クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

歌劇<マクロプロス事件>(3)

2009年01月12日 | 作品を語る
今回は、ヤナーチェクの歌劇<マクロプロス事件>の最終回。

〔 第3幕 〕~続き

私どもの尋問に対するエミリア・マルティの回答は、まことに信じ難いものでした。しかし、すべて偽りのない事実だったのです。以下、エミリアが語った驚愕の真実をご紹介させていただくところから、まとめのお話を始めてみたいと思います。(※一部ですが、本人のセリフ以外の言葉をこちらで補充させていただいた箇所があります。ご了承ください。)

「私の名は、エリナ・マクロプロス。年齢は、337歳。私の父はヒエロニムス・マクロプロスという名で、16世紀末に神聖ローマ帝国の皇帝だったルドルフ2世の侍医をしていた。・・・不老不死を願う皇帝の命令で、『300年の若さが得られる秘薬』を、父は作ったの。そして薬が出来上がると、当時16歳だった娘の私が、実験台として飲まされたわけ。私は意識をなくして、重体になった。騙されたと思って怒った皇帝は、父を投獄したわ。でも1週間後に目を覚ました私は、それから死ななくなった。そして父がギリシャ語で書き残した文書、つまり、“一服で300年の命が得られる薬の製法”が書かれた処方箋をもって、私はヨーロッパ各地を転々とするようになったの。名前と国籍を変えながらね。

そして今から100年前に、私はペピ(=ヨゼフ・プルス男爵)と出会って恋をし、フェルディナンドを産んだわ。その時の私の名は、エリアン・マクグレゴル。戸籍上はマクロプロス姓を使わなければならなかったから、子供の名前はその名字で登録することになったけどね。・・・私はペピと別れた時、例の処方箋を入れた封筒を、彼のところに置いていった。『また戻ってきてくれ』って、説得されちゃったから」。

そこまで語ると、エミリアは強い疲労を訴えて倒れます。彼女は寝室へ運ばれ、医師の手当てを受けました。この時ばかりは、私たちもちょっと彼女を厳しく問い詰めすぎたと反省しました。やがてエミリアがまた戻ってきて、オペラはいよいよラスト・シーンに入ります。

「ああ、こんなに長く生きるものじゃない。あなた方には、すべての物が意味を持つ。すべての物が価値を持つ。おバカさんたち。幸せな人たち。・・・私は父が残した秘伝の書を取り戻しにここへ来たけど、もういらないわ。これからまた300年生きたって、くだらないもの。誰かほしい人、いる?クリスタさん、あなたにあげるわ。有名な歌手になれるわよ、私のように。さあ、受け取って」。

私たちは、「そんな物をもらっちゃいかん」と止めましたが、クリスタは書類を受け取りました。そして彼女は無言のままそれを蝋燭の火にかざし、きれいに燃やしてしまいます。マクロプロスの秘伝の書は、完全に灰となりました。そしてそれを見届けたエミリア・マルティは、その場に崩れるように倒れこんだのです。【※1】歌劇<マクロプロス事件>は、ここで全曲の幕を閉じます。

【※1】 カレル・チャペックが書いた原作(1922年・舞台初演)では、「エミリアが最後に死ぬ」という形には必ずしもなっていないようだが、ヤナーチェクのオペラでは最後にエミリアが倒れ、どうやら彼女は死んだらしいことが示唆される。また、エミリア・マルティが最後、薬切れによって本来の337歳にふさわしい姿、つまり、「ミイラのような老婆の姿」にみるみる変容していくというホラー映画みたいな演出が施されたオペラ上演も、過去にはあったらしい。これは今の時代でも十分使えそうなエンディングで、いつか是非一度見てみたいものである。

―「300年の人生」を巡る登場人物たちの意見

チャペックの原作には、「300年の人生をどう思うか」について、各登場人物が語る場面があるらしい。ここで聞かれる意見はヤナーチェクのオペラ台本からすっぽりカットされていて、エミリア・マルティのセリフに少しだけ引用されている部分が見つかるにとどまる。しかし、この場面をちょっと見てみると、なかなか面白い発見がある。以下、チャールズ・マッケラス指揮ウィーン・フィル、他によるデッカ録音(1978年)の国内盤LPに付いていた解説書から、その該当箇所を一部抜粋・編集して書き出してみることにしたい。作品理解の一助としていただけたら幸いである。

●弁護士の秘書ヴィーテクの意見

「たかだか60歳までの人生で、一人の人間に何が達成できますか。・・・それこそ、生きたともいえないうちに死ぬようなものです。300年も生きられれば、はじめの50年で勉強し、次の50年で世の中を知り、すべての存在を知る。次の100年は他の人々の利益のために使い、人間として持つべきすべての経験を身につける。そして残りの100年は知恵の中に生きて、世を治め、人を教え、後世に手本を残すことに使う。・・・300年あれば、人間は誰でも完全無欠になって、真の意味で神の子になれるんです」。

●弁護士コレナティー博士の意見

「経済的、法律的見地からすれば、300年の人生なんて理屈に合わんよ。社会のシステムというのがそもそも、人生の短さの上に成り立っているんだから。契約、年金、保険、給料、遺言・・・みんなそうだ。結婚だってそうだろう。誰が300年も結婚していたいなんて思うかね」。

●ヤロスラフ・プルス男爵の意見

「300年の人生があり得るなら、それは有能な強者にだけ与えられるべきだ。・・・平々凡々たる連中が、誰も死なない。そしてせっせと休む間もなく、まるでネズミかハエのように子を産んで増えていく。死に絶えるのは偉大な人間ばかり。強くて有能な人間ばかり。それはつまり、そういった者たちに代わる人間がいないからだ。まあしかし、そういう優秀な種を保存するチャンスはあるかもしれん。・・・優れた人間が長寿を得る、つまり選ばれた少数による専制支配だ。頭脳による支配ということだ。・・・長寿を得る者が当然、人類の支配者となる」。

●実際に300年を生きたエリナ・マクロプロス(=劇中ではエミリア・マルティ)の意見

「300年なんて愛を持ち続けることは出来ないわ。希望だって、創造だって、物を観察することだって、300年は続かない。うんざりしてくるのよ。何をしても、退屈。退屈も時には良し悪しでしょうけどね。・・・でもそのうち、この世には何も存在しないってことが分かってくるのね。何も無いのよ。罪も、苦痛も、地面も、何にも無いの。ものが存在するってのは、ものに価値があるってことよ。並の人間にとっては、何でも価値があるわ。・・・あなたたちみたいなおバカさんは、幸せだと思うわ。腹立たしいけど。あなたたちは早く死ぬことができる。だから猿みたいに、まわりのものに興味が持てる。いろいろなものを信じることが出来る。愛を信じ、自分を信じ、徳を信じ、進歩を信じ、人類を信じ、・・・その他もろもろの事が信じられる」。

―マクロプロスという名前が暗示するもの

最後に一つ、付け足し話。上記マッケラス盤LPの解説書に、マクロプロスという名前の意味について興味深い文章が載っている。それによると、「プロス」というのは、“~の息子”を意味するギリシャ語の接尾辞だそうである。(そう言えば、ギリシャ系の名字に~プロスというのをよく見かけるような気がする。クラシック音楽界の例で言えば、ギリシャ出身の往年の名指揮者にディミトリ・ミトロプロスがいるし、ギリシャの名歌手マリア・カラスの本当の名字がカルゲロプロスであったことは、ファンの方ならきっとご存知のことと思う。)そして、前半の「マクロ」が“長い”という意味を持つ言葉であるとのことで、両者をつなげた「マクロプロス」は長寿を連想させるギリシャ系の名前、という仕掛けになっているようだ。

★以上で、当ブログに於けるヤナーチェク・オペラのお話は終了。次回は、ヤナーチェク・シリーズの締めくくりとして、<グラゴル・ミサ>を聴き比べた感想文を書いてみることにしたい。この個性的な名作については、私もこれまで相当数の演奏録音に触れてきたが、次回はその中から代表的な5種を厳選して語ってみようと思う。
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歌劇<マクロプロス事件>(2)

2009年01月02日 | 作品を語る
前回の続きで、ヤナーチェクの歌劇<マクロプロス事件>。今回は、第2幕と第3幕前半の内容。

〔 第2幕 〕・・・大きな劇場の中。上演後の片づけ中。

掃除婦(A)と舞台の電気係(B)が、先ほど終わったエミリア・マルティの公演について話しています。大歌手の信じられないような名唱、聴衆の熱狂、そして50回にも及ぶカーテン・コール・・・。ヤロスラフ・プルス男爵がエミリアに会いたいとやってきますが、彼はそこでしばらく待たされることとなります。続いて、クリスタが男爵の息子であるヤネク(T)とともにやって来ます。この二人は恋人同士です。しかし、クリスタは彼よりも、自分の大きな目標である大歌手マルティのことで頭がいっぱいです。やがてエミリア・マルティが姿を見せますと、ヤネクはたちまち彼女の美しさに打たれ、夢中になってしまいます。まあ、例によってですが、大歌手は若者を軽くあしらい、「この人、おばかさんでしょ」と、彼の父親であるプルス男爵に言います。

ほどなくすると、エミリアに夢中になっているもう一人の若者、アルベルト・グレゴルが花束を持って現れます。彼と一緒にいるのは、私の秘書ヴィーテクです。アルベルトがお金に無理をしたのが分かっているエミリアは、花を受け取りません。続いて彼女は、そこにいるヴィーテクに向かって露骨なことを尋ねます。「あなたの娘さん、クリスタさんって、もう恋人とやったのかしら?男女のあれを」。・・・当惑する一同を尻目に、彼女は言葉を続けます。「もしまだやっていなくても、そのうちやるんでしょうね。でもね、そんなの、何の価値もないことよ」。それまで黙っていたプルス男爵が、ここで彼女に問いかけます。「ではマルティさん、何だったらする価値があると、あなたはおっしゃるのですか」。それに対するエミリアの答えは、極めて冷ややかなものでした。「何もないわ。価値のあるものなんて、何も無いのよ」。

するとそこへ、ちょっと変な人物が訪れてきます。ハウク=シェンドルフ(T)という名の、年のいった男性です。なんでも、若い頃はオペレッタ歌手として活躍していた人らしいのですが、その当時(今から50年前)、彼が憧れていたエウゲニア・モンテスという歌手にエミリアはそっくりだと、ここまで彼女に会いに来たらしいのです。この方、どうも様子が普通ではありません。しかし、エミリアは優しく親しげな態度で彼に対応します。

そのハウク=シェンドルフ氏が去った後、「娘のクリスタのために、写真にサインしてやって下さい」というヴィーテクの注文に、エミリアは応えます。次いで人払いを済ませると、彼女はヤロスラフ・プルス男爵と二人きりになります。男爵は自宅で、いくつか謎めいた文書を見つけたようです。「E・Mというイニシャル署名の付いた手紙が、見つかりました。エリアン・マクグレゴルでしょうか。ヨゼフ・プルスとの、ふしだらな性の告白が書かれていました。それと、先頃見つかった遺言書に関連することなんですが、ロウコフの領地を遺贈されたフェルディナンドという子供、出生登録簿ではフェルディナンド・マクロプロスとなっておりましてね。グレゴル姓ではないのです。1816年生まれで、母親の名はエリナ・マクロプロスとか。・・・ああ、それともう一つ、何やら封のされた文書もありました」。「その封書を売ってちょうだい」とエミリアは申し出ますが、男爵にやんわりとかわされてしまいます。

プルス氏が去った後、またアルベルト・グレゴルが戻ってきます。彼は激しくエミリアに言い寄りますが、やはり突き放されます。そして強い疲労を感じていた彼女は、そのまま眠り込んでしまいます。失意のアルベルトが出て行くと、今度はヤネクがやって来ます。彼もまた、エミリア・マルティの妖しい魅力にはまってしまった哀れな男の一人です。目を覚ましたエミリアは、「私をそんなに思っているなら、あなた、お父さんのところから私が言うとおりの封書を取ってきてちょうだい」と彼に命じます。ヤネクは応諾するのですが、そこへ突然、彼の父親であるプルス男爵が現れます。そして小心者の息子を追い払い、男爵はエミリアと取引を交わします。「あなたがほしがっている文書を、お渡ししましょう。代価はあなた自身、ということで」。

〔 第3幕 〕・・・ホテルの一室。夜明けのかすかな光。

エミリア・マルティと一夜を過ごしたヤロスラフ・プルス男爵は、約束どおり、彼女がほしがっていた秘密文書の入った封筒を渡します。男爵は今、激しく後悔しています。「氷のような女。まるで死体を抱いているようだった」。そこへ女中がやって来て、彼の息子ヤネクが自殺したことを伝えます。激しい衝撃に打ちひしがれるプルス男爵ですが、エミリアは平然と髪をとかし続けています。「あんた、よくそんな風に平気でいられるな」と責めるプルス氏に対し、「私に何ができるって言うの」と、彼女はしれっとした態度で答えます。

続いて、プルス氏と入れ替わるようにハウク=シェンドルフが入ってきて、「妻の宝石をくすねてきた。あなたと一緒に、スペインへ行きたい」とエミリアに申し出ます。彼女の方も、「あ、それ、いいわね」と乗り気になります。そして二人が旅立つ準備をしているところに、私たちが乗り込みます。揃った顔ぶれは、私コレナティーと秘書のヴィーテク、アルベルト・グレゴル、クリスタ、ヤロスラフ・プルス男爵、そして一人の医者、という面々です。このまま彼女を逃がすわけにはいきません。私は、100年前に書かれたという書類を差し出し、「あなたが先日クリスタのためにしてくださったサインと、筆跡が全く同じですね」と言って、彼女に迫りました。するとエミリアは、「裁判なら受けてたちますよ。でもその前に、ちょっと着替えさせてくださいな」と言って席を外します。(もう一人、少しおかしくなっている男の方は、医者が連れ去りました。)

さて、彼女が別室に行っている間、私たちは彼女の持ち物を一斉に捜索しました。すると、出てくるのです。いろいろな手紙や書類が。エウゲニア・モンテス、エリアン・マクグレゴル、エルザ・ミュラー、エカチェリーナ・ミシュキン、いずれもイニシャルがE・Mとなるような名前のついた書簡。これらに書かれた文字もすべて、エミリア・マルティの筆跡そのものです。これで、私たちは確信しました。エミリアは文書の偽造をやっている!やがて着替えを終えた彼女が、ウィスキーのボトルを手に提げて戻ってきます。そしていよいよ彼女への尋問が始まるわけですが、そこで私たちは、まことに驚くべき話を聞かされることとなりました。

―この続き、ドラマの幕切れまでの展開については次回です。どうぞ、お待ちください。
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歌劇<マクロプロス事件>(1)

2008年12月26日 | 作品を語る
皆様、はじめまして。私、弁護士のコレナティー(B、Bar)と申します。ブログ主さんに代わりまして今回私の方からお話しさせていただきます題目は、マクロプロスの事件です。実はこの一件、色々とややこしい経緯があるのですが、かいつまんで事の起こりを申し上げますと、大体次のような感じになろうかと思います。

富豪のヨゼフ・プルス男爵(通称ペピ)が1827年に死去し、その莫大な資産をいとこのエメリヒ・プルスが管理することになりました。遺書も残されておらず、法的な相続人もいなかったからです。しかしこの相続に、グレゴル家が異議を唱えました。「ヨゼフ・プルス男爵は生前、グレゴル家のフェルディナンドにロウコフの領地を譲るという遺言をしていた」というのが主張の根拠です。それに対しプルス側は、「ヨゼフが死の床で口にしたのは、ヘル・マッハ・グレゴルという名前だった。フェルディナンドではない」と返します。

結局、お互いの言い分を裏付ける決定的な証拠が出てこないため、この訴訟は実に100年間も続いてきたのでした。私はグレゴル家から訴訟の代理人を引き受けている立場にあるのですが、どうもこの案件、グレゴル側にとって不利な判決が出そうな流れになっております。しかし、そこにある女性が現れ、事態は思わぬ展開を見せることになるのです。そこから始まるのが、ヤナーチェクの歌劇<マクロプロス事件>【注1】の物語です。

〔 第1幕 〕・・・コレナティーの事務所にある秘書の部屋。

私の秘書ヴィーテク(T)が、プルス家とグレゴル家の間に起こっている訴訟関係の書類を整理しております。やがて依頼人のアルベルト・グレゴル(T)がやってきて、彼とおしゃべりを始めます。アルベルトは財産が手に入るという前提で、すでに大きな借金をしてしまっているようです。そこへ、ヴィーテクの娘であるクリスタ(S、Ms)が入ってきます。彼女はオペラ歌手になる勉強をしている最中で、前の晩に大歌手エミリア・マルティ(S)の歌を聴いて大感激したと、夢中になって語ります。

続いて、私コレナティーの登場です。法廷から帰ってきたところ、というわけですが、たった今クリスタが話していたエミリア・マルティその人も、私と一緒です。と言いますのも、「新聞記事で見たこの一件に興味を持ったので、詳しい話を聞かせてほしい」と、“世界最高の歌手”である彼女が、私に申し入れてきたからです。で、事務所で色々とこの件についてお話ししてみますと、彼女はこの案件についてただならぬ関わり、と言いますか、ちょっと普通でない情報を抱えているらしいことが分かってきます。彼女は、こんな事を言うのです。

「ヨゼフ・プルス男爵が死の床で口にしたマッハ・グレゴルって名前は、スコットランド系の名字マクグレゴルのことよ。当時エリアン・マクグレゴルってオペラ歌手がいてね、彼女はプルス男爵の愛人だったの。フェルディナンドというのは、彼女と男爵の間に出来た子供。つまり、隠し子ね。そのフェルディナンドに宛てた男爵の遺言書ってのが、実はちゃんとあるのよ。どこにかって?プルスさんのお屋敷の、戸棚の引き出し。1816年という年号・日付の付いた引き出しよ。行って見てごらんなさいな」。

私はそんな突拍子もない話を真に受ける気はしなかったのですが、フェルディナンドの子孫であるアルベルト・グレゴルはそれを聞いて大喜びします。これで裁判に勝てると。そして、「あなたが行ってくれないなら、他の弁護士に頼むからいい」などと言い出しますので、私はあわてて腰を上げ、プルス男爵のお屋敷にお邪魔させていただくことにしました。一方、その場に残ったアルベルトは、エミリア・マルティに熱心な愛のアプローチを始めます。彼は美貌の大歌手にいきなり魅了されてしまったようです。しかしエミリアは、そんな若造の口説き文句など歯牙にもかけません。

やがて、現在訴訟に立ち会っている相手方のヤロスラフ・プルス男爵(Bar)と一緒に、私が事務所に戻ってきます。いや、驚きました。エミリア・マルティが言ったとおりのものが、言ったとおりの場所にあったのです!私は彼女にお詫びしました。ヤロスラフ・プルス氏は、「確かに遺言書は見つかったが、ここに書かれているフェルディナンドが、間違いなくフェルディナンド・グレゴルであることを証明できなければ、まだ納得いかないね」と、至極もっともな事を言います。するとエミリアは、「それを証明するものを、用意しますわ」と彼に約束します。ここで、第1幕が終わります。

(※さて、上では今省略してしまったのですが、オペラ歌手のエミリア・マルティがこのややこしい訴訟案件に首を突っ込んできた目的は何だったのか。それについては彼女自身が、上のアルベルトとのやり取りの中ではっきりと口にしております。私はその真意をずっと後になって知ったわけですが、彼女は別に、今回見つかった遺言書がほしかったのではありません。あるいは、それによって得られることになりそうな巨額の財産でもありません。実はその遺言書と一緒にしまってあるはずの、もう一つの文書がほしかったのです。「ギリシャ語で書かれた、ある文書」、すなわちマクロプロスの秘伝の書が・・・。)

―この続き、第2幕から先の展開については次回です。どうぞ、しばらくお待ちください。

【注1】 <マクロプロス事件>というタイトルについて

このオペラの原題である< Vec Makropulos >には、ぴったりくる日本語訳がないようだ。文字通りに直訳すれば、「マクロプロスの事」みたいになるらしいのだが、それでは作品タイトルとして何か物足りない。「マクロプロスの秘密」、「マクロプロスの記録」などといった候補が研究者たちから提案されてきた一方、ドラマの中で vec という語が実際に出てくるのがマクロプロスの秘伝の書を指す場面であることから、「マクロプロス家の秘伝」と訳すのが良いだろうという意見も現在かなり有力なようである。実は当ブログでも、その「マクロプロス家の秘伝」を使おうかと最初は考えた。しかし、ネット上で「マクロプロス 事件」と「マクロプロス 秘伝」をそれぞれ検索してみたら、圧倒的に前者のヒット数の方が勝っていたのである。そんな流れで、結局<マクロプロス事件>というタイトルを今回使用することに決めたのだった。なお、LPレコードの時代に「マクロプロスの場合」という訳語を目にしたこともあったが、これはどうやら淘汰されて消えたようである。
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歌劇<利口な女狐の物語>(2)

2008年12月16日 | 作品を語る
前回の続きで、ヤナーチェクの歌劇<利口な女狐の物語>。今回は第3幕の内容と、3つの全曲盤についてのお話。

〔 第3幕・第1場 〕・・・森のはずれ。秋の日のお昼どき。

鶏の行商人ハラシュタ(B、Bar)が登場し、民謡の恋歌を歌う。そこへ森番のおじさんもやって来て、二人のおしゃべりが始まる。ハラシュタって密猟もやってるから、それを取り締まる森番のおじさんとは顔見知りになってるんだね。で、そのおしゃべりの中身なんだけど、なんでも、ハラシュタは間もなく結婚することになっていて、お相手はテリンカって人らしいんだ。(校長先生の恋、終わっちゃった・・・。)

その後森番のおじさん、狐の足跡を見つけたもんだから、罠をしかけて去っていく。続いてそこへ、たくさんの子狐を連れたおねえちゃん夫婦がやってくる。(おねえちゃんもそれなりに、年を取ったみたいだね。)で、みんな揃って、おじさんの下手な仕掛けをあっさり見破っちゃう。「これは変だぞ。気をつけろ」って。ハラシュタがまた戻ってきたので、狐一家はさっと隠れる。そこでおねえちゃんの姿を目にしたハラシュタが、「こりゃテリンカに贈るマフに出来そうだ」って、狙いをつけるんだ。で、おねえちゃんがうまいことその相手をしている間に、子供たちがハラシュタの荷かごに集まり、中にいた鶏をどんどん食べてっちゃう。それに気づいたハラシュタはもう怒りまくって、「これでもくらえ」って、おねえちゃんの方にバーン、バーンって、銃を撃つ。で、その一発が、まともに命中しちゃうんだね。女狐のおねえちゃん、死んじゃった。声も立てずに、死んじゃった。

〔 第3幕・第2場 〕・・・パーセクの宿屋の庭。いつになく静か。

森番のおじさんが、校長先生に言う。「女狐の巣穴は、空っぽだったよ」。そして、「また、ひまわりに言い寄っていたのか」って先生をからかうんだけど、先生はテリンカさんが結婚するのをもう知ってたから、「それは全部終わったことだ」って、横を向いて涙を隠す。森番のおじさんが、宿を出ようとする。「まだ早いのに、どこへ行くんだい」って先生が訊くので、おじさんは答える。「森へ行って、それから家に帰るんだ。犬のラパークがもう、歩けなくなっていてな。すっかり年を取っちまったんだよ、ちょうど俺たちみたいにさ」。

〔 第3幕・第3場 〕・・・オペラの冒頭と同じ、森の峡谷。日が沈むところ。

森の中で一人、おじさんは青春時代のことを懐かしく思い出す。結婚式の翌日、この大地に奥さんと寝転んだこととかね。「あれはおとぎ話か、それとも本当のことだったのか。何年前だい、若かった俺たちが二人して歩いたのは・・・」。そして木にもたれて休んでいるうち、おじさんは眠りに落ちて夢を見る。

夢の中で、おじさんは起き上がる。小さな女狐が目に入ったんだ。「おや、ビストロウシュカじゃないか。いや、違う。あいつの子供か。なんだい、お前、母さんにそっくりじゃないか。よーし、捕まえてやるぞ。今度は、お前の母さんのときよりもっと上手に飼ってやるからな」。そうしておじさんが伸ばした手の上に、ぴょんと飛び乗ったのが、おいらさ。へへーっ。ここでやっと、おいらの出番。おじさん、「お前、どうやってここに?」って、おいらに見覚えがあるような様子を見せたから、おいら言ってやった。「あのときのカエルはおいらじゃなくて、おいらのじっちゃだよ。じっちゃがおじさんのこと、いろいろ話してくれたんだ」。そして、森の動物たちや昆虫たちがおじさんの周りを舞い踊り、音楽が大きく盛り上がって、オペラは感動のフィナーレを迎えるんだ。

(※で、そのときなんだけどさ、おじさんしばらくおいらを見て、なんかじーんとしたような顔をしたんだよね。おいらにはその意味がわからなかったんだけど、「良いものも悪いものも新たになって、引き継がれる命の中を循環する。―そういう自然の営みに、おじさんは深~く感じ入ったんじゃよ」って、ばっちゃが言ってた。)

―歌劇<利口な女狐の物語>の全曲録音から

●ボフミル・グレゴル指揮プラハ国民劇場管、他 (1970年・スプラフォン盤)

LP時代の代表的な名盤。グレゴルの指揮は作品への深い共感に溢れ、心のこもった暖かい名演を生み出している。場面によっては、もう少しドラマティックな力が望まれる部分もなくはないが、音楽の自然な呼吸が心地よい。歌手たちの中では、ビストロウシュカを歌うヘレナ・タテルムスホヴァーがまず見事。おきゃんで、小ずる賢い女狐のキャラを、彼女は生き生きと歌いだしている。これは同役の歌唱表現として、一つの模範とさえ言えるような名唱である。続いては、牧師&穴熊を歌うダリボル・イェドリチカが良い。伸びやかな声で端正に歌っているのが、聴き手に好印象を与える。それ以外の歌手たちも、(特に名唱と言うほどではないにしても)それぞれの役を不足なく演じていて、粒の揃ったアンサンブルを形成している。その他、子狐たちを演じる児童合唱、子供時代のビストロウシュカを演じるソプラノ歌手、そして小ガエルを演じるソプラノ歌手も、皆愛嬌があってとても可愛らしい。

●ヴァーツラフ・ノイマン指揮チェコ・フィル、他 (1979~80年・スプラフォン盤)

指揮者、オーケストラとも、非常に手馴れた印象を与えるすっきりタイプの演奏。そのけれん味のなさは一つの長所なのかもしれないが、逆にあっさりし過ぎて物足りなく感じられる部分も少なくない。特にラスト・シーン。ここはもっと盛り上げてほしい。歌手の中では、森番を歌うリハルト・ノヴァクが抜群の出来栄え。貫禄のあるバスの声で、全編にわたって卓越した歌唱を聴かせる。ビストロウシュカを歌うマグダレーナ・ハヨーショヴァーも巧いが、声はややおばさんぽいイメージ。それ以外では、雄狐役のガブリエラ・ベニャチコヴァー、牧師&穴熊役のカレル・プルーシャが好演。その一方、子役を演じる歌手たちがうまくなかったり、子狐たちを歌うキューン合唱団が大人っぽ過ぎてかわいくなかったりで、細かいところにあちこち不満が感じられる演奏でもある。なお、森番とハラシュタが撃つ鉄砲の音については、上記グレゴル盤がシンバルやドラムを使ったオースドックスなものであるのに対し、ここでは銃声の効果音が使われている。

●チャールズ・マッケラス指揮ウィーン・フィル、他 (1984年・デッカ盤)

上記のグレゴル盤とは対照的に、極めて鮮烈な響きを持つドラマティックな演奏。明晰なサウンドの中に様々な楽器のモチーフがくっきりと浮かび上がり、この演奏を聴いて初めて、「ああ、こういう音型が鳴っていたのか」と気づかされ、教えられることが多い。第1幕を締めくくるビストロウシュカの逃走シーンなど相当パワフルだし、第3幕の冒頭に至っては、もう凄絶とさえ言っていいほどの爆演である。録音も優秀だ。ただその一方で、“メルヘン的な、素朴な温かみ”みたいなものが不足しがちに思えることも否定できない。「どの本を見ても絶賛されているので買ってみたが、あまり感動しなかった」という方も、案外おられるのではないだろうか。私の率直な感想を言えば、この演奏、いささか余情に乏しい憾(うら)みがある。

牧師&穴熊で名唱を聴かせるリハルト・ノヴァクをはじめ、歌手陣は総じてハイ・レベル。ただ、ビストロウシュカを歌うルチア・ポップについては、ちょっと微妙なものを感じる。確かに、「音楽的な、美しい歌唱」という点で彼女の歌が最高のものであることは、間違いないと思う。しかし、このどこか“お姫さま的”に聞こえる名唱は、私の心に今ひとつ感動を呼び起こしてくれないのである。グレゴル盤のタテルムスホヴァーが、「小ずるいけれど、一所懸命に人生を生き抜いた女狐」というヴィヴィッドなイメージを聴き手に伝えたのに対し、ポップの美演はちょっときれい事に終っているような印象を私は受けてしまうのだ。後は例のごとくだが、お聴きになった方がご自身の感性で判断を下していただけたら、と思う。なお、ハラシュタがぶっ放す鉄砲の音については、いかにもデッカらしい派手な効果音が使われている。上記ノイマン盤で聞かれるものよりもさらにでかい音で、ドバアァーン!これはさすがに、やり過ぎだろうと思った。

―日本製アニメ作品への、かなわぬ(?)希望

歌劇<利口な女狐の物語>は、ケント・ナガノの指揮によるアニメ版DVDが日本でも発売されていて、その一部分を現在「ようつべ」で視聴することが出来る。先日それをちょっと見て、「なるほど、このオペラはアニメ向きだな」と思ったのだが、ナガノ盤を買ってみようという気持ちにはなれなかった。全部を聴いたわけではないので断言は出来ないが、ナガノの指揮は良いものだと思う。しかし、歌詞がよりによって英語で、音楽とズレまくること甚だしいのである。登場キャラクターの絵柄も、あまり私の好みではなかった。

そこで考えたのは、「誰か日本の製作者が、このオペラのアニメ版を作ってくれないかな」ということであった。音源には上のグレゴル盤あたりを使用して、動画を日本人スタッフが作るのだ。細やかで美しい自然の風景描写、かわいらしい登場人物、そして生き生きした表情と滑らかな動き。日本人の感性とアニメ技術をもってしたら、きっと素晴らしい物が出来るんじゃないかと思えるのである。(尤も、宮崎アニメみたいな変な癖のある絵は、御免こうむりたいが。)商業的な採算は見込みにくいかもしれないが、文化的な価値は決して低くないと思う。各国語の字幕をつければ、海外市場にも十分売り出せるのではないだろうか。
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歌劇<利口な女狐の物語>(1)

2008年12月06日 | 作品を語る
皆さん、こんにちは。これから始まるのは、ヤナーチェクの歌劇の中で多分一番有名な<利口な女狐の物語>です。森の住人を代表してってことで、おいらが語り役をまかされちゃったんだけど、え、本当においらでいいのかな・・。でもまあ、とりあえず始めさせておくれ。

〔 第1幕・第1場 〕・・・森の峡谷。晴れた夏の日の午後。

ここは、主人公が登場するまでの流れが紹介されるところだよ。穴熊が穴から顔を出してパイプを吹かし、ハエやトンボがその周りを踊ってる。やがて、肩から銃を下げた森番のおじさん(Bar、B)がやってきて、そこで一休み。で、そのうちグーグー寝入っちゃう。こおろぎやキリギリスが、おじさんの周りを踊る。おじさんの鼻に蚊(T)がとまって、チクリとやる。でも、おじさん酔っ払ってたから、蚊の方もアルコールにやられてふらふら。で、その蚊を狙ってカエル(S、Boy‐S)が出てくるんだけど、捕まえきれずに逃げられちゃう。すると今度は小さな女狐が顔を出し、「ねえ、ママ、これって食べられる?」って、カエルのことを指してきくんだ。びっくりしたカエルが思いっきり飛び跳ねて、おじさんの顔に乗っかったもんだから、おじさん、ハッと目を覚ます。そして目の前にいる小さな女狐が気に入って、ばしっ!と捕まえ家に向かう。捕まった女狐の名は、ビストロウシュカ(S)。このオペラの主人公、ってわけ。えーと、名前が難しいから、ここから先は、「女狐のおねえちゃん」って呼ぶね。

〔 第1幕・第2場 〕・・・森番の家。季節は秋。太陽が輝く午後。

女狐のおねえちゃんが泣いているところに森番の飼い犬ラパーク(Ms)が声をかけ、二人の会話が始まる。そのうちラパークが尻尾を使っておねえちゃんを引き寄せようとするんだけど、「この恥知らず」って、おねえちゃん、それをひっぱたいて振りほどく。そこへ、森番夫婦の子供ペピーク(S)が、悪友のフランチーク(S)を連れてやって来る。そして、紐でつながれてるおねえちゃんを棒で突っついたりして、いじめるんだ。当然、おねえちゃん怒ってさ、にっくき相手に噛みついての猛反撃。ちょっとした騒ぎになる。その後、帰ってきた森番のおじさんに子供は叱られたんだけど、おねえちゃんも前よりきつく縛られることになっちゃった。やがて夜になって、おねえちゃんがまたおいおい泣くんだね。そして、夜が明ける。(あ、この夜明けの場面って、すごくいい音楽が流れるんだよ。)

続いては、森番夫婦が飼っているニワトリたちと、おねえちゃんのやり取り。雄鶏(S)がおねえちゃんのこと、「あんた卵が生めないんだろ」とか言って挑発するんだ。めんどりたちも一緒になって、「あたしたちは働いてるよん。卵生んでるよん」って歌う。おねえちゃん、「あんたたち!雄鶏なんて自分の性欲を満たしてホクホクしてるだけなんだからさ、一緒に立ち上がって、新しい世界秩序を造ろうよ」って、めんどりたちに呼びかけるんだ。でも、相手らはぜんぜん乗ってこない。「雄鶏なしの世界なんて、ありえなーい」って。それで女狐のおねえちゃん、マジ切れしちゃって、次々とニワトリたちを殺していく。おー、こわっ。やっぱり、肉食動物だね。森番のおかみさん(A)がそれを見て、「あひゃあ」って気を失いそうになるんだけど、しっかり持ち直して、おじさんを呼ぶ。で、森番のおじさんが棒を持っておねえちゃんを懲らしめようとすると、おねえちゃん、ついに紐を噛み切って逃走。ここで、第1幕が終了。

〔 第2幕・第1場 〕・・・第1幕第1場と同じ場面。午後の遅い時間。

自由になった女狐のおねえちゃん、穴熊(B)の住処が気に入って狙いをつけた。で、うまく言いがかりをつけて相手を悪者に仕立て、周りの動物たちを味方につけていくんだ。そしてついに、穴熊を追い出しちゃう。で、その後に自分がちゃっかり住みついちゃうんだよね。穴熊のおじさん、かわいそ・・。

〔 第2幕・第2場 〕・・・パーセクの宿屋にある「紳士の部屋」。夜。

校長先生(T)と森番のおじさんが、トランプをやってる。そこへ、穴熊にそっくりな顔をした牧師さん(B)が入って来て、3人のおしゃべりが始まる。やがて雄鶏が鳴いて、先生は家に帰ろうと宿を出る。で、牧師さんも、その後に続く。森番のおじさんが一人残るんだけど、宿屋の主人パーセク(T)に逃げた女狐の話をまた蒸し返され、おじさん怒って宿を出て行く。「あれは逃げていった。それだけのことだ。あの狐をまた探そうなんて、そんな気はねえよ」。

〔 第2幕・第3場 〕・・・森の中。左手側に、上り坂の小道がある。ひまわりが茂る垣根。

帰宅途中の校長先生が、酔ってふらふらと歩いてくる。で、うっかり転んじゃって、ひまわりを見上げると、暗闇に光っている眼が見えるんだ。それって、女狐のおねえちゃんがそこにいるってことなんだけど、先生は酔ってるから、その眼が好きな女性のものに思えちゃう。ずっと恋していたテリンカって人の眼にね。「おお、テリンカ、テリンカ、愛しているよ」って、先生は駆け出すんだけど、またすっ転んで垣根の向こうにあるひまわりの中に落っこっちゃうんだな、これが。(笑)

続いて牧師さんがやって来て、昔の苦い思い出を口にする。なんでも牧師さんには若い頃恋人だった女性がいたらしいんだけど、その人は肉屋の徒弟とできちゃってたんだって。で、彼女が妊娠したっていうんで、当時神学生だった牧師さんが責められて、つらい思いをしたとか。でも妊娠させた男は、その徒弟の方だったんだよね。いろいろあるね、人生って。

やがて、バーン、バーンと鉄砲の音がする。校長先生も牧師さんもびっくりして、「おおっと、こんなところにいちゃいかん」って、そそくさと家路を急ぐ。森番のおじさんが撃ったばかりの猟銃を抱えて登場し、「くそっ、逃がしちまった。さっきのは間違いなく、あの女狐だった」って悔しがる。ここで、舞台は一区切り。

〔 第2幕・第4場 〕・・・森の中。女狐の穴ぐらの外。夏の月明かりの夜。

女狐のおねえちゃんにも、恋の季節がやって来た。おねえちゃんの巣穴の前をハンサムな雄狐(Ms、S)が通りかかり、二人の会話が始まる。おねえちゃんにはもうお母さんがいないこと、森番のおじさんに捕まったけど脱出したこと、そして穴熊から住処を奪ったこと、そういう話に雄狐は惹きつけられていくんだね。やがて、おねえちゃんに対する彼の関心は、恋心に変わっていく。雄狐はズラトフシュビーテクという自分の名前をおねえちゃんに言ってから、ウサギを取ってくるって、いったんそこを離れる。

やがて、おいしそうなウサギを捕まえて雄狐が帰ってきて、二人そろっての食事になる。お互いの心が、どんどん接近していく。「今まで僕は、尊敬できるような相手に出会うことがなかった。でも、君に恋をしてしまった」って、ズラトフシュビーテクは熱心に思いのたけを打ち明けるんだ。はじめはためらって、彼を拒むような素振りを見せていたおねえちゃんだったけど、彼の熱いアプローチを受け、自分も好意を持っているって答える。それを見ていたふくろう(A)が、「ビストロウシュカったら、お行儀悪い」なんて叫びながら、森の中へ飛んでいく。やがて日が昇ると、女狐のおねえちゃんと雄狐は二人揃って、キツツキ(A)のところへ行くんだね。で、キツツキさんが牧師の役を引き受け、二人の結婚式をつかさどるんだ。森全体が、にぎやかな合唱と踊りで二人の結婚を祝う。めでたいな、めでたいなってところで、第2幕が終了。

―この続き、最後の第3幕については次回です。しばらく、待ってておくれ。
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