クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

FM番組『バーンスタイン没後20周年特集』

2010年09月30日 | 演奏(家)を語る
秋のお彼岸最後の一日となった9月26日(日)、お昼の2時からNHKのFM放送を聴いた。かつて私のヒーローであったレナード・バーンスタインの没後20周年を記念する特別番組がオンエアされたからである。幸い、ご先祖様のお墓参りも前日の土曜日に行って済ませていたので、私はさわやかな気持ちでミニコンポの前に向かったのだった(笑)。―ということで今回は、そのFM番組を聴きながらあれこれ思ったことを、気ままに書き綴ってみることにしたい。

最初に紹介されたのは、シューマンの<マンフレッド>序曲。これは1943年11月14日に行なわれたバーンスタインのデビュー・コンサートから録音されたものらしい。「ブルーノ・ワルターの代役として急遽指揮台に立った若者が、いきなり大スターになってしまった」という伝説のライヴだが、今こうして聴いてみると、思わず苦笑してしまうようなひどい演奏である。録音年代に起因する音の悪さを勘案するとしても、この粗雑なアンサンブルと汚い音をどう褒めたらいいものかと、しばし考えあぐねてしまう。とは言っても、アメリカの主要オーケストラはワルターやトスカニーニといったヨーロッパ系の大家が振るのが当然とされていた時代である。アメリカ人の若造が意想外に立派なタクトを執ったということで、当時はこれで十分にセンセーショナルだったのだ。

2曲目はガーシュウィンの名作<ラプソディ・イン・ブルー>で、取り上げられた録音は、バーンスタイン自身がピアノを弾きながらコロンビア交響楽団を指揮した有名なCBSソニー盤(1959年)。これは今なお同曲を代表する名演の一つなので、今さら多くを語る必要もないと思う。ロサンゼルス・フィルとのデジタル録音盤よりも、何と言うか、この古い演奏の方がより若々しくヴィヴィッドな生命感に溢れているようだ。

続いて、自作自演物が3つ。<クラリネット・ソナタ>(1943年録音)、ミュージカル<オン・ザ・タウン>から『ニューヨーク!ニューヨーク!』(1960年録音)、そして交響曲第2番<不安の時代>である。<ソナタ>後半部で聞かれるジャズ風の音楽、『ニューヨーク!ニューヨーク!』の冒頭で聞かれる鋭く生きのいいリズム、このあたりに作曲家バーンスタインの個性がよく出ている。<不安の時代>は、CBSソニー時代の録音(1965年)が使われた。ピアノ独奏はフィリップ・アントルモン。懐かしい名前である。(※昔LPレコードで、この人がソロを弾いたジョリヴェの<ピアノ協奏曲>を持っていた。あの真っ赤なジャケットは大変に印象的だった。)<不安の時代>は、暗い曲想が大きく盛り上がるところなどにショスタコーヴィチを想起させるような部分があって、いかにも20世紀の作品だなあと思わせる。後半部には、ジャズ音楽の楽章が出てくる。この曲はやはり、そこが一番楽しい。ノリのよいリズムもさることながら、いろいろな楽器が絡み合った音の色彩感がとても魅力的だ。

次に流れたのは、モーツァルトの交響曲第36番<リンツ>。バーンスタインがウィーン・フィルと初めて共演した当時の貴重な録音の一つである。1966年のデッカ盤だ。これはいかにも、「若いバーンスタインがウィーン・フィルを振った演奏」のイメージそのもので、今なお魅力を失わない名演である。「栄光のロンドンサウンド」シリーズでかつて発売されたCDを、私はまだ手放さずに持っている。宇野功芳せんせーは組み合わせの<ピアノ協奏曲第15番>をさらに絶賛しておられるのだが、私がこのCDを取り出して聴くときはたいてい<リンツ>の方だ。特に、最後の第4楽章。同オケとのグラモフォン・デジタル再録音盤では聴くことのできないみずみずしい魅力が、私の心を惹きつけてやまないのである。

続いては、マーラーの<交響曲第3番>より第6楽章。ニューヨーク・フィルとの1987年グラモフォン盤。お手洗いに行くなどして、ここでしばらく席を外す。これ、別に聴かなくてもいいから。w デジタル録音によるバーンスタインのマーラー再録音はかつて全CDを所有していたが、巨匠の死後しばらくクラシック音楽から距離を置いていた時期に、第2番<復活>を除いてすべて売り払ってしまった。今も、買い直しはしていない。その<復活>以外で現在持っているレギュラーCDは、ソニー盤の<復活>と<第4番>、ベルリン・フィルとの<第9番>、あとは彼がピアノ伴奏を務めたソニー盤の<マーラー歌曲集(2枚組)>だけである。

私が今珍重しているバーンスタインのマーラー録音と言えば、ウィーン・フィルとの1987年9月10日プロムス・ライヴでの<第5番>(Memories盤)と、1987年10月25日にベルリンで行なわれたコンセルトヘボウ管との第1番<巨人>ライヴである。前者<第5番>の雄大なスケールはグラモフォン盤の演奏を遥かに凌ぐもので聴きごたえ満点だが、それよりさらに感銘深いのが、後者<巨人>のベルリン・ライヴだ。これはかつてHallooという謎の廉価盤レーベルから発売されて、すぐに市場から消えてしまったレア音源である。この<巨人>はバーンスタインが遺した数あるマーラー演奏の中でも最上位に置いて良いもので、物凄いテンションを持った圧倒的な名演になっている。まず何と言っても、コンセルトヘボウ管の反応が素晴らしい。グラモフォン盤の演奏などとは、まるで次元が違う。例えば第2楽章で聞かれる低弦の弾みと唸り、各楽器の生々しさ、粘りに粘る濃厚な表情付けなど、どれをとってもグラモフォン盤ののっぺりした音とはインパクトの強さが桁違いなのである。第3、第4楽章に見られる指揮者とオーケストラの一体感などは全く比類のないもので、極めて内容の濃いメッセージが聴き手に迫ってくる。全曲を締めくくる結尾部の凄さに至っては、もはや言葉を失ってしまうほどだ。終演直後の大喝采もCDに少し収録されているが、その熱狂ぶりも十分にうなずけるというものである。

(※参考までに、現在入手困難になってしまっているHalloo盤のCDは2枚組で、組み合わせのもう1枚は同じオケとのシューベルトの<グレート>である。これはおそらく、1987年10月24日のライヴ音源ではないかと推測される。CDジャケットには何のデータも書かれていないので、数年前に2ちゃんねる掲示板のクラシック板にこのCDのことをさりげなく書いてみたら、どなたかが上記のような日付データを回答として書き込んで下さった。この場を借りて、心からの感謝を申し上げます。どうも有り難うございました。)

次なる曲はチャイコフスキーの交響曲第6番<悲愴>で、その日の放送で流れたのはニューヨーク・フィルとの1986年グラモフォン盤であった。演奏時間58分という超絶スロー・テンポで、特に終楽章の遅さといったらもう異常としか言いようのない代物である。しかし、実を言うと、私はこのバーンスタイン盤<悲愴>に結構感謝している部分がある。それはこの演奏が、「マーラーの<交響曲第9番>は、チャイコフスキーの<悲愴>とそっくり同じ設計図で書かれている」ということに気づかせてくれた一品(ひとしな)だからだ。このCDを初めて聴いたのはもう20数年も前になるのだが、死ぬほど遅い(笑)終楽章を聴きながら、「バーンスタインさん、こないだコンセルトヘボウと出したマーラーの<第9>とそっくりなスロー・テンポでつね」と苦笑していた私は、次の瞬間、アッ!と思ったのである。「マーラーの<第9>って、実は終楽章だけじゃなく、全部の楽章がチャイコフスキーの<悲愴>にそっくりなんじゃねえか」と。目からうろこが落ちた。

つまり、こうである。うめくように静謐沈痛な音楽で始まり、途中に大きなクライマックスを築きながら最後はひっそりと閉じる第1楽章。まず、この設計が両者瓜二つ。続く第2楽章は、どちらも舞曲。マーラーの方は洗練されきらないレントラー舞曲で、チャイコフスキーの方はワルツになりきれない変拍子の舞曲だ。次はどうだろう。壮大なブルレスケで荒れ狂うマーラーと奇矯な行進曲で爆発するチャイコフスキー、それぞれの第3楽章。そして最後、弦を主体とした激しい魂の叫びが大きな山を築き、やがて消え入るように終わっていく第4楽章。―このとおり、マーラーの<第9>とチャイコフスキーの<悲愴>は、本当にそっくりなのだ。これが本を読んで得た知識ではなく、自分自身で音楽を聴きながら“発見”したことだったから、その感動は一層大きいものとなった。その一方(ひとかた)ならぬ感動と衝撃ゆえに、晩年の巨匠が遺した<悲愴>の怪演に、私は特別な感慨と感謝の念を抱かずにはいられないのである。

番組のおしまいは、ベートーヴェンの<交響曲第7番>終楽章。これはボストン響とのラスト・コンサート(1990年8月19日)のライヴ録音だ。率直なところ、痛々しい演奏である。多くは語るまい。このコンサート中の写真が何枚か、当時のレコ芸だったかFM雑誌だったかに掲載されているのを昔見たことがあるけれども、バーンスタインの様子は本当につらそうだった。伝えられるところ、曲の終りの方ではもうまともにタクトを執ることができなくなり、指揮台の柵みたいな物に寄りかかって、首を上下に振るような動きだけでオーケストラを鼓舞するといった状況になっていたようだ。変な物言いになるかもしれないが、「最後の演目がベー7で、良かったね」と思う。終楽章のテーマ、あの「パッパラフニフニ、パッパラホエホエ♪」のリズムなど、オケのメンバーと意思疎通ができていれば、それこそ指揮者は首を上下させているだけでも演奏しきれそうだから。w 

最後に、一つ。巨匠の死後、各国の新聞・雑誌に出た訃報や追悼記事の中で、私の心に最も強い印象を残したのは、「バーンスタイン―自らを蕩尽(とうじん)した天才」という文言だった。これはミュンヘンの『南ドイツ新聞』に寄せられたヨアヒム・カイザー氏の追悼文にあった表現とのことで、岩下眞好氏が『レコード芸術』1991年3月号の258ページで紹介しておられたものである。自らを蕩尽した天才・・・これほど的確、且つ簡潔に音楽家バーンスタインの生きざまを言い表した言葉は、ちょっと他に見当たらないような気がする。

―今回は、この辺で。
コメント (2)
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