カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

歩きスマホは危険です、が

2021-03-18 | 散歩

 多分雑誌をパラパラと読んでいての話だと思うんだが、東大のようないわゆる一流の大学の学生さんというのは、歩きスマホをする割合が少ないらしい。それというのもそうではない大学の学生というのは、大抵キャンパス内で歩きスマホをしているらしい。だからそういう大学に慣れている先生なんかが、改めて一流系の大学に行くと、学生が歩きスマホをしていないということに驚愕するらしい。
 マナーの問題なのかどうかわからないけど、街中の歩きスマホというのは、田舎ではそんなに多くはない。そもそも人はあんまり歩いていないので、それが正確な情報なのか僕には自信がないのだけれど。
 実を言うと、案外歩きスマホはしている。何しろ田舎道で車なんて通らないし、いや少しは通るけど、まずぶつかる気配がないので、何か気になったことがあると、歩きながら調べ物をしている。歩いていると、風景を見たいとかいうこともあるけど、他にやることがないから、一種の瞑想状態のようなことになって、雑念がたくさん出てくる。そういうの中に、あれは何だっけというようなことがある。それをスマホの音声で検索する。いつもそうしているわけではないが、そんなふうにして、歩きながら辞書代わりにしているスマホは重宝である。昔聞いたあの曲は何だっけ、みたいな、歌詞の一部だけとか、それがうろ覚えの英語の歌詞であっても、ちゃんと検索してくれる。本当にすごい。もっとも全然わからないものもないではないが、それは 僕の記憶の方が悪いだけのことだ。もしくは何かの勘違いという可能性もある。そういう勘違いのものまで正解として導き出せるはずはない。 
 ところで大学生の歩きスマホの件だが、要するにスマホに頼り切っている生活をしている人間というのは、三流だということだろう。 そして言いたいことは確かに分かるんだが、もしもっとはっきりとそういうものを規定したいのであれば、もう少し統計としてしっかりしたものをとるべきだと思う。せっかく明確な違いらしいものを見つけたのであれば、それをちゃんと調査するだけで、それなりの研究成果である。そして因果関係として何かを明示できるんであれば、それはある意味で大発見ではないか。でもまあ、知らないで言うことはそういうことを言いたい人と同じではあるが、そういう発見はおそらくできないだろう。いい大学は歩きスマホをしていると危険である可能性だってあるし、何か時間的に急ぎの用がある学生が特に多いだけの事情かもしれない。スマホに頼りきっていることと、歩きスマホの関連性自体も、しっかりした統計がとられていると言えるのだろうか。 そもそも二宮金次郎は歩きながら本を読んだ。僕らの子供のころは、それをえらいこととして大人から教わった。現代の歩きスマホが、それとどんな違いがあるのだろうか。
 もっとはっきりした予想を立てるとしたら、このようにスマホと一体化したような、仮に歩きスマホを自在にするような人が増えるようであれば、または歩きスマホをもっと自由にできるようにな形になるに違いなくて、そうした人たちの中から、もっと次世代を作るような優秀な人が出てくるだろう。もちろんそうしない人にも可能性はあるが、勝利するのは歩きスマホの方だろう。まあそんな予想が当たったとしても、何の報酬もありはしないが。
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