クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

歌劇<イェヌーファ>(2)

2008年10月27日 | 作品を語る
今回は、ヤナーチェクの歌劇<イェヌーファ>の第2回。第2幕と、第3幕前半の内容。

〔 第2幕 〕・・・第1幕の出来事から6ヵ月後。コステルニチカの部屋。

あれからずっと、私はイェヌーファを家にかくまってきました。世間様には、「あの子はウィーンへ、奉公に行きました」と、嘘を言いましてね。シュテヴァの子供?産まれましたよ。私は望みませんでしたが、産まれてしまいました。で、その子がまた、あのろくでなしにそっくり。私はどれほど悩み、苦しんだか。あとは何としても、イェヌーファとシュテヴァの二人を結婚させねば大変なことになります。このままでは、家名の恥ですからね。いえ、何より、私の恥です。「ああいうふしだらな娘を育てたおばさん」と、人々から後ろ指さされるようになるのは明らかですから。そこで、イェヌーファがよく眠っている間、私はシュテヴァをこの家に呼んで直談判しました。でも、彼の返答は次のようなものでした。

「イェヌーファと結婚しろって?そりゃ、無理だよ。あいつだんだん、あんたに似てきてさ、やけにキツくなったんだよね。それに、あの頬の傷。あれ見たら、思いっきり冷めちまったね。あ、子供のことなら、俺ちゃんと金出すからさ、俺の子だなんて表沙汰にはしないでくれよな。だって俺、村長さんとこのカロルカとこないだ婚約したし。・・・でも、あんたホント怖いよ。まるで魔女みたいだ」。

これだけのことを言われた私がなおもすがって、「イェヌーファを幸せにしてやって、どうか」と哀願しても、シュテヴァは聞き入れず、そのままぷいっと出て行ってしまいました。そして、その姿を見かけたラツァが、入れ替わりにやって来ます。私はありのままを、彼に話しました。「1週間前に、イェヌーファはシュテヴァの子を産んだ」。ラツァもさすがに、この話にはショックを受けて表情を曇らせました。「イェヌーファと一緒になったら、俺がその子を育てることになるのか」って。私はしばらく黙ったまま、じっと考えました。そして考えあぐねた結果、ある決意をしたんです。まず、ラツァに一つ嘘をつこうと。「子供は産まれたけど、間もなく死んでしまった」ってね。シュテヴァがあんな男ですから、あとはラツァの真心にすがるしかないんです。

ラツァが去って私は一人になり、先ほどの決意を改めて自分の心に言い聞かせました。そして、イェヌーファとシュテヴァの間に生まれた赤ん坊をショールでくるみ、外へ出ました。【※1】その私の留守中に、イェヌーファが重い眠りから目を覚まし、祈りの歌を歌います。【※2】

やがて帰宅した私に、イェヌーファが尋ねます。「ねえ、私のかわいいシュテヴァちゃんは?」(あの子は、産まれた赤ん坊に父親と同じ名前をつけていたんです)。私は答えました。「お前、まだ知らずにいたんだね。あれから2日間も、お前は熱にうなされていたんだよ。その間に、子供は死んじゃったんだ」。そして、先ほどのシュテヴァとのやり取りについても、すべてをありのまま彼女に話しました。

そこへラツァがまたやって来て、ショックを受けているイェヌーファを慰めましてね、変わらない愛情を訴えるんです。私も、「シュテヴァのような男のことは忘れて、ラツァと一緒になりなさい」って、イェヌーファに勧めました。でね、イェヌーファもラツァの本当の心に触れて、その愛を受け入れることに気持ちを決めたんです。ああ、良かった。これで良かったんですよ。・・・でも、その晩から、私の精神は次第に不安定な状態に陥るようになりました。風の音にさえ怖気づき、「死神がここを覗いている」などと口走ったりしましてね。無理もありません。この日は本当に、私の一生のトラウマになるような事があったのですから。

〔 第3幕 〕・・・コステルニチカの家。

あれから3ヵ月経ち、春先の良い季節になりました。今、ラツァとイェヌーファの婚礼の準備が行なわれているところです。私の方は相変わらず、いいえ、前よりずっと状態が悪くなっておりました。お祝いに来てくださった村長さん(B)も、私の変わりように驚き、心配そうな様子を見せました。その後、あのシュテヴァが婚約者のカロルカ(S)を連れてやって来ました。(この憎らしい男!私は心の中で、呪いの言葉を吐きました。)ラツァが招待したらしいのですが、私はシュテヴァの姿を見て一層気分が悪くなりました。

続いて、水車屋の召使パレナ(S)と村の娘たちが、婚礼祝いの歌を披露します。民謡風の、とても楽しげな曲です。そして、ブリヤのおばあさんに続いて私が新郎新婦を祝おうとした時、外からひどく騒がしい声が聞こえてきます。牧童のヤノ(S)がばたばたと駆け込んできて、皆に伝えます。

「氷が溶けた川の中から、赤ん坊の死体が見つかったよ!ビール工場の氷切りが見つけたんだ。今、板に乗せて運んでくるけど、きれいな羽根布団にくるまれてさ、赤い帽子かぶって、まるで生きているような死体なんだ」。

―次回は、歌劇<イェヌーファ>の最終回。ドラマの幕切れ部分と、ブログ主さんによる2つの全曲盤の聴き比べのお話です。どうぞ、お待ちくださいまし。

【※1】 「少ししたら、戻ってくる」と言ってラツァが立ち去った後、その言葉を引き継ぐようにしてコステルニチカの独白が始まる。ここは、このオペラを代表する名シーンの一つである。ナーヴァスな弦の運動に導かれ、「少ししたら、私は永遠の命も、救いさえも捨てなければならないのか」と、彼女は悲痛な心情を歌いだす。将来世間から笑いものにされるであろうイェヌーファと自分自身の姿を想像し、「この赤ん坊は、神様にお預けしよう」という決意を口にしてから、改めてシュテヴァを呪い、彼女は子供を抱えて外に出て行くのである。

【※2】 それに続くのは、「頭が重いわ」と、つらそうに起きてきたイェヌーファの独白。甘美なヴァイオリン・ソロが、絡むように流れる。「シュテヴァはまだ、会いに来てくれない」とこぼし、次いで、赤ん坊の姿がないことを知った彼女は、「おかあさんが、シュテヴァのところへ連れていったのかも」と考え、「イエス様、マリア様、私の可愛い子供をお守り下さい」と祈りの心を歌い始める。このあたりの展開は、すぐ手前にあるコステルニチカの暗鬱な独白と鮮烈な対比をなし、非常に劇的な効果を持っている。
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歌劇<イェヌーファ>(1)

2008年10月17日 | 作品を語る
皆様、はじめまして。このたびいきなり、私が語り役を任されることになってしまいました。前回の記事で作曲家ヤナーチェクの名に触れたことがきっかけで、「これからしばらく、ヤナーチェク・オペラのシリーズにしよう」とブログ主さんは思い立ったようなのですが、具体的にどの作品から始めようかと考えた折、<仮面舞踏会>から「い」をしりとりすればいいや、と<イェヌーファ>を最初に選ぶことにしたのだそうです。それで、この私に白羽の矢が立ったのでした。

あ、申し遅れました。私、ペトロンナ・スロムコヴァーと申します。と言いましても、私はその本名よりもむしろコステルニチカ、つまり「教会のおばさん」という呼び名の方で通っております。教会のお掃除やら、行事の準備やら、いろいろとお世話をしているものですから。で、タイトル役のイェヌーファというのは、私の娘。いえ、実の娘ではありません。私の夫と先妻(二人とも故人)の間にできた子供です。でも、この子は幼い頃から継母の私を「おかあさん」と呼び慕い、私たちは本当の母子のように生きてまいりました。作曲家の出世作ともなったこのオペラは、そのイェヌーファの波乱に満ちた人生の一こまを描いているものです。

〔 第1幕 〕・・・スロヴァーツコ地方の山中にあるブリヤ家の製粉所。午後の遅い時間。

ブリヤ家を取り仕切るおばあさん(A)の孫娘イェヌーファ(S)が、好きな人の帰りを待っています。(おばあさんにとってイェヌーファは、死んだ次男の子供、つまり血のつながった孫娘です。)そしてもう一人、ラツァ(T)という若者が、やはり最初のシーンから登場してきます。この子も一応、ブリヤのおばあさんの孫ではあるのですが、血のつながりはありません。と言いますのも、ラツァは、おばあさんの長男(次男と同様、すでに故人)の後妻に入った女性(故人)の連れ子だったのです。そのため、おばあさんはこの子をいつも冷たく扱ってきました。だから彼は、「俺には何もしてくれなかったよな」と、いきなり冒頭から恨み言を並べているわけです。

そのおばあさんがずっと可愛がってきたのは、シュテヴァ(T)というもう一人の孫。シュテヴァは、おばあさんの長男と嫁の間に出来た子供なので、血のつながりがあります。だから、おばあさんの愛情は、そのシュテヴァにばかり注がれてきたのでした。でも、そうして甘やかされて育った結果、シュテヴァはひどくわがままで無責任な男に成長してしまいました。イェヌーファの悲劇は、彼女がそんなろくでもない従兄(いとこ)にたぶらかされ、深い関係を持ってしまったことにあります。彼女は今、シュテヴァの子を妊娠しています。これが、事件の始まり。

イェヌーファがシュテヴァの帰りを待っているのは、「彼が兵役に取られたら、おなかの赤ちゃんの父親がいなくなってしまう」と、心配しているからです。彼女は、シュテヴァと早く結婚して落ち着きたいのです。ラツァはそんな彼女の気持ちを知っており、彼自身もイェヌーファが好きなので、嫉妬心を抑えることが出来ません。

場面が進みます。「あいつが兵隊に行ってしまえば、俺にもチャンスがある」というラツァの期待もむなしく、シュテヴァは兵役から外されました。やがて気炎を上げる新兵たちの一団とともに、酔っ払ったシュテヴァが帰宅し、そこから一同揃っての「歌えや、踊れ」の大騒ぎが始まります。【※注1】

そして、その騒ぎのさなかに登場するのが私、コステルニチカ(S、またはMs)です。【※注2】楽師たちに演奏をやめさせて全員を静まらせた後、私は喜び舞い上がるイェヌーファに、母親としてしっかり注意を与えました。「あなたの結婚には、私の許可が必要です。この男が、これから1年間、こういう姿にならずにちゃんとできたなら、そこで考えてもいいでしょう」とね。新兵となった若者たちは揃って、「こりゃ、厳しい人だ。厳しい人だ」と繰り返しますがね、親としてそれぐらいするのは当然でしょう。

続いての場面は、イェヌーファとシュテヴァのやり取り。「ねえシュテヴァ、私、早く結婚したい。あなたが私をお嫁にしてくれなかったら、おかあさんが何するか分からない。私だって、何するか分からないわよ」と迫るイェヌーファに、「お前を放ってはおかないよ。・・・そのリンゴみたいなほっぺが素敵だ。イェヌーファが一番きれいだ」などと、ろくでなし男が口先だけのきれいごとを言って応えます。

ブリヤのおばあさんとシュテヴァが去ってイェヌーファは一人になりますが、そこへラツァがやって来ます。彼は花束と一緒に(オペラの冒頭シーンからいじっていた)ナイフを手に持って現れ、イェヌーファに嫉妬心をぶつけます。そして無理やり彼女にキスしようと迫ってもみ合いになり、うっかりした拍子に、彼はイェヌーファの頬をナイフで切ってしまうのです。ブリヤのおばあさんと水車職人の親方(Bar)が、「何事か」と駆けつけてきました。思わぬ大事になってラツァはすっかり挙措(きょそ)を失い、逃げ去っていきます。「逃げるな!お前、わざとやったんだろうが!」という親方の怒鳴り声が響くところで、第1幕が終わります。

―この続き、第2幕から先の展開については、次回です。期してお待ちくださいまし。

【※注1】 ここでの狂乱騒ぎは、歌劇<イェヌーファ>の中でも最も見栄え、聴き栄えがする箇所であろう。民族色豊かなリズムと華麗な管弦楽、そして合唱。<イェヌーファ>が、ヤナーチェク・オペラの中でも比較的早くに認められたのは、この舞曲のような分かりやすくて乗りの良い音楽を持っていたことが一つの理由だったのではないかと思われる。

【※注2】 コステルニチカが登場する場面の歌は、オリジナル版と後の版で少し違いがある。ブリヤ家の男たちのひどい酒癖によって自分が大変な苦労をさせられてきたことを最初に語り、それからイェヌーファに注意するのが、オリジナル。しかしその後、「これはドラマの流れを阻害する」と、ヤナーチェク自身が前半部分をカットした。今回参照している全曲録音は、ボフミル・グレゴルの指揮によるEMI盤と、チャールズ・マッケラスの指揮によるデッカ盤だが、グレゴル盤では前半部をカットした慣習的な楽譜が使われている。一方、マッケラス盤はカットされた部分をあえて復活させ、「コステルニチカがどんな経験をして、こういう厳しい人になったか」について、しっかりと本人に語らせている。
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過去の記事タイトル一覧(251~300)

2008年10月15日 | 記事タイトル一覧表
今回は、第251~300番。

251. 歌劇<エスクラルモンド>(2) : 2008年2月27日
252. 歌劇<ル・シッド> : 2008年3月25日
253. 歌劇<ドン・キショット> : 2008年4月26日
254. 『ドン・キホーテ』と<ドン・キショット> : 2008年5月4日
255. 若きサヴァリッシュのバイロイト・ライヴ(1) : 2008年5月19日
256. 若きサヴァリッシュのバイロイト・ライヴ(2) : 2008年6月1日
257. <ハーリ・ヤーノシュ>全曲(1) : 2008年6月16日
258. <ハーリ・ヤーノシュ>全曲(2) : 2008年6月27日
259. 迷指揮者・不能芳香のひとりごと(1) : 2008年7月7日
260. 迷指揮者・不能芳香のひとりごと(2) : 2008年7月17日
261. 迷指揮者・不能芳香のひとりごと(3) : 2008年7月27日
262. 歌劇<フニャディ・ラースロー>(1) : 2008年8月6日
263. 歌劇<フニャディ・ラースロー>(2) : 2008年8月16日
264. 歌劇<バーンク・バーン>(1) : 2008年8月26日
265. 歌劇<バーンク・バーン>(2) : 2008年9月5日
266. 歌劇<グアラニー族> : 2008年9月15日
267. ニールセンの歌劇<仮面舞踏会>(1) : 2008年9月25日
268. ニールセンの歌劇<仮面舞踏会>(2) : 2008年10月5日
269. 過去の記事タイトル一覧(251~300) : 2008年10月15日
270. 歌劇<イェヌーファ>(1) : 2008年10月17日
271. 歌劇<イェヌーファ>(2) : 2008年10月27日
272. 歌劇<イェヌーファ>(3) : 2008年11月6日
273. 歌劇<カーチャ・カバノヴァー>(1) : 2008年11月16日
274. 歌劇<カーチャ・カバノヴァー>(2) : 2008年11月26日
275. 歌劇<利口な女狐の物語>(1) : 2008年12月6日
276. 歌劇<利口な女狐の物語>(2) : 2008年12月16日
277. 歌劇<マクロプロス事件>(1) : 2008年12月26日
278. 歌劇<マクロプロス事件>(2) : 2009年1月2日
279. 歌劇<マクロプロス事件>(3) : 2009年1月12日
280. <グラゴル・ミサ>の聴き比べ : 2009年1月22日
281. ミトロプロスの<ヴォツェック>と<期待> : 2009年1月30日
282. ミトロプロスの<運命の力>と<エルナーニ> : 2009年2月9日
283. ミトロプロスの<サロメ>と<エレクトラ> : 2009年2月19日
284. ミトロプロスの<トスカ>と<ドン・ジョヴァンニ>、他 : 2009年3月1日
285. 体調不良 : 2009年4月27日
286. 明日、入院 : 2009年5月5日
287. 大腸癌の切除と、今後の治療 : 2009年6月9日
288. 療養生活 : 2009年7月25日
289. 体力の回復と、日々の心がけ : 2009年8月26日
290. 4ヶ月目の検査 : 2009年9月27日
291. ブログ立ち上げ5周年 : 2009年10月31日
292. <浄夜>と<無伴奏チェロ・ソナタ>のCD : 2009年11月27日
293. FMで聴いたシュタルケルのチェロ演奏 : 2009年12月9日
294. FMで聴いたオーマンディ&フィラデルフィア管の演奏 : 2009年12月19日
295. 8ヶ月目の検査 : 2010年1月30日
296. 津波警報で中断されたホルスト・シュタイン特集 : 2010年2月28日
297. FM番組『20世紀の名演奏』終了 : 2010年3月30日
298. ラフマニノフの<ピアノ協奏曲第3番>(1)~自演、ホロヴィッツ、ワイセンベルク : 2010年4月30日
299. ラフマニノフの<ピアノ協奏曲第3番>(2)~アルゲリッチ、アシュケナージ、ベルマン : 2010年5月5日
300. 1年目の検査入院 : 2010年6月22日
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ニールセンの歌劇<仮面舞踏会>(2)

2008年10月05日 | 作品を語る
前回の続きで、カール・ニールセンの歌劇<仮面舞踏会>。今回は、その後半部分。

〔 第2幕~後半 〕

いきり立ったイエロニムスが舞踏会場に乗り込もうとやって来たが、彼は入り口で制止される。「ここから先は、何か仮装していただきませんと・・」。召使のアーヴを引きずって、近くの貸衣装屋へ入っていくイエロニムス。そんな出来事の間、仮面をつけたマグデローネがこっそりと通りへ出てくる。そこで彼女は、これまた仮面をつけたレナード卿と遭遇。お互いに正体を知らない二人は、一緒に揃って舞踏会場へ。

やがて、イエロニムスとアーヴが衣装屋から出てくる。主人の方はバッカス、そして哀れな召使はキューピッドの姿になっている。その二人に続き、衣装屋の店長も(『ディドーとエネアス』の)ディドーに仮装して舞踏会場へと入っていく。夜警が9時を告げると、会場からはにぎやかな音楽が聞こえ始める。

〔 第3幕 〕

仮面舞踏会は、宴たけなわ。主催者(B)の号令でコティヨンの踊りが始まると、娘たちが学生たちに誘いをかける。オレンジやバラの花を売る子供(Boy-S)が通り過ぎる。ヘンリクは前の晩にいちゃついた三人の娘たちに呼び止められ、移り気な性格をなじられる。羊飼いに扮装したレアンダーと花の女神に扮した恋人は、ここでついにお互いの名前を伝え合う。相手の女性の名がレオノーラ(S)と分かったとき、「ぼくらの名前は永遠につながって、一つだ」とレアンダーは答える。一方、家来同士のヘンリクとペルニッレ(Ms)も、お互いの愛情をそこで確認。

続いて、レナード卿とマグデローネのやり取り。レナードはしきりにマグデローネにアプローチするが、彼女の方は「正体がばれたら、大変」と内心戦々恐々。そこへ、イエロニムスが近づいて来る。彼は最初、この二人が息子のレアンダーとその恋人であろうと思い込んだが、人違いと分かってお詫びする。しかし、まさかレナード卿と自分の妻であるとまでは思いもよらず、その場を去っていく。

(※音楽的な観点、そしてドラマ面での楽しみという点でも、この第3幕が当オペラの中でも一番のクライマックスと言えそうだ。音楽面ではまず、冒頭の華やかな前奏と合唱、そして各種の舞曲。さらにレアンダーとレオノーラ、そしてヘンリクとペルニッレの二重唱など、聴かせどころが集中している。とりわけ、レアンダーとレオノーラの二人が名前を教えあう場面は、ちょっとしたハイライト・シーンである。ここはさすがに、音楽にもロマンティックな雰囲気が漂う。)

(※ところで、ヘンリクとペルニッレの二重唱だが、ここにはデンマーク語の分かる人だけが楽しめるような“言葉遊び”みたいなものが見られる。「ヘンリク、あなたは私の心のフェンリク【=officer、将校】よ」とペルニッレが言えば、「ペルニッレ、君はぼくの魂のペルズィッレ【=parsley、パセリ】だ」とヘンリクが応じる。そして二人揃って、「この韻の踏み方、楽しいね」と歌うのである。この部分は、原語台本と英訳を並べた歌詞ブックを見ながら気がついたのだが、やはりオペラは原語が分かる人とそうでない人では楽しみの深さが違ってきてしまう。しかしまあ、このあたりは仕方のない問題であろう。)

学生と軍人の間で喧嘩騒ぎが起こるが、舞踏会の主催者が「『雄鶏の踊り』を始めよう」と宣言し、その場をとりなす。そして踊りが終わる頃、ヘンリクがレアンダーのところに来て伝える。「最悪ですよ。あのバッカスに仮装している変な男、あれはイエロニムス様です」。「うげげっ」。続いてヘンリクはレアンダーの苦境を家庭教師(B)に伝え、彼の手助けを請う。話を引き受けた家庭教師はイエロニムスに酒を勧めて酔わせ、彼の注意をよそに向けさせる。その後アーヴがヘンリクの正体に気づくが、「台所でやったことを、ばらすぞ」と脅され、そのまま黙っていることを約束。

(※演奏時間約5分半の『雄鶏の踊り』も、さすがにニールセンらしい一曲で、何ともシンフォニックな響きを持つ舞曲に仕上がっている。随所に「コッ、コッ、コッ」「ココココ」というニワトリの声を模したような音型が聞かれるのが、いかにもタイトルどおり。舞台では、どんな踊りが見られるのだろうか。)

続いて、ディヴェルティスマン(=お楽しみ)の時間。ファンファーレに続いて踊りの先生と彼のフィアンセであるバレリーナが登場し、『マルスとヴィーナスの恋』を演じる。これは「女神ヴィーナスが夫の留守中に軍神マルスと浮気を楽しむが、途中で天井から落ちてきた網に捕えられてしまう」といった内容のお芝居である。二人とも身動きできずにじたばたしているところへ、ヴィーナスの夫であるヴァルカン(=鍛冶の神ヘパイストス)が帰ってくるので一同大笑い、という展開だ。その「パントマイムとダンス」に合わせて、家庭教師と学生たちがバッカス讃歌をにぎやかに歌う。

そこへ、すっかり酔いが回ったイエロニムスがやって来てバレリーナに言い寄るが、それを見て怒った踊りの先生に制せられる。続いて先生とバレリーナは二人がかりになって、しょうもない酔っ払いオヤジをグルグルグルグルと回転させる。日ごろの威厳など完全に吹き飛んで、イエロニムスはすっかり皆の笑いもの。

やがて、舞踏会の主催者が死の神モルス(=タナトス)に扮した姿で登場。そこで、会の進行はストップする。この神の姿は、“現世の楽しみのはかなさ”を人々に思い起こさせるのである。「さあ、今日はこれでお開き。皆、元の姿に戻るのです」。名残惜しい気持ちに浸りつつ、参加者が一人ひとり、仮装を解き始める。レナード卿とマグデローネ、レアンダーとレオノーラ、ヘンリクとペルニッレ、そしてアーヴとイエロニムス。それぞれが順に、素顔を見せ始める。

イエロニムスは、息子が見知らぬ娘とくっついているのを見て腹を立てるが、自分の妻であるマグデローネがレナード卿とくっついているのを見て、さらにびっくり。しかし、事態はすぐに解決。息子と一緒にいる娘が、他でもないレナード卿の息女レオノーラ、つまり、もともと息子と結婚してほしかったお相手だったと分かり、イエロニムスは一安心。妻のマグデローネも、別に不倫などしてはいなかった。これにて、一件落着。『チェーン・ダンス』の華やかな踊りと合唱をもって、オペラはめでたし、めでたしの終曲となる。

―以上で、ニールセンの歌劇<仮面舞踏会>は終了。先頃語ったゴメスの<グアラニー族>などとは対照的に、この作品にはイタリアやフランスなどのオペラ書法を真似して書かれたような部分は殆ど見当たらない。良くも悪くも、「デンマークの作曲家カール・ニールセンが書いたオペラ」という感じがする。従って、ここで聴くことのできる音楽はオペラティックというよりもシンフォニックな性格が強く、「やっぱりニールセンは基本的に交響曲作家であって、オペラ作家とか、メロディ・メイカーとかいうタイプの人じゃないんだよなあ」と思わせるものになっている。だからCDで音だけを聴いていると、(少なくとも私は)“地味に楽しいオペラ”という印象を受けてしまうのが正直なところだ。

ただ、その一方で、実際の舞台を目で見ながらの鑑賞であったら、このオペラに対する感想はまた随分違ったものになってくるんじゃないかなという気もする。特に、第3幕で披露される仮面舞踏会のシーンなどは、登場人物たちの装いとか、各種の舞曲で見られる踊りの振り付けとか、視覚的に楽しめる要素が結構ありそうなのだ。プロコフィエフの舞台作品などと同様、当ニールセン歌劇も映像があったら、きっとまた次元の違う味わい方ができるに違いない。

いずれにしても、ムソルグスキーやヤナーチェクのオペラみたいに、「イタリアやフランスなどに代表される西ヨーロッパの書法に倣わず、作曲家がひたすら自国の言語と独自の音楽語法に徹して書いたオペラ」というのは、そのある種エソテリック(esoteric)な性格ゆえに、国際的に認知されるのが非常に遅れてしまうのは避けられないということであり、今回のニールセン歌劇にも、その話がかなり当てはまってくるのではないかと思えるのである。

―次回は、小休止。だいぶ重くなってきた「過去の記事タイトル一覧」のトップ・ページをいったん更新しておくことにしたい。
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