クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

FMで聴いたバーンスタイン初来日の<春の祭典>と、生涯最後のシューマン

2018年08月31日 | 演奏(家)を語る
2018年8月31日。バーンスタインの生誕100年を翌日に控えた先週の金曜日(8月24日)、NHK-FMで特番が組まれた。当ブログ主が聴けたのは番組後半のみだったが、これは非常に良かった。まず、バーンスタインの初来日公演で演奏された<春の祭典>(1961年5月6日・東京文化会館)が57年ぶりに公の電波に乗ったのが、画期的な出来事。当時の放送を録音してずっと保存していたという凄い人がいて、今回その秘蔵音源が提供されたとのこと。演奏はやはり、若い頃のバーンスタインらしい物。ステレオ初期のCBSソニー盤と、基本的な線はだいたい似通っている。ややゆっくり目のテンポ設定、ダイナミックな表現、そして荒っぽいアンサンブル。終曲部分でいきなり腰が重くなるところは、後のロンドン響との再録音でさらに症状が悪化する(笑)。ただこれ、非常に貴重なドキュメントではあるのだが、今の水準からすると、オーディオ的には不十分。打楽器のパワフルな打ち込みや低弦の唸りなど、意想外に優秀な録音が行われたソニー盤に比べると、まるで物足りない。仮にこの演奏がCD化されても、いわゆるハルサイ・コレクターや、熱心なバーンスタイン・ファンに向けられた一品(ひとしな)ということになりそうである。

その後に流れたのは、バーンスタイン最後の来日演奏となった札幌でのシューマン。曲は、交響曲第2番。学生オーケストラを指導したPMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)でのライヴ録音(1990年7月3日)で、ここには巨匠最晩年の威容が克明に記録されている。何とも雄大なスケールのシューマンだ。特に終楽章結尾部の巨大さはまさに圧巻で、これを生で聴いた聴衆は本当に圧倒され、感激したことだろう。終演後にスタンディング・オヴェイションが起こったというのも、非常にうなずける話である。楽器の響きに含蓄が不足し、音楽にもう少しつコクが望まれる結果になっているのは、やむを得ないところだと思う。演奏しているのはプロの大人ではなく、18歳から20歳代前半の若者たちなのだから。むしろ、そういう若い音楽家たちを指導して、ここまで壮大な音楽を作り上げた大指揮者の力こそ絶賛されるべきだろう。

その一方、この日の番組を聴きながら、当ブログ主は改めて深い悔恨の念に苛(さいな)まれることにもなった。ブログを立ち上げた初期(※2004年11月6日)にも書いていたことなのだが、バーンスタインにあともう少し命の炎があったら、当ブログ主はこの豪演の再現をサントリー・ホールで聴けるはずだったのだ。それが、すべり込みアウト。巨匠に目の前で去られてしまった・・・。

【※当日のコンサートでは、弟子の大植英次が代役でシューマンの2番を振った。それはそれなりに、立派な演奏だった。ちなみに、「第2楽章のエンディング部分で、ヴァイオリン奏者たちが一斉に席から立ち上がって弾く」というのは当時の札幌だけでなく、サントリー・ホールでも実行されたが、番組の解説によると、これはバーンスタインのアイデアだったらしい。当時は、「大植さんあたりが多分、演出効果を狙って考えたんだろうな」と思っていたのだが、意外な人物が“犯人”だった(笑)。ただ、演奏終了後にコンマスの女性の手を取って、一緒に舞台袖に消えるという『ねるとん』展開、これは間違いなく大植氏の思いつきだろう。w 】

―今回は、これにて。
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