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クラシック音楽オデュッセイア

2025年正月、ついに年賀状が1通も来なくなった“世捨て人”のブログ。クラシック音楽の他、日々のよしなし事をつれづれに。

アストリッド・ヴァルナイ(1)

2006年09月12日 | 演奏(家)を語る
先頃のエリーザベト・シュワルツコップに続いてまた一人、偉大な歌手がこの世を去った。アストリッド・ヴァルナイである。去る9月4日に、ミュンヘンの病院で亡くなったそうだ。享年88との由。そこで今回と次回は、この大歌手を偲ぶ追悼特別記事にしようと思う。ヴァルナイのデビューは1941年にメトロポリタン歌劇場でなされたらしいのだが、ここでは1951年、つまり彼女がバイロイトに初登場した年以降の話に絞ってみたいと思う。以下、私が実際にCDを聴いて知っている狭い範囲での話だが、彼女が遺した業績をざっとかいつまんで見ていきたい。

●《ニーベルングの指環》~ブリュンヒルデ

バイロイト音楽祭が戦後の再出発を果たした、1951年。大作曲家の孫であるヴィーラント・ワグナーは、その記念すべき最初の《指環》上演で、伝説のフラグスタートにブリュンヒルデの役を歌ってほしいと願った。しかし高齢の大歌手は、様々な理由から辞退してしまう。その代わりに彼女が推薦してきたのが、ヨーロッパでは当時ほとんど無名のアストリッド・ヴァルナイであった。ヴィーラントはその若い歌手を聴いたこともなく、会ったこともなかったが、フラグスタートの言葉を信じて、“アメリカではちょっと知られていたドラマティック・ソプラノ”に大役を任せた。結果は大成功。以後ヴァルナイは、1950年代のバイロイトを支える大歌手の一人となった。

51年《指環》ライヴについては、現在<神々の黄昏>だけがCD化されている。(※テスタメント・レーベルが実現したこの快挙の裏にシュワルツコップの大きな助力があったことは、当ブログでも紹介済み。)私が今持っているのはその51年盤<神々の黄昏>と、同じクナッパーツブッシュの指揮による56年と57年の《指環》各全曲セットである。今回の記事を書くにあたって、これら3組に共通する<神々の黄昏>から、いくつかの部分を聴き比べてみた。

そこで改めて驚いたのは、バイロイト・デビューとなった51年の段階で、ヴァルナイがすでに極めて高い完成度を示していたということである。より熟練してくる後年の歌唱と比べても、殆ど遜色のない出来栄えなのだ。しかし考えてみれば、当時彼女は既に歌手暦10年のキャリアを持っていたわけで、決して新米歌手ではなかったのである。それに当然、十分な事前準備もしていたことだろう。他の出演者たちの出来や録音状態など、様々な要素が絡んでくるので、どの年の公演がベストだったか、みたいな単純なランク付けは不可能だが、ことヴァルナイの声と歌唱については、最初から非常に優秀なものだったと言うことが出来る。

ヴァルナイの声には、深く豊かな中声部の響きとともに、しなやかで力強い高音があった。そして、ただ雄大な声を振り回すのではなく、歌詞のディクションが明瞭で歌の姿がしっかりしていた。彼女がブリュンヒルデを演じた時の歌唱には神々しいほどの威厳が備わっていると同時に、女性としての喜びも苦悩もあまねく歌い出されたヒューマンな温もりがあった。(※単純な優劣論議は出来ないが、私はニルソンよりもヴァルナイのブリュンヒルデの方が断然好きである。)

そう言えば、この時期のヴァルナイの活躍に関してもう一つ、触れておくべき逸話がある。想像に難くないことだが、歌劇場ではよく、「当日の出演予定者が急病等で、キャンセルしてきた」みたいなトラブルが起こる。しかしヴァルナイは、その種の突発的なハプニングに対して常人離れした対応が出来る人だったと伝えられている。たいていの役なら、いつでも飛び入りで代わりに歌えたというのだ。特に、1956年の《指環》上演時のエピソードには驚かされる。<神々の黄昏>で第3のノルンを演じる予定だった歌手が出られなくなったのだが、その時ヴァルナイが飛び入りでノルンを歌い、それが済んで引っ込むや、彼女はブリュンヒルデに早変りして再び舞台に向かったというのである。うひゃあ!

ところで、1955年にカイルベルトが指揮した《指環》の公演にも、ヴァルナイは例年通りブリュンヒルデ役で出演している。で、これが何とステレオでライヴ録音されていたらしく、今その四部作がテスタメント・レーベルから順々にCD化されているところだ。このセットは、私もいつか手にしてみたい。年代的に見ても、ヴァルナイの絶頂期はまさにこの頃にあったわけだから、その思いも一入(ひとしお)である。

●<ローエンングリン>~オルトルート

ドラマティック・ソプラノの役で名を馳せたヴァルナイだったが、彼女の声は本質的にメゾ・ソプラノだった。深みのある雄渾なメゾの声で強靭なソプラノの高音を出せたことが、彼女を偉大なブリュンヒルデ歌手にした理由の一つである。そんな彼女にぴったりのもう一つの役柄は、<ローエングリン>に出て来るオルトルートであった。これは幸いなことに、バイロイト・ライヴを中心にかなりの数が録音に遺されている。ちょっと古いカタログで調べてみたら、シュティードリーの指揮による1950年のメト・ライヴに始まり、カイルベルトの1953年盤、ヨッフムの1954年盤、クリュイタンスの1958年盤、マゼールの1960年盤、そしてサヴァリッシュの1962年盤といった一連のバイロイト録音、さらにサヴァリッシュの1965年スカラ座録音などが見つかった。この中で、たまたま私はカイルベルトの1953年バイロイト盤を購入したのだが、それに深い意味はなく、ただ単にCDが安い値段で見つかったからというだけのことである。

カイルベルトの指揮による1953年盤は、ヴァルナイがバイロイトで初めてオルトルートを歌った時の記録ということになりそうだ。しかし、それ以前にも同役をメトで歌っていたらしいので、決してこの役への初挑戦ではなかったわけである。ただ、率直な感想を言えば、この53年盤で聴かれる歌唱よりも、おそらくもっと後の記録の方にずっと優れたものがあるような気がする。つまり、ここでの彼女は、この魔女役に対する高い適性をすでに力強く示してくれてはいるものの、どこかまだ生硬で出来上がり切っていない印象を与えるのだ。この時の上演ではむしろ、相方(?)のテルラムントを歌ったヘルマン・ウーデの方が冴えているようである。カイルベルトの指揮は、いかにもこの人らしくゴツゴツした感じの骨太な演奏を生み出している。しかし一方で、第2幕第2場のように、思いがけず柔らかい抒情味を見せるところもあったりする。カラヤンあたりが聴かせるような精妙な表現は期待できないものの、いかにもツボを押さえた練達の芸を披露している。

(※キャリア後期のヴァルナイは、本来の声質であるメゾ・ソプラノの役を受け持つようになった。その代表的な例として、彼女がかなり高齢になってからの記録ではあるが、カール・ベーム&ウィーン・フィルの演奏による2つのR・シュトラウス作品の映像盤が挙げられる。そこで彼女は、<サロメ>のヘロディアスと<エレクトラ>のクリテムネストラを演じているが、どちらも印象強烈なものである。これについては当ブログでかつて、『<サロメ>の演奏史』と題したシリーズの第3回で軽く言及したことがあった。

前者ヘロディアスの方はその姿から昔日の美貌がまだ多少は偲ばれるが、後者クリテムネストラは妖怪のようなメイクで衝撃的だ。尤も、このフリードリヒ版<エレクトラ>は演出自体がおどろおどろのオカルト・タッチなので、ヴァルナイの扮装もそれに合わせたものである。そう言えば、私は未聴だが、若い頃のヴァルナイはエレクトラ役もよく歌っていたようだ。ミトロプロス盤、ライナー盤、あるいはカラヤン盤等、数種の全曲CDが通販サイトで見つかる。そのうちのどれか一つでも、いつか機会があったら聴いてみたいと思う。声の点でも、キャラクターの点でも、この役は彼女にとてもよく似合っていたような気がするのだ。)

―次回はもう一度、ヴァルナイの追悼特別記事。

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