名・高橋輝男)の本『流血の魔術 最強の演技』を発売時(2001年)に読み、さすがにブログ主も大人になっている(笑)ので、今はこういう言い方が普通にできるのだが、アントニオ猪木の栄光というのは、「プロレス・ファンがナイーヴ(つまり、世間知らず)で、ある種の幻想に酔えていた時代に、レスラーとしての黄金期を謳歌することができた」という、その幸運に拠るところが大きい。あの頃は「プロレスこそ最強の格闘技だ」「いや、極真空手だよ」とか、「ジャイアント馬場は八百長だが、猪木はガチ」などと、全くしょうもない事を皆真顔で論じ合っていたのである。
高橋氏がきれいにバラしてくれたとおり、プロレスの試合はすべてショー。台本のあるエンターテインメントなのだ。彼らの戦いがすべて非日常的な舞台でのお芝居・演技であると承知した上で、敢えてそれに乗る。時には自らが“推(お)し”とするレスラーを応援し、興奮し、そして感激して、浮世の憂さをしばし忘れるほどのカタルシスを味わう。それが、プロレス観戦の醍醐味であろう。そこに求めるべきはK-1のような本物の真剣勝負ではなく、肉体的エリートたちが演じるパフォーマンスの完成度なのだ。趣のまるで違う世界ではあるけれども、これはあの宝塚歌劇と一脈相通ずるものがあるように、ブログ主には思える。
ちなみに、「アントニオ猪木」というリングネームを考えた名付け親は、大相撲出身の怪力レスラー・豊登(とよのぼり)である。力道山が世を去り、ジャイアント馬場がその後を継げるレスラーに育つまでの谷間の時代に、日本のプロレス界を支えた功労者だ。その豊登道春がまだ現役でリングに上がり、パコーン!パコーン!と闊背(かっぱい=今の言い方だと、広背筋)を鳴らすパフォーマンスを見せていた、昭和40年代初頭。当時子供だったブログ主は、その頃からプロレスのファンだった。・・・それも大学に入学したあたりから徐々に疎遠となり、やがてフェイドアウトするようにお別れとなる。
時代は、1980年代。「おおーっと、藤波!ここでまさかの逆サソリ!おきて破りの逆サソリー!」「今夜も見られるのでありましょうか、人間イグゾセミサイルの・・」といった古館節が炸裂し始めた頃、ブログ主はプロレス(そして、アニメや漫画)から卒業し、クラシック音楽のマニアックな世界に入って行ったのである。
―アントニオ猪木の死因
医療従事者でも何でもない素人のブログ主ではあるが、2年ぐらい前に猪木氏が「自分は、心アミロイドーシスであると診断されました」と世間に公表した時は、思わず表情が曇ってしまうのを止められなかった。「猪木さん・・その病気か」と。心電図の勉強を始めてから数ヶ月経った頃、ちょうど心エコー読影の基礎をかじった直後ぐらいに触れたニュースだったので、その病名が何を意味するのかが分かってしまったのだ。以下に記すのは、この場で即座に書き出せる範囲での、ブログ主が持つ同疾患に関する知見である。
●ラボデータ・・・ベンス=ジョ-ンズなどの怪しげな蛋白、M蛋白の検出。
●ありがちな心電図所見・・・肢誘導の低電位と、胸部誘導のQSパターン。
●ありがちな心エコー所見・・・心室壁の瀰漫的(びまん)的肥厚。左室駆出率の著明な低下。左室流入速波形におけるE波とA波の異常なバランス(※偽正常型~拘束型)。
●心筋生検・・・コンゴ・レッドまたはダイレクト・ファスト・スカーレットによる染色で確認される、赤橙色のアミロイド。診断の確定。
●タイプ分類・・・複数存在。基本的には、予後が良くない物ばかりと認知されている難病。
かつては糖尿病さえ克服した“燃える闘魂”も、心臓から始まった老人性の全身性アミロイドーシスには勝てなかった。
―必ずしも明るいものとは言い切れなかったブログ主の青春に、しばしば生きる喜びの時間を与えてくれた不世出の名レスラー・アントニオ猪木。その冥福を心より祈って、合掌。
【参考文献】 ※下記6冊とも、著者はすべて元新日本プロレスのレフェリー・ミスター高橋。
(1)『プロレスラーをめざして夢を勝ち取る方法』(1998年・三一書房)
(2)『プロレス、至近距離の真実』(1998年・講談社)
(3)『流血の魔術 最強の演技』(2001年・講談社)
(4)『プロレスの聖書-キング オブ エンターテイメント-』(2003年・ゼニスプランニング)
(5)『プロレスラー「肉体」の真実』(2007年・宝島社)
(6)『流血の魔術 第2幕』(2010年・講談社)
ブログ主が最初に読んだ上記(3)を中心に、高橋氏は著作の中でプロレス界の内幕を惜しげもなく暴露している。例えば・・・(※注意 以下の引用文は原本そのままではなく、当ブログ用に一部修正した物。)
「ルスカ、ウェップナー、モンスターマン・エディなど、本当に強い相手とやる時、猪木さんは非常に慎重だった。※この3名の他、柔道家ショータ・チョチョシビリとの入念なリハーサルについても言及。(3)の79~81ページ」「プロレス界では、試合で流す血をジュースと呼ぶ。・・・レスラーの額から出るジュースは、カミソリの刃でサッと切り裂いて出すものだ。ジュースのある試合では、いつも私(高橋)はカミソリの刃を短くカットし、指先につけてテープで巻いていた。・・・鉄柱や相手の凶器でやられたように見せかけて、実は私が持っているカミソリの刃で切っていたわけだ」「猪木さんはジュースの出し方も抜群に上手かった。タイガー・ジェット・シンのコブラクローで猪木さんが喉から出血したことがある。・・・シンの手を自分の喉元からふりほどくようなふりをして、猪木さんは自分で持っていたカミソリで喉を切った。後でテレビの録画を見たら、まさにシンの指が喉に刺さっているように見えた。・・・自分の身を切り裂いてまで、徹底的に相手の凄みを引き出していく猪木さんの執念と上手さは、見ていて身震いするほどだった」「初来日したスタン・ハンセンのウェスタン・ラリアートをファンに強く印象付けるため、ジャブ(負け役)を引き受けた坂口征二が一言。『今日、私、血を吐きますから』。その後坂口自身の腕ではルートが取れなかったため、私は他の外人レスラーから控室で採血させてもらい、その血をコンドームに入れた。・・(中略)・・そして、ハンセンのラリアートをもろに受けたところで口の中の袋を噛み破り、坂口はゲボッと血を吐いた。※以上、(3)より、147~159ページ」等等・・・。
★次回予告
ブログ立ち上げ18周年記念(成人祝い)の、第2弾。前回の記事に出てきた四字熟語「紆余曲折」、そして今回出てきた「1970年代後半」「宝塚」「逆サソリ」。これらの言葉をすべてつなげる往年の人気漫画が、次回のトピックである。当時17~18歳だったブログ主が楽しんでいた、懐かしいコミックの1つだ。・・・「1970年代後半の人気漫画で、宝塚の演目にもなっている。そして、紆余曲折のストーリー」というところから、既にその作品名を突き止めてしまった名探偵(?)がおられるかもしれない。w ・・・でも、「逆サソリ」って?何が、サソリ?
―その種明かしは、次回。
直接のきっかけは、この10月1日(土)に流れたアントニオ猪木の訃報である。高校時代のブログ主が熱狂的なほどにハマり込んでいた趣味、それはTVのプロレス観戦だった。自分自身がチビ、短足、童顔で、おまけに病弱という情けない体に生まれついたことへの反動。恵まれた体を持つ男たちの活力みなぎる肉弾戦に、それこそ血沸き肉躍るような快感を味わっていたのだった。中でも当時全盛期にあったアントニオ猪木の異種格闘技戦シリーズは、最高の“御馳走”だった。毎日毎日、鬱な日々を送りがちだった当時の自分にとって、それは本当にかけがえのない心の栄養だった。
当時「格闘技世界一決定戦」と銘打って放送された試合については、40年以上経った今でも、相当数思い出すことができる。内容的には玉石混交だった同シリーズの中から、観ていてめちゃくちゃ燃え上がった名勝負はまず、柔道王ウィレム・ルスカとの最初の対戦、アメリカン・マーシャルアーツの王者モンスターマン・エヴェレット・エディとの最初の対戦、そしてプロボクサーのチャック・ウェッブナーとの対戦。職業格闘家ではない一般人の強者からは、レフトフック・デイトンと極真空手のウィリー・ウィリアムズ。・・・これが、ベスト5。モハメッド・アリやレオン・スピンクスといった超一流ボクサーとの試合がdud(不発)に終わった理由は、明らかである。どちらも事前の台本作りがどうにも折り合わず、話がまとまらないまま本番を迎えてしまったことが原因だ。逆に好試合となったウェップナー戦では、名のあるランキング・ボクサーが猪木側の提案に快く乗ってくれて、試合前に一緒にリングに上がり、リハーサルにまで付き合ってくれた。これが、成功の要因である。
新日本プロレスで長年レフェリーを務めていたミスター高橋(本名・高橋輝男)の本『流血の魔術 最強の演技』を発売時(2001年)に読み、さすがにブログ主も大人になっている(笑)ので、今はこういう言い方が普通にできるのだが、アントニオ猪木の栄光というのは、「プロレス・ファンがナイーヴ(つまり、世間知らず)で、ある種の幻想に酔えていた時代に、レスラーとしての黄金期を謳歌することができた」という、その幸運に拠るところが大きい。あの頃は「プロレスこそ最強の格闘技だ」「いや、極真空手だよ」とか、「ジャイアント馬場は八百長だが、猪木はガチ」などと、全くしょうもない事を皆真顔で論じ合っていたのである。
高橋氏がきれいにバラしてくれたとおり、プロレスの試合はすべてショー。台本のあるエンターテインメントなのだ。彼らの戦いがすべて非日常的な舞台でのお芝居・演技であると承知した上で、敢えてそれに乗る。時には自らが“推(お)し”とするレスラーを応援し、興奮し、そして感激して、浮世の憂さをしばし忘れるほどのカタルシスを味わう。それが、プロレス観戦の醍醐味であろう。そこに求めるべきはK-1のような本物の真剣勝負ではなく、肉体的エリートたちが演じるパフォーマンスの完成度なのだ。趣のまるで違う世界ではあるけれども、これはあの宝塚歌劇と一脈相通ずるものがあるように、ブログ主には思える。
ちなみに、「アントニオ猪木」というリングネームを考えた名付け親は、大相撲出身の怪力レスラー・豊登(とよのぼり)である。力道山が世を去り、ジャイアント馬場がその後を継げるレスラーに育つまでの谷間の時代に、日本のプロレス界を支えた功労者だ。その豊登道春がまだ現役でリングに上がり、パコーン!パコーン!と闊背(かっぱい=今の言い方だと、広背筋)を鳴らすパフォーマンスを見せていた、昭和40年代初頭。当時子供だったブログ主は、その頃からプロレスのファンだった。・・・それも大学に入学したあたりから徐々に疎遠となり、やがてフェイドアウトするようにお別れとなる。
時代は、1980年代。「おおーっと、藤波!ここでまさかの逆サソリ!おきて破りの逆サソリー!」「今夜も見られるのでありましょうか、人間イグゾセミサイルの・・」といった古館節が炸裂し始めた頃、ブログ主はプロレス(そして、アニメや漫画)から卒業し、クラシック音楽のマニアックな世界に入って行ったのである。
―アントニオ猪木の死因
医療従事者でも何でもない素人のブログ主ではあるが、2年ぐらい前に猪木氏が「自分は、心アミロイドーシスであると診断されました」と世間に公表した時は、思わず表情が曇ってしまうのを止められなかった。「猪木さん・・その病気か」と。心電図の勉強を始めてから数ヶ月経った頃、ちょうど心エコー読影の基礎をかじった直後ぐらいに触れたニュースだったので、その病名が何を意味するのかが分かってしまったのだ。以下に記すのは、この場で即座に書き出せる範囲での、ブログ主が持つ同疾患に関する知見である。
●ラボデータ・・・ベンス=ジョ-ンズなどの怪しげな蛋白、M蛋白の検出。
●ありがちな心電図所見・・・肢誘導の低電位と、胸部誘導のQSパターン。
●ありがちな心エコー所見・・・心室壁の瀰漫的(びまん)的肥厚。左室駆出率の著明な低下。左室流入速波形におけるE波とA波の異常なバランス(※偽正常型~拘束型)。
●心筋生検・・・コンゴ・レッドまたはダイレクト・ファスト・スカーレットによる染色で確認される、赤橙色のアミロイド。診断の確定。
●タイプ分類・・・複数存在。基本的には、予後が良くない物ばかりと認知されている難病。
かつては糖尿病さえ克服した“燃える闘魂”も、心臓から始まった老人性の全身性アミロイドーシスには勝てなかった。
―必ずしも明るいものとは言い切れなかったブログ主の青春に、しばしば生きる喜びの時間を与えてくれた不世出の名レスラー・アントニオ猪木。その冥福を心より祈って、合掌。
【参考文献】 ※下記6冊とも、著者はすべて元新日本プロレスのレフェリー・ミスター高橋。
(1)『プロレスラーをめざして夢を勝ち取る方法』(1998年・三一書房)
(2)『プロレス、至近距離の真実』(1998年・講談社)
(3)『流血の魔術 最強の演技』(2001年・講談社)
(4)『プロレスの聖書-キング オブ エンターテイメント-』(2003年・ゼニスプランニング)
(5)『プロレスラー「肉体」の真実』(2007年・宝島社)
(6)『流血の魔術 第2幕』(2010年・講談社)
ブログ主が最初に読んだ上記(3)を中心に、高橋氏は著作の中でプロレス界の内幕を惜しげもなく暴露している。例えば・・・(※注意 以下の引用文は原本そのままではなく、当ブログ用に一部修正した物。)
「ルスカ、ウェップナー、モンスターマン・エディなど、本当に強い相手とやる時、猪木さんは非常に慎重だった。※この3名の他、柔道家ショータ・チョチョシビリとの入念なリハーサルについても言及。(3)の79~81ページ」「プロレス界では、試合で流す血をジュースと呼ぶ。・・・レスラーの額から出るジュースは、カミソリの刃でサッと切り裂いて出すものだ。ジュースのある試合では、いつも私(高橋)はカミソリの刃を短くカットし、指先につけてテープで巻いていた。・・・鉄柱や相手の凶器でやられたように見せかけて、実は私が持っているカミソリの刃で切っていたわけだ」「猪木さんはジュースの出し方も抜群に上手かった。タイガー・ジェット・シンのコブラクローで猪木さんが喉から出血したことがある。・・・シンの手を自分の喉元からふりほどくようなふりをして、猪木さんは自分で持っていたカミソリで喉を切った。後でテレビの録画を見たら、まさにシンの指が喉に刺さっているように見えた。・・・自分の身を切り裂いてまで、徹底的に相手の凄みを引き出していく猪木さんの執念と上手さは、見ていて身震いするほどだった」「初来日したスタン・ハンセンのウェスタン・ラリアートをファンに強く印象付けるため、ジャブ(負け役)を引き受けた坂口征二が一言。『今日、私、血を吐きますから』。その後坂口自身の腕ではルートが取れなかったため、私は他の外人レスラーから控室で採血させてもらい、その血をコンドームに入れた。・・(中略)・・そして、ハンセンのラリアートをもろに受けたところで口の中の袋を噛み破り、坂口はゲボッと血を吐いた。※以上、(3)より、147~159ページ」等等・・・。
★次回予告
ブログ立ち上げ18周年記念(成人祝い)の、第2弾。前回の記事に出てきた四字熟語「紆余曲折」、そして今回出てきた「1970年代後半」「宝塚」「逆サソリ」。これらの言葉をすべてつなげる往年の人気漫画が、次回のトピックである。当時17~18歳だったブログ主が楽しんでいた、懐かしいコミックの1つだ。・・・「1970年代後半の人気漫画で、宝塚の演目にもなっている。そして、紆余曲折のストーリー」というところから、既にその作品名を突き止めてしまった名探偵(?)がおられるかもしれない。w ・・・でも、「逆サソリ」って?何が、サソリ?
―その種明かしは、次回。