カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

アメリカ人は嫌なものは嫌がる   ボディスナッチャー 恐怖の街

2017-09-01 | 映画

ボディスナッチャー 恐怖の街/ドン・シーゲル監督

 救急病院で錯乱状態になっている男の回想から始まる。男は医師で、患者の予約が殺到している為に学会から早く戻ると、予約の患者がことごとくキャンセルしてくるという事態に見舞われる。さらに母親に怯える子供や、おじさんが偽物だと主張する友人などが現れ、何かのノイローゼのようなものかと最初は疑っている。そんな折、以前に思いを寄せていた女性が出戻りで町に帰ってきており、一緒に食事に行こうとするが、そこでも友人兼患者から呼び出される。行ってみると、死体なのかどうか、友人によく似た物体が倒れている。様子を見ていると見る見るさらに友人に似てくるようだった。何か本人と入れ替わるようなことになっているとやっと気づくが、既にまちでは多くの人間が入れ替わっており、警察もその宇宙人のような人々に乗っ取られてしまっている。どうも寝ている間に代わりの人間と入れ替わるような事が起こるらしい。寝てもいけないし、まちから逃げなければならない。必死で彼女と二人で逃げようとするのだったが…。
 SF映画の傑作として、他にも数々のリメイク作がある。特に特撮が凄いという訳でもないが、設定が優れており、逃げる恐怖がどんどん緊迫感を増していく展開に手に汗握る。観ていてすぐに気付くと思われるが、数々の映画の原型ともなっている演出が随所にみられ、まさにB級でありながら名作といわれる理由も分かる事だろう。多くの演出家に影響を及ぼしたことは間違いなく、SF作品のみならずゾンビ映画などとも通ずるホラー映画の原型であるともいえる。
 ありえないことを逆手にとって、孤立する状態になるまでの展開も見事だし、単純に追ってから走って逃げまどうスリルも素晴らしい。さらに寝てもいけなくて、身内が様変わりしてしまう恐怖も身の毛がよだつ。最初は害悪や目的もよく分からない問題が、一気に展開して後戻りできないほどに世間をむしばんでいく。おそらく何かの比喩になっており、政治的な思想やアメリカ人がいだいている恐怖感を、ホラーの形を用いて具現化しているということもいえるのだろう。
 見ていて少しばかり入れ替わりの人々にも善良さがあるように見えるところも、なんとなく恐ろしい感じもする。いくら抵抗しても既に時遅し、自分から仲間になってもいいのではないかという気もしてくる。主人公はある意味で諦めが悪すぎて逃げまどうが、そういう頑固さもアメリカ的と言えば言えるだろう。日本人ならこうなる前に、その危機を自ら受け入れるのではないか。たとえそれが自分にとって望ましいものでなくても、皆がそうなら仕方がない。逃げて受け入れ先が信用しなくてもわめき散らして自分の主張を通そうとする弱きアメリカ人の生き残りは、ある意味で逆の原理主義的姿が見える。だからこそ恐ろしい映画なのではあるけれど。
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