クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

変わりつつある時代、変わりつつあるCDの音

2016年11月30日 | エトセトラ
2016年11月30日。今月話題になった事としてはやはり、アメリカ大統領選挙が一番大きなものだったろうか。投票前の現地及び日本のマスコミ論調とはまるで裏腹に、ドナルド・トランプ氏が当選を果たした。その一件も含めて、昨今の様々な事象から、時代の変化(あるいは、変化の胎動)を感じ取っている人は少なくないようだ。以下に記すのは、ネット界の著名人の一人である渡邉哲也氏が先日(11月27日)、ツイッターに書いておられた文言である。(※句読点等は、当ブログ主が補筆。)

【 時が大きく動き出しましたね。有名キャスターの降板と和田アキ子さんの紅白落選、ジャニーズ問題、昭和の終わり。ブレグジットとトランプ誕生、グローバリズムとレガシーメディアの終わり。カストロ氏の逝去、共産主義社会主義の終わり。終わりを象徴するものが、大量に発生している。・・・いろいろなものが終わりつつあり、終わってほしくない人が騒ぐ。かつての学生運動も、シールズで終わった。革マル中核など、極左運動も沖縄で終わる。時間は前にしか進まない。 】

変化と言えば、新しくリマスターされて出ているCDの音についても、「随分変化したなあ」と思われる物に、当ブログ主はこのところ連続して遭遇している。例えば、何ヶ月か前に買ったワルター、コロンビア響による《ベートーヴェン/交響曲全集》の新しい箱入りセット。特に、その中の<レオノーレ第2番>。「晩年のワルターが遺した凄絶な名演」みたいな激賞文を昔宇野功芳氏が書いておられた、あの激しい音。当ブログ主も初期CDの時代に身構えるようにしてプレイ・ボタンを押し、緊張して演奏の始まりに備えた、あの強烈な音。それが新しいCDでは全く変わってしまっている。必ずしも、悪くなったというわけではない。音場に広がりが出て、各楽器の定位が良くなり、この音源からかつて聞いたことのない豊かな響きが楽しめるようになった。これはこれなりに、良い音と言ってよいものなのであろう。しかし逆に、その豊かさゆえに、往年のCDから迫ってきた“凄絶さ”は殆ど感じられなくなってしまった。もし宇野氏がまだ生きておられて、この新リマスター盤の音を耳にされたら、どんな感想をお持ちになっただろうか。

もっと新しい例だと、前回言及していたボールトの限定盤BOXセット『チャイコフスキーからガーシュウィンまで』。(←これ、迷っていたけど、結局買った。w )商品が届いてから早速、一番のお目当てだった<惑星>の1966年盤を聴いたのだが、「う~ん・・・初期CDよりも音の輪郭がくっきりして、楽器の分離と音の定位はかなり良くなったけど、昔感じたような艶やかさというか、カラフルな愉悦感みたいな要素は逆に減衰したなあ」と、ある種の戸惑いを感じたのだった。随分前に買った(と言うか、ん十年ぶりに買い直した)若きムーティの<ナブッコ>と<アイーダ>の各全曲でも感じたのだが、特にWarnerのロゴが付いたEMI音源のCDは総じて、音の分離や広がり、音像の定位等が非常に良くなったかわりに、歌手たちの声や個々の楽器の音については幾分細くなったような印象を与えられる例が多い。―となると、ブログでこれからCDの感想文を書くときは、「これは、○○年プレス(あるいはリマスター)のCDを聴いての感想である」みたいな添え書きが必要になってくるのかもしれない。

―というところで、忙しい中に何とか時間を見つけての短い投稿。今回は、これにて。
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