クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

目を開かない母。リフォーム完了

2023年07月26日 | エトセトラ
2023年7月26日。今月2回、母との面会が実現した。

●第4回 【2023年7月08日(土)】
●第5回 【2023年7月22日(土)】

上記2回とも、母の様子は同じだった。2人の息子が交互に呼び掛けるも、反応なし。目を開かない。・・と言っても、昏睡状態とかいうのではない。うとうと、うつらうつらという感じだ。かつての痰づまりや、むせた状態による呼吸困難みたいな様子はなく、穏やかに眠っている。15分の間、2人がしきりに声をかけ続けるも、全く目を覚ます気配がない。瞼のピクピクもない。面会中だけ拘束用ミトンから解放されている母の手を、兄弟がそれぞれ片方ずつ握ると、かろうじて握り返してくる。これが精いっぱい。その力も、回を追うごとに弱くなってきている。・・ブログ主の脳裏に、悲しい推論が思い浮かぶ。

「みいさん、もう自然死を迎え入れる態勢に入っちゃったのかな」。

ブログ主が望んでいた母の回復実現への道は、本人がもう棄却しちゃった?「おらあ、もういいよう」って。

経鼻経管栄養の煩わしさから母を救い出し、そのあと少しでも生きる楽しみを感じてもらうためのプランとして、次のような事を実は考えていたんだけど・・。全て、ブログ主だけが心に願うばかりの絵空事、絵に描いた餅になってしまったのか。

{ 一時的(あくまで、一時的!)に胃瘻(いろう)を造設してもらって、母の鼻と口を自由にしてやる。それから、ガムや飴玉を使って咀嚼や嚥下の練習を少しずつ始める。やがて流動食・ミキサー食を口から摂取できるようになったら、胃の穴をふさいでもらって普通の体に戻す。・・・そして、いつか外出許可をもらえるぐらいに回復したら、我が家への1日里帰りを実現したい。その日の早朝にベンツ(車椅子)で介護タクシーに乗り込み、朝のうちに帰宅。それからまずは、懐かしい家のベッドに母を寝かせて、昼ぐらいまでゆっくり休ませてあげる。流動食でお昼を済ませたら、新しくなったお風呂場でシャワー。細かくて柔らかい水流の、最新型シャワーヘッドだ。気持ちいいぞ。w ・・・で、身も心もスッキリした後、昔撮ったビデオ(母が若かった頃の旅行や宴会、カラオケ発表会などの映像。昭和時代の古いVHSテープの録画を、業者に依頼してDVD化してある物)を観てもらおう。そして夕方頃、病院に戻る。(※自宅滞在中の痰吸引や入浴介助については、その技術を持った人を1日雇ってお願いすることになりそう。) }

今の段階では憶測レベルでしかないが、母は物を噛む練習、呑み込む練習、果ては立ちあがって歩行器で歩く練習など、その種のリハビリに対しては、「もう、そういうのはいいよ」って、既に意欲も興味もなくしてしまっているのかもしれない。そして、従容として自然死の訪れを待とうと。・・ひょっとしたら、そういうことなのかな。

しかし、仮にそうだったとしても、「それもまた、正解かも」って思う。生きている人間として一番の地獄は、「声が出せない。体も動かせない。でも、意識だけははっきりしている」という状態だろう。想像しただけでも、背筋が凍りつく。今の母の姿は、鼻から差し込まれた管は確かに鬱陶しかろうけれど、鮮明な意識を持って苦しみもがくのではなく、うとうとと穏やかに眠り続けているというものだ。「がんばろう。元気になろう」という強い意志を今の体の状態で抱え込んで苦闘するよりも、力を抜いて死を待つという、そういう無為自然なあり方の方が実は良いのかもしれない。そして、後に遺される孤独な息子に対して、「おばあもすぐには逝(い)かにゃあから、おみゃあもその間に気持ちの整理をしときなな」と。

ちなみに胃瘻についてだが、ブログ主の見解は、はっきりしている。「“一時的に造設し、いずれは塞ぐもの”という前提でのみ、受け入れる。でなければ、論外」ということだ。そう考える背景に、このような↓話がある。

ヘルパー経験者のTさん(母の友人の1人)曰く、「(母の将来にも懸念される)認知症で何も分からなくなった人が胃瘻で生かされている姿は、本当にひどいものよ。口を使う事がないから、変形してくるの。人の口の形じゃなくなるのよ。手足も使わないから、どんどん固まって縮んで来る。それでいて、胃に開けた穴から栄養の高い食べ物が流し込まれ続けるから、お腹はふっくら。もうね、その姿は人間じゃないの。芋虫よ、芋虫の姿。その姿で、10何年も生かされ続ける。・・だからね、胃瘻なんかやっちゃ駄目。そりゃ確かに、管(くだ)が取れて鼻も口も楽にはなるでしょうけどね、胃瘻はしない方がいい。あたしは昔の仕事で、お医者さんが勧めるまま胃瘻に合意した家族を4軒ぐらい見てきたけど、もう全員が全員、例外なく、みんな後悔してる。『胃瘻なんか、やるんじゃなかった』って」。

―話題は変わって、我が家のリフォーム。長い道のりを経て(つまり、途中ですったもんだがあってw )、今日(2023年7月26日)、全工程が終了した。実は元々予定されていた工事は去る14日の金曜日にひととおり終了していたのだが、その翌日から漏水が発生。家の中の水をすべて止めても、水量メーターのパイロットがゆ~るゆる、ゆ~るゆる回っている。当然出てくる使用量も異常に大きな数字。「何なんでしょうね、これ」と、業者に電話。・・・で、調べてもらったら、この水漏れは今回の工事個所ではないところで起きているとのこと。地下に埋設された古い配管が40数年の間にじわじわと劣化し、ここでついに決壊したということらしい。結論として、あと4万円を追加で支払い、「この機会にもう、地下の配水管も全部新しくしてもらっちゃおう」という話に落ち着いたのだった。やりましょう。出しましょう。こちらの腹は決まっています。今はお金をしっかり手放す運気にあるものと考え、それが納得のいく額であることを前提に、必要な事に対しては出し惜しみしません。(※消費税込みの最終的な支払い額合計=313万円)

そして全てが完了した今、ホッとするやら、どっと疲れるやら、何か複雑な気分。でも、得られた安心感は大きい。何たって、お風呂の解体をした時、柱などの材木から白アリが出て来たっていうのだから。危機一髪!家自体の崩落を、ギリギリでくい止めた。その意味でも、今回の決意は大正解だった。Thank god!
コメント
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