前回からの続き。レスピーギの歌劇<沈鐘>第1幕の後半から、第3幕前半までの部分。以下、左側の数字は前回同様、CDのトラック番号である。ただし第3幕からCDは二枚目に入るので、トラック番号はそこで改めて1から始まることになる。
5.村から来た三人(=牧師、床屋、校長)と、魔法使いの老婆のやり取り。三人の中に牧師が入っているので特にそうなのだが、お互いに不信感をむき出しにした対話をする。やがてハインリッヒを見つけた三人は、担架を作って彼を乗せ、山を下りて行く。
(※バスの声で歌われる牧師は、ドラマの重要人物。原作では割と物腰柔らかい感じの人なのだが、このオペラでは、かなり押しの強い頑強なイメージになっている。<アイーダ>のランフィスみたい。)
6.月明かりの下で、三人のエルフ(=妖精)たちが歌い踊っている。ラウテンデラインが出てきて、その輪に加わる。
7.ニッケルマンとラウテンデラインの対話。ニッケルマンは、ラウテンデラインの目から流れているものに気づき、「それは、涙ってもんだ」と話す。「あたし、遠くへ行ってみたいの」と、ラウテンデラインは人間たちの住む世界へ行くことを告げ、森の中へと去っていく。愕然とするニッケルマンの「ブレケケ ケックス!」という鳴き声で、第1幕が終わる。
(※ここは、しみじみと抒情的な場面である。プッチーニ歌劇の伝統を引き継いだような、素晴らしい音楽が聴かれる。ラウテンデラインだけでなく、ニッケルマンまでが抒情的に歌って応える。私個人的には、このオペラの中で一番好きなシーンである。)
〔 第2幕 ハインリッヒの家。 〕
8.ハインリッヒの妻マグダと、二人の子供たち。「パパの鐘がもうすぐ、鳴るわよ」と、皆で楽しみにしている。彼らはまだ、山の上で起こった出来事を知らない。そこへ牧師たちがやって来て、ハインリッヒが大変な事故に遭い、生命が危険な状態になっていることを告げる。
(※マグダ役は、高音に強いメゾ・ソプラノか、ドラマティック・ソプラノに向いている。物語のラスト近くで分かることなのだが、この奥さんはとてつもなく強い意志の持ち主なのである。ところで、ここで聴かれる子供たちの歌は、日本では「かーすみか、雲か♪」でよく知られたドイツ民謡。初めて聴いたら、あれっ、と思うことうけ合いだ。)
9.瀕死のハインリッヒが、家に運び込まれてくる。死を覚悟した彼は、妻にお詫びの言葉をつぶやく。「誰か、うちの人を助けて」と外へ出て行くマグダ。ハインリッヒが一人になる。
10.そこへラウテンデラインが現れて、魔法の治療を始める。何をしているのかと、訝(いぶか)るハインリッヒ。
(※ラウテンデラインが登場する時の音楽が何とも色彩的で、さすがはレスピーギという感じ。いかにも“妖精の登場”という雰囲気が、よく出ている。)
11.ラウテンデラインとハインリッヒの対話。ここでラウテンデラインは自分の身の上と、今の気持ちを語る。そして短いやり取りの後、彼女はハインリッヒのまぶたに長いキスをする。
(※ここもラウテンデラインの聴かせどころだが、特にその後半部分が聴き物。「あなたが好きよ。お望みなら、あたしがここにいてもいいけど、あなたが一緒に山の上に来てくれたら、もっといいな」というセリフが、抒情的な美しさを持って歌われる。続いて、「そしたら私、あなたの召使になって、いろいろな宝石を・・」と歌い出すところでは伴奏楽器に小さな鐘が効果的に使われ、ドリーブの歌劇<ラクメ>の一場面、あの「鐘の歌」を想起させるものになっている。)
12.ラウテンデラインの魔法が効いて、みるみるうちにハインリッヒの全身に活力がよみがえって来る。彼はすっかり元気を取り戻す。「この奇跡はいったい、何だ?ああ、新しい太陽だ」。再び生きる力と、創作への意欲に燃え立つハインリッヒ。やがて妻マグダが戻って来て、夫の元気な姿を見て大喜びする。夫婦が抱き合ったところで、第2幕が終了。
(※ハインリッヒの力強い復活の歌と妻マグダの喜びの声が交差する場面は、ほとんどワグネリアンの世界。ちょっと笑える、堂々たる幕切れである。)
〔 第3幕 山の上。荒れ果てたガラス小屋。 〕
1.ハインリッヒは村を離れ、山の上でずっと暮らすようになっている。山に棲む小人たちをこき使って仕事に励むのだが、どうしても納得のいく作品が出来ない。小人たちを叱りつけたりして、彼はやたらいらついている。
(※第3幕開始の音楽では、チンカンチンカンと鳴り続ける金床の音が、巧みな情景描写を行なっている。)
2.水の精ニッケルマンと牧神の対話。ハインリッヒがラウテンデラインとよろしくやっているのが、不快な様子。そこへラウテンデラインが登場し、いつものように二人をからかう。やがて、牧師が現れる。彼は、家族を放ったらかしにしてずっと山にこもっているハインリッヒを心配して、山の上まで登って来たのだった。
3.「お前は魔術を使って、ハインリッヒ親方を篭絡した」と、牧師はラウテンデラインをののしる。ラウテンデラインも負けじと言い返す。そこへ、ハインリッヒが登場。自分はすっかり回復して、良い毎日を送っていると牧師に告げる。
4.牧師とハインリッヒの対話。ハインリッヒは、「教会とかキリスト教とか、そんな物のためではなく、自然を賛美するものを作るのだ」と熱っぽく語りだす。牧師は愕然として、「あなたは、おかしくなってしまわれた・・」とつぶやく。そして、どうにもかみ合わないやり取りの後、「覚えておきなさい。いつか、あの湖底の鐘が鳴りますから。あなたのためにね、親方」と言い残して、牧師は去って行く。
(※ここでハインリッヒは、自らの理想を高らかに歌う。レスピーギの音楽も力強く、彼の歌を支える。しかし、それを遮るように牧師の言葉が始まる。上に書いた牧師のセリフは原作の雰囲気を尊重して和訳したが、このオペラでの牧師の歌い方は、もっと威圧的に響くものだ。「いいか親方よ、覚えておくがいい」みたいな訳し方をした方が、このオペラの対訳としてはもっとふさわしいかも知れない。悲劇の運命を語るような弦楽の旋律と、ティンパニの強い連打が、非常に劇的な空気を盛り上げる。次回言及する予定だが、このハインリッヒと牧師のやり取りこそが、ハウプトマンの『沈鐘』に於ける核心的テーマに触れる部分なのである。)
―次回はこの続きから、最後の幕切れまで。
5.村から来た三人(=牧師、床屋、校長)と、魔法使いの老婆のやり取り。三人の中に牧師が入っているので特にそうなのだが、お互いに不信感をむき出しにした対話をする。やがてハインリッヒを見つけた三人は、担架を作って彼を乗せ、山を下りて行く。
(※バスの声で歌われる牧師は、ドラマの重要人物。原作では割と物腰柔らかい感じの人なのだが、このオペラでは、かなり押しの強い頑強なイメージになっている。<アイーダ>のランフィスみたい。)
6.月明かりの下で、三人のエルフ(=妖精)たちが歌い踊っている。ラウテンデラインが出てきて、その輪に加わる。
7.ニッケルマンとラウテンデラインの対話。ニッケルマンは、ラウテンデラインの目から流れているものに気づき、「それは、涙ってもんだ」と話す。「あたし、遠くへ行ってみたいの」と、ラウテンデラインは人間たちの住む世界へ行くことを告げ、森の中へと去っていく。愕然とするニッケルマンの「ブレケケ ケックス!」という鳴き声で、第1幕が終わる。
(※ここは、しみじみと抒情的な場面である。プッチーニ歌劇の伝統を引き継いだような、素晴らしい音楽が聴かれる。ラウテンデラインだけでなく、ニッケルマンまでが抒情的に歌って応える。私個人的には、このオペラの中で一番好きなシーンである。)
〔 第2幕 ハインリッヒの家。 〕
8.ハインリッヒの妻マグダと、二人の子供たち。「パパの鐘がもうすぐ、鳴るわよ」と、皆で楽しみにしている。彼らはまだ、山の上で起こった出来事を知らない。そこへ牧師たちがやって来て、ハインリッヒが大変な事故に遭い、生命が危険な状態になっていることを告げる。
(※マグダ役は、高音に強いメゾ・ソプラノか、ドラマティック・ソプラノに向いている。物語のラスト近くで分かることなのだが、この奥さんはとてつもなく強い意志の持ち主なのである。ところで、ここで聴かれる子供たちの歌は、日本では「かーすみか、雲か♪」でよく知られたドイツ民謡。初めて聴いたら、あれっ、と思うことうけ合いだ。)
9.瀕死のハインリッヒが、家に運び込まれてくる。死を覚悟した彼は、妻にお詫びの言葉をつぶやく。「誰か、うちの人を助けて」と外へ出て行くマグダ。ハインリッヒが一人になる。
10.そこへラウテンデラインが現れて、魔法の治療を始める。何をしているのかと、訝(いぶか)るハインリッヒ。
(※ラウテンデラインが登場する時の音楽が何とも色彩的で、さすがはレスピーギという感じ。いかにも“妖精の登場”という雰囲気が、よく出ている。)
11.ラウテンデラインとハインリッヒの対話。ここでラウテンデラインは自分の身の上と、今の気持ちを語る。そして短いやり取りの後、彼女はハインリッヒのまぶたに長いキスをする。
(※ここもラウテンデラインの聴かせどころだが、特にその後半部分が聴き物。「あなたが好きよ。お望みなら、あたしがここにいてもいいけど、あなたが一緒に山の上に来てくれたら、もっといいな」というセリフが、抒情的な美しさを持って歌われる。続いて、「そしたら私、あなたの召使になって、いろいろな宝石を・・」と歌い出すところでは伴奏楽器に小さな鐘が効果的に使われ、ドリーブの歌劇<ラクメ>の一場面、あの「鐘の歌」を想起させるものになっている。)
12.ラウテンデラインの魔法が効いて、みるみるうちにハインリッヒの全身に活力がよみがえって来る。彼はすっかり元気を取り戻す。「この奇跡はいったい、何だ?ああ、新しい太陽だ」。再び生きる力と、創作への意欲に燃え立つハインリッヒ。やがて妻マグダが戻って来て、夫の元気な姿を見て大喜びする。夫婦が抱き合ったところで、第2幕が終了。
(※ハインリッヒの力強い復活の歌と妻マグダの喜びの声が交差する場面は、ほとんどワグネリアンの世界。ちょっと笑える、堂々たる幕切れである。)
〔 第3幕 山の上。荒れ果てたガラス小屋。 〕
1.ハインリッヒは村を離れ、山の上でずっと暮らすようになっている。山に棲む小人たちをこき使って仕事に励むのだが、どうしても納得のいく作品が出来ない。小人たちを叱りつけたりして、彼はやたらいらついている。
(※第3幕開始の音楽では、チンカンチンカンと鳴り続ける金床の音が、巧みな情景描写を行なっている。)
2.水の精ニッケルマンと牧神の対話。ハインリッヒがラウテンデラインとよろしくやっているのが、不快な様子。そこへラウテンデラインが登場し、いつものように二人をからかう。やがて、牧師が現れる。彼は、家族を放ったらかしにしてずっと山にこもっているハインリッヒを心配して、山の上まで登って来たのだった。
3.「お前は魔術を使って、ハインリッヒ親方を篭絡した」と、牧師はラウテンデラインをののしる。ラウテンデラインも負けじと言い返す。そこへ、ハインリッヒが登場。自分はすっかり回復して、良い毎日を送っていると牧師に告げる。
4.牧師とハインリッヒの対話。ハインリッヒは、「教会とかキリスト教とか、そんな物のためではなく、自然を賛美するものを作るのだ」と熱っぽく語りだす。牧師は愕然として、「あなたは、おかしくなってしまわれた・・」とつぶやく。そして、どうにもかみ合わないやり取りの後、「覚えておきなさい。いつか、あの湖底の鐘が鳴りますから。あなたのためにね、親方」と言い残して、牧師は去って行く。
(※ここでハインリッヒは、自らの理想を高らかに歌う。レスピーギの音楽も力強く、彼の歌を支える。しかし、それを遮るように牧師の言葉が始まる。上に書いた牧師のセリフは原作の雰囲気を尊重して和訳したが、このオペラでの牧師の歌い方は、もっと威圧的に響くものだ。「いいか親方よ、覚えておくがいい」みたいな訳し方をした方が、このオペラの対訳としてはもっとふさわしいかも知れない。悲劇の運命を語るような弦楽の旋律と、ティンパニの強い連打が、非常に劇的な空気を盛り上げる。次回言及する予定だが、このハインリッヒと牧師のやり取りこそが、ハウプトマンの『沈鐘』に於ける核心的テーマに触れる部分なのである。)
―次回はこの続きから、最後の幕切れまで。