今回は、ヤナーチェクの歌劇<マクロプロス事件>の最終回。
〔 第3幕 〕~続き
私どもの尋問に対するエミリア・マルティの回答は、まことに信じ難いものでした。しかし、すべて偽りのない事実だったのです。以下、エミリアが語った驚愕の真実をご紹介させていただくところから、まとめのお話を始めてみたいと思います。(※一部ですが、本人のセリフ以外の言葉をこちらで補充させていただいた箇所があります。ご了承ください。)
「私の名は、エリナ・マクロプロス。年齢は、337歳。私の父はヒエロニムス・マクロプロスという名で、16世紀末に神聖ローマ帝国の皇帝だったルドルフ2世の侍医をしていた。・・・不老不死を願う皇帝の命令で、『300年の若さが得られる秘薬』を、父は作ったの。そして薬が出来上がると、当時16歳だった娘の私が、実験台として飲まされたわけ。私は意識をなくして、重体になった。騙されたと思って怒った皇帝は、父を投獄したわ。でも1週間後に目を覚ました私は、それから死ななくなった。そして父がギリシャ語で書き残した文書、つまり、“一服で300年の命が得られる薬の製法”が書かれた処方箋をもって、私はヨーロッパ各地を転々とするようになったの。名前と国籍を変えながらね。
そして今から100年前に、私はペピ(=ヨゼフ・プルス男爵)と出会って恋をし、フェルディナンドを産んだわ。その時の私の名は、エリアン・マクグレゴル。戸籍上はマクロプロス姓を使わなければならなかったから、子供の名前はその名字で登録することになったけどね。・・・私はペピと別れた時、例の処方箋を入れた封筒を、彼のところに置いていった。『また戻ってきてくれ』って、説得されちゃったから」。
そこまで語ると、エミリアは強い疲労を訴えて倒れます。彼女は寝室へ運ばれ、医師の手当てを受けました。この時ばかりは、私たちもちょっと彼女を厳しく問い詰めすぎたと反省しました。やがてエミリアがまた戻ってきて、オペラはいよいよラスト・シーンに入ります。
「ああ、こんなに長く生きるものじゃない。あなた方には、すべての物が意味を持つ。すべての物が価値を持つ。おバカさんたち。幸せな人たち。・・・私は父が残した秘伝の書を取り戻しにここへ来たけど、もういらないわ。これからまた300年生きたって、くだらないもの。誰かほしい人、いる?クリスタさん、あなたにあげるわ。有名な歌手になれるわよ、私のように。さあ、受け取って」。
私たちは、「そんな物をもらっちゃいかん」と止めましたが、クリスタは書類を受け取りました。そして彼女は無言のままそれを蝋燭の火にかざし、きれいに燃やしてしまいます。マクロプロスの秘伝の書は、完全に灰となりました。そしてそれを見届けたエミリア・マルティは、その場に崩れるように倒れこんだのです。【※1】歌劇<マクロプロス事件>は、ここで全曲の幕を閉じます。
【※1】 カレル・チャペックが書いた原作(1922年・舞台初演)では、「エミリアが最後に死ぬ」という形には必ずしもなっていないようだが、ヤナーチェクのオペラでは最後にエミリアが倒れ、どうやら彼女は死んだらしいことが示唆される。また、エミリア・マルティが最後、薬切れによって本来の337歳にふさわしい姿、つまり、「ミイラのような老婆の姿」にみるみる変容していくというホラー映画みたいな演出が施されたオペラ上演も、過去にはあったらしい。これは今の時代でも十分使えそうなエンディングで、いつか是非一度見てみたいものである。
―「300年の人生」を巡る登場人物たちの意見
チャペックの原作には、「300年の人生をどう思うか」について、各登場人物が語る場面があるらしい。ここで聞かれる意見はヤナーチェクのオペラ台本からすっぽりカットされていて、エミリア・マルティのセリフに少しだけ引用されている部分が見つかるにとどまる。しかし、この場面をちょっと見てみると、なかなか面白い発見がある。以下、チャールズ・マッケラス指揮ウィーン・フィル、他によるデッカ録音(1978年)の国内盤LPに付いていた解説書から、その該当箇所を一部抜粋・編集して書き出してみることにしたい。作品理解の一助としていただけたら幸いである。
●弁護士の秘書ヴィーテクの意見
「たかだか60歳までの人生で、一人の人間に何が達成できますか。・・・それこそ、生きたともいえないうちに死ぬようなものです。300年も生きられれば、はじめの50年で勉強し、次の50年で世の中を知り、すべての存在を知る。次の100年は他の人々の利益のために使い、人間として持つべきすべての経験を身につける。そして残りの100年は知恵の中に生きて、世を治め、人を教え、後世に手本を残すことに使う。・・・300年あれば、人間は誰でも完全無欠になって、真の意味で神の子になれるんです」。
●弁護士コレナティー博士の意見
「経済的、法律的見地からすれば、300年の人生なんて理屈に合わんよ。社会のシステムというのがそもそも、人生の短さの上に成り立っているんだから。契約、年金、保険、給料、遺言・・・みんなそうだ。結婚だってそうだろう。誰が300年も結婚していたいなんて思うかね」。
●ヤロスラフ・プルス男爵の意見
「300年の人生があり得るなら、それは有能な強者にだけ与えられるべきだ。・・・平々凡々たる連中が、誰も死なない。そしてせっせと休む間もなく、まるでネズミかハエのように子を産んで増えていく。死に絶えるのは偉大な人間ばかり。強くて有能な人間ばかり。それはつまり、そういった者たちに代わる人間がいないからだ。まあしかし、そういう優秀な種を保存するチャンスはあるかもしれん。・・・優れた人間が長寿を得る、つまり選ばれた少数による専制支配だ。頭脳による支配ということだ。・・・長寿を得る者が当然、人類の支配者となる」。
●実際に300年を生きたエリナ・マクロプロス(=劇中ではエミリア・マルティ)の意見
「300年なんて愛を持ち続けることは出来ないわ。希望だって、創造だって、物を観察することだって、300年は続かない。うんざりしてくるのよ。何をしても、退屈。退屈も時には良し悪しでしょうけどね。・・・でもそのうち、この世には何も存在しないってことが分かってくるのね。何も無いのよ。罪も、苦痛も、地面も、何にも無いの。ものが存在するってのは、ものに価値があるってことよ。並の人間にとっては、何でも価値があるわ。・・・あなたたちみたいなおバカさんは、幸せだと思うわ。腹立たしいけど。あなたたちは早く死ぬことができる。だから猿みたいに、まわりのものに興味が持てる。いろいろなものを信じることが出来る。愛を信じ、自分を信じ、徳を信じ、進歩を信じ、人類を信じ、・・・その他もろもろの事が信じられる」。
―マクロプロスという名前が暗示するもの
最後に一つ、付け足し話。上記マッケラス盤LPの解説書に、マクロプロスという名前の意味について興味深い文章が載っている。それによると、「プロス」というのは、“~の息子”を意味するギリシャ語の接尾辞だそうである。(そう言えば、ギリシャ系の名字に~プロスというのをよく見かけるような気がする。クラシック音楽界の例で言えば、ギリシャ出身の往年の名指揮者にディミトリ・ミトロプロスがいるし、ギリシャの名歌手マリア・カラスの本当の名字がカルゲロプロスであったことは、ファンの方ならきっとご存知のことと思う。)そして、前半の「マクロ」が“長い”という意味を持つ言葉であるとのことで、両者をつなげた「マクロプロス」は長寿を連想させるギリシャ系の名前、という仕掛けになっているようだ。
★以上で、当ブログに於けるヤナーチェク・オペラのお話は終了。次回は、ヤナーチェク・シリーズの締めくくりとして、<グラゴル・ミサ>を聴き比べた感想文を書いてみることにしたい。この個性的な名作については、私もこれまで相当数の演奏録音に触れてきたが、次回はその中から代表的な5種を厳選して語ってみようと思う。
〔 第3幕 〕~続き
私どもの尋問に対するエミリア・マルティの回答は、まことに信じ難いものでした。しかし、すべて偽りのない事実だったのです。以下、エミリアが語った驚愕の真実をご紹介させていただくところから、まとめのお話を始めてみたいと思います。(※一部ですが、本人のセリフ以外の言葉をこちらで補充させていただいた箇所があります。ご了承ください。)
「私の名は、エリナ・マクロプロス。年齢は、337歳。私の父はヒエロニムス・マクロプロスという名で、16世紀末に神聖ローマ帝国の皇帝だったルドルフ2世の侍医をしていた。・・・不老不死を願う皇帝の命令で、『300年の若さが得られる秘薬』を、父は作ったの。そして薬が出来上がると、当時16歳だった娘の私が、実験台として飲まされたわけ。私は意識をなくして、重体になった。騙されたと思って怒った皇帝は、父を投獄したわ。でも1週間後に目を覚ました私は、それから死ななくなった。そして父がギリシャ語で書き残した文書、つまり、“一服で300年の命が得られる薬の製法”が書かれた処方箋をもって、私はヨーロッパ各地を転々とするようになったの。名前と国籍を変えながらね。
そして今から100年前に、私はペピ(=ヨゼフ・プルス男爵)と出会って恋をし、フェルディナンドを産んだわ。その時の私の名は、エリアン・マクグレゴル。戸籍上はマクロプロス姓を使わなければならなかったから、子供の名前はその名字で登録することになったけどね。・・・私はペピと別れた時、例の処方箋を入れた封筒を、彼のところに置いていった。『また戻ってきてくれ』って、説得されちゃったから」。
そこまで語ると、エミリアは強い疲労を訴えて倒れます。彼女は寝室へ運ばれ、医師の手当てを受けました。この時ばかりは、私たちもちょっと彼女を厳しく問い詰めすぎたと反省しました。やがてエミリアがまた戻ってきて、オペラはいよいよラスト・シーンに入ります。
「ああ、こんなに長く生きるものじゃない。あなた方には、すべての物が意味を持つ。すべての物が価値を持つ。おバカさんたち。幸せな人たち。・・・私は父が残した秘伝の書を取り戻しにここへ来たけど、もういらないわ。これからまた300年生きたって、くだらないもの。誰かほしい人、いる?クリスタさん、あなたにあげるわ。有名な歌手になれるわよ、私のように。さあ、受け取って」。
私たちは、「そんな物をもらっちゃいかん」と止めましたが、クリスタは書類を受け取りました。そして彼女は無言のままそれを蝋燭の火にかざし、きれいに燃やしてしまいます。マクロプロスの秘伝の書は、完全に灰となりました。そしてそれを見届けたエミリア・マルティは、その場に崩れるように倒れこんだのです。【※1】歌劇<マクロプロス事件>は、ここで全曲の幕を閉じます。
【※1】 カレル・チャペックが書いた原作(1922年・舞台初演)では、「エミリアが最後に死ぬ」という形には必ずしもなっていないようだが、ヤナーチェクのオペラでは最後にエミリアが倒れ、どうやら彼女は死んだらしいことが示唆される。また、エミリア・マルティが最後、薬切れによって本来の337歳にふさわしい姿、つまり、「ミイラのような老婆の姿」にみるみる変容していくというホラー映画みたいな演出が施されたオペラ上演も、過去にはあったらしい。これは今の時代でも十分使えそうなエンディングで、いつか是非一度見てみたいものである。
―「300年の人生」を巡る登場人物たちの意見
チャペックの原作には、「300年の人生をどう思うか」について、各登場人物が語る場面があるらしい。ここで聞かれる意見はヤナーチェクのオペラ台本からすっぽりカットされていて、エミリア・マルティのセリフに少しだけ引用されている部分が見つかるにとどまる。しかし、この場面をちょっと見てみると、なかなか面白い発見がある。以下、チャールズ・マッケラス指揮ウィーン・フィル、他によるデッカ録音(1978年)の国内盤LPに付いていた解説書から、その該当箇所を一部抜粋・編集して書き出してみることにしたい。作品理解の一助としていただけたら幸いである。
●弁護士の秘書ヴィーテクの意見
「たかだか60歳までの人生で、一人の人間に何が達成できますか。・・・それこそ、生きたともいえないうちに死ぬようなものです。300年も生きられれば、はじめの50年で勉強し、次の50年で世の中を知り、すべての存在を知る。次の100年は他の人々の利益のために使い、人間として持つべきすべての経験を身につける。そして残りの100年は知恵の中に生きて、世を治め、人を教え、後世に手本を残すことに使う。・・・300年あれば、人間は誰でも完全無欠になって、真の意味で神の子になれるんです」。
●弁護士コレナティー博士の意見
「経済的、法律的見地からすれば、300年の人生なんて理屈に合わんよ。社会のシステムというのがそもそも、人生の短さの上に成り立っているんだから。契約、年金、保険、給料、遺言・・・みんなそうだ。結婚だってそうだろう。誰が300年も結婚していたいなんて思うかね」。
●ヤロスラフ・プルス男爵の意見
「300年の人生があり得るなら、それは有能な強者にだけ与えられるべきだ。・・・平々凡々たる連中が、誰も死なない。そしてせっせと休む間もなく、まるでネズミかハエのように子を産んで増えていく。死に絶えるのは偉大な人間ばかり。強くて有能な人間ばかり。それはつまり、そういった者たちに代わる人間がいないからだ。まあしかし、そういう優秀な種を保存するチャンスはあるかもしれん。・・・優れた人間が長寿を得る、つまり選ばれた少数による専制支配だ。頭脳による支配ということだ。・・・長寿を得る者が当然、人類の支配者となる」。
●実際に300年を生きたエリナ・マクロプロス(=劇中ではエミリア・マルティ)の意見
「300年なんて愛を持ち続けることは出来ないわ。希望だって、創造だって、物を観察することだって、300年は続かない。うんざりしてくるのよ。何をしても、退屈。退屈も時には良し悪しでしょうけどね。・・・でもそのうち、この世には何も存在しないってことが分かってくるのね。何も無いのよ。罪も、苦痛も、地面も、何にも無いの。ものが存在するってのは、ものに価値があるってことよ。並の人間にとっては、何でも価値があるわ。・・・あなたたちみたいなおバカさんは、幸せだと思うわ。腹立たしいけど。あなたたちは早く死ぬことができる。だから猿みたいに、まわりのものに興味が持てる。いろいろなものを信じることが出来る。愛を信じ、自分を信じ、徳を信じ、進歩を信じ、人類を信じ、・・・その他もろもろの事が信じられる」。
―マクロプロスという名前が暗示するもの
最後に一つ、付け足し話。上記マッケラス盤LPの解説書に、マクロプロスという名前の意味について興味深い文章が載っている。それによると、「プロス」というのは、“~の息子”を意味するギリシャ語の接尾辞だそうである。(そう言えば、ギリシャ系の名字に~プロスというのをよく見かけるような気がする。クラシック音楽界の例で言えば、ギリシャ出身の往年の名指揮者にディミトリ・ミトロプロスがいるし、ギリシャの名歌手マリア・カラスの本当の名字がカルゲロプロスであったことは、ファンの方ならきっとご存知のことと思う。)そして、前半の「マクロ」が“長い”という意味を持つ言葉であるとのことで、両者をつなげた「マクロプロス」は長寿を連想させるギリシャ系の名前、という仕掛けになっているようだ。
★以上で、当ブログに於けるヤナーチェク・オペラのお話は終了。次回は、ヤナーチェク・シリーズの締めくくりとして、<グラゴル・ミサ>を聴き比べた感想文を書いてみることにしたい。この個性的な名作については、私もこれまで相当数の演奏録音に触れてきたが、次回はその中から代表的な5種を厳選して語ってみようと思う。