クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

歌劇<バーンク・バーン>(1)

2008年08月26日 | 作品を語る
今回のトピックは、歌劇<バーンク・バーン>(1861年)。フェレンツ・エルケル充実期の力作である。これは前回まで語った<フニャディ・ラースロー>と同じく、実際のハンガリー史にその名を残す人物の物語だ。まず、タイトルの意味について先に触れておくと、前半の“バーンク(Bank)”は主人公の名前ということで問題ないのだが、後半の“バーン(Ban)”がちょっと難しい。これは人の名前ではなく、一種の称号みたいな物らしい。英語ではviceroy、場合によってはlord of the countyなどといったあまり日常的でない語句が相当するもののようで、「領主」「総督」、あるいは「辺境伯」といった訳語が候補になってくるようだ。このあたりの政治用語の定義は苦手なので、当ブログではとりあえず、“領主のバーンク”といった程度に訳しておこうかと思う。参照演奏は、タマーシュ・パール指揮ハンガリー・ミレニアム管弦楽団、他による2001年のワーナー盤である。

―歌劇<バーンク・バーン>のあらすじと音楽

〔 第1幕・第1場 〕・・・ヴィスグラードにある王宮の大広間

領主のバーンク(T)には、メリンダ(S)という名の美しい妻がいる。そのメリンダに横恋慕しているのが、王妃ゲルトゥルド(Ms)の弟であるオットー(T)。このオットーが、「メリンダをうまく手に入れられそうだ」と騎士のビベラッハ(Bar)に語るところから、オペラは始まる。騎士は、「バーンクには力があるから、気をつけろよ」とオットーに忠告する。

(※悲劇的で荘重な前奏曲が、冒頭に流れる。作曲家若書きの<フニャディ・ラースロー>は“ハンガリー風味のドニゼッティ・オペラ”みたいな雰囲気を持っていたが、こちらの<バーンク・バーン>は、それよりもずっと充実した筆致で書かれている。前奏曲の後オットーが歌いだす場面への導入など、まるでヴェルディ・オペラみたいである。)

続いて、ビハール区の領主を務めるペトゥール(Bar)が、ハンガリーの貴族たちと一緒に登場。彼らは、王妃ゲルトゥルドを追放するための計画を練っている。と言うのも、王妃は夫である国王エンドゥレ2世(B)の留守中に専横な振る舞いをし、ハンガリーの人々を苦しめているからである。王妃たちの一行が通り過ぎた後、ペトゥールはバーンクに計画への協力を願い出る。しかしバーンクは、「そのような陰謀には賛成できん」と答える。「気が変わったら、今夜の集まりに来てくれ。その時の合言葉は、メリンダだ」と言葉を続けるペトゥールに、「何で俺の妻の名を使うのだ」とバーンクは訝(いぶか)って尋ねる。すかさずビベラッハが、「王妃の弟が、そなたの妻の操を奪おうとしているのだ」と、バーンクに話す。それを聞いたバーンクは激しい怒りに燃え、計画への協力を約束する。そして彼がその場を立ち去った後、ペトゥールらは、「バーンク・バーンを、我らのリーダーにしよう」と打ち合わせる。

再び王妃が従者を引き連れて広間に現れ、踊り手たちが華やかな『チャルダーシュ』を踊り始める。それからもオットーはしきりにメリンダを口説くが、彼女は必死にそれを拒む。しかし、王妃がオットーの味方についてしまうので、メリンダはいよいよ追い詰められる。

(※第1幕第1場で見られる音楽的な聴きどころは、主に3つ。まず、ペトゥール・バーンと貴族たちが豪快に歌う『酒の歌』。オーケストラの伴奏が、やはりヴェルディを髣髴とさせる。続いて、やっぱりそれが出ますよね、という感じの『チャルダーシュ』。このハンガリー舞曲は、前回の<フニャディ・ラースロー>にも結婚式の彩りとして出てきたが、こちらでは途中から合唱も加わって、音楽がさらに盛り上がる。最後は、第1場全体を締めくくる多声のアンサンブル。これはメリンダ、オットー、王妃、ビベラッハ、ペトゥール、そして貴族たちの男声合唱と侍女たちの女声合唱が絡み合い、それぞれの気持ちを歌いだす大掛かりな重唱である。作曲家エルケル渾身の筆さばき、といったところか。)

〔 第1幕・第2場 〕・・・礼拝堂の正面にある王宮の中庭

逃げるメリンダを追いかけて、オットーが執拗に迫る。この光景を目にしたビベラッハが、バーンクの元へと走る。オットーはしつこくメリンダを抱こうとするが、彼女は必死にいやな男を振り払って逃げる。やがてその場へ駆けつけたバーンクは、メリンダの後を追いかけるオットーの姿を確認し、「あいつめ、今に見ていろ」と復讐を誓う。バーンクがそこを去った後、オットーが戻り、「ちぇっ、失敗しちまったぜ」とビベラッハにこぼす。腹に一物ある騎士は、「これを使うといい」と言って、オットーに媚薬を渡して去らせる。そして一人になると彼は、「行け、このバカめ。おのれの首に、せいぜい気をつけるがいい」と、侮蔑の言葉を吐く。

(※第1幕第2場では、メリンダに言い寄るオットーのアリアがまずちょっとした一曲になってはいるが、音楽的にはむしろ、「あなたを軽蔑します」と柳眉を逆立てるメリンダとのやり取りの方が面白い。この場面、思いっきりイタ・オペ風なのだ。続いて、ビベラッハに導かれてバーンクが登場すると、重々しい金管のテーマが流れる。これは、主人公を示す一種のライトモチーフのように思える。そして、バーンクのアリア。「メリンダ、この世ならぬ美しい名よ」と始まる妻への賛歌は、途中から表情が一変し、彼女に迫る卑劣な男に対する怒りの歌へと変わっていく。ここは主役を演じるテノール歌手にとって、後に出てくる第2幕冒頭のアリアと並ぶ一番の聴かせどころであろう。)

〔 第1幕・第3場 〕・・・王宮内、玉座のある部屋

王妃が祝宴を催す。そこには、王妃やオットーに対して恨みを持つ者たちも来ている。メリンダは、「王宮にお招きいただいたことには、感謝しております。けれど、私はバーンクの妻です」と、夫の領地へ帰りたい気持ちでいることを語る。しかし、王妃はそんなメリンダの申し出を拒否する。続いてメリンダ、王妃、オットー、そしてペトゥールが、それぞれの胸中を歌いだすアンサンブル。

(※ここも上記の第1場と同じように、最後を締めくくる大規模なアンサンブルが聴きどころになっている。特に面白く感じられるのは、曲の後半にさしかかるところで、合唱の歌声がヴェルディの<ナブッコ>みたいにうねってくる部分だ。澎湃(ほうはい)と湧き上がる波のように、とでも表現できようか。こういう感じ、私は結構好きである。そして、アンサンブルの最後を締めくくるのは、いわゆるカバレッタ風の音楽。このリズム感、もうイタ・オペそのもの。w )

〔 第2幕・第1場 〕・・・王宮の礼拝堂

「祖国を救うことが、自分に残された使命だ」とアリアを歌って心情を吐露するバーンクのところに、一人の老いた農夫がやって来る。彼は領主であるバーンクに、民の窮状を訴えに来たのであった。バーンクは妻のことで頭がいっぱいだったため、はるばるやって来た老人に対して邪険な対応をする。しかし、「ずっと昔のことです。ザラで戦闘があった時、ヴェネツィアの刺客が幼いあなたとお父上を狙ってきましたが・・」と彼が話し始めると、バーンクははっきりと思い出す。この農夫こそ、かつて戦場で自分を救ってくれた命の恩人ティボルツ(Bar)であると。バーンクは、民衆のために力になろうと彼に約束する。

そこへ、ビベラッハが恐ろしい知らせを持ってやって来る。「オットーがついに、メリンダの寝込みを襲って犯してしまったぞ」。激しいショックに立ちすくむバーンク。やがてメリンダが打ちしおれた様子でそこへ現れ、自分の心の貞淑と穢されてしまった体のことを夫に告白する。傷心のバーンクはティボルツに、「妻を城まで送り届けてやってくれ」と依頼。その言葉を受けてティボルツは、メリンダと幼い子供を連れて城ヘと向かう。

(※「バーンクお願い、私を殺して」と始まるメリンダの歌は哀切を極めるものだが、ここではヴィオラ・ダモーレのソロと民族楽器ツィンバロンが伴奏を務め、いかにもハンガリー的な情緒を醸し出す。妻の痛々しい姿を見たバーンクが、「白いユリはどこへ」と歌いだし、それはやがて妻メリンダとの二重唱に発展する。まことに悲しくも、壮麗なデュエットである。そしてティボルツに連れられてメリンダと幼い息子が去った後、上記2種の独奏楽器による長い楽曲が流れる。これは、後のシーンに移る前の間奏曲みたいなものと考えてよいだろう。しかしまあ、しみじみと悲しい曲である。)

―この続き、怒れるバーンクの復讐からオペラの幕切れまでの展開については、次回・・・。
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歌劇<フニャディ・ラースロー>(2)

2008年08月16日 | 作品を語る
前回からの続きで、エルケルの歌劇<フニャディ・ラースロー>の後半部分の展開。

〔 第3幕 〕・・・ブダ城内にある王の部屋

国王ラースロー5世が王の孤独感と苦悩を吐露し、マリアに対する熱い思いを歌う。総督ガラがそこへ来て、王に進言する。「反逆者フニャディ・ラースローの処刑を命じていただければ、我が娘マリアはあなたのものです。私はあの反逆者から直接、暗殺計画のことを聞きました。奴は結婚式にあなたを呼び、そこであなたを殺害しようとたくらんでいるのです」。若く未熟な王はあっさりと、その言葉を信じてしまう。「伯父のツィレイを殺されたときにも、余はフニャディ一族に慈悲をかけてやった。それが今度は、余の命を狙うというのか。許せぬ!ガラよ、フニャディ・ラースローの処分はお前に任せる」。王の部屋を出た後、ガラは一人ほくそ笑む。「ふん、恋にうつけた男ほど、だましやすいものはないわ。これでマジャールの国土は、我らガラ一族のものだ」。

場面は変わって、城の庭。ラースローとマリアの愛の二重唱に続き、舞台は結婚式の場へ。来客たちが新郎新婦をたたえ、チャルダーシュの踊り手が幸せな二人を祝って踊る。しかし、突然武装した男たちが式場に乱入し、ガラの命令でラースローを謀反人として逮捕する。愕然と立ちつくすマリア。

(※以前、モニューシュコの歌劇<ハルカ>を語ったときにも触れたが、国民歌劇によく見られる“お約束”の一つである民族舞曲が、ここにも登場する。ハンガリーの踊り『チャルダーシュ』である。今回は映像版を鑑賞しているので、目で見る楽しみが大きい。何組かの男女ペアが並んで華やかなダンスを披露してくれるのだが、特に男性の足捌きに独特な味わいを感じる。ハンガリーっぽさ、とでも言うのだろうか。そう言えば、チャイコフスキーのバレエ<白鳥の湖>に出てくる『ハンガリーの踊り』も、だいたいこのような振り付けでやっているような気がする。)

(※しかし、それにしても、「幸せな結婚式の最中に、いきなり無実の罪で逮捕されて投獄される」というこの主人公の不幸を、いったいどんな言葉で表現したらよいのだろう。捜査も検証も一切なければ、この後裁判も行なわれないのである。まさに、“中世的野蛮”という言葉を絵に描いたような状況だ。そしてオペラはここから先、非常にスピーディーに場面が進んでいく。悲劇の幕切れに向けて、一直線である。)

ブダ城の牢獄。ラースローは自分がひどい罠にはめられたこと、そして未来の希望を失ったことを嘆く。そこへ警備兵をうまく買収したマリアがやってきて、彼を安全な場所へ解放するために仲間たちが外で待っていることを伝える。ラースローは喜ぶが、部下を引き連れたガラがそこへ現れ、二人の希望を打ち砕く。マリアは外へ引き立てられていき、ラースローは処刑場へと連れ出される。

聖ジェルジの広場に、断頭台が設置された。厳粛な葬送行進曲が流れる。エルゼベトは激しい悲しみに打ちひしがれ、息子のために祈りながら、彼を捕えた者たちをののしる。処刑台に立たされたラースローは身の潔白を訴えるが、死刑執行の時がやってくる。

首切り役人が3回、ラースローの頭上から斧を打ち下ろす。しかしなぜか、いずれも失敗に終わる。ラースローは立ち上がり、「不正を認めない神が、執行人の力を奪ったのだ」と叫ぶ。続いてエルゼベトと群集が、「お慈悲を!ラースローに解放を」とガラ総督に訴える。しかし、ガラはそんな声をまったく聞き入れず、「もう一度やれ」と執行人に命じる。そしてラースローはついに、斬首されて果てるのだった。

(※以上で、歌劇<フニャディ・ラースロー>のストーリーは終了。ところで、音楽面でのお話で、実は一箇所気になっていることがある。最後の第3幕にはマリアが歌うカバレッタというのがあるはずなのだが、この映像ソフトにはそれが出てこないのだ。映画版としての収録時間の制限があったのか、それとも使用楽譜の違いによるカットなのかは不明だが、ちょっと残念な気がする。フルート・ソロを従えたその興味深い一曲には、ドニゼッティの<ルチア>に出てきそうなソプラノの技巧的パッセージが使われていて、作曲家エルケルの拠りどころが何であったかがよく分かるのだが・・。)

―という訳で、エルケルのオペラは主人公フニャディ・ラースローの悲惨な死によって幕を閉じるが、この政争劇にはまだ続きがある。それはおおよそ、次のような展開だ。

{ 傷心の母エルゼベトと彼女の兄(あるいは弟)のミハーリが、国王ラースロー5世に対して怒りの蜂起を起こす。王はラースローの弟マティアスを人質にとってプラハへ逃げるが、結局その地で客死する。18歳にも満たない夭逝であった。ガラ総督と彼の部下たちは、自分たちの影響力を維持しようと政治的な妥協を行い、フニャディ・マティアスを国王とすることに同意する。時は1458年。マティアス・コルウィヌスというラテン語名で知られることになる新しい国王は、その後1490年にこの世を去るまで、大いなる権威をもって国を治めた。彼は政治面での賢さに加えて、深い教養と芸術への愛情を備え、ハンガリーのルネサンス王として歴史に名を残すこととなったのである。 } (※ネット上の英文サイトで見つけた文章をもとに、ブログ主が訳出。)

フニャディ家の長男ラースローは非業の死を遂げたが、彼の弟であるマティアスがしっかりと、その後を補ってくれたようである。無慈悲な幕切れに愕然としたオペラ鑑賞者にとっては、この後日談が少しばかり気持ちの救いになると言えるかもしれない。なお、日本語版・ウィキペディアによると、マティアスという名はハンガリー語ではマーチャーシュのように発音され、コルウィヌスはフニャディ家の紋章である鳥のカラスに由来する呼び名だそうである。興味の向きは、そちらのサイトで「マーチャーシュ・コルヴィヌス」の項を御覧いただけたらと思う。

―次回も、フェレンツ・エルケル(※ハンガリーの語順なら、エルケル・フェレンツ)のオペラ。作曲家円熟期の力作を、一つ。
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歌劇<フニャディ・ラースロー>(1)

2008年08月06日 | 作品を語る
当ブログでは先頃、ゾルタン・コダーイの代表作<ハーリ・ヤーノシュ>を語ったが、これはオペラというよりはむしろ、音楽付きのお芝居といった感じの作品であった。では、ハンガリーの国民歌劇といったら何を挙げたらよいのだろうか。そういう話になればやはり、フェレンツ・エルケル(1810~1893年)の作品から、いくつかが選ばれることになるだろう。今回はまず、このエルケルが比較的若い頃に書いた歌劇<フニャディ・ラースロー>(1844年)【※注1】を採りあげてみることにしたい。参照音源は、アダム・メドヴェツキ指揮ハンガリー国立歌劇管弦楽団、他による1977年の映像ソフトである。なお、ブログ主はハンガリー語の読み方を知らないため、人名・地名などのカタカナ表記についてはどこかで間違いをしでかす可能性が高い。そのあたりはひらに、御海容を賜りたいと思う。

【※注1】このオペラのタイトルは、「ラースロー・フニャディ」という逆の順番で書かれることもある。具体的なストーリーに入る前に、この点についての注釈を先に入れておきたい。ハンガリーで人のフルネームを書く順番は、実は日本語と同じなのだそうである。つまり、「名字が先で、本人の名前が後」ということだ。たとえば、作曲家ゾルタン・コダーイはコダーイ・ゾルタン、指揮者のイシュトヴァン・ケルテスならケルテス・イシュトヴァンといった風に、故国ハンガリーでは呼ばれるらしいのである。今回のオペラの主人公は「フニャディ家のラースローさん」なので、幅広く使われている西欧風の表記なら“ラースロー・フニャディ”になるけれども、ご当地ハンガリーの流儀で書くなら“フニャディ・ラースロー”が正しいということになるわけだ。以下、登場人物の名前は、ハンガリー風の語順に統一していくことにしたい。

―歌劇<フニャディ・ラースロー>の前置き

1456年に病死したフニャディ家のヤーノシュは、傑出した人物だった。彼は生前、ハンガリーの総司令官として王国の統一、治安の確立、そして国の防衛といった各方面にわたって優れた能力を発揮した。ヤーノシュは若き国王ラースロー5世の後ろ盾となって力を尽くしたが、彼の死後、国王の取り巻き連中がフニャディ一族を権力の座から追放してやろうと、画策し始める。彼らはフニャディ家の若い世代から権力や財産をもぎ取ろうと、動き出すのである。そして、その直接的な標的となったのが、英雄ヤーノシュの長男であるフニャディ・ラースローであった。

―歌劇<フニャディ・ラースロー>のあらすじ

〔 第1幕 〕・・・ナンドルフェヘルヴァル(現ベオグラード)にあるフニャディ家の砦

フニャディ家の支持者たちが、彼らの若きリーダーであるラースロー(T)の帰りを待っている。「ラースローは、国王(T)や摂政ツィレイ・ウルリク(Bar)のことを、あまりにも無防備に信用し過ぎているのではないか」と、皆心配している。やがて国民会議から帰ってきたラースローは、そんな人々の疑念をなだめようと努力する。そこへ、国王ラースロー5世が家来たちを従えてやってくる。その中には摂政ツィレイ・ウルリクもいる。人々が懸念しているとおり、彼はフニャディ・ラースローを亡き者にし、城を乗っ取ってやろうと密かに企んでいるのだった。下心のない実直なラースローが国王への信頼と忠誠心を歌い、人々がそれに唱和する。

(※短い序曲と、それに続く男声合唱。ここで早速、作曲家エルケルがどんな書法を拠りどころにしているかが見えてくる。イタリア・オペラである。岡田暁生氏の著作『オペラの運命』に述べられているとおり、国民歌劇というのは一般に、「イタリアやフランスなど、西欧のオペラ書法を基本として書かれ、そこに民族楽器や独自の音階などをスパイスのように効かせたもの」であって、エルケル作品もその例外ではないということなのだ。ちなみに、<フニャディ・ラースロー>について言えば、ドニゼッティが具体的なお手本になっていると考えてよいだろう。)

場面変わって、国王の部屋。国王ラースロー5世に、摂政ツィレイがささやく。「フニャディ一派は、王の座を虎視眈々と狙っている。警戒した方がいい」。

(※主人公のフニャディ・ラースローが力強いリリコ・スピントであるのに対し、国王は同じテノールでも、どこかヘニャッとした感じのレッジェーロな声。この対比がいかにもという感じで、面白い。「余は一体、どうしたらよいのじゃ」とツィレイにすがるあたり、未熟で不安いっぱいな王の雰囲気がよく出ている。なお、この国王ラースロー5世というのは、年齢がわずか10代半ばの若造であるということを、ご承知おきいただきたい。)

フニャディ・ラースローが、婚約者マリア(S)への思いをアリアで歌う。そこへ彼の仲間たちが駆けつけ、摂政ツィレイ・ウルリクの策謀についての情報を与える。やがてツィレイが一人でやってきて、ラースローを罠に陥れるための話を持ちかけるが、ラースローは「その手は食わんぞ。お前の企みはもう分かっている」と応じ、ツィレイが振り上げた剣を見事に打ち払う。そして仲間たちが一斉にツィレイの身体に剣の雨を降らせ、悪漢の息の根を止める。

続いてその場に姿を現した国王は、自分の伯父でありアドヴァイザーでもあったツィレイの亡骸を目にして、激しく動揺する。しかし、「この男こそ、謀反人なのです」という人々の訴えを聞き、王は事を荒立てないことを約束する。

(※この場面では、主人公ラースローの仲間たちによる勇壮な男声合唱を聴くことができるが、音楽的な雰囲気としてはやはりドニゼッティ風だ。しかし、登場した時に異様な存在感を見せてくれた悪役ツィレイが、こんな早くにやっつけられて退場してしまうのは、ちょっと寂しい。w )

〔 第2幕 〕・・・テメシュヴァル(現ティミショアラ)にあるフニャディ家の城

フニャディ・ラースローの婚約者であるマリアが、愛する人を思ってアリアを歌う。続いて、輪になって縫い物をする侍女たちの楽しげな合唱。その一方で、フニャディ・ヤーノシュの未亡人シラジー・エルゼベト(S)は、深い悲しみに沈んでいる。彼女は、息子のラースローが処刑されるという恐ろしい夢を見てしまったのだ。国王が到着して悲嘆にくれる彼女をなだめるが、王はそこにいるマリアの姿を目にするや、たちまち一目惚れしてしまう。マリアの父親である総督ガラ(Bar)は、そんな王の様子をすばやく察知し、ニヤリと笑う。そして、「娘をうまくだしに使えば、国王を意のままに動かせる」と、彼は権力獲得へ向けて思案を巡らし始める。

(※摂政ツィレイ・ウルリクはあっさりやられたが、次に登場する悪役・ガラ総督は恐ろしい。具体的な行動はドラマの後半部で明らかになるが、権力獲得のためなら自分の娘がどんな不幸な思いをしようと一向に構わない、そういう男である。今回参照している映像ソフトの演奏は全体に可もなく不可もなくといったレベルのものだが、このガラ役を歌っているバリトン歌手はなかなか良い。映像で口パク演技をしている俳優さんがまた、いかにも悪そうだなあ、という感じの面構え。こういう分かりやすさは、大歓迎だ。)

エルゼベトと二人の息子(ラースローと、弟のマティアス)は再会を喜び、未来への希望に胸を弾ませる。しかし、総督ガラがラースローとマティアスの二人を国王の下へ呼び寄せると、エルゼベトは再び不吉な予感をおぼえる。その後二人が無事に戻って来て、「王様から、慈悲の言葉をもらった」と伝えると、彼女はようやくほっとする。

(※このオペラの登場人物に関して一つ興味深く感じられるのは、ラースローの母エルゼベトに与えられた音楽的性格である。オペラでは普通、歳のいった女性にはメゾ・ソプラノかアルトの声が付けられ、歌も落ち着いたタイプのものが多いのだが、エルゼベトの声は純然たるソプラノであり、その上至難なコロラトゥーラの技巧までが要求されるのだ。そのあたりについての作曲者の意図が何であったかは詳らかでないが、次回の補足話に書くとおり、この嘆きの母はフニャディ家が巻き込まれた政争劇に、後日大きな役割を果たすことになるのである。なお、主人公ラースローの弟であるマティアスも、映像で演じる俳優さんは若い男の子だが、声はソプラノ歌手の担当になっている。)

王の招きによって、ラースローとマリアの結婚式がブダで行なわれることとなった。礼拝堂で、王が宣言を行なう。「エルゼベトは我が母となり、彼女の息子たちは我が兄弟となろう」。人々の大きな歓声が上がる。王は内心穏やかではないのだが、自分の伯父であるツィレイ・ウルリクの殺害については今後フニャディ一族の責を問わないと誓う。

―この続き、何とも無慈悲なドラマが展開するオペラの後半部分については、次回・・。
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