カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

要は信頼の問題だろうけど

2013-09-25 | net & 社会

 ちょっと前のニュースに、躾によって年収に差が出るという調査結果というのがあった。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130920-OYT1T00603.htm
 特に重要なのが「嘘をつかない」「他人に親切にする」「ルールを守る」「勉強をする」の4つであるらしい。
 ちょっと面白いからニュースになるのだし、ネタとしても格好のものという気がする。
 ところがこれのネット上の反応は、どういう訳かネガティブなものが多いように感じられたのだ。このように躾を年収と結び付けるということ自体を問題視し、嫌悪をあらわにする、というのが一般的なようだった。僕はそれを見て、なんだか驚くとともに、妙な潔癖感の様なものを覚えたのだった。
 ちなみにこの研究を発表したグループは、特に学術的に異端という訳ではなさそうだ。十分背景にも配慮して、関連にいかがわしさは感じられない。相関関係は明らかに出たとみて問題無いだろう。考察すべきは、どのような因果関係があるのかということになるだろう。もっとも年収の高い業種や立場というのがあるから、躾そのものが絶対的な因果関係と考えることはできないだろうけれど。
 もう大人になった僕らにとって関係なさそうに見えないことも無いが、そのような躾によって身につくものは、何も子供の頃からの一貫性が必要とばかりは言えない気もする。お金を得たいからという動機であっても、このような要素を身につけることが、個人にもまわりにも好影響を与えそうなことは、大変に望ましいことではないか。
 また、逆を考えると、このような人間的な「人の良さ」の様なものが無い人が、年収が高いという結果が出てしまったらどうだっただろう。やっぱりそうかと膝を打ち、納得する人が多いというのだろうか。僕なんかは、そうでない当たり前そうな結果が出て、本当に良かったなあ、という感想を持つのだが。
 また年収が低くて苦しんでいる人にとっても、何らかの朗報ということも考えられる。実際に身につけるのは超簡単、という訳ではないのだろうけれど、そういう生真面目な社会というのは、実に望ましいものだ。そういうことを理解したうえで、他人に親切に出来るような高い人間性を持つ人々が増えて、金銭的にも豊かになる希望が芽生えるというのも、実に希望の高いもののように感じられる。来るべき明るい未来だ。
 
 面白いのは「あいさつをする」「ありがとうと言う」は年収とはほとんど関係が無いとのことである。
 実は僕はこのような事を大切だと声高に叫ぶ極端なポジティブな人たちには、一種のいかがわしさを覚えることがあって、もう少しシャイな人でも良いんじゃないかと常々思っていたのである。関係無くて本当に良かった。もちろん普通に挨拶は大切だと思うが、これこそ無償の尊さということが言えて、清々しいじゃないでしょうか。
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