今回は、歌劇<ホヴァンシチナ>の最終回。第4幕と、最後の第5幕の内容。
〔第4幕〕
イワン・ホヴァンスキー邸の食事の間。蟄居(ちっきょ)しているホヴァンスキーを楽しませようと、女農奴たちが歌ったり踊ったりしてみせる。しかし、主人の気は晴れない。そこへゴリーツィン公の使者がやって来て、「避けがたい不幸が迫っている。よくよく気をつけてほしい」と、ホヴァンスキーに助言する。ホヴァンスキーはその警告を一笑に付し、それまで歌っていた女農奴たちを下がらせ、かわりにペルシャの女奴隷たちに踊りを始めるよう命ずる。
(※ここで披露される『ペルシャの女奴隷たちの踊り』は、おそらくこのオペラで聴かれるナンバーの中でも最も有名な物の一つだろう。エキゾティックなムードに溢れる名曲だ。映画版では、当時の人気バレリーナだったマイヤ・プリセツカヤが登場する。)
ペルシャ女たちの踊りが終わった時、シャクロヴィートゥイがホヴァンスキーのもとを訪れ、「皇女ソフィアが、緊急会議を召集しておられる。あなたがいなくては始まらないとのことだ」と伝える。おだてられてすっかり気をよくしたホヴァンスキーは正装して戸口に向かうが、そこでシャクロヴィートゥイと一緒に来ていた男にいきなり刺されて即死する。みじめに横たわるホヴァンスキーの死体の上にかがみ込みながら、シャクロヴィートゥイは嘲りの笑みを浮かべる。
場面変わって、モスクワ聖ワシーリ寺院前の広場。流刑地に送られるゴリーツィン公を、人々が見送る。マルファがドシフェイのもとに、貴族会議の決議を知らせに来る。「分離派教徒を、容赦なく打ち殺せ」。いよいよ殉教の時が近づいたと、ドシフェイは覚悟する。一方、相も変わらず身勝手なことをわめいているアンドレイに対して、マルファが応じる。「何も知らないのね。あなたの父は暗殺され、あなたもお尋ね者になっているのよ」。アンドレイは彼女の言葉を信じないが、やがて鎖につながれた銃兵隊員の行列がやってくるのを見て、愕然とする。そこでようやく事態を理解した彼は、助けてくれとマルファにすがりつく。彼女に導かれてアンドレイが去ったあと、銃兵隊員たちの断頭刑がいよいよ執行されることになる。しかし、そこへ皇帝の伝令ストレシネフ(T)がやって来て、「銃兵隊に、皇帝からの恩赦が出た」と伝える。
(※第4幕後半の展開は、史実をある程度知っていないと理解が難しい。映画版DVDに付いている解説パンフレットをもとにしてこの部分を読み解くなら、ここは皇女ソフィアがピョートル帝一派との政争に破れたという歴史的状況を表しているようだ。ソフィアは修道院に送られ、彼女の腹心シャクロヴィートゥイは処刑され、ゴリーツィン公は国外追放ということになるのだが、このオペラではその中の「ゴリーツィンの追放シーン」を描き出しているわけである。ちなみに、そこで流れる音楽は、マルファが第2幕の予言の中で歌っていた名旋律。)
(※銃兵隊の断頭刑がいよいよ行なわれようとする直前のシーンには、かなりの迫力がある。ここで聴かれる大合唱こそ、この第4幕後半最大の聴きどころと言ってよいだろう。映画版の演奏は、「うぐあぁーっ!」という女の悲鳴までが交錯し、何とも凄まじい。)
〔第5幕〕
松林の中にある隠れ修道院。意を決したドシフェイが、教徒たちに呼びかける。「我々には、ピョートル帝と争う力はない。・・・事は敗れたのだ。ここで屈服して信仰を捨てるよりは、皆で死を選ぼう」。殉教の喜びを歌いながら、分離派教徒たちが僧院に戻っていく。
一人残ったマルファは、「アンドレイを、私にお返しください」と神に祈る。そこへ姿を現したアンドレイに彼女は、「一緒に死にましょう」と語りかける。やがて、林の中から親衛隊のラッパが聞こえてくる。ドシフェイと教徒たちは白装束に身を包んで僧院から出て来ると、薪(たきぎ)の山を作り始める。そして教徒たちが全員集まったところで、薪に火がつけられる。燃え盛る炎が次第に彼らを包み、やって来た兵士たちが呆然とそれを見守る中、オペラ全曲の終了となる。
(※第5幕のエンディングでショスタコーヴィチは、第1幕の前奏曲『モスクワ河の夜明け』を再び呼び起こして演奏するように編曲している。このアイデアは素晴らしい。もう20年以上も前の話になるが、歌劇<ホヴァンシチナ>がNHKのFMで紹介されたことがあった。演奏家の顔ぶれなど、その時の資料はもう全く残っていないのだが、とにかくそこで初めて、私はこのオペラの全曲を聴くことになった。当時は作品の内容について詳しく知らなかったので漠然と聞き流していたのだが、この長大なオペラが終わるラストのところで、あの『モスクワ河の夜明け』が聞こえてきたのである。そこで私は、何とも言えない感動を味わったのだった。「ああ、人間たちの小ざかしい争いなどとは関係なく、大自然はまた静かな朝を迎えるのだなあ」と、自然の悠久の営みに思いをはせてしまったのである。客観的に見れば、これはいささかピントはずれな感動の仕方であったろう。おそらくショスタコーヴィチ自身は、「新しいロシアの夜明けに、希望を託そう」という意図でこのような編曲を行なったのだと考えた方が、妥当なように思える。と、そうは言いつつも、私がかつて持っていたような感じ方も面白くていいんじゃないかな、という気が今でもしている。)
(※実は、『モスクワ河の夜明け』を全曲の最後に再び流すというショスタコーヴィチのアイデアには、作品の構造的観点から見ても興味深いものがある。映画版DVDで解説をお書きになっている一柳富美子氏のご指摘によると、歌劇<ホヴァンシチナ>には巧みに設計されたシンメトリー構造が見て取れるのだそうだ。シャクロヴィートゥイのアリアを中核とする第3幕を真ん中に置いて、登場人物の紹介を主とする第1、2幕と、悲劇が描かれる第4、5幕がセットになって対比を成している、というのがまず一つ。そしてさらに、第2幕と第4幕もちょうど鏡のように向かい合っているというのである。具体的な曲名で言えば、第2幕で歌われるマルファの『予言の歌』と第4幕の有名な『ペルシャの女奴隷たちの踊り』が好一対のペアになっているという図式だ。しかし、そのシンメトリー構造を成就させるには、第1幕と第5幕もしっかり向き合わねばならない。現実には未完のままムソルグスキーが世を去ってしまったため、それが果たされずに残念であったというのが一柳氏の論旨である。そのような感覚で見てみると、オペラ全曲の最後に第1幕の前奏曲を置くことは、そこにまた一つのシンメトリーを生み出す結果になっているのではないだろうか。その意味でも、ショスタコーヴィチの編曲には何か含蓄の深いものが感じられるのである。)
(※R=コルサコフが第5幕のエンディングに施した編曲は、それに比べるといささか物足りない。そこでは最後に親衛隊のマーチが勇ましく流れてきて、ちょっとあっさりしたような終わり方をしてしまうのだ。実はR=コルサコフは、前回語った第2幕を締めくくる曲として『モスクワ河の夜明け』を使っていたのである。貴族シャクロヴィートゥイがゴリーツィン邸に集まった一同のもとへやって来て、「皇帝は『ホヴァンシチナ』を徹底調査するよう、お命じになった」と伝えたシーン、あの第2幕のエンディングである。しかし、私の意見としては、このとっておきの名旋律をそんな途中で使うより、ショスタコーヴィチ版のように全曲の最後に置いた方がずっと効果的なのではないかと思う。)
(※最後に、付け足し話を一つ。1989年に行なわれたアバドのウィーン・ライヴには、その当時の最も新しい研究成果が採り入れられていた。それはR=コルサコフ版を用いた“軽い”終わり方でなかったのは勿論のこと、ショスタコーヴィチ版による“『モスクワ河の夜明け』に未来への希望をこめた”終わり方でもなかった。そのラストで聴かれたのは、分離派教徒たちの焼死を重々しく描き出す極めて深刻な音楽だった。アバドの指揮にロシア的な重厚さはなかったが、何とも異様な聴後感を残すエンディングであったことは、今でもよく覚えている。)
―以上で、歌劇<ホヴァンシチナ>は終了。次回は、R=コルサコフとショスタコーヴィチの編曲をあらためて比較できる有名な歌曲集《死の歌と踊り》を中心に、ムソルグスキーの歌曲にちょっと触れてみたい。
〔第4幕〕
イワン・ホヴァンスキー邸の食事の間。蟄居(ちっきょ)しているホヴァンスキーを楽しませようと、女農奴たちが歌ったり踊ったりしてみせる。しかし、主人の気は晴れない。そこへゴリーツィン公の使者がやって来て、「避けがたい不幸が迫っている。よくよく気をつけてほしい」と、ホヴァンスキーに助言する。ホヴァンスキーはその警告を一笑に付し、それまで歌っていた女農奴たちを下がらせ、かわりにペルシャの女奴隷たちに踊りを始めるよう命ずる。
(※ここで披露される『ペルシャの女奴隷たちの踊り』は、おそらくこのオペラで聴かれるナンバーの中でも最も有名な物の一つだろう。エキゾティックなムードに溢れる名曲だ。映画版では、当時の人気バレリーナだったマイヤ・プリセツカヤが登場する。)
ペルシャ女たちの踊りが終わった時、シャクロヴィートゥイがホヴァンスキーのもとを訪れ、「皇女ソフィアが、緊急会議を召集しておられる。あなたがいなくては始まらないとのことだ」と伝える。おだてられてすっかり気をよくしたホヴァンスキーは正装して戸口に向かうが、そこでシャクロヴィートゥイと一緒に来ていた男にいきなり刺されて即死する。みじめに横たわるホヴァンスキーの死体の上にかがみ込みながら、シャクロヴィートゥイは嘲りの笑みを浮かべる。
場面変わって、モスクワ聖ワシーリ寺院前の広場。流刑地に送られるゴリーツィン公を、人々が見送る。マルファがドシフェイのもとに、貴族会議の決議を知らせに来る。「分離派教徒を、容赦なく打ち殺せ」。いよいよ殉教の時が近づいたと、ドシフェイは覚悟する。一方、相も変わらず身勝手なことをわめいているアンドレイに対して、マルファが応じる。「何も知らないのね。あなたの父は暗殺され、あなたもお尋ね者になっているのよ」。アンドレイは彼女の言葉を信じないが、やがて鎖につながれた銃兵隊員の行列がやってくるのを見て、愕然とする。そこでようやく事態を理解した彼は、助けてくれとマルファにすがりつく。彼女に導かれてアンドレイが去ったあと、銃兵隊員たちの断頭刑がいよいよ執行されることになる。しかし、そこへ皇帝の伝令ストレシネフ(T)がやって来て、「銃兵隊に、皇帝からの恩赦が出た」と伝える。
(※第4幕後半の展開は、史実をある程度知っていないと理解が難しい。映画版DVDに付いている解説パンフレットをもとにしてこの部分を読み解くなら、ここは皇女ソフィアがピョートル帝一派との政争に破れたという歴史的状況を表しているようだ。ソフィアは修道院に送られ、彼女の腹心シャクロヴィートゥイは処刑され、ゴリーツィン公は国外追放ということになるのだが、このオペラではその中の「ゴリーツィンの追放シーン」を描き出しているわけである。ちなみに、そこで流れる音楽は、マルファが第2幕の予言の中で歌っていた名旋律。)
(※銃兵隊の断頭刑がいよいよ行なわれようとする直前のシーンには、かなりの迫力がある。ここで聴かれる大合唱こそ、この第4幕後半最大の聴きどころと言ってよいだろう。映画版の演奏は、「うぐあぁーっ!」という女の悲鳴までが交錯し、何とも凄まじい。)
〔第5幕〕
松林の中にある隠れ修道院。意を決したドシフェイが、教徒たちに呼びかける。「我々には、ピョートル帝と争う力はない。・・・事は敗れたのだ。ここで屈服して信仰を捨てるよりは、皆で死を選ぼう」。殉教の喜びを歌いながら、分離派教徒たちが僧院に戻っていく。
一人残ったマルファは、「アンドレイを、私にお返しください」と神に祈る。そこへ姿を現したアンドレイに彼女は、「一緒に死にましょう」と語りかける。やがて、林の中から親衛隊のラッパが聞こえてくる。ドシフェイと教徒たちは白装束に身を包んで僧院から出て来ると、薪(たきぎ)の山を作り始める。そして教徒たちが全員集まったところで、薪に火がつけられる。燃え盛る炎が次第に彼らを包み、やって来た兵士たちが呆然とそれを見守る中、オペラ全曲の終了となる。
(※第5幕のエンディングでショスタコーヴィチは、第1幕の前奏曲『モスクワ河の夜明け』を再び呼び起こして演奏するように編曲している。このアイデアは素晴らしい。もう20年以上も前の話になるが、歌劇<ホヴァンシチナ>がNHKのFMで紹介されたことがあった。演奏家の顔ぶれなど、その時の資料はもう全く残っていないのだが、とにかくそこで初めて、私はこのオペラの全曲を聴くことになった。当時は作品の内容について詳しく知らなかったので漠然と聞き流していたのだが、この長大なオペラが終わるラストのところで、あの『モスクワ河の夜明け』が聞こえてきたのである。そこで私は、何とも言えない感動を味わったのだった。「ああ、人間たちの小ざかしい争いなどとは関係なく、大自然はまた静かな朝を迎えるのだなあ」と、自然の悠久の営みに思いをはせてしまったのである。客観的に見れば、これはいささかピントはずれな感動の仕方であったろう。おそらくショスタコーヴィチ自身は、「新しいロシアの夜明けに、希望を託そう」という意図でこのような編曲を行なったのだと考えた方が、妥当なように思える。と、そうは言いつつも、私がかつて持っていたような感じ方も面白くていいんじゃないかな、という気が今でもしている。)
(※実は、『モスクワ河の夜明け』を全曲の最後に再び流すというショスタコーヴィチのアイデアには、作品の構造的観点から見ても興味深いものがある。映画版DVDで解説をお書きになっている一柳富美子氏のご指摘によると、歌劇<ホヴァンシチナ>には巧みに設計されたシンメトリー構造が見て取れるのだそうだ。シャクロヴィートゥイのアリアを中核とする第3幕を真ん中に置いて、登場人物の紹介を主とする第1、2幕と、悲劇が描かれる第4、5幕がセットになって対比を成している、というのがまず一つ。そしてさらに、第2幕と第4幕もちょうど鏡のように向かい合っているというのである。具体的な曲名で言えば、第2幕で歌われるマルファの『予言の歌』と第4幕の有名な『ペルシャの女奴隷たちの踊り』が好一対のペアになっているという図式だ。しかし、そのシンメトリー構造を成就させるには、第1幕と第5幕もしっかり向き合わねばならない。現実には未完のままムソルグスキーが世を去ってしまったため、それが果たされずに残念であったというのが一柳氏の論旨である。そのような感覚で見てみると、オペラ全曲の最後に第1幕の前奏曲を置くことは、そこにまた一つのシンメトリーを生み出す結果になっているのではないだろうか。その意味でも、ショスタコーヴィチの編曲には何か含蓄の深いものが感じられるのである。)
(※R=コルサコフが第5幕のエンディングに施した編曲は、それに比べるといささか物足りない。そこでは最後に親衛隊のマーチが勇ましく流れてきて、ちょっとあっさりしたような終わり方をしてしまうのだ。実はR=コルサコフは、前回語った第2幕を締めくくる曲として『モスクワ河の夜明け』を使っていたのである。貴族シャクロヴィートゥイがゴリーツィン邸に集まった一同のもとへやって来て、「皇帝は『ホヴァンシチナ』を徹底調査するよう、お命じになった」と伝えたシーン、あの第2幕のエンディングである。しかし、私の意見としては、このとっておきの名旋律をそんな途中で使うより、ショスタコーヴィチ版のように全曲の最後に置いた方がずっと効果的なのではないかと思う。)
(※最後に、付け足し話を一つ。1989年に行なわれたアバドのウィーン・ライヴには、その当時の最も新しい研究成果が採り入れられていた。それはR=コルサコフ版を用いた“軽い”終わり方でなかったのは勿論のこと、ショスタコーヴィチ版による“『モスクワ河の夜明け』に未来への希望をこめた”終わり方でもなかった。そのラストで聴かれたのは、分離派教徒たちの焼死を重々しく描き出す極めて深刻な音楽だった。アバドの指揮にロシア的な重厚さはなかったが、何とも異様な聴後感を残すエンディングであったことは、今でもよく覚えている。)
―以上で、歌劇<ホヴァンシチナ>は終了。次回は、R=コルサコフとショスタコーヴィチの編曲をあらためて比較できる有名な歌曲集《死の歌と踊り》を中心に、ムソルグスキーの歌曲にちょっと触れてみたい。