カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

勇気をもって生き抜こうとする   グリーンブック

2020-05-14 | 映画

グリーンブック/ピーター・ファレリー監督

 腕っぷしの強さを買われて用心棒などで食っているトニーだったが、ある事情で職を失う。紹介する人があって、黒人の音楽家ドクター・シャーリーのツアーの運転手をすることになる。ときは60年代のアメリカ。南部を渡る二か月の旅となる。その頃は、特に南部にあっては、人種の差別が文化的に残っており、黒人は黒人専用のホテルに宿泊する必要があった。その黒人宿泊所を紹介した本のことを「グリーンブック」というのだった。
 ドクは育ちもよく、その特異なピアノの才能もあって、北部ではすでに確固たる人気も財も得ている音楽家のようだった。一方、はっきり言ってチンピラと変わらないイタリア系移民の子であるトニーは、自らも黒人に差別意識をもっている。二人は何かと意見は衝突するし(何しろぜんぜん趣味が合わない)、どうみたって水と油の関係とも言っていい。お金で雇い雇われているとはいえ、何もかも上手くいきそうにないのだったが、実際にドクター・シャーリーの演奏を聴いたトニーは、その素晴らしさに度肝を抜かれてしまう。黒人であることや気に食わない態度はどうあれ、雇い主として認めるのである。
 ところが、そうして少し興味をもって黒人であるドクのことを見ていると、黒人としてはスノッブすぎて仲間がいないし、白人とは基本的に隔離されて孤独だ。限られた空間で決まったウイスキーを一人で飲み、コンサートではタキシードを着て完璧な演奏をして笑顔を振りまくのだ。さらにどこに行っても基本的には白人たちからひどい扱いをうけ、屈辱にじっと我慢するしかないのである。それでも結局トラブルに巻き込まれてしまい…。
 実話をもとに作られた作品というのは、得てして実話と違ったりするものだが、この映画にもいくつか論争があるようだ。彼らにも家族があるのだから、言い分はある。特に黒人であるドクター・シャーリーは、実際に黒人仲間も多かったし、家族とも疎遠ではなかったともされている。また、黒人の側からするとさらに「白人の救世主」問題というのがあって、このように窮地に陥った際、理解ある白人から救われるという展開に、屈辱を感じるということもあるようだ。
 それらの背景もよく分かりながら、また現代社会においても有色人種差別問題はたいへんに難しいものがあるということを考えるとしても、この物語はたいへんに感動的である。お互いがお互いの影響で共に変わっていく。自分の中の偏見や、自分の中の不具合を、相手を理解することで溶解させていく。そんなことは簡単ではないのであろう。だから物語が必要で、その物語の組み立てに、成功した作品なんだろうと思う。これくらいいい映画はめったに観られるものではないから、飯を抜いたとしても観るべきであろう。
 (追伸:あとで分かったが、監督はコメディのファレリー兄弟だった! それだけでもかなり凄いです)
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