クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

歌劇<ウリッセの帰郷>(1)

2006年03月28日 | 作品を語る
前回語ったオデュッセウスの冒険譚を土台にして、今回から、オデュッセウスと関連のあるオペラ系統の作品群に話を進めてみたいと思う。イタリア語ではウリッセと呼ばれるこの英雄的キャラクターが、オペラ史上どういう点で面白い人物なのかということについて、まず結論的な部分を一つ書いておくと、《オデュッセウスはイタリア・オペラ史に於いて、歴史のほぼ最初と最後に主役として顔を出す人物である》ということになる。間の時代にずっとどこを旅しているのかは分からないが(笑)、とりあえず最初(=バロック期)と最後(=20世紀後半)にはちゃっかり(?)出て来て、堂々と主役をはっているのだ。しかし当然のことながら、300年あまりの歳月を隔てて書かれた両作品を比べてみると、音楽の様子からドラマ展開、あるいは登場する人物それぞれの性格や存在感に至るまで、非常に大きな違いが見られる。まず今回から3回に分けて採り上げるのは、その最初の方の作品。すなわち、バロック時代の扉を開いた巨匠クラウディオ・モンテヴェルディの歌劇<ウリッセの帰郷>(1641年)である。

さて、<ウリッセの帰郷>だが、大作曲家が世を去る2年前に初演されたこの歌劇の現存楽譜には、どの音符をどの楽器で鳴らすかといったようなリアリゼーションが施されていないそうだ。そのため、これは長いこと上演の機会に恵まれなかったようなのだが、内容的には大変充実した名作である。ストーリーについては、ホメロスの『オデュッセイア』のほぼ後半部分、第13歌以降が題材に使われている。

今私の手元にあるのは、レイモンド・レッパードの指揮によるグラインドボーン音楽祭(1973年)でのライヴ映像盤。以下、これを基本的な資料にしながら、つい1~2年前に映像付きで鑑賞することの出来たニコラウス・アーノンクールの指揮によるチューリッヒ歌劇場ライヴ(2002年2月28日、3月2&5日・収録)についての当時のメモを随時参照しながら、この歌劇について語ってみたい。

―歌劇<ウリッセの帰郷>のストーリー

〔 プロローグ 〕

●三人の神々の口上に続き、「人間のはかなさ」が登場して自分の弱々しい身の上を歌う。

(※レッパード盤で演出を担当しているのは、ピーター・ホール。いきなり、「人間のはかなさ」が全裸の女性であることにびっくりさせられる。一糸まとわぬ女性の姿を通じて、死すべきものとして生まれついた人間の弱さやはかなさを描こうとしたのだろうか。一方、「時」「運命」「愛」という三人の神々は宙に浮かんだ状態で登場し、それぞれがいかにも神話の神らしい姿をしている。ホールの演出は刺激的な部分もあると同時に、オーソドックスなものでもある。)

(※アーノンクール盤では、「人間のはかなさ」をウリッセ役の歌手ディートリッヒ・ヘンシェルが歌っている。これは、《「時」ゆえにはかなく、「運命」ゆえに哀れで不幸、そして「愛」ゆえに悩み悶える。それが人間だ》というプロローグの主題を体現しているのが他ならぬウリッセ自身である、ということを示しているものと思われる。なお、このアーノンクール盤の演出は極めてモダンなものだ。神々の姿は完全に抽象化されており、ウリッセも現代人のいでたちで登場する。こちらの演出担当者は、クラウス・ミヒャエル=グリューバーという人らしい。ちなみにアーノンクールには、少し前の時代に記録されたポネル演出による映像盤というのもあるようなのだが、そちらは残念ながら未視聴である。)

〔 第1幕~前半 〕 

●イタカにあるウリッセの宮殿。20年も帰らぬ夫を待ち続ける妻ペネーロペ。かつてウリッセを育てた乳母エリクレアが、彼女のそばに控えている。「ウリッセ、帰ってきて」と、ペネーロペが嘆きの歌を歌う。

(※レッパード盤でペネーロペを歌っているのは、イギリスの名歌手ジャネット・ベイカー。実に堂々たるペネーロペだ。悲しげな様子の中にも、王妃然とした気丈さと気高さを漂わせている。歌唱はいくぶんロマン派風に聞こえなくもないが、この熱唱には説得力がある。)

(※アーノンクール盤ではこの最初の部分、ペネーロペの侍女であるメラントと青年エウリーマコの陽気なやり取りが出て来る。若い恋人同士という設定のようだが、二人の楽しげな様子を強調することで、ペネーロペの孤独ぶりを際立たせるという手法である。そしてここでのペネーロペは、“くたびれて遠い目をしている、現代風の奥様”といった風情だ。衣装も、地味な黒のドレス。なお1973年収録のレッパード盤には、若い二人のやり取りは全く出て来ない。)

●イタカの浜辺。嵐。フェアーチ人(=パイエケス人)たちが、眠っているウリッセを担いで船から下ろす。その上空に、海神ネットゥーノ(=ポセイドン)と大神ジョーヴェ(=ゼウス)、そして女神ミネルヴァ(=アテナ)がいる。ネットゥーノは息子ポリュペイモスの目をつぶされたことから、ウリッセを憎み続けている。そこでウリッセがずっと帰郷できないように邪魔をしてきたのだが、フェアーチ人たちがそれをさせてしまったので不快な様子。フェアーチ人たちが、「人間は、この地上で何でも出来る」と合唱で歌う。

(※この部分は、レッパード盤が面白い。神々の力を軽視したようなフェアーチ人たちの合唱に怒ったネットゥーノが腕を一振りすると、彼らの乗った船がボーンと煙に包まれて石に変わってしまうのだ。この映像、タイミングがちょっとずれた手品みたいで楽しい。また、全身がキンキラキンのゼウス、ワカメか昆布みたいに緑色をしたポセイドン、そしてクールな青のよろいに身を包んだアテナという三人の神々が並んで宙に浮かんでいる光景は何とも壮観で、見ていて楽しい。)

―この続きは、次回。
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オデュッセウス(=ユリシーズ)

2006年03月22日 | エトセトラ
当ブログでは先頃モンテメッツィ、ザンドナイ、そしてピツェッティの作品を相次いで採り上げ、それらをイタリア・オペラの夕映え、そして夕闇といった風に捉えてきた。実はあれから、さらにもっと後の時代に書かれたイタリア・オペラの作品を何か1つ語ってみようと考えたのだが、そこでちょっと面白い人物に思い至ることとなった。ギリシャ神話に出て来る英雄的キャラクターの一人、オデュッセウスである。この人物がイタリア・オペラ史の観点からどのように面白いのかについては、また先々改めて補うことにして、今回はまず、この人物の波瀾万丈の人生とその冒険エピソードに触れておきたいと思う。なお、【 】内にある歌の番号は、原典となるホメロスの『オデュッセイア』の中で、それぞれが具体的にどの箇所にあるのかを示したものである。

―オデュッセウスの冒険物語

ギリシャとトロイアの間で長く続いたトロイア戦争。これに最終的な決着をつけたのは有名な「トロイアの木馬」だが、この作戦を考えたのは智将オデュッセウスだった。ギリシャ軍が船で撤退する姿を一旦見せておいて、トロイア軍をまず安心させる。しかし、トロイアの城門前に「ギリシャからの捧げ物」と称して置いていった巨大な木馬には、オデュッセウス自身をはじめ、選り抜きのギリシャ兵たちが潜んでいた。トロイアの王女であり予言者でもあったカッサンドラと、神官ラオコーンの二人はこれを不吉なものと直感したが、ラオコーンはギリシャ側に味方する神が送り込んだ怪物によって海へ引きずりこまれた。カッサンドラの言葉を誰も聞かないのは、当ブログでもかつて語ったとおり(※2005年1月26日)。結局、城内へ運び込まれた木馬から出てきた精鋭のギリシャ兵たちと、戻ってきたギリシャ船団との同時攻撃を受けて、ついにトロイアは滅びたのである。

しかしオデュッセウスの物語は、それから後が本題となる。多大な戦果に酔い痴れるギリシャ軍は、それまで味方してくれた神々への感謝のお勤めをサボってしまった。そこから、オデュッセウスの苦難の旅が始まる。以下にその主だったエピソードを並べてみることにするが、これがまさに、波瀾万丈の旅なのである。

●意気揚々とトロイアを発ったオデュッセウスたちだったが、彼らは途中大嵐に見舞われて、ロトパゴイの国に漂着する。そこは蓮(はす)を食べる人たちの国だった。そしてその蓮の実には、食べた人を夢心地にしてすべてを忘れさせてしまうという魔力があった。それを食べて、自分の故郷のことをすべて忘れてしまった部下連中も出てきた。オデュッセウスは彼らを引き立て、急いでそこを出発する。【第9歌】

●続いて彼らが辿り着いたのは、一つ目巨人キュクロプスたちの島。オデュッセウス一行は、洞穴で見つけた子ヤギを食材にして宴会を楽しんだが、そこは巨人族の一人であるポリュペイモスの家だった。帰ってきたポリュペイモスは一行を見て怒り、洞穴の入り口に大きな岩を置いて塞いでしまう。そして、オデュッセウスの部下たちを二人ずつ食べ始めたのである。これはヤバイぞ、何とかせねば、と考えたオデュッセウスは、持ってきた強い酒をポリュペイモスに進呈して飲ませる。それから彼は、大きな棍棒の先を尖らせて火をつけ、酔って眠り込んだ巨人の目を突き刺してつぶした。オデュッセウスと生き残った部下たちは、羊たちの腹の下に隠れてそこからうまく脱出することに成功する。しかしこのポリュペイモスの父親というのが、海神ポセイドン(=ネプチューン)だった。目をつぶされた息子の訴えを聞いて激怒したポセイドンは、それから延々と、オデュッセウスに執拗な攻撃を仕掛けるようになる。【第9歌】

(※実はこのエピソードでも、オデュッセウスの知恵者ぶりが発揮されている。彼はポリュペイモスに名前を聞かれた時に、「オレの名は、『誰でもないよ』だ」と答えていたのだ。その結果、「目を誰にやられたんだ?」と回りから訊かれても、ポリュペイモスは、「俺の目をつぶした奴は、誰でもないよーだ」と答え、仲間たちに相手にしてもらえないという羽目に陥ったのである。)

●ポセイドンの怒りを買ったオデュッセウス一行は、それからも災難続き。風の支配者アイオロスの島では例外的に歓待を受けたが、おみやげにもらった「風を封じ込めた袋」を宝物と邪推した部下が勝手に開けてしまい、自分たちで大嵐を起こしてしまう。そして彼らが流されて着いたライストリュゴネスの島は、人食い巨人たちの住処だった。オデュッセウスが乗っていた船以外は皆沈められ、乗組員は全員食べられてしまった。【第10歌】

●次にオデュッセウスたちが着いたのは、アイアイエという島。ここには、魔女キルケが棲んでいた。オデュッセウスは船に残り、部下たちが島の様子を調べに出かける。そこでキルケのご馳走を食べた彼らは、みんな豚に変えられてしまった。見張り役だった男だけは命からがら逃げ出して船に戻り、オデュッセウスに報告する。部下たちを救おうと、オデュッセウスはキルケの館へ向かう。途中彼は、ヘルメス神から魔法除けの薬をもらって飲む。キルケは魔法を使ってオデュッセウスに襲いかかるが、それが全然通じない。「私の魔法が効かない人間がいるなんて・・」と、キルケはショックを受け、やがてオデュッセウスの言うことを素直に聞くようになる。この魔女はすっかり、オデュッセウスに惚れ込んでしまったのである。豚に変えられていた部下たちも皆、人間の姿に戻された。【第10歌】

●オデュッセウスたちはキルケの島で結局1年間を過ごし、その後島を出発した。一行は、彼女のアドヴァイス通り、まず死者の国へ行く。そこで思いがけず母の霊と出会った後、オデュッセウスは予言者ティレシアスの霊に先のことを予言してもらう。「ポセイドンは相変わらずお前を憎んでいるが、いずれ故郷に帰れるだろう。但しアポロンの牛には手を出さないよう、気をつけることだ」。(後略)【第11歌】

●地上に戻った彼らが次に遭遇した怪物は、セイレネス(=サイレーン)たちだった。これは美しい歌声で船乗りたちを惑わし、海に引きずり込む魔物である。上半身は人間の美女で、下半身は鳥という姿をしている。キルケから受けていた助言どおり、オデュッセウスは部下たちに耳栓をさせる。そして彼も自分自身の体を帆柱に縛り付け、海に引きずり込まれないようにしてその場を乗り切った。その後も、大渦巻きを起こすカリュブディスだの、6頭12足の女怪物スキュラだのが棲む海峡で犠牲者を出しつつも、オデュッセウスは生き延びて旅を続けた。【第12歌】

●やがて行き着いたのは、アポロンの牛がいるトリナキエ島。ティレシアスの忠告を覚えていたオデュッセウスは部下たちに、「ここの牛には手を出すなよ」と命じておいたのだが、空腹に迫られた部下の何人かが、牛を屠(ほふ)って食べてしまった。それを知ったアポロンが大神ゼウスに訴えたため、オデュッセウスたちの船は出港直後、ゼウスの雷撃によって撃沈されてしまう。【第12歌】

●それからオデュッセウスは、美しいニンフであるカリュプソの島に漂着する。彼は、この優しくて親切な娘のところで7年間を過ごすことになる。「ずっと一緒にいてくれたら、あなたに永遠の若さをあげるわ」という彼女の言葉がとりわけ魅力的で、オデュッセウスは長くそこにとどまることとなったのである。しかし一方で、故郷イタケを懐かしむ思いも抑えがたく心に湧き上がってくる。ある時、カリュプソのもとにヘルメス神が現れ、「もうオデュッセウスを帰郷させてやりなさい」と彼女に進言する。カリュプソは仕方なく承諾し、オデュッセウスの旅立ちを手伝う。【第12&5歌】

●筏(いかだ)を作ってもらって海に漕ぎ出し、ひとり帰郷の途についたオデュッセウスだったが、またしても彼を憎む海神ポセイドンが嵐を起こす。彼の筏は、木っ端微塵。しかし、捨てる神あれば拾う神ありで、海の女神レウコテアが彼を救う。パイエケスの島に打ち上げられたオデュッセウスは、そこの王女ナウシカアに発見され、王宮へ連れて行かれる。【第6歌】彼の身の上とそれまでの冒険物語を聞いたアルキノオス王はいたく感動し、この名誉ある漂流者を故郷イタケへと送り届けたのであった。こうして、トロイア戦争へ旅立った時から通算して実に20年もの歳月を経て、ついにオデュッセウスは懐かしい故郷に帰り着いたのである。【第13歌】


【 参考文献 】

―ホメロス 『オデュッセイア』 ~上・下巻 (松平千秋訳・岩波文庫)

―ギリシャ神話ろまねすく (創元社編集部)

―欧米文芸・登場人物事典 (大修館書店)
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<熊野補陀落(くまの ふだらく)>

2006年03月19日 | 作品を語る
一人の僧侶が篭舟(かごぶね)に入れられて、大海原へと送り出される。その篭舟に窓は一切無く、また本人が舵取りをするための櫂(かい)も無い。小さな舟の中に僅か十日分の水だけを与えられて、彼は船出する。しかして、その行く先は・・・。

先頃お亡くなりになった伊福部昭先生の門下であった石井眞木が作曲し、1980年度の芸術祭優秀賞を受賞した音響詩<熊野補陀落(くまの ふだらく)>が題材としているのは、紀州・熊野に伝えられていた古い時代の風習である。この地では、中世以来八世紀あまりにわたって、「補陀落渡海(ふだらく とかい)」と呼ばれる風習が行われていたそうだ。それは民衆の魂の救済のために、一人の僧侶を生きたまま死の世界へ送り込むというものである。僧侶は一人、篭舟に乗せられて大海原へ船出し、観音菩薩の住まう浄土を目指す。これは言わば、即身成仏の旅である。この作品で僧侶の内面を直截(ちょくせつ)に歌いだすのは、義太夫節。楽器はマリンバと各種の打楽器が用いられており、そこに電子音響も加えられている。演奏時間は約18分半。

―不気味な静けさを湛えた音響を背景に、「自分は人々の罪業消滅を託されて、死出の旅に出た」という内容が、義太夫の落ち着いた調子でまずうたわれる。続いて観音経の一節が静かに唱えられるのだが、やがて死への恐怖と生への執着が、僧侶の心の中で大きく膨れ上がってくる。「行(ゆ)きたくない!死にたくない!」と、狭い篭舟の中で激しい苦悶の叫びを繰り返す僧侶。逃げることの出来ない篭舟で、大海原の暗い波間をひたすらに漂い進む死への旅路が続く。ほどなくすると再び、観音経の読経が始まる。そして暗闇と静寂の中で、僧侶の心は静かに死の法悦境に入ってゆく・・・。

さて、今回何故この作品を採り上げる気になったかと言うと、前回までのトピックでしばしば使った「夕映え」や「残照」といった言葉から、数ヶ月前に聴いた石井眞木氏の作品集CD《西の響き・東の響き》(fontec盤)を思い出したからである。実はそのアルバムの中に、ヴァイオリンと箏のための<残照の時>という曲が入っていたのだ。それが、連想のきっかけである。参考までに、そのアルバムに収められた石井作品をすべて書き出してみると、以下の通りとなる。

●石井眞木作品集(Ⅲ) 《西の響き・東の響き》
1.尺八とピアノのための<遭遇Ⅰ番>op18 (1970年)
2.ヴァイオリンと箏のための<残照の時>op52 (1978年)
3.笙とチェロのための音楽op77 (1988年)
4.横笛独奏とオーケストラのための協奏曲<解脱>op63 (1985年)
5.声(義太夫)、マリンバ、打楽器、電子音響による音響詩<熊野補陀落>op42 (1980年)

アルバム・タイトルにもある通り、このCDのコンセプトは、西洋と東洋(※ここでの「東洋」はズバリ、日本の楽器や伝統芸能)の出会いである。尺八とピアノ、箏とヴァイオリン、笙とチェロ、日本の伝統楽器の横笛各種と西洋のオーケストラ、といった具合だ。しかし、私にとっては、その最後に収められた<熊野補陀落>が最も強烈なものだったので、今回それをトピックに掲げることにしたのである。

<熊野補陀落>の内容は上に述べた通りなのだが、これと同じようなプロットを持つクラシック音楽作品として、R・シュトラウスの交響詩<死と変容>が思い起こされる。それは確か次のような筋書きだったと思う。―死期の近づいた病人がベッドに横たわっている。彼は自らの人生をしばし回想するのだが、やがて死への恐怖や、まだ生きていたいという気持ちが混ざり合ってきて激しい葛藤を起こす。しかし最後には、死を受け入れる「浄化」の時を迎える。―シュトラウス作品は、この筋書きを管弦楽の響きという抽象的な手段で表現したものだ。

しかし、<熊野補陀落>ではストレートに人の声が使われており、それがまたふり絞った声で語り、うめき、もがくのである。だから、この作品への感じ方については、聴く人それぞれによって一様でない反応が生じることと思われる。たとえば閉所恐怖症の人がこれを聴いたら、篭舟に乗る僧侶の立場を想像しただけでも恐ろしくなって、悲鳴をあげてしまうかも知れない。逆に、この作品はあまりにも表現方法が“そのまんま”過ぎて受け入れ難い、あるいは、高い評価を下しがたいと感じる人が出て来てもおかしくはない。が、いずれにしても、僧侶の心象風景みたいなものを描くマリンバや電子音響の響きには妖しくも不思議な魅力があり、極めて印象深い作品の一つに仕上がっているということは間違いない。


(PS) 石井眞木作品集~その他のCDから

今回採り上げた《西の響き・東の響き》を聴いた時、石井作品のCDを実はもう2枚、同時に聴いたのだった。そのうちの交響三連作<浮遊する風>では、新交響楽団がアマチュアの域を遥かに超えたハイレベルな演奏を披露してくれていた。指揮を執った石井氏も自作の演奏ということで、意図するところを正確に楽員たちに伝えられたのだろう。リハーサルもかなり、みっちりと出来たのではないだろうか。内容的には、第1曲「雅霊」で聴かれる雅楽的な響きと、第2曲「風姿」に出てくるシデロ・イオス(=4角6角の鉄製打楽器)の妙音が印象に残る。第3曲「砕動鬼」は残念ながら月日が経った今、あまり思い出せる要素がない。

もう1枚の幻想バレエ<輝夜姫(かぐやひめ)>の方では、第1幕第4章の「宴~争い~宴」が際立って印象的だった。と言うのは、全体に抽象的・高踏的な難しい音楽が響くこの作品の中で、この部分だけはうんと俗っぽくて、分かりやすい祭囃子の音楽になっているからだ。CD添え付けの解説書によると、これは東北地方の「下山囃し」を題材にしているとのこと。やはり私などには、こういう分かりやすい曲がひょっこり出て来てくれると楽しいし、また有難い。
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<大聖堂の殺人>

2006年03月13日 | 作品を語る
今回採り上げるのは、イルデブランド・ピツェッティ(1880~1968)の<大聖堂の殺人>(1958年)である。これは、実在の人物である大司教トマス・ベケット(1118~1170)の末期(まつご)を描いたトマス・スターンズ・エリオットの詩劇『大聖堂の殺人(または、「寺院の殺人」)』(1935年)をもとにして作曲された舞台作品だ。

―<大聖堂の殺人>のあらすじ

〔 第1幕 〕

時は1170年12月。国王との不和により、フランスに7年間亡命していた大司教トマス・ベケットが、イングランドに帰ってくるところ。司祭たちは、お迎えの準備に忙しい。女たちがカンタベリー大聖堂の周りに集まり、不吉な未来の予感を歌う。やがて、大司教が到着する。

司祭たちとの対話を終えて一人になった大司教ベケットのもとに、「4人の誘惑者」が入れ替わりに現れる。第1の誘惑者は、国王とうまくやっていた若い頃のベケットの話を持ち出す。続く第2の誘惑者は、ベケットが政略によって権力を得ていた大法官時代に戻れと促す。第3の誘惑者は、ノルマン諸侯と手を組んで新しい運命を切り開くようにと勧める。そして、ベケット自身が全く予期しなかった最後の誘惑者は、彼に殉教者への道をほのめかす。(※これら4人の誘惑者たちは、ベケット自身の思考の化身とされている。つまり、大司教本人の内面を描くキャラクターである。特に最後に現れる誘惑者は、ベケットの現在の心境を示すものと見られる。)

〔 間奏曲 〕

エリオットの原作では、「幕間劇」とされる部分。原作同様、当ピツェッティ作品でも、クリスマスのミサに於けるベケットの講話が展開される。しかし、当然のことながら、原作に見られる長いお説教を大幅にカットした台本を使っている。ここでのポイントは、ベケットが自らの死を予期していることを述懐する部分と、「殉教者になるのは、本人だけでなく神の意志もあってのことだ」と語る部分。

〔 第2幕 〕

司祭たちが、聖シュテファンと聖ヨハネを祝う準備をしている。その一方で女たちが、この世の暗さを嘆いて歌う。やがて国王の意志を伝える者だと自称する4人の騎士たちが、大聖堂を訪れる。彼らはベケットに国王への服従を迫り、また、彼が破門した者たちの権利回復を要求する。しかし、ベケットは強い信念を持って、彼らの要求を突っぱねる。「武器を持って出直して来るぞ」と、騎士たちは一旦去って行く。

その後、司祭たちはベケットの身を案じて避難するよう促すが、彼は動かない。やがて、武装した騎士たちが大聖堂へやって来る。司祭たちは、「門を全部閉めましょう」と言うが、大司教は「教会は閉ざされたものであってはならぬ。たとえ敵に対してもだ」と言って、門を開いたままにさせておく。

司祭たちが、グレゴリオ聖歌の「怒りの日」を合唱する。やがて訪れた4人の騎士たちは、相も変らぬ大司教の態度に業を煮やし、ついに彼を取り囲んで殺害してしまう。(※原作ではこの後、騎士たちが順番に自分たちの行為の正当性について長々と語り始めるのだが、ピツェッティ作品では、彼らの演説は極めて簡略化されたものになっている。)最後に、祈りの合唱が響いて荘厳なる終曲。

―<大聖堂の殺人>の演奏録音

この作品の録音については、現段階でとりあえず3種類のCDの発売実績が確認できる。まず、ヘルベルト・フォン・カラヤンの指揮による1960年3月9日のウィーン国立歌劇場ライヴ(G)と、ジャナンドレア・ガヴァッツェーニの指揮によるミラノ・スカラ座ライヴ(Opera D’oro)。後者のガヴァッツェーニ盤はおそらく、この作品の世界初演時の記録ではないかと推測される。また、現在どんな経路で入手可能かは分からないが、2000年度以来この作品に打ち込んでいたルッジェーロ・ライモンディ(B)の主演によるCDもあるらしい。以上、合計3種である。今私の手元にあるのは、カラヤン盤。国内盤には独日の対訳と解説がある。録音はモノラル。フルコンポで聴くと音の貧しさが隠し切れないが、ミニコンポのサイズなら十分楽しめる。

若きカラヤンの指揮によるグラモフォン盤はドイツ語版初演時のライヴ録音のようだが、使用言語による違和感は殆どなく、演奏自体もかなり優れたものであると言ってよいと思う。ここで大司教ベケットを歌っているのは、ハンス・ホッター。1960年という年は、彼がこの役を演じるのにほぼ理想的な年次だったろうと思う。実際、ここで彼は絶唱と言ってもよいほどの素晴らしい歌唱を聴かせる。脇役陣も充実している。例えば第1の誘惑者が、ゲルハルト・シュトルツェ。これがまた性格的な声と歌唱で、見事な出来映え。女声合唱第2の女は、若き日のクリスタ・ルートヴィッヒ。さすがの存在感だ。第3の誘惑者として、ワルター・ベリーの名も見られる。(※ところで、作曲者の指示にもともとあったのかも知れないが、「4人の誘惑者」と「4人の騎士」は、全く同じ歌手たちによって演じられている。)

―<大聖堂の殺人>の、音楽史に於ける座標

以前語った通り、リッカルド・ザンドナイの歌劇<フランチェスカ・ダ・リミニ>(1914年)は、プッチーニ的な響きを踏襲したヴェリズモ・オペラ最後の傑作の一つであった。そして、ほぼ同時期に書かれたイタロ・モンテメッツィの歌劇<三王の恋>(1913年)は、ワグナー的な半音階やドビュッシー的な要素も採り入れた濃厚な音楽で、イタリア・オペラの壮麗な夕映えを思わせるものだった。その後第一次世界大戦という未曾有の悲劇体験を経て、オペラもまた小さくはない変貌を遂げた。具体的に言えば、大衆を楽しませるための娯楽性よりも、芸術性そのものを追求する部分、あるいは知性に訴える部分の方が重視されるようになっていったのである。

ピツェッティの<大聖堂の殺人>も、採りあげた題材やそこで聴かれる音楽の質に於いて、かなり知が勝った高踏的な作品という相貌を示す。第1幕の力強い終曲や、〔間奏曲〕で聴かれる弦や木管の旋律、あるいは全曲を締めくくる合唱あたりに、イタリア・オペラ良き時代の、かすかな残照みたいなものを辛うじて求めることが出来ようかとは思う。あるいは、大司教ベケットには(特別なアリアみたいなものは無いにしても)、主人公としての確固たる個性がまだしっかり残っている、ということも指摘出来るだろう。しかし、この作品全体の印象としては、「夕映えというよりは、もはや夕闇に近い音楽になっている」という感じなのである。もう少し具体的に言えば、音の響きがもたらす感覚的な美感や愉楽はかなり解体されているという感じだろうか・・。

―<大聖堂の殺人>への、作品としての評価

カラヤン盤の日本語解説書には、この<大聖堂の殺人>に対して高い的確性を持つと思われる作品評が紹介されている。『プレッセ』紙のエルンスト・クラーリクなる人物が書いた文章だそうである。その一部を書き出してみると、以下のようなものになる。(※実は、今回の記事タイトルに「歌劇」という肩書きを付けず、単に<大聖堂の殺人>とだけ記したのは、この文章に私の気持ちが少なからず影響されたからであった。)

《 ピツェッティが書いたのは、「オペラ」ではない。これは、言葉と音を通して理性と感情に訴えるものではなく、観客に様々な思考、崇高・低俗な事柄について荘重に語りかけ、真剣に悩んでもらう、「魂の祭典劇」である。 》

さらにクラーリク氏は、《 これがレパートリー作品として繰り返し上演されることはなく、おそらく「興味深い一度限りの贅沢な公演」で終わってしまうだろう。 》というような事も述べておられたようだ。「一度限り」という部分は当たっていないにしても、その後の経緯は大体その言葉通りになったようである。正直私には、エリオットの原作も含めてこの作品の価値や意義については、分かったような事は何も言えない。ここでは単に、カラヤン盤の演奏を通してハンス・ホッターという不世出の大歌手が記録した素晴らしい名唱の一つに触れられたのが大きな収穫だった、ということのみを記すにとどめたい。
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歌劇<フランチェスカ・ダ・リミニ>

2006年03月09日 | 作品を語る
先頃モンテメッツィの歌劇<三王の恋>(1913年)を語ったが、それとほぼ同時期に書かれた作品に、リッカルド・ザンドナイの歌劇<フランチェスカ・ダ・リミニ>(1914年)がある。これは、いわゆるヴェリズモ・オペラなるものに、最後の輝きを与えた力作の一つである。“イタリア・オペラの夕映え”を話題にしたら、このザンドナイの作品にも一応触れておかねばならないだろう。

さて実のところ、このオペラは長いこと録音に恵まれなかった。LP時代には、マグダ・オリヴェーロとマリオ・デル・モナコの共演によるハイライト盤(L)ぐらいしか、確か出回っていなかったと思う。しかし今は、同じ二人の共演によるステージ・ライヴのほか、数種類の全曲録音が入手可能になっているようだ。私の場合は、イヴ・ケラーという女性指揮者によるライヴ録音(Opera D’oro盤)の廉価CDを、少し前に購入したのだった。これがいかにもこのレーベルらしく、歌詞ブックなどは全く付いておらず、解説もあってないような大雑把なもの。しかも、何年にどこの歌劇場で行われた公演なのかという必要最低限の情報さえ、載っていない。音もステレオ録音ではあるものの、ちょっと今ひとつ。「まあ、安いからしょうがないか」という感じであった。

そんな事情なので、歌劇<フランチェスカ・ダ・リミニ>については、あまり詳しいお話は出来ない。しかし幸いなことに、ダンテの『神曲』に由来する当作品の筋書きは、先頃の<三王の恋>と同様、至ってシンプルなものである。それに結構有名な話なので、簡単なあらすじの紹介をしてくれている日本語サイトもある。イタリア語だけの台本なら、海外サイトにある。以下、当ブログでは、日本語で読んだあらすじを念頭に置きつつ、イタリア語の台本を目で追いながら全曲を聴いたメモを書き出すことにしようと思う。(※ただ、私のイタリア語能力などたかが知れているので、読解の正確さには全く自信がない。そのあたりは、ご容赦を賜りたいと思う。)

〔 第1幕 〕(約31分)

時は13世紀。ポレンタ家の娘フランチェスカ(S)は、父親が企てた政治的な理由で、マラテスタ家の長男ジョヴァンニ(Bar)と結婚させられることになっている。ジョヴァンニ(通り名は、ジャンチョット)は粗野な性格で、二枚目とも言えない男。そして、片足が不自由だった。ジョヴァンニの弟である美貌のパオロ(T)が、兄に代わって、花嫁フランチェスカを迎えに行くことになった。フランチェスカは、迎えに来たパオロのことをてっきり婚約者のジョヴァンニだと思い込み、結婚を承諾する。

(※第1幕では、多分にプッチーニ的な響きが聴かれる。例えば、道化がフランチェスカの取り巻きの女たちとやり取りをする中で、「私は、騎士たちの物語を知っております。アーサー王や、トリスタンの・・」と歌い始めるところの軽妙な音楽など、<蝶々夫人>の一場面かと思わせる。あるいは、フランチェスカ本人が登場する場面での女声合唱。これがまた、楽器の色彩感といい、ちょっと悲しげな抒情美といい、まさにプッチーニの衣鉢を継いでいるかのような音楽。)

(※一方、幕切れ間近でパオロが登場するところは、もうヴェリズモ・オペラそのものといった感じの轟然たる大音響。それに続くのは、フランチェスカとパオロの、初めての出会いの場面。チェロの独奏を活かした美しい場面描写の音楽が流れる。イタリア語のト書きによると、二人ともいきなりお互いに惹かれあって、物も言えず身動きも出来ずという場面のようだ。やがて女たちの合唱が背景に流れてくるのだが、ここでのオーボエ・ソロがとても印象的。第1幕の終曲は、非常に深い余韻を残すものになっている。)

(※ところで第1幕では、上記の幕切れ場面だけでなく、前奏曲と道化の歌の一部分にもヴァイオリンによる印象的なソロが出て来る。ザンドナイはオーケストラを分厚い響きで鳴らす一方、楽器の独奏をあちこちで活用するという技も結構好きだったようだ。ほんの参考までに付け加えておくと、この人が最晩年に書いた歌劇<エケブの騎士たち>でも、第3幕の冒頭でやはりヴァイオリンによる独奏が聴かれる。「クリスマスを祝って、飲もう」と騎士たちが賑々しく盛り上がるのを尻目に、一人打ち沈んだ騎士レオクローナが寂しげなヴァイオリン・ソロを弾き始めるという場面である。)

〔 第2幕 〕(約24分)

戦(いくさ)が始まる。戦いに赴く前にと、パオロがフランチェスカに会いに来る。(※彼女にとって、この愛しい男性は今や義理の弟である。)その後マラテスタ家は勝利を収め、ジョヴァンニは弟のパオロを祝福する。妻のフランチェスカが差し出したワインを、うれしそうに飲むジョヴァンニ。そこへ、戦闘で負傷したマラテスティーノ(T)が連れられてくる。マラテスティーノは、マラテスタ家の末弟。一命こそ取り留めたものの、彼はこの戦いで片目を失ったのであった。

(※第2幕は戦争が中心的なモチーフになっているので、速いテンポの騒然とした音楽が支配的。次に続く第3幕とは、極めて対照的だ。)

〔 第3幕 〕(約35分)

お取り巻きの女たちと一緒に、『アーサー王の物語』を読んで楽しむフランチェスカ。湖の騎士ランスロットの部分である。それに続いて、「幸福な春」を歌う女声のアンサンブルとなる。そこへパオロがやって来て、フランチェスカに情熱的にアタックする。

(※「幸福な春」の女声アンサンブルを中心とするこの場面もやはり、どことなくプッチーニ風の美しさを漂わせる音楽になっている。第3幕前半は、このオペラの中で一番のどかで、安らげる場面でもある。一方セリフとしては、「私は、マラテスティーノが恐ろしい。あのつぶれた片目ではなく、もう一つの開いている方の目が」というフランチェスカのつぶやきが印象的。彼女はこの男に、何か危険なものを感じているのだ。)

(※フランチェスカが「湖の騎士ランスロットの物語」を読んでいるところという設定は、非常に示唆的。ランスロットという騎士は、アーサー王以上の実力者と目されていながら、王の妻グィネヴィアと不倫の関係に陥り、つらい運命を辿る人物である。この騎士の物語をフランチェスカに音読させながら、パオロは彼女に接吻する。何だか気恥ずかしくなるぐらいに、ロマンティックな展開だ。)

〔 第4幕 〕(約17分 & 約15分)

最後の第4幕は、2つの部分で構成されている。第1部は、末弟マラテスティーノがフランチェスカに迫る場面から始まる。フランチェスカは、この陰険で残忍な男を拒絶する。妻からの話を聞いたジョヴァンニはマラテスティーノに、「お前は俺の妻に、何をした」と詰め寄るが、マラテスティーノはジョヴァンニに締め上げられながら、「フランチェスカとパオロは、出来てるんだぜ。俺は見たんだ」と語る。パオロとフランチェスカの秘め事を知ったジョヴァンニは、烈火のごとく怒り狂う。そこで第1部が終了。

(※ここは、性格的なテノールの声で演じられる陰険なマラテスティーノが最も活躍する場面。そして、場を締める二重唱でのジョヴァンニも、ついに粗暴な男の本領を見せる。マスカーニの代表作<カヴァレリア・ルスティカーナ>にも、妻の不貞を知った馬車屋のアルフィオが怒り心頭になったところで幕が下りる展開があるが、怒れる夫の姿は当ザンドナイ作品の方がさらなる迫力。)

第4幕の第2部は、いよいよ悲劇の結末。フランチェスカが優しかった妹のことを懐かしんでいると、パオロがやって来る。激しい愛の二重唱。しかしついに、二人の仲を知ったジョヴァンニがそこへ現れる。怒りに逆上して止まらなくなった彼は、フランチェスカと逃げ遅れたパオロの二人を相次いで殺害する。

(※第4幕第2部の前奏曲は、とても抒情的で美しい曲だ。また、パオロとフランチェスカの二重唱も、それまで以上の激しさをもって情熱的に歌われる。そして、二人のいる部屋まで来たジョヴァンニが「戸を開けろ!」と迫るところから二人が殺される幕切れまではもう、あっという間。一直線に、破滅まで突進する。)

―以上が、ザンドナイの歌劇<フランチェスカ・ダ・リミニ>の大まかな内容である。ただ、オペラの実演ではよくある事なのだが、私が聴いたケラー盤の演奏でもリブレットを完全には使っておらず、ところどころカットしている。そんな訳で、海外サイトで見つけたイタリア語台本を目で追いながらも、しばしば場所が分からなくなってちょっと苦労してしまった。幕ごとの演奏時間も一応今回書き添えてはみたが、スタジオ録音等でしっかりと完全演奏を行なったものは、きっともっと長いタイミングになろうかと思う。

次回は、このザンドナイやモンテメッツィに象徴される“イタリア・オペラの夕映え”の、さらに後に来る時代の作品を一つ、採り上げてみたい。
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