クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

事故当日の気持ち

2024年04月07日 | エトセトラ
2024年4月7日(日)。自分自身の体力の衰えと、あまりにも鈍臭い運動神経の無さに、つくづく嫌気がさした、あの事故の日。3月21日(木)。何でもない普通の地面にサンダルでつまずき、たたらを踏むように前方につんのめって転倒。顔面から庭の瓦礫に突っ込んだ。あっ、あっあっ、とっとっとっ・・・・。

ぐがあっ、グシャシャッ(と同時に、ガツーン!ゴギッ)・・・。

幸い頭の強打はなかったので、意識は飛ばずにすんだ。しかし、起き上がる気力が全く出ない。ヒリヒリ、ジリジリと焼けつくような皮膚の痛みと、顔面骨折による左目の下の強い疼痛。開かない左目。鼻の内側から喉に落ちてくるドロッとした血の塊を口から吐いたり、飲んだりしながら、そのまま地べたに仰向け。春の彼岸のお中日を過ぎたところとはいえ、夕方6時近くになると、空気がぐんと冷え始める。灰色の空を地べたから見上げながら、外着のコートを着たままでも寒さがしみてくる陽気の中、わが身の置かれた情けなさすぎる状況を嘆いて恨んで、ひとりごちた。

「何なんだろうな、このみじめな人生。・・・なんかもう、いろいろ、いやになっちゃったな」。

自宅の狭い裏庭に、べたーっと横たわる顔面血まみれの小さな老人。生涯に亘るコンプレックスの原因だったガキみたいな顔が激しく損傷し、醜くただれた。周りには、誰もいない。・・・深い孤独。やがて、おかしな思考が脳裏を巡り始める。

「もし違った転び方をしていて、頭をブロックか何かの角にでもぶつけていたら、意識がなくなって、そのまま寒い夜になって、体温が下がって・・俺はこの世から去っているんだろうな。それなら、それでも良かったよ。もう、本当に、いろいろと、いやになったから。3日も4日も経ってから遺体が発見されるか、奇跡的に死ぬ直前に誰かが見つけてくれて、救急搬送されて、病院到着の頃に死亡確認とかね。で、何かい、俺が最後に遺す心電図の所見は、低体温性のj波?オズボーン波かよ。そりゃ確かに、まだ寒いから長いおズボンをはいているけどよ。って、何言ってんだかな。しょうもな」。 

「あ、ひょっとして、みいさんが俺を呼んでるんかな?『お母さん、もうすぐ逝くんだけど、やっぱり一人じゃ寂しいから、おみゃあさんも一緒に来てくれにゃあかなあ』って。そうだな、それでもいいかもしんないな。本当にお金にルーズな人で、息子として随分尻拭いの苦労をさせられた(※ブログ主が解消した親たちの負債額は、1000万円を軽く超える)けど、こんな男をずっと愛し続けてくれたこの世でただ一人の女性だったからね、母は。そしたら、一緒におじいんとこへ行こうか」。

やがて、気持ちが少し回復する。ショルダーポーチからスマホを取りだし、見える右目の弱い視力を頼りに119番。・・・それから、20分ぐらい経ったかな。ピーポーピーポー。「救急隊です。Tさん、どちらですか」。
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