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クラシック音楽オデュッセイア

2025年正月、ついに年賀状が1通も来なくなった“世捨て人”のブログ。クラシック音楽の他、日々のよしなし事をつれづれに。

ブログ立ち上げ7000日。2024年の抱負

2024年01月01日 | エトセトラ
2024年1月1日(月)。新年おめでとうございます。

ログイン後の編集ページにあるブログ公開日数のデータによると、昨日の大晦日は、当ブログの開設から7,000日目という記念的な日になっていたようだ。それと、先月は1ヶ月間の合計訪問者数が、当ブログ開始以来初の10,000人超えを達成。びっくりするような、空前の記録である。うちは普通、1日当たり100人台のアクセスUU(ip)数で、たまに200台が出る程度。で、1ヶ月の合計は5,000~6,000台というのが、定例のパターンだ。それが先月は、計10,863。これには、12月10日(日)のアクセス数新記録達成が大きく貢献しているように思える(※その日のアクセスUU数は何と、1,708。で、順位は全317万5888ブログ中の第104位。すごっ!)。内訳はやっぱりという感じで、「心電図検定の合格基準」にアクセスが集中。なるほどね・・。このパターンはひょっとしたら、毎年12月の恒例になるかも。

さて、1年の計は元旦にありということで、今年の抱負についてのお話。今年2024年に取り組みたい事は、主に3つ。まず、昨年の大がかりな水回りリフォームに続いて、傷んでいる他の部分の改修を少し進められたらいいなと思っている。具体的には、2階を中心にした和室の畳の張り替え、1&2階全和室の障子の張り替え、そして古い土壁の部屋のクロス張り替え。今年1年間でこれらが全部出来るかどうかは微妙だが、金額的には去年の大型工事よりはずっと小規模なので、feasibilityは十分ある。ただ、前回の記事で書いたとおり、今は毎月赤字が続いている状況。その辺の兼ね合いだな、問題は。どれか1つでも実現できれば、御の字かな・・・。

2つ目は、苗木の育成。母が元気だった頃にやっていた家庭菜園の小さな畑を、今後どう活かすか。ブログ主の胸中にあるのは、ミカンとグミの木を育てて収穫を得ようというプランだ。木なら1回植えれば、後は水と肥料、そしてたまに害虫や病気を防ぐ薬をまくぐらいの手間で済む。それでおそらく毎年、勝手に実がなってくれる(はず w)。いかにも合理主義者のブログ主らしい結論といえよう。12月2日(土)に苗木を植えて、今の手入れは水やり。春になったら肥料をやって、病気予防の薬を撒こうというところ。実際の結実が何年後になるかは分からないが、じっくり構えて、今年からの新たな楽しみにしていきたいと思っている。

そして、最後の3つ目。それは、スマホアプリの活用による新たな知識世界への進出である。おなじみのクラシック音楽ではない。心電図の判読でもない。今の段階では(上記のミカン、グミと同様に)苗の植え付けが済んだ程度のレベルなのでまだ何とも言えないが、既に課金コースに加入済みというだけでも、ブログ主の本気度がうかがわれよう。w クイズ形式のお勉強アプリはナンプレやら、漢字の熟語やら、クロスワードやら、実に多種多様な作品が並んでいるが、このブログ主が月々お金を払ってまではまり込むのは、さて、どんなアプリ?これもいつか、何か目に見える形で成果が出るようになったらいいなと思う。・・・がんばりまっす(笑)!
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2023年回想~母の入院、大規模リフォーム、ヘルニア手術

2023年12月27日 | エトセトラ
2023年12月27日。大晦日が近づくと、ふと1年間を振り返ろうという気持ちになる。しかし、今年はつくづく大変な年だったなと思う。

2月に母が倒れ、そのまま長期入院。4月には国の制度に従って、転院を余儀なくされた。リハビリも何もしてもらえない、ただ寝かされ続けるだけの療養型病院。母が意識を取り戻して長男を認識してくれたのが、5月の面会時。そして、それがそのまま「母と息子の交流」の、悲しくも最後の1回となった。その後はいつ行っても眠っているか、目を開けても、もうそこに誰がいるのか分からないという状態に母はなってしまった。やがて仕事に忙殺される弟との諍いでこちらの心には癒える事ことのない傷が入り、兄弟仲も疎遠になった。弟が迎えに来なければ、バスも電車も極端に便が悪い場所で、とてもブログ主一人では面会に行けない。いよいよその時が来たら何万円かかろうとタクシーで駆けつける決意でいるが、それを毎回やってはいられない。実際、入院費は母の年金(1カ月当たり5万5000円)ではとても間に合わず、ブログ主への支給分から持ち出している。自分自身の月々の生活費からすれば、今は毎月2万円強の赤字だ。

会えなくなった(そして、おそらく会えても分かってくれそうにない)母に、今の自分ができる事。それは、不定期ながらも手紙を書くこと。「水回りのリフォームが、終わったよ」「今年も、朝顔が咲いたよ」「寒くなってきて、ストーブの給油が頻繁になって大変だよ」といったような、たわいのない文面。病棟の看護スタッフさんがその都度読んでくれていると思うのだが、それももう分からないかな。ただ、「病人は仮に昏睡状態であっても、耳だけは聞こえていて、周りの声がわかっている」という話によく触れるので、あながち無駄ではないかも・・・なんて、ささやかな期待を抱きながら書いている。

6月末から9月にかけての大規模なリフォームも、いや、凄かったな。水回り4か所の徹底的な改修工事に加え、ついに崩れてしまった外回りフェンスの、これまた抜本的な作り直し。400万を軽~く超える、特大の買い物だった。今ブログ主の胸にあるのは、「本当に、良いタイミングで出来たな」という、ある種の満足感。3月の決算セールで契約し、実際の工事は7月中心。これ、多分最強のパターン。物品は、年度末ならではの在庫一掃特価。シャワートイレ、ユニットバス、流し台、どれについてもかなりのディスカウント価格を提供してもらえたが、洗面台に至っては、まさか、まさかの70%引き!工事が夏というのも、非常に良かった。お風呂が使えない数日間、体拭きは濡れタオルでスッキリ。局部と足の裏は、アルコール・ティッシュ。頭が汗をかいて気持ち悪くなったら、庭先の水道を使って野外シャンプー。上半身は裸で、腰にバスタオルを巻いてサンダル履き。これが実に新鮮で、何か感動的な体験。「どうだー、ワイルドだろう?」って、話し相手もいないのに、一人でニンマリと悦にいっていた。これなどはもう、夏だからできたことだ。さらに幸運だったのは、今年がいわゆる「空梅雨」であったこと。風呂場の土台コンクリを打った日だけがちょっと雨っぽかったぐらいで、後はほとんど晴天続き。ラッキーだったなあ。ありがたや、ありがたや。

9月には、ヘルニアの手術入院。腕利きの若いドクターに、きっちり治してもらった。1つ残念だったのは、かつて2回の入院で馴染みになっていたナースさんたちと再会できなかったこと。でも、贅沢は言えないよね。
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ブログ立ち上げ19年1ヶ月、リュックの紐の付け直し、奇跡の心臓回復

2023年11月15日 | エトセトラ
2023年11月15日。先月の31日で当ブログは満19歳となり、今月から20年目に入った。このところ本来のテーマであるクラシック音楽の話題はどこへやら、日々の出来事を月1ぐらいのペースで書き込むような姿になっている。まあ何でもそうだが、長く続けている事自体に価値があるとも言えるし、更新ペースの牛歩ぶりにもかかわらず、日々のアクセスUU(ip)数はこのところ200人台で推移している。クラヲタの零細ブログにしては上出来かもと、心ひそかに自画自賛。(※12月の第9回心電図検定が近づき、合格基準の記事を見に来る人が、今年もまたちらほらとおられる様子。)

さて、9月の入院時に孤独の寂しさを感じたという話を前に書いたが、実は今月、母の不在による生活の不便さを1つまた実感する出来事があった。いつもの買い物に使っているリュックの紐が、取れてしまったのだ。ショルダーストラップの下に付いているバックルとリュック本体をつなぐためのリング紐が、縫い目の糸切れによってブチッといったのである。買って詰め込んだ物の重さが連日大きなストレスになっていたのは、明らか。しかし、困った。母がいればお得意の裁縫でチョチョイと縫いつけてくれるところだが、もうそうはいかない。料理と並ぶブログ主の苦手ジャンルは、裁縫。いわゆる“お針ごと”である。不器用の極み。・・さあ、どうしよう。

結局、紐の両端を両面テープでベタッと本体に貼り付け、その上からホチキスでバチン、バチン。「やっつけ仕事」という言葉を絵にかいたような雑な処理だが、仕方がない。その数日後、同じ紐が再びブチッ。あらら。そこでまたテープとホチキスでベタン、バチン、バチン。何だかなあ・・。今回のリュックの他にも、セーターに開いた穴へのパッチワーク、擦れたズボンの裾直し、シャツから取れてしまったボタンの付け直し、さらに麻紐で編んだ敷物のほつれ直し等等。このあたりはもう、今後どうしようもないんだなと。一方、毎日の御飯の煮炊きについては大丈夫。体が普通に動く限りは、自分ひとりで十分やっていける。

そこで将来懸念される孤独死の問題だが、ブログ主の場合、心臓に関しては多分心配ない。そう思える根拠は、去る9月の入院時に行われた心電図と心エコーの結果である。

4年前にとった心電図は例の如くPVC(心室性期外収縮)が胸部誘導にダヨ~ンと発生し、肢誘導にも好ましくない波形がいくつか出ていた。それが今回、期外収縮がたまたま測定時に出なかったこともあって、全体の姿が非常に良い物になっていた。せいぜい下壁誘導のP波がふたこぶになっているのが前回以来の異常所見になろうけれども、(心エコーの映像を検査直後に見させてもらった範囲で言うと)左室長軸像、心尖部四腔像ともに左房の拡大を思わせる様子はなく、僧帽弁の動きは健全そのものだった。(※4年前の映像では、無理して見ようと思えば「腱索断裂」に見えなくもないバサラな動きを、僧帽弁が示していた。当時映像を見ながらそんな感想を言ったら、「も~う、知っている人は、自分で病気作っちゃうから~」なんて、妙齢の女性技師さんがちょっと当惑気味に笑ったのだった。)ついでに言えば、左室短軸像大動脈弁レベルでも、今回3つ嘴(くちばし)の弁がほぼ完璧な動きをしているのが見てとれた。おおっ、いいじゃん。偉いぞ、おれの心臓。w

もう1つ嬉しかったのが、左室流入速波形。これが何と、4年前よりも今回の方がうんとまともな形になっていたのだ。普通は逆。「4年前はE波もA波も良い形で並んでいて正常型だったのですが、今回は弛緩障害型になっています。やはり加齢とともに左室の拡張力が落ちて来て、その分左房が頑張る事になるから、こういう波形になってくるんですよね」みたいな説明を医師からもらうのが、普通のパターン。しかし、何かと個性的な(笑)ブログ主は、結果の推移が正反対。左室流入速のパルスドプラまでが、常人の逆を行っているのだった。4歳年を取った後の方が、心臓が若くて元気!うきゃきゃきゃきゃ。―で、9月にヘルニア手術を行なってくれたK医師に、「これは先生、レアな臨床例として、学会で発表してもいいんじゃないですか?」なんて冗談を言ったら、堅実派の若きドクター、「う~ん」と小さく唸って苦笑い。w

―という事で、残る心配は脳。血管の障害は、ブログ主には多分無いと思う。気になるのは右手の書痙(しょけい)と左手の第4、5指の動作不全をもたらしている、神経の異常だ。来年の春頃にまた脳のMRI検査を受けようかと考えてはいるのだが、「パーキンソンでなければ、いいんだけど」との懸念が募る。さしあたり自分でも最近感じる危険は、家の中での転倒事故。これが実は、しゃれにならない。割と深刻。既に何度か、室内でやらかしている。畳に座っていたり寝そべっていたりの状態から、「よいしょ」と立ちあがる。そこで、「ああっ、おっとっと」とよろけて、後方に倒れる。顎を引くのが精いっぱい。そのまま成すすべもないままに、後頭部をテーブルだの柱だのにゴツン。いてぇなあ。先日は寝床の仕切りのところで倒れ込んで、お高いふすまを肘でベコンと凹ませてしまった。やだ~っ。ふすまって、破れた個所だけの部分張り替えとかできないんだから~(泣)。・・・これが単純に足腰の衰えから来る物なのか(だとしたら、マジで情けないレベル)、脳神経の障害から来るものなのか(それ、ヤバいだろ)、今は何とも言えない。

「体がチビでポンコツな分、おつむだけは少し冴えている」っていうのがブログ主にとっての“救い”なんだから、本当に変な疾患は無しでたのんますよ~。おねげえしますだ。(←って、誰に頼んでるの?)
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割れた洗面器

2023年10月25日 | エトセトラ
2023年10月25日。数日前の事。お風呂に置いてある母の洗面器が、パキッと割れていた。あらら。次の瞬間、思いつく。「そういえば、ポリバケツみたいなプラ製品の割れを補修するテープってのが、うちに買ってあったな」。で、それを戸棚から引き出してきて、早速ペタッ。修復完了。まだまだ使えるぞ。ふっふっふ。

そして今朝、その洗面器の違う場所にまた、バキッと割れが・・。やっぱりもう寿命なんだな、製品としての。しょうがない。次のゴミ回収に出そう。・・・でも、本当に長く使ってきたよなあ、この洗面器。そこでふと母自身の寿命がイメージとして重なり、胸が悲しみに覆われる。

突然、電話の音。ギョッとする。「はい、もしもし」。電話口の声は、母の友人Hさんだった。『お母さん、ど~う?いえね、昨日の夜、お母さんが夢に出て来てね。Tさーんって声かけたんだけど、聞こえなくて行っちゃったのよ。そんな夢を見たもんだから、ちょっと電話してみたの。あれから、どう?お母さんの様子』。

ブログ主は答えられる限りの事を、相手に伝えた。「病院の場所が遠いのと、交通の便が悪いのとで、7月以来母の面会に行けてないんですわ。このところずっと、弟が一人で行ってる。で、弟から聞いた範囲だと、もう殆どいつ行っても眠っているみたいなんですよ。たまに目をぱちっと開けるときがあって、「○○(弟の名前)が来てるよー」って話しかけるんだけど、全然分かっている様子もないまま、すぐまた眠りに入ってしまう。もう、そんな感じらしいです」『ああ、そうなの~』。そんな風にこの2~3ヵ月の流れを伝えた後、『あなたも一人で大変でしょうけど、体に気をつけてね』「Hさんも、お体には気をつけて」と励ましの言葉を交換し、通話終了。

今回電話をくれたHさんは人生の艱難辛苦を数多く味わってきた苦労人で、随分前から大きな宗教団体の会員になっている。電話の最中、ブログ主の頭の中に一瞬、しょうもない考えが浮かんだ。<あ、Hさんに、ちょっとお願いできるかなって思う事があって。私もこの年になって、体もあちこち壊れて、母もこんな状況になってしまって、いろいろ・・・。Hさんの顔の広いところで、私に良さそうな人、どなたか・・>。しかし、実際にそれを口に出す前に、愚考は脳内で速やかに否定されて消えた。<おめえ、何言ってんだよ。縁談なんか頼むには、おめえがしょってる条件、悪過ぎだろ。相手にしてみればそれこそ、「何の罰ゲームよ、これ」って、怒り心頭もんだろうが。それに、この人の伝(つて)で紹介された女性がやたら熱心な信者だったら、どうすんだ?毎日毎日『ナンミョー、ナンミョー』やられたら、普通に狂うだろ、お前。w>

―明けない夜はないが、その夜明けがいつ来るかは、わからない。
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鼠径ヘルニア。身にしみる孤独感

2023年09月21日 | エトセトラ
2023年9月21日。今月初めの約1週間、ブログ主は手術入院をしてきた。(←またかよ。w)帰宅してから10日あまりが経ち、今はようやく落ち着いてきたが、退院後はしばらく大変だった。切ったお腹の傷の痛みもさることながら、排便障害(いわゆる便漏れ)がつらかった。ブログ主はこの種の苦難にはある程度慣れているのだが、それでもおむつの中にブリブリ、ビチビチと便がたまる状況というのは、何というか、実に忍びないものがある。

今年6月頃から妙に“しぶり腹”の症状が続くようになって、トイレで無意識にいきむ事が増えていた。そして7月に入ってから、入浴(というか、季節柄シャワー)時、異変に気付いてギョッとした。左太腿の付け根が、ブコーッとふくらんでいるのだ。そして、そこをやんわり押してやると、グリグリッという感じで引っ込む。14年前の大腸がん発覚時の経験から、ブログ主はそれが何であるか、すぐに分かった。鼠径(そけい)ヘルニア。いわゆる脱腸である。普段診てもらっている消外(しょうげ)の先生曰く、「前立腺を取った人は、なりやすいんだよね」。つまり、ブログ主の場合、これは特に驚くような事例ではないということ。「やっぱり、なっちゃいましたか」みたいな。出てきた腸が引っ込まず、やがて壊死(えし)し始める「かんとんヘルニア」にでもなったら、それこそ一大事。緊急手術待ったなしになるが、現状では良性の疾患と見て経過観察でも良いとの話。しかし、そこは百戦錬磨の(笑)ブログ主、「手術希望です」と、はっきり医師に伝えた。

入院決定。身元引受人は、先頃契約したばかりの終活サービス業者さん。いきなり出番。アザーッス。w 以前は勿論、同居の母が署名してくれていたのだが、もうそうはいかない。弟とも、今は全く疎遠。詳述はしないが、互いの気持ちの齟齬が殆ど修復不能な亀裂にまで至っている。ということで、今回は終活屋さんに役立ってもらった。(※会員費39万5000円の元を取れるのは、まだまだ先だが。)

オペ担当は、直腸の腫瘍を巡る過去2回の入院ですっかりおなじみになっているK先生。リヒテンシュタイン法によるヘルニア手術に高い経験値を持つ、頼りがいのある若いドクターだ。泊まる病棟はかつてと同じ所になったが、コロナ禍以降その病院では大きな編成替えが行なわれたようで、階も違えば、看護スタッフの顔ぶれも全く違うものになっていた。4~3年前の、あの懐かしいナースさんたち、ブログ主の風変わりな個性を楽しんで受け入れてくれた愛おしき乙女さんたちとの再会は、今回叶わなかった・・。でも、贅沢は言えない。古い病棟に入れられるよりはずっと心地良く、入院期間を過ごさせてもらえたのだから。

―ともあれ、腕に自信の俊英外科医が手掛けた手術は、無事成功。経過も良好。予定通りの日程で、順調にエントの運びとなった。

で、今回の入院にあたり、過去にない寂しさと孤独を感じた原因はやはり、母がいないということ。この半年あまりでブログ主は一人暮らしにも慣れ、特別悲しみに浸るようなこともなく、それなりにやってきた。が、こういう入院みたいな状況になると、身にしみるのだな。寂しさと孤独が。電話したい相手、いろいろな話を伝えたい相手が、誰もいない。病室でパジャマに着替えてから、廊下に出る。「あ、今着替えたところだよ」と、電話をかけたい相手、そしてその電話を受けてくれていた相手、そんな人はもう家にいない・・・。病院の廊下にポツンと一人、所在なく佇むその寂寥感。じわっと、目の前の風景がにじむ。

―以下の{ }内に記す会話は“手術後のやり取り”だが、これは架空の話。全くの創作。『』の中にあるのは、ブログ主の脳内だけで再生された幻の声である。

{ 「昨日、手術が無事に済んで、今もう歩いてる」『ああ、良かったよお』「昨日は一日中ベッドの上で動けなくて、腰が痛くてつらかったわ」『寝っぱなしじゃあなあ』「でも、こうやって起き上がって歩き出すと、楽になる。順調に行けば、明後日には退院だ。今回、内臓までは切っていないから、回復も早いわ」『退院の時には、お母さん行くから。何時に着けばいい?』「昼前の10時頃に、ベッドを明け渡すって感じかな。でも台風の影響で、その日は天気が荒れそうだって」『タクシーで帰ろうよう』「そうだな。そしたら、途中の駅前で一旦降りて、デ○ーズに寄って、一緒においしい物を食べてこ」『おみゃあさんの、したいようにしなよw』。 }

退院の日のお昼。予定通り、ファミレス前でタクシー降車。雨に濡れた来客を席に誘導するウェイトレスさんの声が、店内に明るく響く。

「1名様、御案内で~す」。
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