クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

ブログ立ち上げ10周年

2014年10月31日 | エトセトラ
2014年10月31日。今日は、当ブログの誕生日である。これで満10歳になった。更新が月1度のスローペースであるとはいえ、よくまあ10年も続いたものだ。今回はこの大きな節目を記念して、当ブログ開始時からの歴史を大まかに振り返ってみることにしたい。

●2004年10月31日~2009年4月【最初の約4年半】

身の回りにクラシック音楽の趣味を語れる相手がおらず、2003年頃からヤフーの掲示板に知識の断片をちょっとずつ書き込むことからネット上での活動(?)を開始。その後、同板の衰退に伴い、新たな自己発現の場をブログに求める。「気ままに語るクラシック音楽」というブログ・タイトルで、ちまちまと記事を書き始めたのが10年前の今日、2004年10月31日。一つの記事から次の記事へ続ける際、文章の内容から連想された言葉や、「しりとり」などを活用し、記事同士の繋がりに連続性を持たせた。最初の頃は、掲示板時代の書き込み原稿を再利用したりして、文字通り“気ままに”知識の発散を楽しんでいた。

しかし、人間の本性は遅かれ早かれ出てくるもので(笑)、何でも一度のめり込むとそのグレードにこだわる性格、というか「凝り性」な面が出てきて、次第に「毎回じっくりと準備した上で、納得いくまで文章の推敲を行ない、少しでもベストの出来に近い記事を載せたい」という気持ちが強くなっていった。(※「迷指揮者・不能芳香のひとりごと(1)~(3)」などはそのような意志がとことんまで発揮された渾身の力作であったが、アクセス数は悲惨そのものであったといえよう。彼女たちは皆泣いた。僕も泣いた。w )

5年目に突入した2008年11月1日、ブログ・タイトルを現行の「クラシック音楽オデュッセイア」に変更。ブログ開始時からのモットーであった「記事の繋がりに連続性を持たせること」を意識しつつ、この調子でしっかり続けていこうと気持ちを新たにした。(※この頃に書いていたのは、ヤナーチェクのオペラ・シリーズ。例によってアクセス数はみじめなものだったが、書き手本人は各記事の出来上がりに結構満足していた。)

●2009年5月~2014年10月【現在に至るまでの約5年半】

オペラ指揮者としてのD・ミトロプロスを語るシリーズに区切りがついた頃、長引く身体の不調がちょっと尋常でないレベルとなり、たまらず病院へ。検査の結果は、大腸がん。それも、かなりの進行がん。当時の心境を2ちゃんねる風に言えば、「俺、オワタ?」。そのまま入院となり、大きな手術を受けたのが2009年5月の半ば。それから約2週間後に退院し、療養生活の開始。がん細胞の転移がなかったこともあり、どうやら生き延びることに成功。現在に至る。しかし当ブログのあり方は、この大病以来大きく変わることとなった。月に1度、ブログ主の生存報告をするような短い記事が主体となって、かつてのように「じっくり準備して、力のこもったクラシック記事を書く」ということが、精神的にも体力的にも不可能となってしまった。

当ブログが立ち上げられた10年前からすると、(当然のことながら)世の中も大きく移り変わった。悪夢の政権交代と、東日本大震災。ツイッターという新たな情報発信・拡散装置の登場と普及(※注1)。自民党の政権奪還と、第2次安倍内閣の誕生。そして、「それさえ、やらなければなあ」の消費税増税(2014年4月から8%)。当ブログ主に直接関連する事で言えば、退院してから少しばかりスピリチュアル系の本を渉猟したこと。HMV渋谷閉店に象徴されるCDショップの衰退と、それに相反するように増加し続けるネット動画サイトYouTubeへの映像・音源posting。(←これによって、CDを買わずに済ませてしまう例が実際にあり、当ブログの記事の書き方にも影響が出ている。)花王不買運動への協賛(※注2)。そして何と言っても、昨2013年の父の死(及び、それと相前後する伯父の死、叔父の死)、等々・・・。本当にいろいろな事があったと、今振り返ってみてつくづく思う。

(※注1)ツイッターの登場と普及

正直に打ち明けるが、ツイッターという新しい情報ツールが2006年頃に初お目見えした時、私はこれが普及する可能性に対して全く懐疑的だった。「政治家やタレントみたいな有名人のつぶやきなら、支持者やファンの人が興味を持ってフォローするだろうけど、何でもない一般人が『ランチなう』だの『バイトかったりー』だのつぶやいたところで、誰がそんなもの見たがるかって。書く方だって、そのうち飽きる。そんなに流行りはしないだろう、これ」と思ったのだ。しかし、あにはからんや、ツイッター利用者数はいや増すばかり。予想は完全に外れた。

(※注2)花王不買運動への協賛

反日TV局とその大手スポンサーに対する抗議から始まった消費者運動。そんなに古い話ではないにもかかわらず、何かちょっと懐かしい気分。これはデモ行進を伴うような社会ムーヴメントとしては終息しているが、当時決起した世の奥様方はおそらく、今でも花王以外の良心的なメーカーさんの商品を使い続けていることだろう。当ブログ主も、この運動に協賛することで様々な収穫を得た。以下に書くのは、当ブログ主の実体験を通じたお気に入り商品のお話。

×ファミリーフレッシュ、チャーミー、ジョイ、キュキュット他、大手メーカーの食器洗剤

○セスキ・重曹・クエン酸の各水溶液スプレー、ヤシノミ洗剤、カネヨの粉クレンザー

【 食器を洗う時にはビニール手袋をしているのに、それでも冬になると手の指先、特に爪の脇があちこち割れてきてピリピリと痛む。だから毎冬、コロスキンとかリュウバンとかいった液体絆創膏が、当ブログ主には絶対の必需品だった。さらに食器洗剤の場合、それが強力なものであればあるほど化学薬品アレルギーが出てきて、鼻がムズムズ、目がしょぼしょぼ、ひどい時には頭痛まで発生。これが実につらかった。それが件(くだん)の不買運動を通じて、本当に手に優しい、身体に優しい洗剤を見つけることができたのである。大手メーカーの化学洗剤と違って、重曹やヤシノミ洗剤は手が荒れない。感謝、感謝。

セスキ・重曹・クエン酸については、それぞれを水に溶いたスプレーを自分で作るため、量が減ってきたらそのつど新しく作ることになる。これがまあ、手間と言えば手間。それでしばらく、ヤシノミ洗剤と粉クレンザーだけで食器を洗うようにしていた時期もあった。しかし昨年、住宅カウンセリングの業者さんと話す機会があって、排水管の掃除が話題になった時、良いアドヴァイスをいただいたのだった。「パイプマンやパイプユニッシュは非常に強力で、確かに排水管をきれいにしますが、そのままだと管自体まで痛めてしまいます。使うなら、10000倍ぐらいに薄めてください。それよりも時々重曹を流してやるのが、排水管には一番いいです」。で、それ以来また、重曹・セスキ・クエン酸の手製スプレーを毎日使うようになったというお話。食器洗いをしながら、流れる水で排水管も一緒に洗浄。一石二鳥の効果。 】

×花王石鹸ホワイト → ○しゃぼん玉石けん
×ライオンのキレイキレイ → ○ミヨシ石けん~泡のキッチンハンド

【 冬になると乾燥して、必ず手が荒れる。しかしこの1、2年、それが随分と穏やかなものになった。洗面台の固形石けんをしゃぼん玉石けんに換え、ポンプ式の液体せっけんをミヨシの泡石けんにした。これも、事態改善の大きな理由。上記×印2点のうち、特にキレイキレイは当ブログ主にとって最悪の商品で、あのツンとくる薬臭さがまず鼻に不快。そして夏場でさえ、あれで手を洗うと皮膚が荒れてバサバサ。それが、ミヨシの泡石けんにしてから、全く荒れなくなった。ついでの話ながら、この泡石けんは外出から帰った時の花粉用メガネ洗いや、髭剃り後のシェーバー刃洗浄にも使えて非常に便利。 】

―ということで、明日11月1日から、当ブログは11年目に突入する。体調及び時間と相談しつつ、無理のないゆったりペースで、続けられるところまで続けようと思う。
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