前回、よく似ていて紛らわしい曲名の例に触れたが、その事から芥川也寸志(1925~1989)の交響作品群がふと思い出された。芥川氏の作品の中には、よく似た題名を持っていたり、内容的によく似た作りで書かれていたりする物がいくつかあるからだ。今回はそのあたりも含めて、伊福部門下の一人であった芥川也寸志氏のオーケストラ作品について少し語ってみたい。
1.交響管絃楽のための前奏曲 (1947)
芥川氏学生時代の本科卒業作品らしい。師匠・伊福部昭の影響が濃厚に出た17分ほどのオーケストラ曲。前半は、伊福部節をお手本にしたような粘りのある叙情的な旋律が支配的。しかし、9分ぐらい経過したあたりから一気に活気に満ちた音楽が現れる。とは言っても、やはり伊福部カラーがここでも濃厚だ。その後、静謐な部分と激しい部分が入れ替わりに出てきて、最後は力強く曲を結ぶ。
【 参照演奏 : 山田一雄&新交響楽団 1990年1月20日録音(フォンテック盤) 】
2.交響三章 トリニタ・シンフォニカ (1948)
(Ⅰ)カプリッチョ アレグロ
クラリネットとファゴットがリードするような形で始まり、律動的で軽快な音楽が展開する。約4分40秒。
(Ⅱ)ニンネレッラ アンダンテ
この曲を書いた当時23歳だった芥川氏に、長女が誕生したのだそうだ。その時の喜びを反映しているのか、この「子守唄」では厚みのある響きの中に優しい表情をたたえた名旋律が披露されている。ここにもやはり伊福部風のムードがあって、中間部など本当に郷愁を誘う。しかし中ほどに差し掛かる8分半あたりの所では大作映画のエンディングみたいに壮大に盛り上がるので、「子守唄」という呼び名だけには収まらない内容がある。この楽章の演奏時間は約13分。作品全体の中でも飛びぬけて長い。芥川氏にとっては一番力の入った箇所と言えるだろう。
(Ⅲ)フィナーレ アレグロ・ヴィヴァーチェ
激しい連打音から、一気に突っ走る爽快な音楽。合いの手のリズムは例によって伊福部っぽいが、主となる音型は土俗感とスマートさが奇妙に同居する堂々たる芥川節。この部分、約5分40秒。
3.交響管絃楽のための音楽 (1950)
NHKが放送25周年を記念して募集した管弦楽曲の中から見事「特賞」に選ばれたという、芥川氏の出世作。2つの曲からなる。第1曲アンダンティーノのテーマは、いかにもプロコフィエフやショスタコーヴィチの音楽語法を採り入れた痕跡が鮮明なものだが、中間部で歌い出される旋律にはこれまた師匠ゆずりの土着の叙情が聴かれる。この部分、約4分半。
続く第2曲アレグロは、かつてTVコマーシャルでも使われたこともある思いっきり有名な曲だ。強烈なシンバルの一撃から景気よく始まるゴキゲンなノリの音楽。特にトロンボーン奏者にとってはもう最高の曲ではないだろうか。打楽器の担当者達もうれしいだろうなあ。トリオでは、伊福部先生の<タプカーラ>第1楽章で聴かれるような導入リズムが出てくるけれども、圧倒的な主要テーマは文句なしの芥川節。私個人的には、この曲が一番好きである。約4分40秒。
4.絃楽のための三楽章 トリプティーク (1953)
(Ⅰ)アレグロ
いかにも小粋で軽快なアレグロ楽章。芥川作品らしい躍動感。ヴァイオリン・ソロも出て来る。約4分。
(Ⅱ)ベルスーズ アンダンテ
これも「子守唄」。急-緩-急の三楽章で構成されていて、なお且つ、真ん中に「子守唄」が置かれているという点で、これは上述の<交響三章 トリニタ・シンフォニカ>と非常によく似た作りで書かれている。うっかりすると記憶がごっちゃになってしまいそうだ。それはさておき、ここで聴かれる「子守唄」も美しい曲である。上記<トリニタ・シンフォニカ>の第2曲のように途中で轟然と盛り上がるようなこともないので、本当に子守唄らしい子守唄である。曲の中ほどで、和太鼓の脇をカッカラカッカラ叩くような音が聴かれるが、これは演奏に使っている弦楽器の胴体部分を叩いている音だそうだ。約6分。
(Ⅲ)プレスト
祭りの賑わいをイメージしたものらしいのだが、そんな感じはあまりしない。都会的に洗練されているからだろうか。雰囲気的には、近代イギリスの弦楽合奏作品の中にでも見つかりそうな部分がある。約3分。
5.交響曲第1番 (1955)
(Ⅰ)アンダンテ 約9分
(Ⅱ)アレグロ 約2分半
(Ⅲ)コラール アダージョ 約8分40秒
(Ⅳ)アレグロ・モルト 約8分
<交響曲第1番>は、芥川氏が入れ込んでいたショスタコーヴィチやプロコフィエフの影響が極めて濃厚に出ている曲で、正直言って私はこの曲、好きではない。旧ソ連の二人の大家が書いた交響曲に対して、もともと私はあまりシンパシーを感じていないのだが、ここで聴かれる芥川氏の音楽は(失礼ながら)そのエピゴーネン(=亜流)。そんな風にしか聴こえない。ただ、音楽的な充実度の高さは上に並べた4作を遥かに凌いでいるし、その重い手応えについての客観的評価はまた別物としなければならないだろうとは思う。
【 以上2~5の参照演奏 : 飯森泰次郎&新交響楽団 1999年7月11日録音(フォンテック盤) 】
6.エローラ交響曲 (1958)
少し前にナクソス・レーベルから、この曲を含んだ《芥川也寸志 作品集》のCDが発売されて話題になったので、そちらでお聴きになった方もおられることと思う。怪しげな雰囲気と土俗的な要素が入り組んだ、とても面白い曲である。全体で約18分の作品だが、真ん中あたりに出てくる野卑なリズムの盛り上がりや、ラスト5~6分で聴かれる熱狂的な響きが非常に良い。聴いた感じとしては、交響曲というよりは“土俗の舞踊詩”みたいな趣がある。所どころ上手に抜粋すれば、バレエ音楽としての利用も可能な気がする。私にとっては、非常に愛せる曲の一つである。
【 参照演奏 : 飯森泰次郎&新交響楽団 1999年7月17日録音(フォンテック盤) 】
―そういう訳で、<交響管絃楽のための前奏曲>と<交響管絃楽のための音楽>は曲名がよく似ており、<交響三章 トリニタ・シンフォニカ >と<絃楽のための三楽章 トリプティーク>は曲の設計がそっくりということで、前回のお話からこれらの芥川作品が連想されたのであった。最後にポイントを簡単にまとめてみると、交響作品に聴かれる芥川氏の音楽というのは、師匠・伊福部昭の土俗的なメロディや力強いリズムを学びつつも、この人ならではの都会人的なセンスというのか、ある種の洗練味が加えられたものになっているという事がまず言えるだろう。そこへ旧ソ連時代の二人の大家、即ちショスタコーヴィチとプロコフィエフの音楽語法が採り込まれて、この人独自の世界が出来上がっているという感じになると思う。
さて、TV番組や映画、あるいはコマーシャルのために芥川氏が書いた曲の中にも、巷間名曲とされるものが数多くある。特に1964年のNHK大河ドラマ『赤穂浪士』や、1977年の映画『八つ墓村』と『八甲田山』あたりは代表的なものと言ってよいだろう。TVのコマーシャル・ソングで私にも覚えがあるのは、「だ~れもいないと思-っていても、どこかで、どこかで♪」と始まる有名製菓会社のもの。いろいろ書いておられたのだなあ、と思う。そう言えば、芥川氏が若い頃に手がけた映画音楽の中に、『猫と庄造と二人のをんな』(1956年)というのもあるらしい。私は未見だが、原作が谷崎潤一郎ということで、おそらくエグイ人間関係が描かれている作品なのだろう。その映画音楽の中にある<猫のワルツ>という曲が、上記フォンテック盤のCDでも聴ける。この一曲だけの印象を言えば、何か古き良き時代のホーム・ドラマを思わせるものなのだが、どこかネチョ~ンとした雰囲気は芥川節の一側面が如実に現れたものと言えるだろう。
(PS)
芥川氏が1989年1月31日に永眠された少し後、FM放送で氏の遺作となった<日扇上人奉賛歌「いのち」>がオン・エアされた。この作品は未完に終わったため、他のどなたかが補筆して仕上げた物を演奏したのだが、これが何とも恐ろしい曲であった。男声合唱の重々しい歌がいきなり不気味な雰囲気を作り出すのだが、「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」というお経が管弦楽ともども、これでもか、これでもか、これでもか!とオスティナートされ、次第にガンガンガンガン盛り上がっていく。その執拗な繰り返しが、やがてとんでもない音響にまで膨れ上がる展開はまさに、異様としか言いようのない世界を生み出していた。
1.交響管絃楽のための前奏曲 (1947)
芥川氏学生時代の本科卒業作品らしい。師匠・伊福部昭の影響が濃厚に出た17分ほどのオーケストラ曲。前半は、伊福部節をお手本にしたような粘りのある叙情的な旋律が支配的。しかし、9分ぐらい経過したあたりから一気に活気に満ちた音楽が現れる。とは言っても、やはり伊福部カラーがここでも濃厚だ。その後、静謐な部分と激しい部分が入れ替わりに出てきて、最後は力強く曲を結ぶ。
【 参照演奏 : 山田一雄&新交響楽団 1990年1月20日録音(フォンテック盤) 】
2.交響三章 トリニタ・シンフォニカ (1948)
(Ⅰ)カプリッチョ アレグロ
クラリネットとファゴットがリードするような形で始まり、律動的で軽快な音楽が展開する。約4分40秒。
(Ⅱ)ニンネレッラ アンダンテ
この曲を書いた当時23歳だった芥川氏に、長女が誕生したのだそうだ。その時の喜びを反映しているのか、この「子守唄」では厚みのある響きの中に優しい表情をたたえた名旋律が披露されている。ここにもやはり伊福部風のムードがあって、中間部など本当に郷愁を誘う。しかし中ほどに差し掛かる8分半あたりの所では大作映画のエンディングみたいに壮大に盛り上がるので、「子守唄」という呼び名だけには収まらない内容がある。この楽章の演奏時間は約13分。作品全体の中でも飛びぬけて長い。芥川氏にとっては一番力の入った箇所と言えるだろう。
(Ⅲ)フィナーレ アレグロ・ヴィヴァーチェ
激しい連打音から、一気に突っ走る爽快な音楽。合いの手のリズムは例によって伊福部っぽいが、主となる音型は土俗感とスマートさが奇妙に同居する堂々たる芥川節。この部分、約5分40秒。
3.交響管絃楽のための音楽 (1950)
NHKが放送25周年を記念して募集した管弦楽曲の中から見事「特賞」に選ばれたという、芥川氏の出世作。2つの曲からなる。第1曲アンダンティーノのテーマは、いかにもプロコフィエフやショスタコーヴィチの音楽語法を採り入れた痕跡が鮮明なものだが、中間部で歌い出される旋律にはこれまた師匠ゆずりの土着の叙情が聴かれる。この部分、約4分半。
続く第2曲アレグロは、かつてTVコマーシャルでも使われたこともある思いっきり有名な曲だ。強烈なシンバルの一撃から景気よく始まるゴキゲンなノリの音楽。特にトロンボーン奏者にとってはもう最高の曲ではないだろうか。打楽器の担当者達もうれしいだろうなあ。トリオでは、伊福部先生の<タプカーラ>第1楽章で聴かれるような導入リズムが出てくるけれども、圧倒的な主要テーマは文句なしの芥川節。私個人的には、この曲が一番好きである。約4分40秒。
4.絃楽のための三楽章 トリプティーク (1953)
(Ⅰ)アレグロ
いかにも小粋で軽快なアレグロ楽章。芥川作品らしい躍動感。ヴァイオリン・ソロも出て来る。約4分。
(Ⅱ)ベルスーズ アンダンテ
これも「子守唄」。急-緩-急の三楽章で構成されていて、なお且つ、真ん中に「子守唄」が置かれているという点で、これは上述の<交響三章 トリニタ・シンフォニカ>と非常によく似た作りで書かれている。うっかりすると記憶がごっちゃになってしまいそうだ。それはさておき、ここで聴かれる「子守唄」も美しい曲である。上記<トリニタ・シンフォニカ>の第2曲のように途中で轟然と盛り上がるようなこともないので、本当に子守唄らしい子守唄である。曲の中ほどで、和太鼓の脇をカッカラカッカラ叩くような音が聴かれるが、これは演奏に使っている弦楽器の胴体部分を叩いている音だそうだ。約6分。
(Ⅲ)プレスト
祭りの賑わいをイメージしたものらしいのだが、そんな感じはあまりしない。都会的に洗練されているからだろうか。雰囲気的には、近代イギリスの弦楽合奏作品の中にでも見つかりそうな部分がある。約3分。
5.交響曲第1番 (1955)
(Ⅰ)アンダンテ 約9分
(Ⅱ)アレグロ 約2分半
(Ⅲ)コラール アダージョ 約8分40秒
(Ⅳ)アレグロ・モルト 約8分
<交響曲第1番>は、芥川氏が入れ込んでいたショスタコーヴィチやプロコフィエフの影響が極めて濃厚に出ている曲で、正直言って私はこの曲、好きではない。旧ソ連の二人の大家が書いた交響曲に対して、もともと私はあまりシンパシーを感じていないのだが、ここで聴かれる芥川氏の音楽は(失礼ながら)そのエピゴーネン(=亜流)。そんな風にしか聴こえない。ただ、音楽的な充実度の高さは上に並べた4作を遥かに凌いでいるし、その重い手応えについての客観的評価はまた別物としなければならないだろうとは思う。
【 以上2~5の参照演奏 : 飯森泰次郎&新交響楽団 1999年7月11日録音(フォンテック盤) 】
6.エローラ交響曲 (1958)
少し前にナクソス・レーベルから、この曲を含んだ《芥川也寸志 作品集》のCDが発売されて話題になったので、そちらでお聴きになった方もおられることと思う。怪しげな雰囲気と土俗的な要素が入り組んだ、とても面白い曲である。全体で約18分の作品だが、真ん中あたりに出てくる野卑なリズムの盛り上がりや、ラスト5~6分で聴かれる熱狂的な響きが非常に良い。聴いた感じとしては、交響曲というよりは“土俗の舞踊詩”みたいな趣がある。所どころ上手に抜粋すれば、バレエ音楽としての利用も可能な気がする。私にとっては、非常に愛せる曲の一つである。
【 参照演奏 : 飯森泰次郎&新交響楽団 1999年7月17日録音(フォンテック盤) 】
―そういう訳で、<交響管絃楽のための前奏曲>と<交響管絃楽のための音楽>は曲名がよく似ており、<交響三章 トリニタ・シンフォニカ >と<絃楽のための三楽章 トリプティーク>は曲の設計がそっくりということで、前回のお話からこれらの芥川作品が連想されたのであった。最後にポイントを簡単にまとめてみると、交響作品に聴かれる芥川氏の音楽というのは、師匠・伊福部昭の土俗的なメロディや力強いリズムを学びつつも、この人ならではの都会人的なセンスというのか、ある種の洗練味が加えられたものになっているという事がまず言えるだろう。そこへ旧ソ連時代の二人の大家、即ちショスタコーヴィチとプロコフィエフの音楽語法が採り込まれて、この人独自の世界が出来上がっているという感じになると思う。
さて、TV番組や映画、あるいはコマーシャルのために芥川氏が書いた曲の中にも、巷間名曲とされるものが数多くある。特に1964年のNHK大河ドラマ『赤穂浪士』や、1977年の映画『八つ墓村』と『八甲田山』あたりは代表的なものと言ってよいだろう。TVのコマーシャル・ソングで私にも覚えがあるのは、「だ~れもいないと思-っていても、どこかで、どこかで♪」と始まる有名製菓会社のもの。いろいろ書いておられたのだなあ、と思う。そう言えば、芥川氏が若い頃に手がけた映画音楽の中に、『猫と庄造と二人のをんな』(1956年)というのもあるらしい。私は未見だが、原作が谷崎潤一郎ということで、おそらくエグイ人間関係が描かれている作品なのだろう。その映画音楽の中にある<猫のワルツ>という曲が、上記フォンテック盤のCDでも聴ける。この一曲だけの印象を言えば、何か古き良き時代のホーム・ドラマを思わせるものなのだが、どこかネチョ~ンとした雰囲気は芥川節の一側面が如実に現れたものと言えるだろう。
(PS)
芥川氏が1989年1月31日に永眠された少し後、FM放送で氏の遺作となった<日扇上人奉賛歌「いのち」>がオン・エアされた。この作品は未完に終わったため、他のどなたかが補筆して仕上げた物を演奏したのだが、これが何とも恐ろしい曲であった。男声合唱の重々しい歌がいきなり不気味な雰囲気を作り出すのだが、「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」というお経が管弦楽ともども、これでもか、これでもか、これでもか!とオスティナートされ、次第にガンガンガンガン盛り上がっていく。その執拗な繰り返しが、やがてとんでもない音響にまで膨れ上がる展開はまさに、異様としか言いようのない世界を生み出していた。