クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

2011年にずっと良くなったこと

2011年12月31日 | エトセトラ
激動の2011年も今日で終わり、明日から新しい年が始まる。振り返ってみると、今年は日本と日本国民にとって大変な一年だった。あまりにもクズ過ぎる民主党政権については、言わずもがな。それ以上に、3月11日の大震災(と、それに続いた原子力災害)が、やはり今年最大の事件だったと言ってよいように思う。原子力発電所の損壊による放射能の拡散。愚劣な首相と無能な政府がもたらした被害の不必要な拡大。重要なデータの隠ぺい。さらに、この年末になってもいまだに復興の槌音が聞こえない被災地・・・。

―と、悪い方にばかり気を向けて愚痴を並べるのも良くないので、今私の気持の中にある「放射能、ありがとう」な部分について書いてみようかと思う。放射能にありがとうでは随分と無謀な発言に聞こえるかもしれないが、敢えてそう言ってみたい側面が一つ、私にはあるのだ。具体的に何が“ありがとう”なのかと言うと、ここ数年来、うちの近所で増殖を続けていた中国人が、あの震災をきっかけにほとんどいなくなったことである。この放射能のバルサン効果(笑)に、私は「ありがとう」と言いたいのだ。今から2~3年ぐらい前になるか、隣町の小さな八百屋さんが中国人の連続窃盗に苦しんでいるという話を聞いたことがある。連中は数人のかたまりになってやってきては、平然と、堂々と商品を盗んでいく。店主は気がついているのだが、言葉は通じないし、見るからに粗暴で柄の悪い雰囲気を漂わせているので、怖くていつも黙っていたとか。私自身も、スーパー内をうろつく目つきの悪い中国人や、道を歩きながら平然とゴミを撒き散らかす中国人を、間近で見た。本当に気分が悪かった。こんな奴らがこれからどんどん増えるのか、と思うと憂鬱になった。それが今年3月の震災以降、ぱったりといなくなったのである。東京で今後放射能による健康被害がどれぐらい報告されるようになるのかはわからないが、とりあえず私個人の精神衛生について言えば、震災前よりも今の方がずっと良い状況になっている。こういう部分に関して、「放射能、ありがとう」なのである。

ずっと良い状況、と言えば、花王製品からの乗り換えも、私に思いがけない好状況をもたらした。体の具合が良くなったのだ。杉などの花粉に対するアレルギーもさることながら、私の場合はある種の化学薬品アレルギーもあるらしく、食器洗いのたびに鼻がムズムズ、目がしょぼしょぼ、ひどい時には頭痛まで起こすといった状況だった。実はこれ、別に花王製品に限ったことではなく、他のメーカーの洗剤でも起きていた現象である。どれを使っても結局自分がアレルギーなんだから仕方ないと諦め、安くまとめ買いしていたファミリーフレッシュをずっと我慢しながら使ってきた。それが重曹、クエン酸などの手製スプレーを中心に、油汚れの度合いに応じてヤシノミ洗剤(サラヤ)や粉クレンザー(カネヨ)を使うようになって、あのつらいアレルギー症状が全く出なくなったのである。特に重曹やクエン酸の場合、よけいな泡が出ないので濯ぎも早い。食器洗いが苦痛でなくなった。ついでに言えば、今までどうにも手を出す気になれなかったガスレンジのひどい油汚れも、セスキ炭酸ソーダの驚異的な洗浄力を知ってからは完全に意識が変わった。「反日TV局と、その大手スポンサーへの抗議」という政治的な意味合いが将来薄れていったとしても、私が再び花王の洗剤を手にすることはもうないだろうと思う。

さて、クラシック音楽の趣味に関することで、「今年、ずっと良くなったこと」と言えば、ようやくといった感じで、プリメイン・アンプの修理をメーカーさんにやってもらったことである。これが一番。オーディオ分野に長いキャリアをお持ちの方だったら御存知かもしれない、ラックスマンのLV-105。昭和後期の中堅プリメインを代表する傑作機の一つだ。私がこれを買ったのは、昭和60年。実に26年間も使い続けてきた、愛惜措くあたわざる名機である。メーカーの人は見積もりの連絡電話で、「部品交換が必要と見られるのは、ファンクション・スイッチ、スピーカー・スイッチ、電源コード、音量ボリューム、それとリレーです。料金は4万円弱になる見込みです」と伝えてきた。しかし今回の修理では私も腹をくくり、大きな出費になるのは覚悟の上で、出来得る限りの手直しをやってもらうことに心を決めていた。「長く使ってきた愛機を、昔のように若返らせたい。いい音楽をいい音で聴く。それが、今の私のほとんど唯一の贅沢なのだから」という意識がその背後にある。メーカーさんが「まだ大丈夫ですよ」と言っていたのをこちらから是非にと頼んで、ドライブ段の真空管2本と主電源スイッチの交換もお願いした。さらにハンダの打ち直し、各端子類の接点復活、内部とボンネットの清掃等も頼んだ。修理代の合計は10万円にまでは達しなかったものの、相当しっかりした額になった。

依頼品を送ってから、待つこと約3週間。スピーカー・ケーブルのビニール被覆を何センチか剥いて、新しい芯線を出して待機。やがて戻ってきた仕上がり品は、期待以上に素晴らしかった。まず、見た目の様子がよい。透明の窓を通して見える新しい真空管(従前のものとは全く別種の製品)に、何とも言えない高級感が漂う。さすが、この部品代だけで12000円というだけある。w しかし何と言っても、音の変わり方が劇的!以前に比べて、かなりバルキー(bulky)な音質になった。厚みとパワーが増大しているのだ。スイッチ類や電源コードを交換したからってこんなに大きな音の変化は出ないだろうから、おそらく真空管の違いによるものではないかと、私は推測している。

修理品が届いた翌日の晩に、早速何枚かのCDを聴いたのだが、本当に驚いた。とりあえず、ステレオ初期のデッカの名盤をいくつか拾い聴きしてみた。例えば、カラヤン&ウィーン・フィルの演奏でマリオ・デル・モナコがタイトル役を歌ったヴェルディの歌劇<オテロ>全曲から、第1幕の冒頭部分。デル・モナコの声にぐっと厚みが出た。この演奏録音に対する感じ方が、以前とは少し変わってきそうだ。続いては、LP時代から愛聴していたクナッパーツブッシュ&ウィーン・フィルのワグナー・アルバムから、<ヴォータンの告別と魔の炎の音楽>。ハイパー・リマスターされたCDを、久しぶりに棚から引っ張り出して聴いた。ぶっ飛んだ。w これはワグナー・ファンやクナッパーツブッシュ・ファンには周知の名盤だが、今回の修理で高解像度を保ちながらも厚みを増したアンプの力によって、以前には得られなかったレベルの感動を与えてもらった。<魔の炎の音楽>に入るところで聴かれるブラス・セクションの豪然たる響きには、ちょっともう人間業とは思えないような威力とスケール感がある。ウィーン・フィルのブラスが凶暴なまでの迫力を見せるもう一つの好例、ジャン・マルティノンの指揮によるチャイコフスキーの<悲愴>も、第1楽章のみチェック。冒頭から音が太い。そして〔13:20〕以降の金管の大迫力!改めて圧倒された。世の中には100万単位の資金を投じてアンプをハイエンドなセパレートにしているオーディオファイルの方々もおられるが、「いやいや、プリメインでも結構イケますよ」と申し上げてみたくなるような出来栄えだ。こりゃ来年は、今持っているCD全部の聴き直しが必要かもしれない(笑)。

―というところで、読者諸氏に於かれましては、どうぞ良い新年をお迎えくださいますよう。
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