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クラシック音楽オデュッセイア

2025年正月、ついに年賀状が1通も来なくなった“世捨て人”のブログ。クラシック音楽の他、日々のよしなし事をつれづれに。

事故当日の気持ち

2024年04月07日 | エトセトラ
2024年4月7日(日)。自分自身の体力の衰えと、あまりにも鈍臭い運動神経の無さに、つくづく嫌気がさした、あの事故の日。3月21日(木)。何でもない普通の地面にサンダルでつまずき、たたらを踏むように前方につんのめって転倒。顔面から庭の瓦礫に突っ込んだ。あっ、あっあっ、とっとっとっ・・・・。

ぐがあっ、グシャシャッ(と同時に、ガツーン!ゴギッ)・・・。

幸い頭の強打はなかったので、意識は飛ばずにすんだ。しかし、起き上がる気力が全く出ない。ヒリヒリ、ジリジリと焼けつくような皮膚の痛みと、顔面骨折による左目の下の強い疼痛。開かない左目。鼻の内側から喉に落ちてくるドロッとした血の塊を口から吐いたり、飲んだりしながら、そのまま地べたに仰向け。春の彼岸のお中日を過ぎたところとはいえ、夕方6時近くになると、空気がぐんと冷え始める。灰色の空を地べたから見上げながら、外着のコートを着たままでも寒さがしみてくる陽気の中、わが身の置かれた情けなさすぎる状況を嘆いて恨んで、ひとりごちた。

「何なんだろうな、このみじめな人生。・・・なんかもう、いろいろ、いやになっちゃったな」。

自宅の狭い裏庭に、べたーっと横たわる顔面血まみれの小さな老人。生涯に亘るコンプレックスの原因だったガキみたいな顔が激しく損傷し、醜くただれた。周りには、誰もいない。・・・深い孤独。やがて、おかしな思考が脳裏を巡り始める。

「もし違った転び方をしていて、頭をブロックか何かの角にでもぶつけていたら、意識がなくなって、そのまま寒い夜になって、体温が下がって・・俺はこの世から去っているんだろうな。それなら、それでも良かったよ。もう、本当に、いろいろと、いやになったから。3日も4日も経ってから遺体が発見されるか、奇跡的に死ぬ直前に誰かが見つけてくれて、救急搬送されて、病院到着の頃に死亡確認とかね。で、何かい、俺が最後に遺す心電図の所見は、低体温性のj波?オズボーン波かよ。そりゃ確かに、まだ寒いから長いおズボンをはいているけどよ。って、何言ってんだかな。しょうもな」。 

「あ、ひょっとして、みいさんが俺を呼んでるんかな?『お母さん、もうすぐ逝くんだけど、やっぱり一人じゃ寂しいから、おみゃあさんも一緒に来てくれにゃあかなあ』って。そうだな、それでもいいかもしんないな。本当にお金にルーズな人で、息子として随分尻拭いの苦労をさせられた(※ブログ主が解消した親たちの負債額は、1000万円を軽く超える)けど、こんな男をずっと愛し続けてくれたこの世でただ一人の女性だったからね、母は。そしたら、一緒におじいんとこへ行こうか」。

やがて、気持ちが少し回復する。ショルダーポーチからスマホを取りだし、見える右目の弱い視力を頼りに119番。・・・それから、20分ぐらい経ったかな。ピーポーピーポー。「救急隊です。Tさん、どちらですか」。
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顔の傷

2024年03月24日 | エトセトラ
2024年3月24日。術後2日目。左目の涙管の断裂箇所を、細いチューブで繋ぎ直すハイテク手術。成功。管が挫滅していなかったのが、不幸中の幸い。まだ右目でしか見えないが、左の眼球自体は無事だった。視力が残っている。

先ほどナースさんにシャンプーをしてもらい、自分の顔を久々に鏡で見た。傷の走り方が、本気でブラックジャック。左眉から目頭、そして鼻の横を斜め下へザックリと。

顔の腫れが引いたら、どんな風貌になるのか。

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顔面損傷。緊急手術

2024年03月22日 | エトセトラ
2024年3月22日。意識があって、片目が見えて、手が動くだけ、めっけもん。

手術のお呼びを待つ。術後の顔は、漫画のブラックジャックかな。


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日本の男性アニメ声優たちによる女の子の声

2024年03月16日 | エトセトラ
2024年3月16日(土)。前回、「女性のソプラノ声域に達する高音を、(裏声ではなく)ナチュラルに出せる男性歌手」の動画を貼らせていただいたが、日本に於いては、それに類する驚異を男性アニメ声優たちの中に見出すことができる。・・・と、その前に、“逆のパターン”について片言隻句。

男の子の声を女性声優が演じるのは大昔、それこそ白黒テレビの時代からごく当たり前のことだった。異常に古い話で恐縮だが、例えば『ハッスルパンチ』(1965~1966年)。主役3人組のリーダー・子熊のパンチの声が大山のぶ代氏(※後にドラえもんが代名詞的役柄となった人)であったというあたりから、TVアニメが好きだった当ブログ主の記憶が始まる。他にも、『ゲゲゲの鬼太郎』(1968年~)の鬼太郎役が野沢雅子氏(※『ドラゴンボール』の悟空が超有名)といったように、今やレジェンド級の声優さん達が男の子の声を普通に受け持っていた。平成時代になってからも、例えば『ヒカルの碁』の進藤ヒカルや塔矢アキラなど、いわゆる美少年系キャラは殆ど、女性声優さん達の独擅場(どくせんじょう)という感じだった。

ブログ主は大学生になってついに、「もういつまでも、こんなアニメなんか見ていてもしょうがねえな」と、『グレート・マジンガー』を見ている途中でTVを消し、以降完全にアニメから卒業した(※1970年代の終わり頃)。なので、非常に残念なことに、『ガンダム』のことは何も分からない。ネット上でかつてよく目にした、あの有名な「これって、どういう事なんだ?ガンダムでたとえてくれ」「○○○の○号機が、シャーの何とかを一人で破ったレベル」「おおっ、それは凄いな」みたいなやり取り、あるいは10数年前のアメリカ大統領選挙で、オバマ氏が勝利目前だった頃に見た「黒い方が勝つわ」「ラーラは賢いな」みたいなのも、ブログ主にはその意味が理解できなかった。ガンダムの頃はもう、クラシック音楽にメチャはまり状態だったからなあ。

閑話休題。最近YouTubeで、面白い物を見つけた。現在のアニメでは美少年(orイケメン)系のキャラを男性声優がごく自然に担当しており、そればかりか、一部の人は何と女の子の役をも演じているらしい。その具体例を楽しくまとめた動画が、こちら↓。これにはちょっと、びっくり。ファルセット(ひっくり返した男の裏声を、声楽的に使えるレベルに高めたもの)、カウンターテナー、ボーイ・ソプラノ、さらには「ボーイ・ソプラノの天使の声を成人以後も残そうとして行われた非人道的な去勢手術と、その結果生まれたカストラートの声」というところまでは、クラヲタにとっても理解の守備範囲。しかし、この動画の男性声優さん達は本当に、どういう発声技術を体得しているのだろうか。裏声のヒャーヒャーした響きではなく、女の子の中声部帯域の話し声を、いとも自然に再現しているではないか・・・。こええよ(笑)。

【ボイスあり】もはや女の子より可愛い!! 男性声優の女声9選 【蒼井翔太/村瀬歩/小林大紀/代永翼/山本和臣/永塚拓馬/徳留慎乃佑/山寺宏一/石田彰】
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母の現況。見知らぬ人との、束の間の優しい時間

2024年02月10日 | エトセトラ
2024年2月10日(土)。母が強い頭痛を訴えて突然の入院となったのが、昨年の2月20日。間もなく1年になる。現在、週2回ぐらいのペースで見舞いに行っている弟の話を聞くと、母はいつも眠っている状態らしい。ごくたまに目を開けても、そこに誰がいるとか、もう何もわかっていない様子で、すぐまた眠ってしまうとか。鼻から差し込まれた管で栄養を注がれ、肉体は生きて(というか、生かされて)いるけれども、精神の方はもう終わってしまっているようだ(涙)。一人での生活にも慣れ、気持ちもある程度整理がついているブログ主だが、やはり時折、つらい心境になるのは避けられない。

そんな日々の中、見知らぬ人から受ける何気ない親切や、優しい対応にふと心が癒されるのを感じる事が最近続いている。昨年11月から話題の映画『ゴジラ-1・0(マイナス・ワン)』を、先月末と今月頭の2回に亘って見に行った。1回目は立川シネマシティでモノクロ版を、そして2回目はTOHOシネマズ府中でカラー版を、それぞれ見た。なるほど評判通り、非常に見応えのある傑作だった。内容についての感想は、将来気が向いたら書くかもしれないが、今回は全然違う話。2回の鑑賞体験時に共通して感じた和(なご)みみたいなものについて記しておきたい。それは、各会場の若いスタッフさんたちの対応の優しさ、丁寧さである。職業訓練というか、社員教育というか、どちらの映画館も本当にしっかりしている。渋谷のチーマーっぽいおニイちゃんがチケット売り場にいて、一瞬「えっ」とか思ったのだが、「『ゴジラ』を見に来ました。その前に、定期会員になりたいんですが」と意向を伝えると、「かしこまりました」って。きゃあ、何このギャップ萌え。ww 本当にどちらの施設もスタッフさんが優しくて、「また来よう」って気持ちになったブログ主であった。

それと、つい3日前、昨年オープンした新しいスーパーで、夕方の買い物をしていた時のこと。アジの開きが2枚入ったトレーを手に取り、その場でポリエチレン袋に入れようと、ロールをくるくる回して1枚取った。ところが、いつものことながら、この引っ張り出したポリ袋の口がなかなか開けない。指先が乾いている上に、数年来の神経障害による指の動作不全があるため、どうにも袋が開けず苦戦していた。「この不器用な指が、情けにゃあ」などと、心の中でぼやきながら。

すると、「開けましょうか?」という声が不意に、右後方から聞こえてきた。振り向くと、店員さんではない。ブログ主同様、買い物に来ていた人だった。マスク姿だったので顔の下半分は見えなかったが、20代後半ぐらいとみられる若い女性で、くっきりした濃いめの眉の下で優しい目がほほ笑んでいる。「あ、どうも」と素直に厚意に甘え、袋を手渡す。「私もそんなに上手じゃないですけどね」と言いつつ、おしゃれに爪の伸びた指先で袋の縁をコシュコシュ、クシュッ。口の開いた袋を受け取りつつ、「ありがとう」とブログ主は感謝の意を伝える。満足げな様子で、その場を離れるレディ。僅か1~2分の出来事ながら、何か忘れ難いひと時を得た思いがした。だって、猫背姿の見知らぬ男がポリ袋をコスコスやっているのを見たって、助けてあげようとか考えないでしょ、普通。それも、妙齢の女性が。彼女がこの老人に手を差し伸べてくれた理由は不明だが、束の間の幸福な時間に、ブログ主がある種の癒しを感じたのは事実。そして、1つの妄想を抱いたのも。・・・「こんな風に、何かに一緒に向かっていける伴侶がいたら、自分の余生もずっと幸せなものになるだろうな」。
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