カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

やれることに縛りをつけてはならない

2023-10-31 | 掲示板

 結果においては茫然自失としたというのがあって、挨拶の言葉を選び、お礼とお詫びを述べた。選挙最終日には気持ちのたかぶりもあって、涙があふれてきた訳だが、今回は悔しい気持ちはあれど、涙の方向へは感情が向かない。今は何か考えているというよりも考えられないというか、信じられないというか、そうした感情の方が勝っていて、分析をする頭に切り替わらない。考えていたこととまるで違うことが起こったことは間違いなく、そうしてそれは、むしろ支持者の多くが滑り出てしまったというような形に、なっている可能性の方が高い。支持の輪が広がり仲間も確実に増え、そうして票を失った。それが事実であるのならば、何を反省すればいいというのだろう。他にいったいどんなやり方があるというのか。
 基本的に考えられることは、支持者の多くが現職と被っているということだろう。そうして二択になると、現職の方を選ぶ。出て欲しくなかったという声が最初に聞かれたのはそういうことで、別のステージではしっかり支持していたが、このステージであれば話が変わるということなのであろう。基礎的にそれが無ければ、このような結果の根本を捉えにくい。
 他の基礎陣営からの支持者も、結果的に伸び悩んだことも間違いない。自分の陣営でなく、あくまで他陣営である。運動員として活動してくれた人たちの声も聞こえてはいたはずだが、その働きを見てもなお、自陣営の戦いだったらどんなに良かったか、という思いのあった人も多かったのではないか。つきあってはくれたものの、それは夢の継続だったのかもしれない。組織としてもそうである。動員掛けて実働もお願いした。これだけのパイプがあるのは間違いないのだが、そのパイプにつなぐ原油なり真水なり、送り出すものや受ける皿が用意されていなかった。票が集まらない原因ではなく、票が集まった後のインフラが整っただけ、だったのかもしれない。
 これだけの巨大な組織の乗り入れがあってなお、本当には機能しないように見えるのは、そのような形作りにおいての拒否感のようなものが、隠されているのかもしれない。しっかりした基盤の上にしか、議会運営を含め政治の丁々発止は行えない。それができなければ、ある程度空回りを起こす。大衆やマスコミにとっては、それこそが政治ショーであって、そのような政治不信が一定以上あおられていないと、政治の成り立ちを報じる手立てが無いのかもしれない。もっともそれが投票率の低下の根本的な原因だとは思われるのだが……(※これはまた別で論じます)。
 実は勝てるイメージは、希望的な観測のもとに築きあげられていったものだったのではないか。巨大な現職の高くて分厚い壁は、8年間の歳月を経て、さらに強固なものへと成長していた。少なくとも四年前は、完全なる無風だった。しかしマニフェストの実現は無くとも、新たなイベントは組み替えられて、そこそこのやってるイメージは維持されていたのかもしれない。動かないものは、何か経過の中で忘れ去られても、そんなに問題のあることでは無いのかもしれない。
 多くのことを推進させるパイプは無いかもしれない。しかし首長が本気になって動けば、賛同する組織は少なくないのである。何かに所属しないまでも、協力体制で一つになれることは多いはずだ。たとえ反対した政策であったとしても、どうやれば実現できるのかという道筋は、それなりに種明かしとしてこちらは提示していったことは間違いない。ちゃんとやろうと思えば実行できるし、やり方も段階的に最小限の負担で積み上げて行けるのである。本当にノーサイドと考えているのであれば、やれることを着実にやって欲しい。我々は、政治的なまちづくりがうまく行くことを、一番に望んでいるのである。
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