カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

妙にデフォルメが進みすぎている   エリジウム

2015-07-26 | 映画

エリジウム/ニール・プロムカンプ監督

 近未来の地球は、環境破壊などが進んで住みにくくなっており、富裕層などは宇宙にコロニーをつくって、そこに移住している。地球人はそのコロニーにあこがれている訳だが、当然自由に行き来はできないということになっている。地球はロボットなどから厳重に規制されており、犯罪歴があったり問題のある人間は、この世界から抜け出すことができないのだ。
 そんな中、何かの放射線を浴びて余命5日となった主人公が、パワースーツを着用し超人化する。そうしてエリジウムと言われるスペースコロニーに侵入し、万能の医療処置を受けようとするのだが…。
 要するに格差社会を戯画化して活劇にしたものである。アクションを本当に主眼としたものではないのかもしれないが、恐らく現代にもある、例えば米国の医療の格差問題を批評的に描いた作品と取る人も多いのではないか。人間社会の個人というのは、原理的に平等でありうるはずがないが、それをもう少し誇張して描いてみると、このような展開になるのであろう。
 もっともその前提となる人間のあり方のようなことと、やはり少数しか厳密には助け出すことができないという物理的な問題というのがある。それは別段近未来を描かなくとも、現代社会の中にも現実にある事実である。ただし、ことは複雑に過ぎるので、単純化してものすごくわかりやすい話にする必要があったということなんだろう。
 そういう意味で、この物語は分かりやすく、意味を考える上では成功しているといえる。しかしながら既にこの問題点に現在憂いを持つような人間にとっては、いささか単純すぎてかえって薄っぺらい問題のように思えてしまうということになる。少なくとも僕はそう思った訳で、そうしてこの映画をつくった監督でさえ、本当はそんなことを思っているのではないかとさえ疑ってしまった。それというのもやはりこの監督の前の単純な作品の方が、かえって深みがあるのではないかと感じているからだろう。それはハリウッドの映画製作のシステムが悪いのか、実は監督の底の浅さなのかは分からない。それはこの映画で映像化されない影の物語なのであろう。
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