カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

勝ち取るという姿の体現   ビリーヴ 未来への大逆転

2022-11-20 | 映画

ビリーヴ 未来への大逆転/ミミ・レダー監督

 僕でも知っている著名人、ルース・ベイダー・キンズバーグ(RBGの略称でも著名)の伝記映画。長年アメリカの連邦最高裁判事を務めた。おばあちゃんのルース判事の姿しか知らなかったので、彼女の若いころの様子を知るという意味で、興味深い作品かもしれない。
 貧しい出のユダヤ人だった彼女は、しかし猛勉強して難関のハーバード大の法科に進んだ。その当時入学した500人中女性は9人だった。学校には女子トイレすらなかった。さらに当時ルースは学生結婚をしているのみならず、娘もいた。女性軽視の時代苦学を続け、優秀な成績で卒業したにもかかわらず、弁護士の事務所で女性を受け入れるところは無く、弁護士として就職することはできなかった。仕方なく下働きのような法律に関する仕事はしていたようだが、後に大学の教授となる。そのような中で、ある独身男性が親の介護をしているにもかかわらず控除を受けられないことが性差別に当たるとして、訴えを起こす。これは逆説的に、女性のみを対象にしていることで、女性の仕事を制限する差別に当たるものであるために、女性解放の意味合いもあるようである。しかし当時、これらの法律が何故性差別なのか、文化というものが何なのか、まったく理解できていない法曹界に立ち向かうことにもなった。実際には弁護士の経験のないルースには、立ちはだかる壁の大きさに圧倒されることになるのだった。
 女性差別の是正については、ほとんど見飽きるくらい見てきたような感覚があるが、しかしそれで足りているのかということになると、ちょっとまた考えてしまう。アメリカが進んでいると日本人の多くは漠然と考えていると思うのだが、果たして本当にそうなのか。確かに文化的にそうなっている現状がスパゲティ状に絡んでいて、子供を産む性である女性の役割は、漠然と決められているようにも感じる。そうでない人にとっては大きな壁であることは明確だが、それを個人的にどうにかする方法はほとんど無い。少なくともその場で局所的に手助けするより他に、何ができるのだろう。
 しかし問題は、実はそんなことではない。受け入れている性の人が、どの道理解など得られないことに絶望していて、さらにそういうことに問題を感じていないすべての人に、責任がある。要するに社会のことだ。理屈では理解できても現実が変わらないのは、社会が変わっていないからだ。しかし社会はそう簡単に変わらない。では個人は何をすべきか。
 この映画で分かることは、ルース自身が素晴らしいのはもちろんだが、その周りの人々が既に素晴らしい関係であることも見て取れる。そのような小さな塊が、周りによいこととして見えている。そこに本当の理解が伝播する力を帯びることになる。女性問題に限らず、これは大きなヒントになるのではなかろうか。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 手帳の切り替え時期の所為だ | トップ | 譲られて歩きたくない »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。