カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

恐怖の邪悪な夏休みが始まるらしい

2008-07-15 | 散歩

 地区の懇談会というのがあって、PTAとして出席してくる。夜の七時からだと思っていたら七時十五分という微妙な開始時間であることが判明。しばらく時間つぶしにその辺をぶらつく。夕方とはいえまだ熱気が残る時間帯で、すっかり汗びっしょりになってしまった。
会場はエアコンが唸っている割に冷えておらず、そうしてこの機械は時々お金を入れなければ止まる仕組みなっているらしく、時々突然に止まってしまう。仕切っているおじさんが自分の小銭入れからうやうやしく小銭を取り出し装置にお金を入れると、会場に集まっている一同ほっとしたように胸をなでおろすのであった。
 さて、その懇談会なのだが、最初にずいぶん古いフィルムと思われる映像を見せられ、父親参加の重要性がうったえられていた。仕事で家庭をかえりみない父親が、息子のいじめに気付かなかったことに反省しておやじの会で地域活動を始めるという内容。会を作って(実は母親の陰謀から始まった会だったのだが)、というところが日本人的だなあ、と思った。個人の気付きは団体を動かすわけだ。それにしてもドラマの俳優の服装が古い。子役の子も今は成人していることだろう。
 いつの間にかそういう映像が始まって会が始まったのでなんという展開だろうとドキドキしたが、別にその映像についてはなんのコメントもないまま会長さんと思われる人が挨拶して夏休みは勉強をさせろと強要された。中学生は特に三年間で三千語単語を覚えさせなければならないということであった。前に座っているおばさんたち(実は後に中学教師であることが判明した)は挨拶を聴きながらブツブツ文句を言っている。内容に聞くべきものはないのかもしれないが、この人たちは終始私語をしていて態度悪いなあと思った。
 そのあと警察の何とか課長という人が忙しい中わざわざ参加されて挨拶をしたのだが(三十分)、キチガイが悪いとか自転車泥棒が悪いとかインターネットが悪いというような頭の悪い内容で頭が痛くなった。警察がそういう認識では犯罪は減らない。数からいって9万市民を百数十人の警察官で守れるわけがないという敗北宣言までして無責任だと思った。まあしかし立場上このような展開をする癖があることもよく分かって、日本の後進性から抜けられないという世論をある意味でもあらわしているということは理解できた。これを聞いて嘆かわしく思い最近の子供たちは荒れていると思わせられる方がよっぽどの害毒なのだが、平和ボケなので気付いていない。後に質問したおばさんなど、やはりネット上の嘆かわしい現実に不安がいっぱいだと言っていたが、それ見たことかである。あなたは不安でも犯罪は減ってゆく。現実は不安では変えられないのである。まあそういう人が個人的に不幸なのは知ったことではないので放っておきたいところだが、マイノリティであるくせに声を出すので厄介で邪悪な存在であることは嘆かわしいことだと思った。
 校長をはじめいろいろな人が長めの挨拶をするので、聞いてなかったけどお前もなんか言えとPTA会長として個人的見解を言わされて、いつの間にか長々と挨拶する。準備していない挨拶は長くなる。実はこのような認識批判を交えて、以前より格段に安全でシステマティックになった地域社会であるが、個人的に頑張ろうというような事を言った。先生の中には僕の話を聞いてニンヤリする人もいたのである程度は成功したと思ったが、しばらく後にまた同じおばさんが年寄りの歴史話をもっと子供に聞かせるよう提案し、なおかつ不安の消えない中学生の幻想の現状を嘆いた。それに中学の先生はきっぱりと否定していたし、実はそのような取り組みは現在もなされているということを校長も話してくれた。子供たちも大変な時代に生きなければならないのだなあと、同情心でいっぱいになるのであった。管理社会日本は、まだまだ不安が増殖してファシズムを生み出す土壌になっているように思われた。
 まあしかしこのような会が無意味とは考えていない。地域の良識が社会を下支えしていることは間違いない。多くの意識の高い人々が自発的に地域活動を通して貢献していることは本当に尊いことといわねばならない。そして、そのような活動はなかなか本当に問題のあるところに届いてないということもあるとは考えられる。どこまで踏み込んでいけるのかはなかなかむつかしい問題もはらんでいるが、結局はあきらめず地道にやっていくほかないのだろうと思う。多くの人が当たり前のように諦めてしまうと、ダムが決壊する如く手のつけられない崩壊が起こるということにもつながっていくだろう。不必要に嘆く必要はないにしろ、支えられるものは地道にやっていく人々を増やすより方法はないのである。
 帰りは塾迎え帰りのつれあいに拾ってもらう。結果的に歩数は伸びないが、汗でドロドロの襟元を思うと助けられたような安堵感があった。昼から四つの会議に参加して、なんだが個人負担の重さに疲れ切った一日であった。
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