クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

歌劇<マクロプロス事件>(1)

2008年12月26日 | 作品を語る
皆様、はじめまして。私、弁護士のコレナティー(B、Bar)と申します。ブログ主さんに代わりまして今回私の方からお話しさせていただきます題目は、マクロプロスの事件です。実はこの一件、色々とややこしい経緯があるのですが、かいつまんで事の起こりを申し上げますと、大体次のような感じになろうかと思います。

富豪のヨゼフ・プルス男爵(通称ペピ)が1827年に死去し、その莫大な資産をいとこのエメリヒ・プルスが管理することになりました。遺書も残されておらず、法的な相続人もいなかったからです。しかしこの相続に、グレゴル家が異議を唱えました。「ヨゼフ・プルス男爵は生前、グレゴル家のフェルディナンドにロウコフの領地を譲るという遺言をしていた」というのが主張の根拠です。それに対しプルス側は、「ヨゼフが死の床で口にしたのは、ヘル・マッハ・グレゴルという名前だった。フェルディナンドではない」と返します。

結局、お互いの言い分を裏付ける決定的な証拠が出てこないため、この訴訟は実に100年間も続いてきたのでした。私はグレゴル家から訴訟の代理人を引き受けている立場にあるのですが、どうもこの案件、グレゴル側にとって不利な判決が出そうな流れになっております。しかし、そこにある女性が現れ、事態は思わぬ展開を見せることになるのです。そこから始まるのが、ヤナーチェクの歌劇<マクロプロス事件>【注1】の物語です。

〔 第1幕 〕・・・コレナティーの事務所にある秘書の部屋。

私の秘書ヴィーテク(T)が、プルス家とグレゴル家の間に起こっている訴訟関係の書類を整理しております。やがて依頼人のアルベルト・グレゴル(T)がやってきて、彼とおしゃべりを始めます。アルベルトは財産が手に入るという前提で、すでに大きな借金をしてしまっているようです。そこへ、ヴィーテクの娘であるクリスタ(S、Ms)が入ってきます。彼女はオペラ歌手になる勉強をしている最中で、前の晩に大歌手エミリア・マルティ(S)の歌を聴いて大感激したと、夢中になって語ります。

続いて、私コレナティーの登場です。法廷から帰ってきたところ、というわけですが、たった今クリスタが話していたエミリア・マルティその人も、私と一緒です。と言いますのも、「新聞記事で見たこの一件に興味を持ったので、詳しい話を聞かせてほしい」と、“世界最高の歌手”である彼女が、私に申し入れてきたからです。で、事務所で色々とこの件についてお話ししてみますと、彼女はこの案件についてただならぬ関わり、と言いますか、ちょっと普通でない情報を抱えているらしいことが分かってきます。彼女は、こんな事を言うのです。

「ヨゼフ・プルス男爵が死の床で口にしたマッハ・グレゴルって名前は、スコットランド系の名字マクグレゴルのことよ。当時エリアン・マクグレゴルってオペラ歌手がいてね、彼女はプルス男爵の愛人だったの。フェルディナンドというのは、彼女と男爵の間に出来た子供。つまり、隠し子ね。そのフェルディナンドに宛てた男爵の遺言書ってのが、実はちゃんとあるのよ。どこにかって?プルスさんのお屋敷の、戸棚の引き出し。1816年という年号・日付の付いた引き出しよ。行って見てごらんなさいな」。

私はそんな突拍子もない話を真に受ける気はしなかったのですが、フェルディナンドの子孫であるアルベルト・グレゴルはそれを聞いて大喜びします。これで裁判に勝てると。そして、「あなたが行ってくれないなら、他の弁護士に頼むからいい」などと言い出しますので、私はあわてて腰を上げ、プルス男爵のお屋敷にお邪魔させていただくことにしました。一方、その場に残ったアルベルトは、エミリア・マルティに熱心な愛のアプローチを始めます。彼は美貌の大歌手にいきなり魅了されてしまったようです。しかしエミリアは、そんな若造の口説き文句など歯牙にもかけません。

やがて、現在訴訟に立ち会っている相手方のヤロスラフ・プルス男爵(Bar)と一緒に、私が事務所に戻ってきます。いや、驚きました。エミリア・マルティが言ったとおりのものが、言ったとおりの場所にあったのです!私は彼女にお詫びしました。ヤロスラフ・プルス氏は、「確かに遺言書は見つかったが、ここに書かれているフェルディナンドが、間違いなくフェルディナンド・グレゴルであることを証明できなければ、まだ納得いかないね」と、至極もっともな事を言います。するとエミリアは、「それを証明するものを、用意しますわ」と彼に約束します。ここで、第1幕が終わります。

(※さて、上では今省略してしまったのですが、オペラ歌手のエミリア・マルティがこのややこしい訴訟案件に首を突っ込んできた目的は何だったのか。それについては彼女自身が、上のアルベルトとのやり取りの中ではっきりと口にしております。私はその真意をずっと後になって知ったわけですが、彼女は別に、今回見つかった遺言書がほしかったのではありません。あるいは、それによって得られることになりそうな巨額の財産でもありません。実はその遺言書と一緒にしまってあるはずの、もう一つの文書がほしかったのです。「ギリシャ語で書かれた、ある文書」、すなわちマクロプロスの秘伝の書が・・・。)

―この続き、第2幕から先の展開については次回です。どうぞ、しばらくお待ちください。

【注1】 <マクロプロス事件>というタイトルについて

このオペラの原題である< Vec Makropulos >には、ぴったりくる日本語訳がないようだ。文字通りに直訳すれば、「マクロプロスの事」みたいになるらしいのだが、それでは作品タイトルとして何か物足りない。「マクロプロスの秘密」、「マクロプロスの記録」などといった候補が研究者たちから提案されてきた一方、ドラマの中で vec という語が実際に出てくるのがマクロプロスの秘伝の書を指す場面であることから、「マクロプロス家の秘伝」と訳すのが良いだろうという意見も現在かなり有力なようである。実は当ブログでも、その「マクロプロス家の秘伝」を使おうかと最初は考えた。しかし、ネット上で「マクロプロス 事件」と「マクロプロス 秘伝」をそれぞれ検索してみたら、圧倒的に前者のヒット数の方が勝っていたのである。そんな流れで、結局<マクロプロス事件>というタイトルを今回使用することに決めたのだった。なお、LPレコードの時代に「マクロプロスの場合」という訳語を目にしたこともあったが、これはどうやら淘汰されて消えたようである。
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歌劇<利口な女狐の物語>(2)

2008年12月16日 | 作品を語る
前回の続きで、ヤナーチェクの歌劇<利口な女狐の物語>。今回は第3幕の内容と、3つの全曲盤についてのお話。

〔 第3幕・第1場 〕・・・森のはずれ。秋の日のお昼どき。

鶏の行商人ハラシュタ(B、Bar)が登場し、民謡の恋歌を歌う。そこへ森番のおじさんもやって来て、二人のおしゃべりが始まる。ハラシュタって密猟もやってるから、それを取り締まる森番のおじさんとは顔見知りになってるんだね。で、そのおしゃべりの中身なんだけど、なんでも、ハラシュタは間もなく結婚することになっていて、お相手はテリンカって人らしいんだ。(校長先生の恋、終わっちゃった・・・。)

その後森番のおじさん、狐の足跡を見つけたもんだから、罠をしかけて去っていく。続いてそこへ、たくさんの子狐を連れたおねえちゃん夫婦がやってくる。(おねえちゃんもそれなりに、年を取ったみたいだね。)で、みんな揃って、おじさんの下手な仕掛けをあっさり見破っちゃう。「これは変だぞ。気をつけろ」って。ハラシュタがまた戻ってきたので、狐一家はさっと隠れる。そこでおねえちゃんの姿を目にしたハラシュタが、「こりゃテリンカに贈るマフに出来そうだ」って、狙いをつけるんだ。で、おねえちゃんがうまいことその相手をしている間に、子供たちがハラシュタの荷かごに集まり、中にいた鶏をどんどん食べてっちゃう。それに気づいたハラシュタはもう怒りまくって、「これでもくらえ」って、おねえちゃんの方にバーン、バーンって、銃を撃つ。で、その一発が、まともに命中しちゃうんだね。女狐のおねえちゃん、死んじゃった。声も立てずに、死んじゃった。

〔 第3幕・第2場 〕・・・パーセクの宿屋の庭。いつになく静か。

森番のおじさんが、校長先生に言う。「女狐の巣穴は、空っぽだったよ」。そして、「また、ひまわりに言い寄っていたのか」って先生をからかうんだけど、先生はテリンカさんが結婚するのをもう知ってたから、「それは全部終わったことだ」って、横を向いて涙を隠す。森番のおじさんが、宿を出ようとする。「まだ早いのに、どこへ行くんだい」って先生が訊くので、おじさんは答える。「森へ行って、それから家に帰るんだ。犬のラパークがもう、歩けなくなっていてな。すっかり年を取っちまったんだよ、ちょうど俺たちみたいにさ」。

〔 第3幕・第3場 〕・・・オペラの冒頭と同じ、森の峡谷。日が沈むところ。

森の中で一人、おじさんは青春時代のことを懐かしく思い出す。結婚式の翌日、この大地に奥さんと寝転んだこととかね。「あれはおとぎ話か、それとも本当のことだったのか。何年前だい、若かった俺たちが二人して歩いたのは・・・」。そして木にもたれて休んでいるうち、おじさんは眠りに落ちて夢を見る。

夢の中で、おじさんは起き上がる。小さな女狐が目に入ったんだ。「おや、ビストロウシュカじゃないか。いや、違う。あいつの子供か。なんだい、お前、母さんにそっくりじゃないか。よーし、捕まえてやるぞ。今度は、お前の母さんのときよりもっと上手に飼ってやるからな」。そうしておじさんが伸ばした手の上に、ぴょんと飛び乗ったのが、おいらさ。へへーっ。ここでやっと、おいらの出番。おじさん、「お前、どうやってここに?」って、おいらに見覚えがあるような様子を見せたから、おいら言ってやった。「あのときのカエルはおいらじゃなくて、おいらのじっちゃだよ。じっちゃがおじさんのこと、いろいろ話してくれたんだ」。そして、森の動物たちや昆虫たちがおじさんの周りを舞い踊り、音楽が大きく盛り上がって、オペラは感動のフィナーレを迎えるんだ。

(※で、そのときなんだけどさ、おじさんしばらくおいらを見て、なんかじーんとしたような顔をしたんだよね。おいらにはその意味がわからなかったんだけど、「良いものも悪いものも新たになって、引き継がれる命の中を循環する。―そういう自然の営みに、おじさんは深~く感じ入ったんじゃよ」って、ばっちゃが言ってた。)

―歌劇<利口な女狐の物語>の全曲録音から

●ボフミル・グレゴル指揮プラハ国民劇場管、他 (1970年・スプラフォン盤)

LP時代の代表的な名盤。グレゴルの指揮は作品への深い共感に溢れ、心のこもった暖かい名演を生み出している。場面によっては、もう少しドラマティックな力が望まれる部分もなくはないが、音楽の自然な呼吸が心地よい。歌手たちの中では、ビストロウシュカを歌うヘレナ・タテルムスホヴァーがまず見事。おきゃんで、小ずる賢い女狐のキャラを、彼女は生き生きと歌いだしている。これは同役の歌唱表現として、一つの模範とさえ言えるような名唱である。続いては、牧師&穴熊を歌うダリボル・イェドリチカが良い。伸びやかな声で端正に歌っているのが、聴き手に好印象を与える。それ以外の歌手たちも、(特に名唱と言うほどではないにしても)それぞれの役を不足なく演じていて、粒の揃ったアンサンブルを形成している。その他、子狐たちを演じる児童合唱、子供時代のビストロウシュカを演じるソプラノ歌手、そして小ガエルを演じるソプラノ歌手も、皆愛嬌があってとても可愛らしい。

●ヴァーツラフ・ノイマン指揮チェコ・フィル、他 (1979~80年・スプラフォン盤)

指揮者、オーケストラとも、非常に手馴れた印象を与えるすっきりタイプの演奏。そのけれん味のなさは一つの長所なのかもしれないが、逆にあっさりし過ぎて物足りなく感じられる部分も少なくない。特にラスト・シーン。ここはもっと盛り上げてほしい。歌手の中では、森番を歌うリハルト・ノヴァクが抜群の出来栄え。貫禄のあるバスの声で、全編にわたって卓越した歌唱を聴かせる。ビストロウシュカを歌うマグダレーナ・ハヨーショヴァーも巧いが、声はややおばさんぽいイメージ。それ以外では、雄狐役のガブリエラ・ベニャチコヴァー、牧師&穴熊役のカレル・プルーシャが好演。その一方、子役を演じる歌手たちがうまくなかったり、子狐たちを歌うキューン合唱団が大人っぽ過ぎてかわいくなかったりで、細かいところにあちこち不満が感じられる演奏でもある。なお、森番とハラシュタが撃つ鉄砲の音については、上記グレゴル盤がシンバルやドラムを使ったオースドックスなものであるのに対し、ここでは銃声の効果音が使われている。

●チャールズ・マッケラス指揮ウィーン・フィル、他 (1984年・デッカ盤)

上記のグレゴル盤とは対照的に、極めて鮮烈な響きを持つドラマティックな演奏。明晰なサウンドの中に様々な楽器のモチーフがくっきりと浮かび上がり、この演奏を聴いて初めて、「ああ、こういう音型が鳴っていたのか」と気づかされ、教えられることが多い。第1幕を締めくくるビストロウシュカの逃走シーンなど相当パワフルだし、第3幕の冒頭に至っては、もう凄絶とさえ言っていいほどの爆演である。録音も優秀だ。ただその一方で、“メルヘン的な、素朴な温かみ”みたいなものが不足しがちに思えることも否定できない。「どの本を見ても絶賛されているので買ってみたが、あまり感動しなかった」という方も、案外おられるのではないだろうか。私の率直な感想を言えば、この演奏、いささか余情に乏しい憾(うら)みがある。

牧師&穴熊で名唱を聴かせるリハルト・ノヴァクをはじめ、歌手陣は総じてハイ・レベル。ただ、ビストロウシュカを歌うルチア・ポップについては、ちょっと微妙なものを感じる。確かに、「音楽的な、美しい歌唱」という点で彼女の歌が最高のものであることは、間違いないと思う。しかし、このどこか“お姫さま的”に聞こえる名唱は、私の心に今ひとつ感動を呼び起こしてくれないのである。グレゴル盤のタテルムスホヴァーが、「小ずるいけれど、一所懸命に人生を生き抜いた女狐」というヴィヴィッドなイメージを聴き手に伝えたのに対し、ポップの美演はちょっときれい事に終っているような印象を私は受けてしまうのだ。後は例のごとくだが、お聴きになった方がご自身の感性で判断を下していただけたら、と思う。なお、ハラシュタがぶっ放す鉄砲の音については、いかにもデッカらしい派手な効果音が使われている。上記ノイマン盤で聞かれるものよりもさらにでかい音で、ドバアァーン!これはさすがに、やり過ぎだろうと思った。

―日本製アニメ作品への、かなわぬ(?)希望

歌劇<利口な女狐の物語>は、ケント・ナガノの指揮によるアニメ版DVDが日本でも発売されていて、その一部分を現在「ようつべ」で視聴することが出来る。先日それをちょっと見て、「なるほど、このオペラはアニメ向きだな」と思ったのだが、ナガノ盤を買ってみようという気持ちにはなれなかった。全部を聴いたわけではないので断言は出来ないが、ナガノの指揮は良いものだと思う。しかし、歌詞がよりによって英語で、音楽とズレまくること甚だしいのである。登場キャラクターの絵柄も、あまり私の好みではなかった。

そこで考えたのは、「誰か日本の製作者が、このオペラのアニメ版を作ってくれないかな」ということであった。音源には上のグレゴル盤あたりを使用して、動画を日本人スタッフが作るのだ。細やかで美しい自然の風景描写、かわいらしい登場人物、そして生き生きした表情と滑らかな動き。日本人の感性とアニメ技術をもってしたら、きっと素晴らしい物が出来るんじゃないかと思えるのである。(尤も、宮崎アニメみたいな変な癖のある絵は、御免こうむりたいが。)商業的な採算は見込みにくいかもしれないが、文化的な価値は決して低くないと思う。各国語の字幕をつければ、海外市場にも十分売り出せるのではないだろうか。
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歌劇<利口な女狐の物語>(1)

2008年12月06日 | 作品を語る
皆さん、こんにちは。これから始まるのは、ヤナーチェクの歌劇の中で多分一番有名な<利口な女狐の物語>です。森の住人を代表してってことで、おいらが語り役をまかされちゃったんだけど、え、本当においらでいいのかな・・。でもまあ、とりあえず始めさせておくれ。

〔 第1幕・第1場 〕・・・森の峡谷。晴れた夏の日の午後。

ここは、主人公が登場するまでの流れが紹介されるところだよ。穴熊が穴から顔を出してパイプを吹かし、ハエやトンボがその周りを踊ってる。やがて、肩から銃を下げた森番のおじさん(Bar、B)がやってきて、そこで一休み。で、そのうちグーグー寝入っちゃう。こおろぎやキリギリスが、おじさんの周りを踊る。おじさんの鼻に蚊(T)がとまって、チクリとやる。でも、おじさん酔っ払ってたから、蚊の方もアルコールにやられてふらふら。で、その蚊を狙ってカエル(S、Boy‐S)が出てくるんだけど、捕まえきれずに逃げられちゃう。すると今度は小さな女狐が顔を出し、「ねえ、ママ、これって食べられる?」って、カエルのことを指してきくんだ。びっくりしたカエルが思いっきり飛び跳ねて、おじさんの顔に乗っかったもんだから、おじさん、ハッと目を覚ます。そして目の前にいる小さな女狐が気に入って、ばしっ!と捕まえ家に向かう。捕まった女狐の名は、ビストロウシュカ(S)。このオペラの主人公、ってわけ。えーと、名前が難しいから、ここから先は、「女狐のおねえちゃん」って呼ぶね。

〔 第1幕・第2場 〕・・・森番の家。季節は秋。太陽が輝く午後。

女狐のおねえちゃんが泣いているところに森番の飼い犬ラパーク(Ms)が声をかけ、二人の会話が始まる。そのうちラパークが尻尾を使っておねえちゃんを引き寄せようとするんだけど、「この恥知らず」って、おねえちゃん、それをひっぱたいて振りほどく。そこへ、森番夫婦の子供ペピーク(S)が、悪友のフランチーク(S)を連れてやって来る。そして、紐でつながれてるおねえちゃんを棒で突っついたりして、いじめるんだ。当然、おねえちゃん怒ってさ、にっくき相手に噛みついての猛反撃。ちょっとした騒ぎになる。その後、帰ってきた森番のおじさんに子供は叱られたんだけど、おねえちゃんも前よりきつく縛られることになっちゃった。やがて夜になって、おねえちゃんがまたおいおい泣くんだね。そして、夜が明ける。(あ、この夜明けの場面って、すごくいい音楽が流れるんだよ。)

続いては、森番夫婦が飼っているニワトリたちと、おねえちゃんのやり取り。雄鶏(S)がおねえちゃんのこと、「あんた卵が生めないんだろ」とか言って挑発するんだ。めんどりたちも一緒になって、「あたしたちは働いてるよん。卵生んでるよん」って歌う。おねえちゃん、「あんたたち!雄鶏なんて自分の性欲を満たしてホクホクしてるだけなんだからさ、一緒に立ち上がって、新しい世界秩序を造ろうよ」って、めんどりたちに呼びかけるんだ。でも、相手らはぜんぜん乗ってこない。「雄鶏なしの世界なんて、ありえなーい」って。それで女狐のおねえちゃん、マジ切れしちゃって、次々とニワトリたちを殺していく。おー、こわっ。やっぱり、肉食動物だね。森番のおかみさん(A)がそれを見て、「あひゃあ」って気を失いそうになるんだけど、しっかり持ち直して、おじさんを呼ぶ。で、森番のおじさんが棒を持っておねえちゃんを懲らしめようとすると、おねえちゃん、ついに紐を噛み切って逃走。ここで、第1幕が終了。

〔 第2幕・第1場 〕・・・第1幕第1場と同じ場面。午後の遅い時間。

自由になった女狐のおねえちゃん、穴熊(B)の住処が気に入って狙いをつけた。で、うまく言いがかりをつけて相手を悪者に仕立て、周りの動物たちを味方につけていくんだ。そしてついに、穴熊を追い出しちゃう。で、その後に自分がちゃっかり住みついちゃうんだよね。穴熊のおじさん、かわいそ・・。

〔 第2幕・第2場 〕・・・パーセクの宿屋にある「紳士の部屋」。夜。

校長先生(T)と森番のおじさんが、トランプをやってる。そこへ、穴熊にそっくりな顔をした牧師さん(B)が入って来て、3人のおしゃべりが始まる。やがて雄鶏が鳴いて、先生は家に帰ろうと宿を出る。で、牧師さんも、その後に続く。森番のおじさんが一人残るんだけど、宿屋の主人パーセク(T)に逃げた女狐の話をまた蒸し返され、おじさん怒って宿を出て行く。「あれは逃げていった。それだけのことだ。あの狐をまた探そうなんて、そんな気はねえよ」。

〔 第2幕・第3場 〕・・・森の中。左手側に、上り坂の小道がある。ひまわりが茂る垣根。

帰宅途中の校長先生が、酔ってふらふらと歩いてくる。で、うっかり転んじゃって、ひまわりを見上げると、暗闇に光っている眼が見えるんだ。それって、女狐のおねえちゃんがそこにいるってことなんだけど、先生は酔ってるから、その眼が好きな女性のものに思えちゃう。ずっと恋していたテリンカって人の眼にね。「おお、テリンカ、テリンカ、愛しているよ」って、先生は駆け出すんだけど、またすっ転んで垣根の向こうにあるひまわりの中に落っこっちゃうんだな、これが。(笑)

続いて牧師さんがやって来て、昔の苦い思い出を口にする。なんでも牧師さんには若い頃恋人だった女性がいたらしいんだけど、その人は肉屋の徒弟とできちゃってたんだって。で、彼女が妊娠したっていうんで、当時神学生だった牧師さんが責められて、つらい思いをしたとか。でも妊娠させた男は、その徒弟の方だったんだよね。いろいろあるね、人生って。

やがて、バーン、バーンと鉄砲の音がする。校長先生も牧師さんもびっくりして、「おおっと、こんなところにいちゃいかん」って、そそくさと家路を急ぐ。森番のおじさんが撃ったばかりの猟銃を抱えて登場し、「くそっ、逃がしちまった。さっきのは間違いなく、あの女狐だった」って悔しがる。ここで、舞台は一区切り。

〔 第2幕・第4場 〕・・・森の中。女狐の穴ぐらの外。夏の月明かりの夜。

女狐のおねえちゃんにも、恋の季節がやって来た。おねえちゃんの巣穴の前をハンサムな雄狐(Ms、S)が通りかかり、二人の会話が始まる。おねえちゃんにはもうお母さんがいないこと、森番のおじさんに捕まったけど脱出したこと、そして穴熊から住処を奪ったこと、そういう話に雄狐は惹きつけられていくんだね。やがて、おねえちゃんに対する彼の関心は、恋心に変わっていく。雄狐はズラトフシュビーテクという自分の名前をおねえちゃんに言ってから、ウサギを取ってくるって、いったんそこを離れる。

やがて、おいしそうなウサギを捕まえて雄狐が帰ってきて、二人そろっての食事になる。お互いの心が、どんどん接近していく。「今まで僕は、尊敬できるような相手に出会うことがなかった。でも、君に恋をしてしまった」って、ズラトフシュビーテクは熱心に思いのたけを打ち明けるんだ。はじめはためらって、彼を拒むような素振りを見せていたおねえちゃんだったけど、彼の熱いアプローチを受け、自分も好意を持っているって答える。それを見ていたふくろう(A)が、「ビストロウシュカったら、お行儀悪い」なんて叫びながら、森の中へ飛んでいく。やがて日が昇ると、女狐のおねえちゃんと雄狐は二人揃って、キツツキ(A)のところへ行くんだね。で、キツツキさんが牧師の役を引き受け、二人の結婚式をつかさどるんだ。森全体が、にぎやかな合唱と踊りで二人の結婚を祝う。めでたいな、めでたいなってところで、第2幕が終了。

―この続き、最後の第3幕については次回です。しばらく、待ってておくれ。
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