今回は、歌劇<コジ・ファン・トゥッテ>の聴き比べ・第3回。ハンス・フォンクの指揮によるドレスデンでの映像収録盤を採り上げてみたい。番号は最初からの通しで、5番になる。
5.ハンス・フォンク指揮ドレスデン国立歌劇場管、他(ドリームライフ社)~1983年
<コジ・ファン・トゥッテ>という人気オペラには、現在数種の映像盤が存在する。その中にはかなり前衛的、あるいは刺激的な演出が施されたものもあるようだ。私が視聴したのはこのフォンク盤だけなので、演出や映像についての比較論議までは残念ながら出来ない。が、とりあえず当ドレスデン収録盤について言えば、入門者にも分かりやすい非常に良質な物であると言ってよいと思う。
出演者名を並べてみると、フィオルディリージがアーナ・プーサル、ドラベッラがエリーザベト・ヴィルケ、フェランドがアルミーン・ウーデ、グリエルモがアンドレアス・シャイプナー、ドン・アルフォンゾがヴェルナー・ハーゼロイ、そしてデスピーナがコルネリア・ヴォスニッツァ、といった面々である。さて、正直に言わねばならないが、私はこの人たちを誰一人知らない。全く、知らない。しかし、映像付きで収録しようと企画されたものだけに、これが当時のドレスデンでのベスト・メンバーであっただろうことは容易に想像がつく。実際、彼らの演技や歌唱は皆それぞれ水準に達した出来栄えを示すものになっている。
まず3人の男性陣の中で最も充実しているのは、ドン・アルフォンゾ役のハーゼロイである。映像で見る限り、この人の風貌にはまだ老哲学者とは呼びにくい若さが残っているものの、声はたっぷりとした魅力的なバス(・バリトン)であり、歌唱も非常に優れたものである。ドン・アルフォンゾこそがこのドラマの要(かなめ)であるということをよく分からせてくれる、存在感溢れる名演だ。それに比べると、フェランドとグリエルモの青年二人はやや落ちる。しかしその二人も、アルバニア人男性に変装して騙しのお芝居を始めるあたりから、グングンと調子を上げてくる。
女性陣も揃って水準以上だが、中でもとりわけ見事なのが、デスピーナ役のヴォスニッツァ嬢である。クリッとした大きな目が印象的な、スタイルの良い女性歌手だ。表情豊かな演技に加えて、さりげない動きに見せるバレリーナ然としたしなやかな物腰がまた魅力的。インチキ医者やニセ公証人に化ける時のコスプレなど、やっている本人がもうノリノリという楽しさがこちらにもはっきり伝わってくる。さらに有り難いことに、この人は歌もしっかりしている。フォンク映像盤での一番の収穫は、このデスピーナだと言ってもよいぐらいである。
一方、美人姉妹を演じる二人もなかなかに魅力的で、特に二人が声を揃えるアンサンブルでは見事な出来栄えを見せる。しかもこのお二人、顔も何だかよく似ていて、まるで本当の姉妹みたいなのである。役柄の年齢的な部分にこだわると、彼女たちの風貌はどうにも年かさに見えてしまうのだが、まあそのあたりは仕方ないだろう。実際それを言ったら、他の録音の名歌手たちだって似たり寄ったりの状況なのだから。
せっかくなので、ここでの映像・演出についても少し触れておきたい。序曲を演奏している最中に、ビリヤードのテーブルが映し出される。そこには、白い玉と赤い玉が二つずつ。それがあちこちからキューで小突かれて、しきりにペアを入れ替えるのだ。これは、このオペラで何が演じられるのかを分かりやすく象徴している。そしてドラマが始まると、そのキューを突いていたのが他ならぬドン・アルフォンゾと分かって、思わずニンマリさせられるという仕掛けである。さらにこの演出では、ラスト・シーンでもフィオルディリージとドラベッラの二人が、くっつく相手の男性を入れ替えながらそのビリヤードの玉のように動いて見せる場面がある。このオペラの構造的な特徴の一つにシンメトリー(=左右対称)効果があることは多くの人によって指摘されてきているが、当フォンク盤では、「序曲の映像」と「終曲の映像」もまた一つのシンメトリーにしようという狙いがあったのかもしれない。
歌手たちが登場すると、彼らが口パク演技をしていることがすぐ分かる。どうやら音楽と映像は別テイクのようだ。さらにこのフォンク盤、歌われる歌詞がドイツ語である。その台本作成と映像演出は、どちらもヨアヒム・ヘルツという人物によってなされているとのこと。このドイツ語上演という点には、ひょっとしたら、ちょっと抵抗を感じる人が出て来るかもしれない。
しかし、音声だけのCDと違って、やはり映像がもたらす情報は非常に大きなものだなあと、つくづく実感する。私の場合、この1種類の映像盤しか知らないのであまり大したことは言えないのだが、ここでは例えば、浮気を勧めるデスピーナのアリアに乗ってドラベッラが踊り出してしまう姿を見ることが出来る。それを姉のフィオルディリージが諌(いさ)めるようにして止めに入るという展開に、思わずニヤリ。あるいは、そのフィオルディリージが、「岩のように動かない私の心」と力強いアリアを歌い出す時、ドラベッラの方は早くもグリエルモが変装した男に興味を示した様子で、彼の方に向けて意味ありげな視線を送り始めるのだ。このあたりはまさに、映像あってこそのお楽しみシーンと言えるものだろう。
二人の青年を巡っても、やはり映像付きだからこそ楽しめる部分がある。例えば、フェランドの軍服を着たフィオルディリージがついに口説き落とされて陥落するシーンだが、このように映像があると、舞台脇で目を吊り上げながらその様子を見ているグリエルモの姿を同時に楽しめるわけである。音声だけのCDでは、こうはいかない。そして、最後の場面がまた、なかなかに興味深い。芝居のからくりが姉妹に打ち明けられた後、二人の青年はどちらも不機嫌で浮かない顔をしている。で、そのあたりの気持ちがこちらにもよく分かるのだ。要するに、彼らは知ってしまったのである。「自分は彼女にとって、絶対的な恋人ではなかった。いつでも、それもたった一日で、他の男と簡単に交換されてしまう部品に過ぎなかった」。結局傷ついたのは、騙しの芝居を行なった青年達の方だったようである。その不幸な男たちの機嫌をとりなすように、騙された側の姉妹が笑顔でいちゃつく。ヘルツ演出によると、どうやら女性の方がショックから早く立ち直れる強さを持っているようである。
この演出は、エキストラの扱いも面白い。具体的には、二人の青年が急に戦場に行くことになったと嘘を言って、恋人である姉妹としばしの別れを演じる場面だ。悲しむ姉妹の様子を見ながらドン・アルフォンゾが、「おかしくて、腹の皮がよじれるわい」とほくそ笑むカットがあるわけだが、彼が白いハンカチを振り下ろす合図に合わせて登場してくるエキストラ(軍隊の人たちやら、近所の人たちやら)は、ドン・アルフォンゾと一緒になってケタケタ、クスクスと笑うのである。合唱団が演じるこのエキストラについては、単なる背景音楽としてステージには登場させないという演出もあるようなのだが、ここでの彼らはどうやら、ドン・アルフォンゾに雇われた悪の一味(?)のようだ。
さて、ハンス・フォンクの指揮だが、これは特に際立った個性を見せるものではない。中堅どころの指揮者が全体をよくまとめて、手堅く仕上げているといった印象である。しかしこれ、決して悪くはない。録音状態もそれほど冴え冴えとしたものではないが、歌手たちの声が心地よい空間性を感じさせながら美しく響く。これも、及第点と言ってよいだろう。―という訳でこのフォンク盤、最後まで視聴し終えてみると、「うーん、良かった!これは楽しませてもらったぞー」と、しっかりした満足感が得られる良質な映像ソフトである。なかなかの逸品だ。
―ところで、このオペラの中でただ一人明らかな勝利を収めるドン・アルフォンゾなる人物はいったい、何者なのだろうか。次回は、歌劇<コジ・ファン・トゥッテ>の聴き比べ・最終回。ドン・アルフォンゾの正体は、実はあの超有名キャラクターなのではないか、と思わせてくれるライヴの名演を一つ採り上げてみたい。
5.ハンス・フォンク指揮ドレスデン国立歌劇場管、他(ドリームライフ社)~1983年
<コジ・ファン・トゥッテ>という人気オペラには、現在数種の映像盤が存在する。その中にはかなり前衛的、あるいは刺激的な演出が施されたものもあるようだ。私が視聴したのはこのフォンク盤だけなので、演出や映像についての比較論議までは残念ながら出来ない。が、とりあえず当ドレスデン収録盤について言えば、入門者にも分かりやすい非常に良質な物であると言ってよいと思う。
出演者名を並べてみると、フィオルディリージがアーナ・プーサル、ドラベッラがエリーザベト・ヴィルケ、フェランドがアルミーン・ウーデ、グリエルモがアンドレアス・シャイプナー、ドン・アルフォンゾがヴェルナー・ハーゼロイ、そしてデスピーナがコルネリア・ヴォスニッツァ、といった面々である。さて、正直に言わねばならないが、私はこの人たちを誰一人知らない。全く、知らない。しかし、映像付きで収録しようと企画されたものだけに、これが当時のドレスデンでのベスト・メンバーであっただろうことは容易に想像がつく。実際、彼らの演技や歌唱は皆それぞれ水準に達した出来栄えを示すものになっている。
まず3人の男性陣の中で最も充実しているのは、ドン・アルフォンゾ役のハーゼロイである。映像で見る限り、この人の風貌にはまだ老哲学者とは呼びにくい若さが残っているものの、声はたっぷりとした魅力的なバス(・バリトン)であり、歌唱も非常に優れたものである。ドン・アルフォンゾこそがこのドラマの要(かなめ)であるということをよく分からせてくれる、存在感溢れる名演だ。それに比べると、フェランドとグリエルモの青年二人はやや落ちる。しかしその二人も、アルバニア人男性に変装して騙しのお芝居を始めるあたりから、グングンと調子を上げてくる。
女性陣も揃って水準以上だが、中でもとりわけ見事なのが、デスピーナ役のヴォスニッツァ嬢である。クリッとした大きな目が印象的な、スタイルの良い女性歌手だ。表情豊かな演技に加えて、さりげない動きに見せるバレリーナ然としたしなやかな物腰がまた魅力的。インチキ医者やニセ公証人に化ける時のコスプレなど、やっている本人がもうノリノリという楽しさがこちらにもはっきり伝わってくる。さらに有り難いことに、この人は歌もしっかりしている。フォンク映像盤での一番の収穫は、このデスピーナだと言ってもよいぐらいである。
一方、美人姉妹を演じる二人もなかなかに魅力的で、特に二人が声を揃えるアンサンブルでは見事な出来栄えを見せる。しかもこのお二人、顔も何だかよく似ていて、まるで本当の姉妹みたいなのである。役柄の年齢的な部分にこだわると、彼女たちの風貌はどうにも年かさに見えてしまうのだが、まあそのあたりは仕方ないだろう。実際それを言ったら、他の録音の名歌手たちだって似たり寄ったりの状況なのだから。
せっかくなので、ここでの映像・演出についても少し触れておきたい。序曲を演奏している最中に、ビリヤードのテーブルが映し出される。そこには、白い玉と赤い玉が二つずつ。それがあちこちからキューで小突かれて、しきりにペアを入れ替えるのだ。これは、このオペラで何が演じられるのかを分かりやすく象徴している。そしてドラマが始まると、そのキューを突いていたのが他ならぬドン・アルフォンゾと分かって、思わずニンマリさせられるという仕掛けである。さらにこの演出では、ラスト・シーンでもフィオルディリージとドラベッラの二人が、くっつく相手の男性を入れ替えながらそのビリヤードの玉のように動いて見せる場面がある。このオペラの構造的な特徴の一つにシンメトリー(=左右対称)効果があることは多くの人によって指摘されてきているが、当フォンク盤では、「序曲の映像」と「終曲の映像」もまた一つのシンメトリーにしようという狙いがあったのかもしれない。
歌手たちが登場すると、彼らが口パク演技をしていることがすぐ分かる。どうやら音楽と映像は別テイクのようだ。さらにこのフォンク盤、歌われる歌詞がドイツ語である。その台本作成と映像演出は、どちらもヨアヒム・ヘルツという人物によってなされているとのこと。このドイツ語上演という点には、ひょっとしたら、ちょっと抵抗を感じる人が出て来るかもしれない。
しかし、音声だけのCDと違って、やはり映像がもたらす情報は非常に大きなものだなあと、つくづく実感する。私の場合、この1種類の映像盤しか知らないのであまり大したことは言えないのだが、ここでは例えば、浮気を勧めるデスピーナのアリアに乗ってドラベッラが踊り出してしまう姿を見ることが出来る。それを姉のフィオルディリージが諌(いさ)めるようにして止めに入るという展開に、思わずニヤリ。あるいは、そのフィオルディリージが、「岩のように動かない私の心」と力強いアリアを歌い出す時、ドラベッラの方は早くもグリエルモが変装した男に興味を示した様子で、彼の方に向けて意味ありげな視線を送り始めるのだ。このあたりはまさに、映像あってこそのお楽しみシーンと言えるものだろう。
二人の青年を巡っても、やはり映像付きだからこそ楽しめる部分がある。例えば、フェランドの軍服を着たフィオルディリージがついに口説き落とされて陥落するシーンだが、このように映像があると、舞台脇で目を吊り上げながらその様子を見ているグリエルモの姿を同時に楽しめるわけである。音声だけのCDでは、こうはいかない。そして、最後の場面がまた、なかなかに興味深い。芝居のからくりが姉妹に打ち明けられた後、二人の青年はどちらも不機嫌で浮かない顔をしている。で、そのあたりの気持ちがこちらにもよく分かるのだ。要するに、彼らは知ってしまったのである。「自分は彼女にとって、絶対的な恋人ではなかった。いつでも、それもたった一日で、他の男と簡単に交換されてしまう部品に過ぎなかった」。結局傷ついたのは、騙しの芝居を行なった青年達の方だったようである。その不幸な男たちの機嫌をとりなすように、騙された側の姉妹が笑顔でいちゃつく。ヘルツ演出によると、どうやら女性の方がショックから早く立ち直れる強さを持っているようである。
この演出は、エキストラの扱いも面白い。具体的には、二人の青年が急に戦場に行くことになったと嘘を言って、恋人である姉妹としばしの別れを演じる場面だ。悲しむ姉妹の様子を見ながらドン・アルフォンゾが、「おかしくて、腹の皮がよじれるわい」とほくそ笑むカットがあるわけだが、彼が白いハンカチを振り下ろす合図に合わせて登場してくるエキストラ(軍隊の人たちやら、近所の人たちやら)は、ドン・アルフォンゾと一緒になってケタケタ、クスクスと笑うのである。合唱団が演じるこのエキストラについては、単なる背景音楽としてステージには登場させないという演出もあるようなのだが、ここでの彼らはどうやら、ドン・アルフォンゾに雇われた悪の一味(?)のようだ。
さて、ハンス・フォンクの指揮だが、これは特に際立った個性を見せるものではない。中堅どころの指揮者が全体をよくまとめて、手堅く仕上げているといった印象である。しかしこれ、決して悪くはない。録音状態もそれほど冴え冴えとしたものではないが、歌手たちの声が心地よい空間性を感じさせながら美しく響く。これも、及第点と言ってよいだろう。―という訳でこのフォンク盤、最後まで視聴し終えてみると、「うーん、良かった!これは楽しませてもらったぞー」と、しっかりした満足感が得られる良質な映像ソフトである。なかなかの逸品だ。
―ところで、このオペラの中でただ一人明らかな勝利を収めるドン・アルフォンゾなる人物はいったい、何者なのだろうか。次回は、歌劇<コジ・ファン・トゥッテ>の聴き比べ・最終回。ドン・アルフォンゾの正体は、実はあの超有名キャラクターなのではないか、と思わせてくれるライヴの名演を一つ採り上げてみたい。