遺体はクレヨンしんちゃんの作者
僕が普段見聞きするニュースはあくまでここまでの情報。しかしお休みなのでのんびりテレビを見ていると、朝ってバラエティが放送されている。
まず驚いたのは、街頭インタビューでまちの住民からコメントを集めていて、「春日部にとっては悲しいニュース」というような情報で固めていたこと。そういう視点なのか、クレヨンしんちゃんの原作者って。
登山道の現場で絶景ポイントであり、危険である状況もルポ。それを見たスタジオのタレントのコメントが「そんなに危ないのに柵が無いの?」というもの。レポートしたニュースの解説者が「逆にあまりにも危険なので(危険と明らかなため、人が近づかないという意味だろう)柵が無い」とまともなことを言うのに、「でも…」と納得いかない様子だった。そのくせこれだけの有名人なのだから自殺じゃないか、などとも推測発言もするのだった。
こういうのは見なければいいと割り切る必要があることはよく分かるが、それは単に僕個人のニーズということに過ぎない。よく考えてみると、このようなコメントの流れを必要としている番組であるということなのだろうとやっと理解した。これは個人の資質なのではなく、コメンテーターの演技力なのだ。つまり番組が求めている事件の方向性なのだ。
なるほどねえ、とほんのちょっとだけ感心し、しかしやはり見るのは止めた。付き合ってられない。
最近は多くのニュースはネットで見るようになったけれど、もうテレビには戻れないかもしれないなあ、と感じる。テレビを見ているのはおそらく子供と老人だろうけど、僕らの世代との断絶は相当深いものがあるということだろう。少なくともこういうものに付き合えるだけの忍耐力が、おそらく僕には足りない。
せっかくの休みだからやっぱりネットでのんびりしよう。テレビの前のソファーの方が座り心地はいいのだけれど、苦痛に耐えながら番組を見るより、速度がおそいながらも好きなブログを探して閲覧している方が数段楽しい。選択できる自由を獲得した者にとって、不自由はやはり耐えられない拷問なのである。
僕が普段見聞きするニュースはあくまでここまでの情報。しかしお休みなのでのんびりテレビを見ていると、朝ってバラエティが放送されている。
まず驚いたのは、街頭インタビューでまちの住民からコメントを集めていて、「春日部にとっては悲しいニュース」というような情報で固めていたこと。そういう視点なのか、クレヨンしんちゃんの原作者って。
登山道の現場で絶景ポイントであり、危険である状況もルポ。それを見たスタジオのタレントのコメントが「そんなに危ないのに柵が無いの?」というもの。レポートしたニュースの解説者が「逆にあまりにも危険なので(危険と明らかなため、人が近づかないという意味だろう)柵が無い」とまともなことを言うのに、「でも…」と納得いかない様子だった。そのくせこれだけの有名人なのだから自殺じゃないか、などとも推測発言もするのだった。
こういうのは見なければいいと割り切る必要があることはよく分かるが、それは単に僕個人のニーズということに過ぎない。よく考えてみると、このようなコメントの流れを必要としている番組であるということなのだろうとやっと理解した。これは個人の資質なのではなく、コメンテーターの演技力なのだ。つまり番組が求めている事件の方向性なのだ。
なるほどねえ、とほんのちょっとだけ感心し、しかしやはり見るのは止めた。付き合ってられない。
最近は多くのニュースはネットで見るようになったけれど、もうテレビには戻れないかもしれないなあ、と感じる。テレビを見ているのはおそらく子供と老人だろうけど、僕らの世代との断絶は相当深いものがあるということだろう。少なくともこういうものに付き合えるだけの忍耐力が、おそらく僕には足りない。
せっかくの休みだからやっぱりネットでのんびりしよう。テレビの前のソファーの方が座り心地はいいのだけれど、苦痛に耐えながら番組を見るより、速度がおそいながらも好きなブログを探して閲覧している方が数段楽しい。選択できる自由を獲得した者にとって、不自由はやはり耐えられない拷問なのである。