物事というのは好きだからやっているのだろうか? 好きこそもの上手なれ、ということわざもある。それはそうかも、という共感もある。その通りではあるのである。好きなことを、どうしてもその思いでやり続けている人には、一定の結果として、「上手」と言える状態にまで到達できるという事だろう。到達後も好きでやり続けていると、さらに上手になっていくものであろう。それはいったんわかるのである。
しかし、頼まれごとには、必ずしもそうとは言えないことが、あるのではないだろうか? 少なくとも僕は、違う。僕は今までかつて一度として、自分がやりたくてやった役職というものは、無い。すべて、いろいろな事情があるにせよ、頼まれることを受けて、自分なりに困りながら、はっきり言っていやいやながら、引き受けてきた経緯がある。できればやりたくはなかったが、経緯を踏まえて、または踏まえなくても強引に、それ以上では断ったにもかかわらず、時にはみずしらずのうちに、それらの役職を賜ったものである。断れなかった経緯があるものもあるけれど(ちゃんと断ったにもかかわらず、というのはあるけど)、基本的には人助けというか、誰かが困ることであるならば、自分が困ればいい、という事だったかもしれない。自信もないし、不安ばかりで、しかし、どうにかならないものだろうかと祈るような気持ちで、そうなってしまった、というしかないのである。後悔したことはあっても、よかったと思えたことは、一度もない。仕事の上でも世襲したが、流れの中でそうなったという事もあるし、その後の役職その他についても、付随してあるものだとは、まったく認識してなかった。自分の気の弱さもあったと思うが、十分にできない事も含めて、受けてしまって迷惑をかけているだろうという事しか、自分の人生を振り返りようがない。今もそういう状態だし、未来もおそらく変わりないだろう。相対的な人間関係の中にあり、その中で、自分の立ち位置に合わせて役割を演じたいものであるが、そんなことが自分の思うようになったためしは、一度としてあり得なかった。すべてイレギュラーであり、だからこそ、不十分でいいという勝手な了解を得て、今の自分があるだけである。
という事を何故あらためていうのかというと、そういう状況になってしまった自分を差し置いていうと、日本の社会というのは、順番を守らない人というのが少なからずいる、という事なのである。順番なんて無いように思っている人もいるかもしれないが、そいういうものは歴然としてあるのが現実である。無いなんて言える人が、果たして本当にいるものだろうか。そういうものがあるにもかかわらず、順番が回ってくることに問題がある、という事にすぎない。そういう順番に自分があるとしたら、それはちゃんと受けるべきなのである。今はそうではないから、そういうことを繰り返して、イレギュラーで仕方なく、だから、十分でないことは承知の上で、でも言い訳なんてしないのだから、元の順位のようなものにせめて戻してもらえないか、というのが本音である。そのうち寿命が尽きるので、よろしくお願いします。